第32章
32.
まだまだ法治国家による統治には程遠いこの世界に於いては、そもそも法整備も途上といえ、更にこの村の住人であるエルフたちには『成文法』というものがない。彼らにとって自分たちの村の生活の維持が全てであり、過去の先例と異なる事は全てが罪と考えていた。それは、明確な殺人や窃盗という括りではなく。たとえば、住み慣れたエルフの村を出奔し種の異なる人間との間に子をもうけたシャーリーの母は、エルフの村の住人たちにとって許されざる罪人でしかなかった。
そして、そんな因習に縛られた村を治める立場であるならば、存在自体が罪そのものの帰結であるハーフの少女を保護し守るには、どんな方法が採り得ただろう?
自分の愛した、罪を問われるべくして生まれた少女を。
罪とは何だろう?
罪を認識せずして犯した者を、罪に問うべきか?
俺にはまだ、その答えがない。
「あんたがシャーリーの、いや、そのハーフエルフの少女シャルレインの言っていた、村長の息子だったんだな?」
俺はエルシャナとの対話の中で、シャーリーのエルフとしての『真の名』が、シャルレインである事を知った。
そして彼女からこのドーナに至る道すがら聞いていた、自分たち親子に辛くあたったドーナの村の住人の一人が、村長の息子だとも。
鬱蒼と茂る百年単位の樹齢を持つであろう木々の隙間を埋める様に、村の家々が不規則に密集している。例外はあるが概ね大木一本につき一軒、一家に一台ならぬ一家に一本。昼なお暗い森の中、村の家々はまるで皆個性はあるが表札もない森の中のコテージといった風で、何処かに宿や公共の施設があるのかもさっぱり分からない。目的の人物を探しあぐねた俺は村の入口近くの家の戸を叩き、結果、エルシャナの元へと案内して貰った。
「そうだ。今では僕がこの村の村長さ」
エルシャナは寂しそうに、そう俺に答えた。
俺は珍しくも、ソフィアとシャーリーを村の境界の外に止めた馬車に置いてきていた。俺は長老に頼まれた手紙の宛先であるエルシャナなる人物を探し、一人で村の敷地の中へと足を踏み入れていた。
正確には一人プラス二頭。何故かジルとジバがついてきてしまい、今は俺の足元でゴロゴロと毛づくろいをしている。
お前ら狼だろ一応?そこに狼の威厳や尊厳はなく、何か、もはや猫っぽい。
俺を迎え入れてくれたエルシャナは年の頃二十歳位の容姿の青年で、エルフのご多分に漏れず緑色の髪をした好青年だった。細く長い耳はシャーリーと同様で、俺よりも数センチは背が高いであろう長身だ。もっとも、人間に比べはるかに寿命が長いというエルフの事、外見通りの歳ではないと思われた。ドワーフの長老からの手紙を受け取ったエルシャナは、少し驚いた風で俺の『同田貫』を見せてほしいと言った。如何やら長老は『同田貫』をエルシャナに見せるべく、俺に手紙を託した様だ。
「なぜ、あんたはシャーリーに辛くあたったんだ?好きだったんだろう、シャーリーの事が」
それから俺とエルシャナは『同田貫』を巡って、まるで旧知の間柄の様に話込んだ。俺の知る、この世界にはない日本刀の知識、ドワーフの成す土と火の魔法による剣の鍛錬。そしてエルシャナたちエルフの魔法による強化。最初にテーブルに出されたハーブティが乾されると、ドワーフたちの造るエール酒の原料でもあるらしい穀物酒を更に蒸留したという、ウイスキーに似た琥珀色の酒が振る舞われ(薬草も入っているので、リキュールに近しい)俺たちは時を忘れ、魔法により物性を変化させるドワーフによる武器の強化と、魔力自体を武器に纏わせるというエルフの精錬法の違いについて、飽く事のない討論を続けた。
それから俺たちは、この世界のありとあらゆる事を語り合った。
立場は違えど、エルシャナも俺も悩み、求め、恋焦がれていた。
話は尽きる事なく、そして何時しか、かつてエルシャナがその奥深き魔法による武器の精錬と同様の情熱を持って恋し、そして失ったとある娘への愛情の思い出へと至った。
「ああ、そうだなシャーリー、僕にとってはシャルレインが一言、僕に助けてくれと言ってくれれば良かったんだ・・・」
俺はその時、彼の言わんとする事が理解出来た気がする。つまり彼は求めたのだ、自分の愛する者が自分の元へと帰って来てくれる事を。シャーリーに冷たくする事で彼女が根を上げ、彼に縋ってくれる事を。だが皮肉にも運命の天秤は彼の意図する方へとは傾く事なく、彼女は彼女の母と同じ様にこの村から、彼の元から去って行ってしまった。やがて奴隷に身をやつしたシャーリーが、エルシャナが望んだ助けを求める言葉を発した相手は、皮肉にも見ず知らずの俺だったという訳だ。
もし、エルシャナが自らシャーリーの元に赴き、その愛を乞うていたなら如何だったろう?なりふり構わず、彼女に縋ってこれまでの不明を詫びていたならば。だが、彼にはそれが出来なかった。ただただ、彼女に求めてしまった。
「俺はあんたの事が嫌いではないが、自分の女にそんな言い方を許す訳にはいかない。もし、今、あと一言でも口をきけば、俺はあんたを殺す」
俺はエルシャナの家を後にした。
ジルとジバが何事もなかったかの様に、俺の足元にじゃれ付いている。つくづく猫っぽい。
既に日は落ち、家々の窓には灯が灯っている。木々の梢にもドワーフの街で見た様な魔法の灯が掲げられ、風に揺れる枝を通して地面に複雑な模様を刻んでいる。
俺の言葉に迷いはない。それが多分、ほんの僅かな俺とコイツの差だろう。そしてそれは、俺もコイツも理解している、否、理解させられてしまう。俺がコイツにはなり得ず、コイツが俺にはなり得ない理由。
村の入口まで送ってきたエルシャナは、寂しそうな目で俺を見た。
「分かっている。今日はキミと話せて良かった。だが、僕も引く訳にはいかない。僕はキミに、僕からシャルレインを奪ったキミに決闘を申し込む。明日、日の出の時、村の北にある草原で待つ」
ハシバミ色の瞳に光る物が見えたのは、俺の錯覚だったのかもしれない。
エルシャナはマントを翻すと、闇の中に消えて行った。
闇に消えゆく彼の背中を見つめながら、俺は願わずにはいられなかった。
願わくば、エルシャナが自らに課した呪縛を解き、新たな人生を歩まんことを。




