第101章
101.
人間の老人の様な、皺々の顔。逞しく柔軟な、ライオンの胴体。コウモリの羽と、猛毒の蠍の尾を持つ魔物。それが、この世界に於いては比較的ポピュラーな飛行型の魔物として君臨する、マンティコアの姿だ。
俺はこれまでも何度か、馬鹿でかい魔物と戦った事はある。直近では、マンティコアの倍以上、電気ヒグマの体長は優に4メートルはあっただろう。そもそも、ドラゴンの姿のソフィアもサラマンダーの姿のアリシアも巨体な訳で、自覚には乏しいが実は俺はデカイのが好みだったのかもしれない。
いや、やはりデカイのは、胸だけにしてほしい。
ゴメン、シャーリー。
だが、問題は解ってはいたが、けして大きさなどではなく(良かったね、シャーリー)、マンティコアは飛行が可能だという事だ。
そして、コウモリのそれに似た、ごく貧弱な羽しか持たないマンティコアが電気ヒグマには及ばないにしても、その重量感のある巨体を軽々と空中に浮かべるには、この世界の理に準じたちゃんとした裏付けがある。つまり、マンティコア自身が持つ強力な魔力に依るサポートだ。
元いた世界に於けるヘリコプターの飛行原理は一般の固定翼機とは異なっているが、ほぼ形だけに過ぎないマンティコアのコウモリの羽は、魔力によってヘリコプター同様に飛行時は下方に向けて、絶えず強力な風圧を発生させている。マンティコアと戦わんとする者は上空を飛来するマンティコアの下では、まるで離陸したヘリコプターの直下で立つ様なもので、垂直に立つ事も目を開ける事も非常に困難だ。
そして弓矢は強風に煽られマンティコアには届かず、対してマンティコアは敵の頭上という攻撃にも防御にも絶好の位置を保つ事が出来る。
「頭上から襲ってくるマンティコアは、無敵と言っても良い。何とか奴を地上に引き摺り下ろさなくては、私たちに勝機はないぞ!」
緊張したアリシアの声が走る。
『世界樹の若木』では頭上を舞う『火喰い鳥』と戦った俺たちだが、一撃で魔核を破壊出来る『火喰い鳥』とマンティコアでは、どうやら魔物としての格が違うらしい。まずはエレインとシャーリーに、馬車を守らせながら後ろへと下がらせる。余り距離を取り過ぎると、前方に残る俺たちを素通りして後方を狙われそうで、離れ方には気を使う。
それは、それとして。
アリシアは緊張した方が、声に表情があるなどと思うのは、俺だけなのだろうか? 言うと怒りそうなので言わないが。その隻眼の横顔の凛々しさは、思わず惚れてしまいそうだ。
もう、惚れているから良いか?
「リ・メル・フィーラ!」
アリシアが両の腕から放つ爆炎は、俺自身の『火の魔法』より、あるいはエルシャナやダークエルフのディーンの魔法よりも更に強力だ。だが、追い縋る炎の奔流を、マンティコアは上空で身を捩る様に躱す。目標を失った炎が、マンティコアの巻き起こす風に巻かれ吹き散らされる。
かつてソ連のアフガニスタン侵攻で、ハインドは『悪魔の戦車』と呼ばれ恐れられた。スティンガーミサイルが登場するまでは、無敵だったと言っても良い。スティンガーとまで行かなくとも、対空機関砲ぐらいないと、地上からマンティコアを落とすのは厳しい。
「フゥボォー!!」
奴が上空から、ラッパにも似た咆哮を放つ。その雄叫びは周囲の雑音を圧しシュトゥーカ急降下爆撃機のラッパの様に、地上の獲物に恐怖を叩き込む。
うん、もはやヘリじゃないね・・・。
巻き起こる暴風に小石が舞い、目を開けている事も出来ない。
だが、突風が緩んだ。
「避けろ!!」
突如マンティコアが10メートルの上空から、俺たちの頭上に落下してくる様に襲い掛かる。瞬間的にコウモリの羽根の持つ魔力を絶ち、自重に任せて自由落下してくる。航空機ではない奴が相手では地表の獲物は地面に伏せたところで奴の爪に割かれ、あるいは、そのまま押しつぶされるだけだ。羽根が魔力を絶った事で起こる瞬間的な無風状態の合間に、俺たち3人は奴の真下から左右へと飛び退いた。
だが奴は獲物が直下の攻撃範囲から外れた事を見て取ると、そのまま地に降り立つ事なくコウモリの羽根を震わせ、再びゆっくりと上空へと舞い上がる。これでは千日手とはならずとも、奴の優位は変わらない。
「ソフィア、俺が奴を引き付ける。奴が落下し始めてから弓で狙うんだ」
ソフィアが普段使う矢は、一般的な人間やエルフが使う物に比べかなり重い。狭い迷宮の中で近距離から魔物を射るには、射程距離は短くともストッピングパワーに優れた重い矢が適している。遠い的に当てるべく軽い矢ではハインド並みとは言わないが重装甲と言えるだろう、防御力も高そうなマンティコアにはとても通じないだろう。ソフィアにはこれまで通り鏃からシャフトの部分が一体の金属で造られた重い矢を、至近距離からマンティコアに当てて貰う必要がある。
「来い、糞ジジイ!!」
老けているのは顔だけで『一度食事を開始すれば、一国の軍隊が全滅するまで、その空腹は満たされない』と言われる程に、その食欲は旺盛らしいが。
舞い上がる奴の直下に自ら走り込む俺に、背後からソフィアが悲鳴にも似た声を発するが、俺とて今はそれを聞く余裕はない。俺の同田貫の刃先が届かぬ相手となれば、別の方法が必要だ。
自分から不用意にも真下に駆け込んできた獲物を認め、マンティコアの巨体が捻る様に再び落下へと転じる。落下しながらもその咢を俺に向け、まるで上空から飛び掛かる様に咆哮を放つ。震えているのは高まる風圧か咆哮の大音量故か、それとも、単に俺の内心から湧き上がる恐怖が故か。
右手を懐に、同田貫を握る左手を開き中指と薬指を残して、マンティコアの鼻づらに向けて腕を突き上げる。
「リ・デル・リザーク!」
スティンガーがないならば、せめてパイロットの目を焼くレーザーポインターがあれば。
俺の体内で血流がざわざわと蠢く様に向きを変え、突き出した左手へと集中する。左手だけが焼ける様に熱い。フッ、と何かが抜けていく感覚と共に、頭上に伸し掛かる様な至近距離に迫るマンティコアに、その血走った両の目を焼く電撃を叩きつけた。
フィレンツェは迸る電撃の光芒に白く染まった視界の隅で、マンティコアの首筋に次々と突き立つ矢に目を細めながら、後ろへと飛び下がる。
フィレンツェの足先の地面に、のたうつマンティコアが激突し、赤茶けた小石が無数に跳ね上がった。
勝った、誰もが、そう気が緩んだ瞬間。
のたうつマンティコアの尾が、落下地点から後ろに下がったフィレンツェを、背中から打ち付けた。
「かはっ!?」
フィレンツェが、前のめりに倒れる。
暗転する視界の中で、まるで地面が押し寄せる様に間近に迫り、なすすべもなく衝撃だけが、フィレンツェの意識を覆い尽した。




