第138章
138.
バイルクラウの村を出て、いよいよ『虚無の狼の迷宮』へと向かう。日の出と共に村を囲む壁に、一か所だけの門が開く。村を囲む様に焚かれる『魔物避けの香木』の煙が、開かれた門から村の敷地の中へとゆっくりと流れ込む。香木の煙は夕暮れ時にはオレンジ色に、そして今は朝日を受けて白い雲海の様に、まるで重量のある実体の様にそこにある。
野盗の襲撃を受け、同時におそらくは『バイルクラウ以遠辺境伯領』としての主戦力である騎士団を失ったであろうこの村が、今後もその存在を維持出来るのかは定かではない。
だが将来が、あるいは未来に待つ運命が分からないのは、誰しも同じ事。
もちろん、エゼルが助力を請う事を薦めた辺境伯の助けが得られないまま、『虚無の狼の迷宮』に向かう俺たちの運命もまた、今はまだ、誰も知り得る事はない。
それは、誰しもが知りたがり、そして誰も知り得ない事、そういう物なのだと思う。
「ここから、『虚無の狼の迷宮』へは、真っ直ぐ行くなら馬車で五日くらい。狩りをするのに狩場への寄り道をする事を考えると、狩りに掛かる時間を除いて行程だけだと、大体六日くらいだな」
『魔物避けの香木』の煙を嫌い口許に布巾を巻いたアリシアの、少しくぐもった声が聞こえた。
先頭を行くエゼルから貰った栗毛に一人跨り、白煙にまかれ視界の悪い俺たちを先導してくれている。
葦毛二頭が引く馬車に乗るのは、俺を含め残りの四人。俺とソフィアが御者席に陣取り、シャーリーとエレインが後ろの狭い荷台を占領している。
「狩場のある台地は、マンティコアが寄り付かない場所なのだそうだ。無理はしないが歩みを止めず、まずは、そこまで行こう。頼んだぞ、アリシア」
アリシアが無言で俺を見詰め(唯一残された隻眼は、漆黒に染まったその奥底に俺を引きづり込まんと・・・、普通に睨まれている様にしか見えないんですけど)、一つ頷いて栗毛に拍車を当てた。
歩みを速めたアリシアの栗毛を追い、自然と葦毛たちも速度を速める。
「どうせなら、美味しいお肉がいると良いわね!」
如何やらソフィアも完全復活を果たしたらしく、煙たそうに俺の二の腕に顔を擦りつけながら、そんな事を言ってきた。
そうだね、ソフィア。
でも、それは『お肉がいる』のではなく、『食用になる野獣がいる』が正しいね。因みに『食用にならない野獣』なら、今俺の腕に顔を擦りつけているけどね。ヴィヴィアンに会ってから、昨日の朝、昼、晩と肉食系女子の本領を発揮してくれたお蔭で、いくらシャーリーの魔法薬があっても今朝起きるのは、かなり辛かったんですけどね。
「ゴホっ、・・・で、でも、なんでその台地には、マンティコアがいないんでしょうか?」
煙に咽たシャーリーが、辛そうにそんな事を訊いてきた。
可愛そうにシャーリー、御者席からでは荷台に座るシャーリーの、華奢な背中を擦ってあげる事は出来ない。ついでに耳とかも、届かない。でも、昨夜はスク水とツインテールも諦めたけれど(スク水は、普通に持ってないから。ツインテールの方は、純粋に俺にそれだけの余裕がなかったからだ)、その他は頑張った。シャーリーの魔法薬があればこそ、ではあるが。だから、俺が今その可愛い耳を愛でられなくても、きっと許してくれるよね?
それはそれとして、シャーリーの疑問はもっともな気はする。
なんでだろうね?
「それは、余りに山が高くて、マンティコアが飛べへんからでっしゃろね?」
おお、そうかぁ!
しれっ、とエレインが、その答えを教えてくれた。流石、悪女その2、伊達に悪女をしていない。特にその『そうなんですけど、何か?』的な感じが、無意味に悪女らしさを強調している。
マンティコアが、飛べない標高に台地がある。それなら、安全だ。
なるほど。
で、それって俺たちが、登れるんですかね?
大丈夫なのかな・・・?




