第64章
64.
『君子危うきに近寄らず』という。意図して近づくならば、その故事が示す教訓は『虎穴に入らずんば虎子を得ず』とは対義を成すものだ。
もし、意図してではないとするならば、如何したものか。
食後のひと時を費やし、いそいそと就寝の準備を始めたソフィアとシャーリーに何故かエレインがついてきてしまった事から急遽開催されたソフィア、シャーリー、エレインの三者会談は(何故か俺は締め出され、寂しくジルとジバのブラッシングをして過ごす事となった。ジルとジバは可愛いよね。ジルとジバはブラッシングが好きらしく、喜んでいた様なので良いのだが)最終的に俺がシャーリー謹製の『回復薬』二回分を飲むことで決着した。如何やら先に飲んであった一回分を入れて合計で三回分という計算らしいが、その数字が如何算出されたのかは俺の知るところではない。
ついでに言うと、この件に関しては俺の意思は考慮されている気がしないのだが。
まぁ、良いか。
しかし、別に自分で望んで火中の栗を拾う事もあるまいに。
「何故、こうなった・・・?」
ドーナから『虚無の狼の迷宮』に向かう、森林地帯を貫く街道。街道にほど近い森の中を流れる渓流の岸にその口を開いた『知られざる迷宮』の存在を認めた俺たちは、探索中に『迷宮』の岩場にこんこんと湧き出る温泉を見つけた。『迷宮』の探索という目的を棚上げにして、俺はソフィアとシャーリーと混浴がしたいという欲望を即座に実行に移した訳だが、その場に現れたのが同じ森林地帯にある湖の湖上の城に住まうヴィヴィアンに良く似た、『水の精霊』であるエレインだった。褐色の肌を首の辺りから背中に掛けてと、肩から二の腕に掛けてを銀色に輝く鱗が覆う『深海の乙女』でもある。
「すぅ・・・」
仰向けに横たわる俺の左には、俺の左肩に頭を載せてソフィアが安らかな寝息を立てている。藍色の銀糸の様な髪が、木立の切れ目から差し込む月明かりにきらきらと輝いていて、安らか過ぎて俺の左の二の腕に多少涎を垂らしている様な気もするが、きっと気のせいだろう。
因みにソフィアが疲れて寝入っているのは別にエレインに『呪歌』を聞かされた訳ではなく、そのチェインメイルに原因がある。けして俺が悪い訳ではない。正確に言うと、あんなところに結び目があるのがいけない。ダメだ、あれは。
「くぴ、くぴ、くぴ・・・」
ソフィアの反対側、俺の右手を抱き込む様に眠るのはシャーリーで、俺の方を向いて小さな体で丸まっている。かわいそうに俺から届かない様にという意味なのか、俺の右手を盾にしてその可愛い耳を守っているらしいが、その方法は効果的ではない事はいろいろと身を持って学んだと思うのだが。如何やらまだ教育が足りない様ではあるが、続きは明日にしておこう。疲れて寝てしまった娘を起こすのは良くない。多分、その耳を甘噛みする事以上に、良くない気がする。
「何故って、男とおなごどすから、そへんゆー事もあるんや」
俺の胸の上で答えるエレインが、俺の胸に手をついて顔を上げた。
新たに敷物となった電気ヒグマの毛皮は、多少『黒色火薬』の爆炎で焦げて縮れた部分があるにしろ4人で寝ても十分に広いはずではある。だが不思議な事に、エレインからはほとんど重さという物が感じられず、その肌の温もりと、しっとりとした感触だけがその存在を示している。心地よいので、困った事に跳ね除けようという気になれない。まぁ、重みも、その存在を示している様で魅力的なのだけどね。ソフィアって見た目以上に重いし。
「なあ、もし違っていたら、ものすごく失礼だから聞かなかったのだが。エレインの唇は、ヴィヴィアンのキスと同じだった」
それに『西の海に行きたい』と言ったエレインに、その言葉の本当の目的を聞いた時に浮かべた表情。その悲しげな微笑を見た時、そこに俺はヴィヴィアンが霧に溶けて消えた時に浮かべていた表情を重ねずにはいられなかった。それはおそらく偶然ではあるまいと、俺には不思議と確証じみた想いがある。そう、問いかける俺に、エレインは嬉しい様な悲しい様な、そんな表情で俺を見つめてくる。両手に自由があれば、エレインを抱きしめたいところだが。どちらの手もそれぞれに占有状態にある様で、俺に出来るのはエレインを見つめ返す事だけだ。
「分かったんやか?わいとヴィヴィアンは、二人でシトリ。わてらはその想おいもはん、感覚も、その存在だけも共有していまんねん」
別れにあたり『俺の我儘に付き合わせる者を、これ以上増やす訳にはいかない』と、そうヴィヴィアンには伝えたつもりだったのだが。あっさりと、エレインは俺に自分の出自を白状した。これが、エレインの二つ目の秘密か。
ソフィアもそういうところがあるから何となく分かるのだが、白状したのはエレインが正直だからというより、白状しても自分が嫌われたりしないと、自信があるのだろう。俺の周りにいる娘は皆、大した自信家だ。
「ヴィヴィアンの代わりに俺を追ってきたのか?」
エレインもヴィヴィアンも長さは違えど同じようなブロンドで、その瞳も同じ様な透明な金色だった。その瞳に見つめられると、吸い込まれそうな気がしてくる。ヴィヴィアンの持つどことなく儚げで気怠い感じはエレインからは感じられないが、エレインのその微笑が俺の記憶を揺さぶる。
「代わりとしゃべるのは、ちーとばかし違いまんねんね。ヴィヴィアンは、あの霧の湖から離はる事がでけへんのや。かて。これからもわてらに、ヴィヴィアンとわいの望みを叶えて頂けまっしゃろか?」
だとすると、もし俺があの時ヴィヴィアンの愛を受け入れていたならば、俺もあの霧に沈む湖に縛られていたのかもしれない。なかなか残酷な事だが、きっとそれはそれで時間の止まった甘美な世界なのだろう。やはりヴィヴィアンは酷い女だ。如何やら俺の自由の為に、自分ではなく、自分の分身であるエレインを差し向けたか。
「ああ。ヴィヴィアンに宜しく伝えておいてくれ」
両目を瞑る。
流石にシャーリーの『回復薬』の効果も切れた様だ。
これで、如何やら三人目だ。はたして俺は彼女たちに、彼女たちの望む未来を与えてやれるのか?少なくとも俺はこの世界に来て、元の世界にあった全てのしがらみを捨てさり、孤独と自由を手に入れたはずだったのだが。
重さは余り感じなくとも、再びエレインが俺の胸にその頬を寄せた感触が伝わる。
温かい。
もちろん、元より俺は君子にはなり得ないのだが。ヴィヴィアンにしろエレインにしろ、『危うさ』という点に於いては、ソフィアやシャーリーに勝るとも劣らない、そんな気がした。
まぁ、不可抗力というヤツだろう。




