第74章
74.
サラマンダーの美女アリシアに導かれ『世界樹の若木』へと歩みを進める俺たちは、何時の間にか周囲の空間がゆがみ始めた事に気が付いた。確かに聳える『世界樹の若木』は四方へと大きく生い茂った枝を伸ばし、降り注ぐ春の光を受け止めてはいる。だが、今や俺たちを押し包む闇は涼しげな木陰どころの話ではなく、周囲は濃密な闇に覆われている。
振り返ると遥か彼方、陽光の下でサラマンダーと戦った場所は、まるで闇夜に遠くの街の灯を見るかの様で、視界の果てで線状に地平線だけが陽光に輝いている。
あまつさえ自分は地に垂直に立っているはずなのに、徐々にすり鉢状の地形の底に降りる様に『世界樹の若木』の根元に向けて地がたわみ落ち込んでいく。
地面から垂直に伸びていたはずの直径10メートルはあろうかという巨木の幹が、今や俺の『頭上』に、しかも俺と『直角』に伸びているのが分かる。
「まるで、『事象の地平線』だな」
フィレンツェは、背後の輝く地平線を振り返りながら呟いた。
そう、アリシアに導かれて『世界樹の若木』に至る道は、まるでブラックホールの重力に引かれ落ち込む星が辿る道筋の様だ。案内してくれるのはありがたいが、俺たちは元いたところに戻れるのだろうか?
この『世界樹の若木』への道のりが実は一方通行だったりしたら、かなりショックなのだが。『事象の地平線』の外側なら、ブラックホールから逃れる事が出来る。俺たちが光速で逃げられるならば、だが。そして、『事象の地平線』の内側に入れば、たとえ光でさえも、逃げるすべはない。
「何か、凄いところに来ちゃったわね・・・」
俺の左腕を、がっちりと抱きしめたソフィアが呟く。
最初はアリシアの背中を追う俺の、更に後ろにいたはずのソフィアが何時の間にか俺の左腕を捕まえている。ちょっと不安そうな横顔が可愛い。
「・・・ちょっと、怖いかも、です」
当然の如く反対側の右の二の腕あたりを、シャーリーが両手でしっかりと握っている。定位置と言えば、定位置か。大丈夫だよ、怖がらなくても。後でエプロンを探してあげるからね。
まぁ、ここまでは良い。
「そろそろ、着きまっしゃろかね?」
・・・いや、『憑いて』いるのは、お前だ!
俺の左右を固める二人に比べると、流石『水の精霊』動じないな、などと思っていたのだが。気が付くと、後ろから俺の胸に回されたエレインの腕が。
エレインは俺に気付かれる事なく、何時の間にか俺の背中に負ぶさっていた。
お前は『子泣き爺』か!?
「ドラゴンとハーフエルフは怖がっている様だが、帰りも元の場所まで私が送るから、そんなに心配しなくても良い」
先を歩くアリシアがチラと、俺たちを振り返った。
おお、アリシアさん、ありがたや。
実は俺も、内心は怖がってたりするけどな。
靡く赤い髪とそのロングドレスだけが、暗闇に閉ざされたこの『事象の地平線』の内側で、俺たちを導く唯一の道標だ。
因みにエレインは他の二人と違い、如何やら怖いから負ぶさっている訳ではないな。単なる『子泣き爺』ですね。重くないから良いけどね。でも、重さがないと折角のその柔らかな膨らみが感じられないのは、頂けないね。昨日の夜、俺の胸の上で頬を寄せた時は、しっとりとした肌の感触が確かに感じられたのだが。
「あれが、『エルフの王』の住まう城に通ずる扉だ。だが、私が案内出来るのはここまで。私はここで、お前たちが出てくるのを待っている」
アリシアが片手をあげ、その細い指先で前方を指さした。
横にずれて道を開けたアリシアの横を、両脇を抱き固められ、ついでに約一名を背負った状態で通過する。何か、その隻眼が放つ視線が痛い。
閉ざされた扉を前にして流石に俺の目配せで、三人が離れて俺の後ろに並んだ。
扉は『世界樹の若木』の根元の地面に、まるで地下への落とし扉の様に存在していた。だが、俺たちから見ると、その位置は何故か『正面』だ。
歪んだ空間の中、俺は扉の持ち手に手を掛けた。




