第49章
掲載再開です。
49.
『迷宮』という言葉は、元いた世界に於いて元々は『迷路』という言葉とは区別して使われていた。ギリシア神話に謳われるクレタ島のクノッソスに端を発する『迷宮』は本来単純な分岐のない構造であり、建造物の内部は一本道で出来ているに過ぎない。そういう意味合いに於いてこの世界に於ける『迷宮』は寧ろ『迷路』に近しい。だが元いた世界に於いても時代を経るにつれ『迷宮』と『迷路』両者は交じり合って使われる様になり、クノッソスに於いてはミノタウロスの存在こそがその『迷宮』を規定した様に、この世界に於いても構造ではなく『魔物』の存在こそが『迷宮』を規定している。つまり、王を戴く宮殿を王宮と呼ぶにも似て、『魔物』という存在が在って初めて『迷宮』は『迷宮』足り得る。『魔物』のいる『迷路』は『迷宮』となり、単なる『迷路』にはなり得なかった。
一方、この世界固有の存在と言える『迷宮』は、『魔泉』と呼ばれる地脈の湧くところで形成されると言われる。森林が、原野が極相林に至るライフサイクルを持つのと同様に、単なる洞窟の奥底に湧いた『魔泉』はやがて周囲を侵食、巨大な迷路を形成し同時に多数の『魔物』を湧出させる。故に時を経た『迷宮』は巨大で、且つ多様な『魔物』を内包し、その大きさとリスクはその『迷宮』の成立からの年月に比例すると言われる。
そして人々は、この人の理解を超えた『迷宮』に挑む者たちを、その象徴である『魔物』と戦うが故に畏れ敬い、同時に蔑んだ。この世界ではその者たちを『冒険者』と呼んだ。
「真っ直ぐだ!このまま沢に追い込むぞ!」
指示を出しながら、俺は森の中の緩やかな傾斜のある斜面を一気に駆け降りる。
俺の右手側には唸り声だけで姿は見えないが、ジルとジバがその小さな体で転がる様に走っているはずだ。二匹は珍しく猫らしくない働きを見せている。犬でもないのだけどね。反対側、俺の左手の方ではエルフの『風の魔法』を纏ったシャーリーが明らかに人間離れしたリーチで跳ねる様に走っている。時折、木々の間から紅い髪が閃く様に見え隠れする。
「ソフィアっ!牡鹿だ!いくぞ!」
元より、返事は期待していない。今は姿が見えないが追い立てる俺たちの前を逃げるのは、この森に住む鹿っぽい獣だ。脚力で人間に勝り、ついでに魔法を使うハーフエルフと『神獣』二頭にも勝る。だが、今はまだ緩やかな傾斜の先には突如として急な崖様の場所があり、その下には森を別つ清流が流れる。おそらくソフィアは獲物の接近に合せ、牡鹿が渓流に突き当たりスピードを落とすタイミングを計っているはずだ。そして、渓流に行き当たった牡鹿が左右どちらにその逃走の方向を変える、その時・・・。
タンッ、と前方から軽やかな音が聞こえた。
そして、ザザッと獲物が倒れる音がして、ボチャンッと水に何か重い物が落ちる音が・・・?
ボチャン?
「ソフィア!?」
慌てた俺が渓流の岸辺に駆け付けると、肩に弓を掛けたソフィアがいた。
その立ち姿はとても凛々しいですが、無用な心配を掛けさせないでほしいですね、ソフィアさん?
両手を腰に当てて、前方の渓流を見ている。
「えーと、獲物は仕留めたんだけどね。意外とスピードが載ってて、そのまま川に落ちちゃったのよね」
ソフィアが振り向いた。藍色の髪が流れるが、その表情は何か恥ずかしさ半分、悔しさ半分という感じ。
まぁ、落ちたのがソフィアでなかったのは良かった。見守る俺たちの前を岩に引っ掛かりながらも、ゆっくりと牡鹿が流れていく。胸に刺さった矢は一撃で牡鹿の命を奪ったのだろう、矢の刺さった根元からは周囲の清らかな水の流れに紅い霞の様な血の帯を作っている。獰猛な迷宮の魔物を一撃で仕留めるソフィアなら、魔物ではない普通の鹿を仕留める事は造作もなかっただろう。右手の川沿いからは、流石に歯を剥いて荒い息を繰り返すジルとジバが、左手の方からは特段普段と変わらないシャーリーがこちらに歩いてきた。シャーリーの操る『風の魔法』は、攻撃だけでなく移動にも効力があるらしい。本人の話によればシャーリーの力では、移動と攻撃を同時にこなす事は出来ないらしいが、それでも『風の魔法』ってエルフらしくて便利だね。ドワーフが軽やかに走っていても、多分絵にならないだろうし。
だが、シャーリーの歩いてくる俺の左手側が下流で、そんなうちにも牡鹿は左側の方へと流れていく。
「俺が取ってくるから、待っててくれ」
水に濡れるのは余り嬉しくないが、目の前を折角仕留めた昼ごはんが流れ去るのを見ていてもしょうがない。俺は流れの先を見渡し、水面近くまで降りられる場所を探して下流へと獲物を追い始めた。じきに手ごろな緩やかな岸辺を見つけて先回りし、足首から下を濡らす程度で獲物を岸に寄せる事が出来た。駆け寄ってきた二人の手も借りて、如何にか牡鹿の体を岸へと引き上げる。
まぁ、ソフィアよりは軽いかも。
湖畔で、『水の精霊』に眠らされたソフィアを抱き上げた時の感触がよみがえる。ちらとソフィアを見ると、既にソフィアの頭の中には自分が鹿肉に齧り付く様が浮かんでいるのか、可愛い口が半分開いたままだ。
まだまだ、そんなに簡単には昼ごはんにはなりませんよ、ソフィアさん?
「ここで、このまま解体しますか?」
木に吊るした獣の背側から小刀を挿し入れ、まずは皮を剥ぐところからだが、水場の方が後で血を洗い流しやすい。一旦二人に街道に残してきた葦毛の世話を頼んで、それから馬車の荷台から肉の冷凍保存用の木の箱を取ってきてもらおう。二人に頼もうとしたところで、何時の間にか水面の近くまでジルとジバが下りているのを見つけた。不用意に落ちでもしたら、今度こそずぶ濡れになりかねないから、水辺で遊ぶのは止めてほしい。仕方なく二匹を捕まえようとしたところで前方を見た俺は、対岸の岩場に小さな洞穴があるのを認めた。
「こんなところに、洞穴でしょうか?」
俺の視線を追ったシャーリーが問いかける。渓谷の河川は時として周囲の山肌を削り、ポケット状の窪みを生じさせる。だが、この洞穴は・・・。
「只の洞窟じゃないわね。微かに奥から魔力が感じられる。これは、迷宮の入口だわ。それも多分、人には知られていない、比較的新しい迷宮ね」
ソフィアの言葉で俺たちは三人で顔を見合わせる。
今日の昼食のメニューの解決は、新たな問題点へと行き着いた。と言って、問題の解決方法など最初から決まっている。
この世界で俺たちが、冒険者であるならば。




