第50章
50.
ヴィヴィアンたち『水の精霊』が住む湖の湖畔を立ち、今日で三日目。
森林地帯を横断する街道を西へと向かう俺たちは、その日の昼食の糧に森に住まう獣を求め、街道を外れた森の奥を流れる渓流へと行き着いた。正確な地図がないので分からないのだが、この渓流は流れの方角からするとヴィヴィアンたちの住む湖から流れ出す河川の一つなのかもしれない。一帯で鹿に似た獣を仕留めた時、緑深い森の中の渓谷を流れる渓流の対岸に、俺たちは僅かながらその入口から『魔力』が漏れ出す『知られざる迷宮』を見つけ出した。『迷宮』は『魔物』を湧出させるが故に人間にとってはその生活を害するリスクであると同時に、『冒険者』たちにとってはその生活の糧ともなる場所だった。そして、この渓谷の『迷宮』に人の姿がないのは、この場所がまだ如何なる『冒険者』たちにも知られていない、『知られざる迷宮』である事を示している。『知られざる迷宮』とは、そこに挑む『冒険者』にとって中に巣食う『魔物』の種類や『迷宮』の内部構造といった情報の欠落から高い危険を孕んだ場所であると同時に、それ故に未踏の場所のみが持つ高い価値と死にも等しい魅力を持つ場所であった。
それは何れも、『冒険者』たちを引き付けて已まないものではあった。
「前々からすごく疑問に感じていたんだが。ソフィのそのチェインメイルな、背中の紐を結んでからもしトイレに行きたくなったら、如何するんだ?」
俺がソフィアの射止めた牡鹿を解体している間に、ソフィアとシャーリーの二人は街道から葦毛と荷馬車をこの渓流の岸辺まで引き下ろす事に成功していた。ゆるい傾斜とはいえ、後で街道まで復帰するのはかなり大変そうではあるが、街道に葦毛たちをつないだままで良いのはそう長い時間ではない。『結界石』で守られているとはいえ、やはり余り俺たちから離れた場所で置きっぱなしという訳にはいかない。改めて葦毛たちにも渓流の水を飲ませ、続いて飼葉を与える。俺たち人間が昼飯を食べる以上、成り行きで葦毛たちも一日三食を維持している。
「・・・その答えを知る対価としてフィルの寿命が縮んだとしても、わたしにとっては何もメリットがないと思うのだけど?」
取りあえず昼食の香辛料の効いた鹿肉を焼いた塊とスープを平らげた俺たちは、そそくさとそれぞれに防具を身に着け、目の前のまだ誰も足を踏み入れた形跡のない『迷宮』の探索の準備をしていた。これはたまたまであり、偶然ではあるが、『知られざる迷宮』つまりは言うなれば『処女迷宮』だよな、と考えたところで、ふとソフィアの全身タイツっぽいチェインメイルの下半身に目が行った。仕方ないよね、そういう時もあるさ。だが、如何にソフィアと言えど、背中で編み上げられたチェインメイルの脱ぎ着にはそれなりに時間を要する訳で、日頃の疑問が口を出ただけだ。そう、ごくたまたま、偶然。
「うん、そうだね、何事もやっぱりメリットというか、価値の創造が重要だよね。付加価値ってヤツだな、きっと。それでだ。でも仮にソフィが足に怪我でもして急にそのチェインメイルを脱がせなければいけない時とか、上半身から脱がせる必要があるのかとか、知っておいた方が良いと思うんだよね」
そうそう、その細い二の腕やすらりとした首筋に、包帯代わりの布きれを巻く時とか。良かったな、あれ。俺はソフィアとの出会いの時を思い出していた。あの時は精神的な余裕もなかったし、お医者さんごっことして楽しむ余裕がなかった。今にして思えば、何とも勿体無い事ではあった。だが、それはそれとしても。今のソフィアのチェインメイル姿も、なかなか良いと思う。そのお尻の線とか。なので、いろいろと知っておく必要があると判断した。
たとえ、ソフィアが俺への不信感を露わに、ジド目で睨んできているにしてもだ。
そう。とても重要な事だ。正しく新たな価値の創造。いや、単に想像というか、妄想か?
「・・・仮にわたしが誰かさんに剣で貫かれたとして、『回復薬』があれば問題ない気もするけど?」
あ、如何やら俺たちの出会いの時を思い出しているのは、俺だけではないらしい。そう、俺たちは心が通じ合っているんだね、ソフィアさん?
ちょっと、その記憶の共有から派生した付加価値の部分だけが、俺とソフィアで違っているだけで、その違いは、ほんのちょっとだけだと思われる。多分。
「あ、でも、『回復薬』の種類には塗り薬もあって外傷だけなら、そちらが適している時もありますよ?」
ナイスフォローだ、シャーリー!だてに『合法ロリ』をしていないね!
丁度、ドワーフたちに仕立ててもらった紅い軽鎧に着替えたシャーリーが、荷馬車の裏側から出てきた。何も疑わずにエルフらしい適切な医療知識を披露してくれるとは、外見そのままの純真無垢な娘だね。本当は俺より年上らしいけれど。
「・・・この腰当を外して、この辺りの結び目を解くと、トイレに行くには丁度良い様になっているの。でも、足に怪我をした場合はそれに関係なく上から全部脱がないとダメだわね」
顔を赤くして視線を逸らせたソフィアが、手さぐりで隠された結び目を解いた。む、無駄にエロいですね、それ。先日のシャーリーへの『今夜はポニーテールを解いてはいけない』宣言に続き、俺の中で『今夜はチェインメイルを脱いではいけない』宣言が確定。そろそろ二人には、俺の事は趣味に問題がある人間として認識されてしまいそうだ。だがそれは、きっと紳士の嗜みという物だ、仕方ない。
「あ、お姉さま、下着穿いているんですね!てっきり、今の話で、トイレに行き辛いから上着だけかと思ってました」
一方のシャーリーは髪と同じ色の紅いワンピースもとい軽鎧で、如何見てもロゴの入っていないバドガールだ。本人も自覚している様につるんぺたんというお子様体型なので、いくら露出度が高くても『寒くない?風邪ひかない様にね』という感じではある。
だが、確かジルがうちの葦毛に蹴飛ばされた時、白いワンピースの裾が捲れて見えたのは、同様につるんとした・・・。
「ああ、流石にチェインメイルの時は穿いてないわよ、脱げないから。これは上着の裾が長くなっているの。だって、チェインメイルの目は細かいから、毛が引っかかったりしたら痛いじゃない」
何か俺を差し置き、段々本音の女子トークが。
このままでは男の夢が、壊れかねない気が。
「そうなんですね。エルフは下の毛が生えないので、特に下着を穿く事もないんですが、お姉さまを見ていてちょっと羨ましいと思っていました」
そ、そうだったのか!
エルフ、侮れないな。
確かにシャーリーがノーパンだったのは知ってはいたが、そんな謂れがあったとは。初めて穿いてないのを見て以来、聞く機会を逸していたのだが、というか他のいろいろな疑問に埋もれすっかり忘れていたのだが、ここに来て長年の疑問が氷解したな。
それはそれとして。
永遠と続く二人の会話を頭の隅で聞きながら、如何やら完全に話題に置いていかれた俺は、『迷宮』突入までのひと時をジルとジバの相手でもして過ごそうかと、一人寂しく馬車に向かってとぼとぼと歩き始めた。ここはひとつ猫っぽい二匹の背中でも撫でて、癒される事にしよう。




