第87章
87.
「ぬおっおお!」
ダークエルフが背中越しに発する烈瀑の気合が、フィレンツェの顔面を砕かんとする。激しい鍔迫り合いからダークエルフが屈みこむ様に左の肩を差し入れ、フィレンツェを突き飛ばそうとするに合わせて、フィレンツェは逆らわず後ろに飛び退いて僅かに間合いを取る。
シャラン、と無理に後を追わず踏み止まったダークエルフの纏う鎧が、音を立てた。
ダークエルフの戦士たちが纏っているのは何れも革の軽鎧に金属のプレートを要所々々に取り付けた物で、皆同じ設えだ。だが、目の前の男は他のダークエルフとは違っている。エルシャナとも違い、このダークエルフの戦士は今までのところ魔法を使おうとしない。しかもその体格を生かして、当て身まで使ってくる。エゼルにもアリシアにもあった刀傷は、間違いなくこのダークエルフがつけたものだろう。
コイツ、強いな。
魔法を使うか使わないか、ではなく。本質的な意味で強い。だが、これで全てではあるまい。
フィレンツェは目を閉じ、風の揺らぎを読む。
似ている。
知らず知らずのうちに、口角が上がる。
誰でもない、俺自身に。
再び、目を見開く。
今は泣きたくなる程、あるいは笑いたくなる程、熱い。
そして無意識のうちにも互いに相手の剣筋の先を読み、無意識のうちにも相手の痛撃を弾き、同時に弱点を突こうと体が動く。ある意味、不思議な事だ。
フィレンツェは開いた間合いの先で僅かに腰を沈め、一気にダークエルフへと間合いを詰める。ダークエルフは長剣を上段に構えて、飛び込むフィレンツェを向かい討つ。
上段から振り落とす様に打ち落とされた長剣を弾き、相手の懐に飛び込む。ダークエルフの振るう長剣とフィレンツェの振る同田貫が鎬を削り、フィレンツェの頭上、続いて二人の合間で一瞬の火花を散らす。二人が斬り合う剣筋が幾度となく交わる。
だが、僅かに競り勝ったフィレンツェの同田貫が、ダークエルフの長剣を跳ね上げた。
いける!
右手ごと跳ね上げられた長剣を手に仰け反る様な不安定な姿勢となったダークエルフを追って、フィレンツェがダークエルフの懐へと飛び込む。今なら抜き胴で勝負を決められる!
同田貫を左に寝かせて踏み込んだ瞬間、僅かに相手の視線を捉えた。
その燃える様な碧色の瞳には微塵の迷いも不安もなく、何かを図っている目だ。
しまった、罠か!
勝利を確信したのか、ニィっと奴の口元が歪む。
跳ね上げられた右手と逆の左手が、飛び掛かるフィレンツェへと突き出される。
「リ・メル・フィーラ!!」
振り抜かんとする同田貫と踏み込んだ右足にも急ブレーキを掛けて、真横へと飛んだ俺を追って、灼熱の炎の奔流が追い縋る。
「リ・シル・ツェール!」
右手を懐に、左手の握りを僅かに開き、奴の炎を水魔法で迎撃する。
燃え立つ炎と清冽な水流が激突し、『知られざる迷宮』での水蒸気爆発を思わせる強烈な爆発を引き起こす。閉鎖空間ではないから直ぐに霧散するが、それでも絡み合う様に切り結ぶ二人を一時引き離すには十分だった。
やはり、ダークエルフのくせに魔法が使えないなんて事はないか。これまでは使えないのではなく、使う必要がなかったのだ。
せこいヤツだ。
別にせこい訳ではないが、何か愚痴を言いたい気分だ。
「人間の癖に、俺の炎を打ち消す程の魔法を使うとは!貴様を見くびっていたぞ」
いや、そのままで良いですけど。
油断してくれた方が良いです。
男に褒められても、うれしくないし。
ちらと振り返ると、エゼルを介抱するシャーリーと、アリシアを抱き起すエレインの間で、弓を握りしめて立つソフィアと目があった。何か、泣いているのか怒っているのか、はたまた心配してくれているのか分からない感じ。確かめる余力はないし怖いので、問題は先送り。
「ダークエルフの癖に剣術を使うヤツがいる方が、驚きだな」
別に使ってくれても良いが、俺に関わるのは止めて頂きたい。
ヤツが右手の剣を胸の前で剣先を上に立てた。何かダークエルフ流の礼なのだろう、一秒程掲げたまま動きを止めると、再び俺に斬りかかるべく走り出す。
もし、俺とコイツに何らかの差があるとするならば。
再び激しい剣戟が交わされる中、力と力が均衡し、同時にフィレンツェはフッと両肩の力を抜く。
フィレンツェがぴたりと一瞬動きを止め、動から静へと時が移ろう。
その停滞に勝機を見出したダークエルフの両の目が狂喜に歪み、ダークエルフの長剣の剣先が同田貫に絡みつく。
だが、停滞は、死、ではない。
停滞も、時という物の一つの象に過ぎない。
故に。
その動きをいなすように同田貫が風を巻き、更にダークエルフの長剣の剣先に絡みつく。幾重にも重ね造られた同田貫は硬く、同時に柔らかい。
閃光が舞った。
一瞬にして絶望へと色を変えるダークエルフの瞳の碧の色の奥底を見ながら、フィレンツェは長剣を跳ね上げ、更に踏み込んで長剣ごと、その右手を切り落とした。
柄を握ったままの右手首と剣が、中空に弧を描いた。
ダークエルフの目に驚愕と恐怖が次々と行き過ぎるのを目に収めながら、フィレンツェは気合い諸共、大上段から同田貫を振り下ろした。
同田貫は、ぴたりとダークエルフの首筋に僅かな切り傷を着けながらも、その太刀筋を止めている。
再び、全ての時が止まったかの様な静寂が周囲を覆い尽した。
「退け。勝負はついた」
コイツが何故、自分たちの種族が長けた魔法の使用を押さえ、敢えて剣を持って敵を討とうとするのか、それは分からない。だが、その効果は切り札として織り込まれた魔法をより鋭くする物だった事は確かだ。後一歩踏み込んでいれば、間違いなく俺は黒焦げになって地面に転がっていたことだろう。
「今、俺を殺さねば、後悔するぞ」
そうだろうな。
俺に問うダークエルフの野太い声は、本心なのだろう。ただ、ここでコイツを殺せば、残るダークエルフ100人は俺たちを殺すだろう。
「言ったろう、人間の人生は短いと。俺が死ぬまでは、アレス王を討つのは待ってはくれまいか?」
これは俺の本心だ。それが長いか短いかは分からないが、幾年月かの平和は何らかの意味をもたらすだろう。スイスの30年の平和がもたらしたのは、鳩時計だけなどと揶揄されるが。
それでも。
「お前、変な奴だな」
ダークエルフの戦士は、不思議そうな顔をした。
つうか、手首を切られておいて、痛くないんかね、キミは?
十分、あんたの方が変だよ。タフなダークエルフなんて、俺のイメージをぶち壊すだけで何のメリットもない。
口には出さないけどな。
「お前、じゃない。フィレンツェ、だ」
ヤツが切り落とされた自分の右手と剣を拾いやすい様に、一歩下がる。
同田貫の血を払い、鞘に納める。本当はきちんと手入れをしたいところだ。
だが、不思議と、100人のダークエルフの前で同田貫を納める事には何の躊躇いもない。
「・・・ふん。ディーンだ。引くぞ!」
ヤツは、コイツでもヤツでもなく、ディーンという名前らしい。
満ちた潮が引く様に、ディーンとダークエルフたちは去って行った。
後には俺たちだけが残された。
それが良かったのか如何か。
ヤツ、いやディーンにとっては光陰の間のごとき休戦なのだろうが、意味はある、きっと。




