第39章
39.
写真技術の存在しない世界に於いて、肖似性を求めるにあたっては肖像画を描くという事になる。因みに人間が肖像画をもっとも必要とする機会は、葬儀に際し物故者を偲ぶ為の遺影としてであり、死後の遺体と魔物の関連性が取沙汰させる(魔物が遺骸を掘り起こす、あるいは死体が魔物化するという通説)事から、死後は火葬が原則だった。死体が保存出来ない事もあり肖像画に求められるのは、写実性という事になる。
絵画を描く為には絵具の存在が不可欠であり、これは主にドワーフによって作られる鉱物性無機顔料と、同じくエルフによって作られる植物性有機顔料に大別される。人間から見るとどちらも交易品となり、比較的高価とならざる得ない。しかしながら、この世界では黒色だけは人間でも生産が可能な油脂類を燃やした際の煤が主原料であり筆記用としても生産されていた。結果として主にその価格の点に於いて人間の庶民が葬儀に際して求める故人の肖像画は所謂鉛筆画であり、街の肖像画家の手で白黒で描かれる事が多く、対して貴族や豪商たちは好んで色彩の鮮やかな肖像画を描かせることとなった。
また、ドワーフたちは自分たちの生産する工芸品の着色にも自らの生産する顔料を使用しており、人間の作る素朴な色彩の陶器と比較し鮮やかなドワーフの陶器類は、その所有者に対し富の象徴として認識されている。
「ちょっと、あんたたち、返しなさいよ!」
食後のひと時を過ごす俺たちの中で一人、密かに取り置いた肉の塊を奪われたソフィアがジルとジバを追い回している。身の危険を感じた俺は、シャーリーと仲良くベッドの上に避難中。
そんなに抱き着かれると、ついつい甘噛みしたくなるから止めてね。今日は体力ないし。
それにしても、ソフィアから肉を奪うとは、お前らなかなか度胸があるな。といっても狭い部屋では肉を咥えたジルが追い詰められる事は必須で、中央の大木を盾に距離を取っていた二匹も突然逆方向から回り込んだソフィアについに肉薄されてしまった。内心はジルとジバを応援していた俺だが、如何やらジルは年貢の納め時が来た様だ。だが、ゆっくりと伸ばされたソフィアの手を掠め、ジルは身を翻すと部屋の中央の木の幹を上へ々々と駆け上がった。
おおっ、流石『神獣』、元ドラゴンの追撃を振り切るのか!?
だが、木の幹を垂直に駆け上がったジルは、小屋の屋根を支える梁へと飛び移ったところで力尽き、下で待ち受けるソフィアの腕の中へと落下してきた。
「捕まえたわよ~、って何これ?」
本当は雨も上がった今日の朝、このドーナの村を立ち本来の旅の目的地である西方の『虚無の狼の迷宮』を目指すはずだった俺たちだが、エルシャナの謀略に嵌められた俺はすっかり魔力を搾り取られ昏睡し、エルシャナの使いに呼ばれたソフィアとシャーリー(と葦毛の馬たちと馬車)によって、再びシャーリーの家に戻されていた。
部屋の中央の大木を取り巻くテーブル、俺とシャーリーが座るベッドの近くには、エルシャナから返された『同田貫』がその両端をカーブを描くテーブルからはみ出させている。
「何かしらね、この包み。シャーリー分かる?」
ジルから取り返した肉の塊を噛みながら、もごもごとソフィアが呟いた。如何やらジルとジバも少しだけ切れ端を貰えた様で、ソフィアの足元で肉の切れ端を引っ張り合いながらじゃれあっている。良かったね、労力が全くの無駄に終わらずに。心の中で、密かにジルたちの奮闘を労う。
ソフィアが手にしているは10センチ各くらいの小さな布の包みで、ジルと一緒に小屋の梁から落ちてきたらしい。
「何でしょうね?『ネズミ避けの香木』とかでしょうか?」
へぇ、『魔物避けの香木』以外にも、忌避剤は種類があるらしい。火のないところから出てきた訳だし、ある程度長期で効果が期待できる代物だろうか?生薬が原料ならば、シャーリーに作って貰えるかもしれない。虫除けとかこれからの季節、必需品な気もする。
だが、逆に誘引剤である可能性とかはないのかな?開けたら死骸がいっぱい、みたいな?
取り返した肉の咀嚼に忙しいらしいソフィアから、梁の上から落ちてきた包みを受け取ると、シャーリーは躊躇いもなく巻いてある布を剥がしていく。
大胆ですね、シャーリーさん?
うちの娘たち、どちらも思い切りが良いよね?寧ろ良すぎるきらいがある気が。
「これは・・・?」
シャーリーが手に持つのは、小さな額に納められた一枚の肖像画だった。色鮮やかな色彩で描かれた一人の女性の胸像だ。
「描かれているのは、シャーリーかしらね?」
モゴモゴと呟くソフィアの指摘通り、シャーリーによく似た女性が描かれているが何か違和感がある気もする。あっ、そうかロリっぽくない、じゃなくて。絵の中の女性はまるでシャーリーの将来を描いているかの様な、少し大人びた雰囲気を纏っている。それに髪の色が蒼に近い緑色だった。寧ろシャーリーの紅い髪より、エルシャナの髪の色に近しい。露わな耳も細く長く尖っていて、エルフたちの遺伝的な特徴を有している様だ。つまりこの絵は・・・。
「いいえ、これは私の亡くなった母だと思います・・・。でも、私、この絵は初めて見ました。如何してこの絵が梁の上なんかに?」
だとすれば、それは何かしら大人の事情というヤツだろう。それを暴くのが道義的に如何かとも思うが、俺はシャーリーに一つ侘び代わりに頷きつつ、受け取った額を裏返す。
額の裏には、金具で止められた木の薄板が張られている様だ。肖像画自体が描かれているのも、何かの木の板らしい。金具を丁寧に外すと二枚の木の板の間から、折り畳まれた紙片が現れた。
見つかった紙片を、そのままシャーリーに手渡す。
「『我が愛するフレンに。いつの日か、我が子と共に我が元に。今は叶わぬとも。アレス』フレンというのは、亡くなった私の母の名です。私は母から、亡くなった父の名を教えて貰っていないのです・・・。アレスと言うのが、私の父の名前なのでしょうか?」
この肖像画がシャーリーの母だとするなら、この後の離別を知ってか知らずか少し寂しげな微笑を浮かべている。言われるまでは気が付かなかったが、絵の中の女性は僅かに腹部が張り出しているかもしれない。シャーリーの父親は自分に迫った死期を知り、愛する妻の肖像画を描かせ、そしてこの手紙を認めたのだろうか?
確かに、老衰だけはエルフの『魔法薬』を持ってしても救う事が出来ないという。俺も何れ、愛する二人に似たような遺言をする事になるのだろうか?
「この紙、何か透き込まれているわね?何かしら、この模様、ひょっとして『エルフ王家』の紋章?」
肉を食べ終えたソフィアが何処からともなく取り出したハンカチ様の布で手を拭くと、広げた手紙を窓の明かりに翳した。シャーリーの小屋の窓にもガラスはなく、今は壁の上半分に造りつけられた跳ね上げ式の木戸が上げられている。
ほらっ、とソフィアが自分の頬と紙片を俺に寄せてくる。
可愛いけど、今日は体力が持たないってば。
確かに便箋として造られたらしい紙片には、右下の署名の辺りに透かしがある。しかも、これは『黒透かし』俺のいた日本では、紙幣のおじ様方でしか見かけない代物だった。この世界では知らないが、俺の元いた日本では世に出回っている『白透かし』と違い、『黒透かし』の製造は法に触れる。
それにしても、『エルフ王家』の紋章なんて知識もあるとは、侮れないね元ドラゴン。これで大人しくしていさえすれば、知性派っぽいのにね。
「母は王族の出身だったのでしょうか?」
シャーリーが小首を傾げている。
ツインテールを解いても、やっぱりロリなものは、ロリだよね。
最近、少し俺の罪の意識が薄くなってきている。合法だと知っているからだと自分に言い訳しているのだが、やはり俺自身が徐々に一線を越えつつあるのかもしれない。
それはそれとして。
シャーリーの母が王族だったのであれば、王族の身であるにも関わらず人間の男に恋したシャーリーの母は、高貴な身分を捨ててシャーリーの父と駆け落ちした事になる。やがてシャーリーの父が死に、王家に戻る事も能わずこのドーナの村に身を寄せた。辻褄は合うが、合うのだが何か何処かに違和感がある。
「そうなのかもしれないけど、手紙を書いたのが王族ならば、シャーリーのお父さんの方が王族ということになるのかしら?」
俺の横でソフィアも小首を傾げている様だが、その姿が可愛らしい。
そうか、確かにその方が自然だな。
俺たちの足元では、肉を食べ終えたジルとジバが俺の両足にじゃれ付いている。
木戸で出来た窓からは柔らかな日差しが差し込み、ちょうどジルとジバのいる辺りを照らしていて、二匹の灰色の毛皮をきらきらと輝かしている。
「でも、私の父は人間で『エルフ王家』とは関係ないです。ですから私もハーフエルフな訳ですけど・・・」
如何やら、シャーリーの母の肖像画に始まった謎解きは行き詰った様だ。三人して額を寄せ合いながら、春の午後の時間がゆっくりと流れていった。




