第106章
106.
前方のなだらかに続く街道の上空に、俺たちに向けてゆっくりと接近するマンティコアを認めたのは、前日のうちに準備した昼食用の串焼きを皆が平らげた直後、中空に掛かる太陽が最も高度を増し、正午を過ぎた頃だった。
・・・頼むから夕食の分の串にまで物欲しそうな視線を向けるのは、皆、控えてほしい。折角、昼の分とは焼き加減を変え塩も多めに振り、水分を飛ばした夕食分の串なのだが、マンティコアが来なければ、危なかった。
だが、これが昼の串焼きをまだ食べ終わる前だったら、皆の不満を宥めるのに更に労力を費やしただろうと考えると、ちゃんと食後に現れる様に配慮してくれたマンティコアの慎み深い態度に内心で感謝をしたくなってくる。
ついては感謝を込めて、丸焼きにしてくれよう。
マンティコアは、食べないけどな。
「シャーリー、エレイン、馬車を頼んだぞ。ソフィア、アリシア、俺がロケット弾の準備する間、マンティコアの接近を牽制してくれ!」
馬車の手綱をエレインに任せ、ロケット弾の詰まったランチャー一式を抱えて馬車の御者席から飛び降りる。足下の小石が跳ね、続いて背後の荷台からもソフィアとアリシアが飛び降りた。まずは、予めランチャーのお尻から引き出されたチェーンの終端に付けられた棒状のスパイクを地面に突き刺して、踵で叩く様に深く埋める。
俺の横では、一気に荷重の減った馬車を操り、エレインがマンティコアの接近方向の逆へと馬車の向きを変えた。一方、先行する馬に跨るのは、今日は退避を考えてアリシアではなく予めシャーリーだ。馬車の速度に合わせつつも、後方へと退避を始める。
「リ・メル・フィーラ!」
俺の右手前方に陣取ったアリシアが、両の腕から最初の爆炎を放った。炎の行方を目で追う事はしないが、まだ距離のあるマンティコアは、おそらくは難なく躱してしまうだろう。
俺はアリシアの放つ火炎が起こす熱波を頬に感じながらランチャーの三脚部を開いて、ロケット弾の収まるランチャー本体と接合する。三脚の上で軽く本体を左右、上下に振ってスムースに軸が動く事を確認すると、改めてマンティコアの姿を探す。マンティコアの接近に伴って、顔に吹き付ける風が徐々に圧力を増している。
「はッ!!」
いたっ!
見上げると、ソフィアの射線の先、斜め上空。
マンティコアは現在、前方上空、仰角30度。
アリシアの火炎放射を掻い潜ったマンティコアの回避を読んで、俺の左手に立つソフィアが同時に番えた3本の矢を放っていた。マンティコアを包み込む様に扇状の軌道に放たれた鋼鉄の矢の1本が、マンティコアのライオンの前肢に突き刺さる。マンティコアは一瞬、皺々の老人の様な顔を苦痛に歪めるが、開いた咢で腕に突き刺さった矢の尾羽に食らいつくと、そのまま首を振るって鋼鉄の矢を抜き捨てた。鏃と共に緑の血流が噴き出すが、そんなことは気にも留めず、にやりと笑う。この距離でも、なまじ人間の顔に似ているだけに、背筋を凍らせる様な、おぞましさがある。
マンティコアのコウモリの羽が震え、更に俺たちを包み込む強風が強まる。
高度約10メートル、その、おぞましい鼻づらまでは、約20メートル。
第二射を放たんとするソフィアとアリシアを手で制して、待つ。
もう、少し。そう、もう、少し。
「受け取れ!!」
接近するマンティコアは、仰角45度。直線距離にして、約15メートル。
引き金を絞る。
引き金の動きは、ランチャーの中に詰められたロケット弾のノズルの奥へと『発火薬』の粒を放り込む。『発火薬』はノズルから更に奥へと、筒状に詰め込まれた黒色火薬を穿って貫く燃焼室の中で、爆発的な燃焼を引き起こす。
轟音と共に噴射炎と、白煙とは言い難い黒ずんだ煙、更には、じゃらじゃらと騒音をまき散らす鋼鉄の鎖を引きずって、ロケット弾がマンティコアに迫る。
鼻先に迫るロケット弾に、マンティコアは再びその獅子の体を捩る。
足下のスパイクに繋がれた鎖が、ピンっ、と張りつめた瞬間、ロケット弾が爆発した。弾体の先端に嵌められた蓋を張りつめた鎖が内側へと引きづり込み、不足していた酸素を急激に燃焼室へと招き入れた。ロケット弾は急激な酸素の供給に耐えられず一瞬にして爆発し、爆発に煽られたチェーンは四方に網の様に広がる。アリシアの火炎放射を掻い潜って見せたマンティコアだが、目前で広げられた鋼鉄の網からは逃れられない。
「リ・デル・リザーク!!」
左手が懐の『藍の宝玉』に触れ、全ての体温が体中から抜け落ちる。
右手で掴んだチェーンを通じて、中空でチェーンに絡まり、のたうつマンティコアをスパークの閃光が覆い尽した。
乾いた土が、フィレンツェの足下から蹴り上がる。
負けた方が、命を落す。
だが前回、俺は、何故にか、命を拾った。
だったら、そうそう二度も三度も命を落せるものか!
落下するマンティコアと、駆け寄るフィレンツェが交差する。
風が巻き、フィレンツェの背後に蠍の尾が迫る。
「逝、け、いいいッ」
音が消え、鼓動が止まり、逆袈裟に切り上げた『同田貫』が、マンティコアの尾を絶った。
どうッ、っと音を立てて落下したマンティコアの額を、撓るように返す『同田貫』が割る。
深緑の鮮血が、行く筋もの飛沫となって噴き出した。
ふぅっ、と、詰めていた息を吐き出すフィレンツェの足下に、僅かに遅れて落下してきたマンティコアの蠍の尾が落ちて、跳ねた。




