第27章
27.
この世界に於ける郵便事業は、未だ黎明期にあると言える。当然の事ながら街にポストがある訳でも、全国一律の郵便料金が設定されている訳でもない。魔法によるタイムラグのない情報の伝達がごく一部の特権階級に専属する状況下に於いて、市井の者たちが遠方であれ近距離であれ制度として元の世界に於ける郵便制度に近しいサービスを受ける事は非常に困難であった。
そんな中、漸く都市間を結ぶ郵便馬車が定期便として走り始めていたが馬を交換する事が出来る駅舎の整備までは至らず、馬車の後ろに荷を載せていない交代用の馬を繋いだ形で運行していた。需要と供給のバランス、あるいは採算性に於いて事業のリスクは高く、そしてその事業が成り立つ事を阻害する要因は、配達経路上の魔物と盗賊にあると言える。
交易、あるいは行商人たちの販路に沿って始まった郵便は、未だ幾つかの経路上の安全が確保出来た大都市間の接続に限られている。それを補うのは、昔ながらの冒険者たちと言う事になる。現時点に於けるこの世界の冒険者たちの役割の一つは、いずれ発達してくるであろう通信手段や交通機関に先立ち、比較的小規模な都市と都市(あるいは村々)を結び、市井の者たちに遠隔地への通信手段を提供する事にあった。
「もし良ければ、ドーナというエルフの村に、この手紙を届けてくれんだろうか?」
リリチルカを出立する日の朝。
俺たちの次の旅の目的地が『虚無の狼の迷宮』であると言う事を聞きつけた長老が、俺たちが泊まる宿を訪ねてきていた。てゆうか長老、普通に外出出来たんですね、工房の外で見たの初めてな気が。
出発の朝であるにも関わらず大分、日が高くなってから来る辺り既に俺たちの生態は把握されているのだろう。昨夜は俺の多少行き過ぎた教育的指導に対し二人の逆襲に遭い、引き分け(俺の主観ではあるが)に持ち込むまでに多大な労力を要したので、仕方ない、と思う。多分。
ドーナというのは『深淵の竜の迷宮』リシタと、その西方にある『虚無の狼の迷宮』の間に広がる森林地帯の中ほどにあるというエルフの村で、如何やらシャーリーの出身地でもあるらしい。長老にはシャーリーの軽鎧と、俺の『同田貫』の件で散々世話にもなっている。出来れば、手紙を届けてほしいというささやかな願いを叶えてやりたいところなのだが。シャーリー自身が故郷への里帰りを望んでいるのなら問題ないが、ちらと俺の横に控えるシャーリーを見ると、如何やら見るからに気まずそうだ。ツインテールの頭が俯いている。
「済まないが、シャーリーはそのドーナという村を追われた身でね。今更訪れる訳にはいかないんだ」
誰にでも、触れられたくない過去という物があるものだ。如何に長老の頼みとはいえ、シャーリーに無理をさせる訳にはいかない。少なくとも見た目は幼い娘で、これまでの、けして長くはない付き合いの中でもソフィア程には精神的にも肉体的にも逞しい訳ではなさそうだ思っている。少なくともソフィアの逞しさには、俺の及ぶところではない。だが、ソフィアがシャーリーの手をそっと握ると、意を決した様にシャーリーが顔を上げた。
紅いツインテールが揺れる。
「大丈夫です!私・・・、母が亡くなった後、あの村には私の居場所はありませんでした。でも、今はご主人様とお姉さまの傍が、私の居場所です。お二人と一緒なら、何処であろうと一緒に行きます!」
シャーリーはソフィアに頷くと、何かを決意した様に俺の傍に歩み寄ってきた。
多分シャーリーは今、新しい人生に踏み出そうとしている。果たして俺と共にある事が、彼女の為になるかは分からない。だけれども、俺が彼女を傷つける事を恐れて何もしなかったとしたら、きっと俺は後悔する。彼女にとって一歩を踏み出すという事が必要な様に、俺にとってもたとえ彼女たちを不幸にする事になろうとも、この異世界に踏み出して行かねばならない。それは俺の誓いであり、俺自身に課した俺の務めなのだろう。
「分かった。長老には世話になった。その手紙、届けさせて頂こう」
長老から手紙を受け取る。厚みのある、おそらく布地で作られた茶色の封書に入った一通の手紙だった。この鉱山都市リリチルカからは一旦リシタのある南へと向かい、山岳地帯から森林地帯に入った辺りで西へと分岐する道を辿るのが良さそうだ。ドーナへと向かう街道は、リシタとリリチルカを結ぶ街道に比べても利用する者は更に少なそうで、森深く道が途切れたりしてないか少し心配だったりする。今は気候も良く道も乾いているので、きちんと道を辿れるならば俺たちの馬車で、数日のうちにも着けるだろう。そして、俺たちの目的地『虚無の狼の迷宮』は、ドーナから森林地帯を更に西に向かった先にある。
「そうか、済まぬな。ではドーナの村の、エルシャナという者に届けてほしい」
長老が手紙を届けるべき相手の名を告げるとシャーリーは一瞬目をみはり、僅かにその小さな唇を震わせたが、何も言わぬままギュッと唇を噛みしめた。
俺には分からぬ、泣き笑いの様な表情。
きっと、俺の知らない何かの、戸惑い。
「本当に良かったのかい?」
俺はシャーリーに問う。
俺には他に、何も出来ないから。
出来るならば、どんな事でもしただろうに。
人は自分が想う誰かに、何かをしてあげたいと思う時、その時に出来る事は少なかったりもする。だから、普段から機会を見つけ、その機会を最大限に生かさねばならない。それはたとえば、一期一会であり。あるいは日々の、何気ない会話であるのかもしれない。魔物がいて、郵便物一つ送るのにも盗賊の襲撃を恐れなければいけない世界、そんな世界に俺たちは生きているのだから。
「大丈夫です・・・」
シャーリーが俺の胸に飛び込んできた。
抱き留めた小さな肩が、俺の手の中で僅かに震えていた。




