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華龍Story  作者: ryo
52/142

第52章

52.

剣道、あるいは剣術に於ける基本的な構えを『五行の構え』と呼び、これらは実際に真剣を用いて戦った時代の名残とも言える。何故ならば、その幾つかは既に形骸化し、現行の剣道では使い得ない、剣道に於いては使っても有効打突とは判定されない『袈裟懸け』を繰り出す為の構えが、『八相の構え』として残されている。剣道に於いての決まり手は小手、面、胴に突きを加えた四種類で、剣術で言うところの『袈裟懸け』は含まれていない。しかしながら有効打突とならないその『袈裟懸け』の本来の目的は、頸動脈、あるいは心臓、肺という人体の急所を狙うものだった。たとえ頸動脈を外しても骨としては比較的柔らかい鎖骨を断ち切り、更にその下の動脈を断つ事で、相手に致命傷を与える事が出来る。

長き戦乱の時代を通じ培われた、相手の命を絶つという目的に於いてのみ、非常に実践的な手法。

だが、それは相手が同じ『人間』である事が、前提の手法ではある。


「早くしてくれよ・・・」

思わずボヤキなのか祈りなのか、そんな言葉が無意識にフィレンツェの口から洩れて出た。

俺はこれまで元いた世界でもこの世界でも電気ヒグマも含めて熊と名の付く物と戦った事などないが、電気ヒグマとて武器を持った人間どころか、人間と戦うのは初めての様だ。俺がヤツの鼻先で振り回す『同田貫』を警戒して唸り声を上げるが、今のところ急に突進してくる様子はない。俺はヤツの目前で袈裟懸けと逆袈裟を繰り出し牽制しながら、少しづつ後ろへと下がる。

俺が下がった分の間合いをヤツが太い前肢を繰り出し、のそりと詰めてくる。

意気込んだ割には、俺は防戦一方だ。俺の『同田貫』が実際にヤツの鼻先を切り裂く事は、俺が感電する事に繋がる。つまり、俺が『同田貫』を振るうのは所詮ポーズに過ぎない。


「グゥゥゥー」

ヤツが巨大な牙の並んだ咢を開き、腹の底から唸り声を放つ。如何やら電気ヒグマの感情の高ぶりと背中のスパークは何らかの相関関係があるらしく、放電に伴うスパーク音が高まる。

ここは『知られざる迷宮』、おそらく『冒険者』たちにも知られていない、まだそれ程その成立から年を経ない『迷宮』らしい。『迷宮』を形作る洞窟は『魔泉』による浸食はまだ少なく、森の中を流れる渓流の水面に面した『迷宮』の入口から、この電気ヒグマのいる場所までは単純な一直線の道筋でしかない。距離にして僅か、100メートル程度。だが、ジリジリと後退を続ける俺にとっては、その100メートルが、その何十倍にも感じられる。

ソフィアとシャーリーの二人は、電気ヒグマに相対する俺に先立ち『迷宮』の入口まで戻らせた。俺の役目は、入口で待つソフィアたちのいる場所まで、自分がヤツに食われる事なく目の前の電気ヒグマを釣り出す事だ。当然、『同田貫』をヤツの鼻先にぶち当て、ついでに自分も感電死となる事は避けたい。


「フィル!!準備出来たわよ!」

『迷宮』の入口で待つソフィアが、俺の背中に呼びかけてくる。入口までは約半分、50メートル程度。だが、いくら人間を襲った事のない『魔物』であっても、そろそろ俺が振り回す『同田貫』が威嚇に過ぎない事を理解する頃合いだろう。『同田貫』を振り抜いたタイミングで柄を握る右手を外して懐の『藍の宝玉』に触れる。


「リ・メル・フィーラ!」

体の中を巡る血流が強引にその流れを変えて、俺の左手へと走り出す。ザッと体中の体温が下がって、だが、左手だけが焼ける様に熱い。『同田貫』の柄を握る左手の、中指と薬指を残して指を開くと電気ヒグマに向けて突きつける。フッと何かが抜けていく感覚と共に、左手の平から火球が迸る。突如として目前に出現した『炎の魔法』の造り出す火球に鼻先を焼かれた電気ヒグマが、転がる様に周囲の壁に体を打ち付けながらのたうちまわる。電気ヒグマの巨体がぶち当たり、洞窟の壁が崩れ、もうもうと砂煙が立ち上がる。灰色の砂煙の中で電気ヒグマの背中の放電が、まるで雷雲の中の瞬く雷光の様だ。だが、見とれている暇はない。のたうち回る電気ヒグマに背を向け、『迷宮』の入口で待つソフィアたちの元へ走り出す。


「来るぞ!導火線に着火して下がれ!」

眩い洞窟の入り口に、俺を待つ二人の姿が見える。背後を振り返る余力はないが、『炎の魔法』に鼻を焼かれた電気ヒグマが猛然と俺を追い始めた。地鳴りの様なヤツの足音が、背後から迫る。飛び退いた二人の姿が、洞窟の入り口の幅で切り取られた俺の視野から消える。

入口から1メートル程、洞窟に入った辺りの床に置かれた木製の樽を飛び越えて、洞窟の外を流れる渓流に足を浸して『迷宮』の入口を振り返る。

ここで奴を『迷宮』の外に出してはならない!

「リ・カル・ドルーサ!」

再び唱える魔法の詠唱は、今度は『土の魔法』、そう、エルシャナが俺の攻撃を防ぐ為に使った防御魔法だ。再び体中の血液が、ザワザワと俺の左手に向けて流れ出す。左手の平の熱さは先ほどの『炎の魔法』と変わらない。先ほどとて、造り出した炎の熱さではなく、何か感覚的なものだったのかもしれない。左手が焼ける様に熱い。

ついにヤツが『迷宮』の入口から大きく開いたその咢を覗かせた瞬間、ヤツのその凶暴な姿を突然出現した土の壁が覆い尽した。急速に体から力が抜けていく。

俺の左手を中心に『迷宮』の入口を覆い尽し、『迷宮』とこちらの平穏な世界を別った土の壁の向こうで、突然獲物を見失ったヤツの咆哮が聞こえる。そして、その獰猛な咆哮さえもかき消す如く、ドドッと幾重にもくぐもった『黒色火薬』の爆発音が響き渡った。

大地が揺れ、跳ね飛ばされた小石が舞い、振動が足元を流れる水面に不規則な波紋を広げる。

耐えきれずフィレンツェは『同田貫』を持った左手を下すと、がくりと片膝をついた。

周囲の森から驚いた小動物や鳥たちが、奇妙な鳴き声を上げて逃げ出していく。

「終わった、の・・・か・・・?」

口から、知らず知らずに言葉が零れ落ちた。

極限まで高められた緊張が途切れようとした、その瞬間。

目の前の土の壁が、爆発した。

膝をつくフィレンツェの頭上に、全身を爆風に切り裂かれ緑の血を滴らせたヒグマが踊り出た。


ソフィアの叫ぶ声が聞こえる。

シャーリーが悲鳴を上げている。

そして俺は『同田貫』を握る左手に、無意識のうちに右手を添える。

ヤツは爆発の為かその小さな両の目を緑の血に染めて、焦点の合わぬ目で俺の頭の向こうを睨んでいる。開かれた咢の牙は既に折れ緑の血の混じった涎を垂らし、だがそれでも、その丸太の様な太い前肢は正確に俺の頭を砕くべく、頭上から降ってくる。


「逝けいいいッ」

周囲の全てが色を失い、その動きを、鼓動を止める。

風が撒き、『同田貫』が逆袈裟にヒグマの岩の様な首を刈った。

ヒグマの背筋のスパークが『同田貫』に纏わりつかんとした時には、片膝をついたところから伸びあがったフィレンツェはヒグマの巨体の脇へと抜けていた。

ドドッっと音を立てて、電気ヒグマの巨体が水面を割った。

一瞬遅れて、宙を舞った首がその咢を大きく開いたまま数メートル先の水面に突き出た岩に跳ねて、そのまま渓流の流れに消えた。


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