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華龍Story  作者: ryo
28/142

第28章

28.

量子力学に『シュレディンガーの猫』という問題がある。蓋のある箱の中に猫がいて、その猫の生死は箱の中の仕掛けの動作に依存し確率50%。箱を開けた時、猫が生きている確率は50%、死んでいる確率も同様に50%。よってこの猫は『生きている状態と死んでいる状態が1:1で重なりあっている』と考えられる。箱を開けるまでは猫の生死は生と死という一定の範囲に広がった確率分布(波動関数)として表現されるが箱を開ける(観測される)と、ある状態(生か死)にあることが確定する。

仮にこの世界が俺の元いた世界とは異なる平行宇宙だとするならば、観測者である俺がこの世界の蓋を開けるまでは、この世界の状態は確定していなかったとも考えられる。そうであるなら、俺がこの世界にたどり着くまではこの世界は存在しないのと同等であり、幻ではないまでも俺がここに着て初めて確定した『俺が存在する異世界』なのかもしれない。他にも『俺が存在しない異世界』とか、『俺が存在するか、しないかまだ確定していない異世界』とかが無数に平行宇宙として存在していたりするのかもしれない。


「そんな訳はないよな」

そう一人呟く俺に春の日差しは暖かく、ドワーフの職人たちの手で新たに板バネを追加された馬車の乗り心地はとても柔らかで、俺としては一部の例外事項を除き、とても満足のいく環境と言える。

この世界の馬車はこれまで車体に直接車軸を取り付けていた物しかなかったのだが、職人たちはフィレンツェの要望に従い、馬車の車軸を支える為に複数の板状の鉄板を重ねた板バネを作り出した。そしてフィレンツェの後ろの荷台に肩を寄せ合う二人も、自前のおしりのクッションの効能と併せ、新しく板バネを装備した馬車による快適な旅を満喫している様だ。

ちょっと快適過ぎて、フィレンツェにはそのおしゃべりが煩いくらいで。だが、あえて言うなら、二人のおしゃべりなど可愛いもの、なのかな?

そして二人に、その自覚はない。


「私の母は純粋なエルフでしたから、四大元素全ての魔法を扱う事が出来ました。でも、人間の父を持つ私は半分の二つだけ。よりエルフに近しいというか向いていると言われる、風と水の魔法だけは使う事が出来るんです。村ではハーフの子供は私だけでしたが人間とエルフのハーフの場合、どちらの親が人間でどちらの親がエルフでとか関係なしに、その子供の扱える魔法は風と水だけなんだと聞きました」

もし、俺がこの世界に来なかったら、この世界の在り様は少しだけ変わっていたのだろうか?ソフィアは依然としてドラゴンで『深淵の竜の迷宮』の奥底に潜み、シャーリーは俺が腕を跳ね飛ばした、あのやさぐれた冒険者たちの慰み者となっていたのだろうか?

それとも、俺がこの世界に来なければ、二人は存在さえしていなかったのだろうか?


「シャルは『魔法薬』の調合が出来るって言ってたわよね?だとすると、中級の風の魔法と、水の魔法までは使えるのかしら?」

もし、ここがゲームの世界であるならば、そうであるかもしれない。誰も起動しなければ実在しない情報に過ぎず、環境の生成に際しソフィアとシャーリーもその情報をリセットされる。

あるいは何処かに、ドラゴンであるソフィアが迷宮を訪れた俺の挑戦を退け『俺がソフィアに倒され殺された世界』や『俺がシャーリーを買った冒険者たちに殺された世界』があるのだろうか?無数の選択肢の中から選ばれた、偶然なのだろうか?


「ちょっと、厳しいかも、です。魔物相手の戦いで、風の魔法だけは何とか魔力を刃物の形に成形出来るのですが、水の魔法では、なんというか、その、水鉄砲なくらいで・・・。でもじっくり魔力を込めて良い『魔法薬』の調合の時なら、風の魔法も水の魔法も、中級でも大丈夫です!」

シャーリーにはシャーリーの、都合というものがあるらしい。ただし、余り大人の都合という感じには、見えそうもない。容姿とか。その『大丈夫です!』とか。そして、『魔法薬』が出来るということを一生懸命力説するシャーリーを、何処かしら別の世界に『俺とは出会わなかったシャーリー』がいるなどとは考えたくもない。

どの世界のソフィアもシャーリーも、俺の物だ!


「へぇー、だったら、ちょっと練習すれば、きっと・・・、あっ!?フィル、野兎よっ、野兎っ!」

馬車の向かう街道の前方を横切る様に、一匹の野兎が顔を出した。興奮したソフィアが弓を構えるべく、するりと御者台に飛び込んでくる。思索から強引に引き戻され驚いた俺は思わず咄嗟に手を出し、そのままソフィアを横向きの体勢にして受け止める。俺の左の腕の側にソフィアの驚きに見開かれたアーモンド形の藍色の瞳が、右腕の側にはすらりと伸びた両足がある。

意外と重みがありますね?これは所謂、お姫様だっこだな。

「・・・えっとぉ、あっ、兎が逃げちゃった!」

真っ赤になっていたソフィアだが、御者台に出てきた本来の目的を思い出したらしく、慌てて身体を捻ると、俺の腕の中から素早く抜け出した。ソフィアの背中の柔らかさと抱えた時の重み、これが偶然や都度造られた様な代物である訳があろうか?再び膨れ上がる所有欲を、俺は押さえる事が出来なかった。

その時、広がるソフィアの藍色の髪の向こうに、何か白っぽい毛玉の様な物が見えた気がした。

俺はソフィアの突撃につい両手から手綱を手放してしまい、ソフィアが逃げ出した後も直ぐに手に取ることが出来なかった。


「キャー、あぶないっ!」

シャーリーの悲鳴が聞こえた時には、馬車の二頭の葦毛たちは野兎の後を追ってきた何かの小動物を蹴り飛ばしてしまっていた。

それは、細い街道の上で起きた偶然。

俺は慌てて御者台から飛び降りた。


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