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誰が悪女を愛したか  作者: 十返香
婚約破棄後の冬

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29/40

若手役人報告書

「マルク。南門の毛布だけど、昨日との差を読み上げて」

「はい、エレノア様。昨日記載二十六、本日現物二十三です」

「なるほど……三枚足りないのね」


 あの方の冷えた声を聞くと、ひどく胃が縮む。



——配分係書記補マルク・ヘッセンの報告書

冬月十四日付


 本日、南門受入れ所の在庫照合に同行しました。伯爵令嬢エレノア・ヴァレニウス様の臨席です。


 現場は例によって荒れていました。毛布が足りない、薬草束が足りない、帳面が遅い、誰が抜いた、誰が誤魔化したで、朝から怒鳴り声ばかりです。


 私は正直、また胃が痛くなるなと思っていました。

 そこにエレノア様がいらしたのですから。


 来た、といっても大したことはなさらないのです。椅子に座って、帳面を開いて、数字を読むだけ。

 だが、それだけで騒ぎが半分ほど静まります。

 止まらない騒ぎの半分は、だいたいそのあと黙らせられるものなのですが。


「南門係、三枚足りない理由はなに?」

「えっと……その、搬送中に濡れまして、干し場へ回しましたそうです、エレノア様」

「なら、先にそう書くべきよ。帳面にない三枚は盗難と区別がつかないもの。あなたが書き忘れたのか、それとも誰かが抜いたのか、帳面からでは判断のしようがないじゃない」

「申し訳ありません、エレノア様……」

「謝罪はあと。マルク、干し場の控えを取ってきて」

「はい、エレノア様」


 こういう感じです。

 怒鳴らない。机も叩かない。なのに、言われた側は妙に縮こまる。

 たぶん、曖昧な言い逃れができないからです。ごまかそうとした分だけ、きっちり数字で叩かれてすごすごと戻ってまいります。



——マルク・ヘッセンの報告書 続き


 実は、この日の私にはもうひとつ後ろめたいことがありました。

 工房宿直分の灯油控えを持っていたのですが、記載を一行ずらしていたのです。

 ミスに気づいたのは朝でしたが、直す暇がなかった。いえ、直す暇がなかったのではなく、直さずに済むのではないかと思ってしまった。

 ええ、見つかったら終わりだと分かってはいたのですが――


「マルク、この行、ずれているわよね」

「……おっしゃる通りです、エレノア様」

「いつから気づいていたの?」

「今、です……」

「嘘がヘタね。さっきから顔色が悪いもの。朝の時点で気づいていたでしょう? 直す時間がなかったのか、直さなくてもばれないと思ったのか、どちらかしら」

「……後者です、エレノア様」

「初めから素直になりなさいな。次からは、誰かに見つかる前に相談しなさい。直せる間違いを黙っているのが、いちばん高くつくって理解できたでしょう?」

「はい、エレノア様」

「今日は書き直し。干し場控えと灯油控え、両方持ってきて」

「……はい」

「泣きそうな顔をしないの、マルク。誰かに見られたら、私が虐めたと思われちゃうじゃない」


 あとで同期にそのことを話したら、「温情をかけられたものだな」と笑われました。

 私もそう思います。ただ、怖かったものは怖いのです。


 ただ、不思議と理不尽さを覚えることはありませんでした。怒られたあとで、どこが駄目だったかはちゃんと分かる。それに、あの方が帳場に入ると、止まっていたものが妙に流れ出す。


 まったく、だからご令嬢には皆、頭が上がらないのです。



——マルク・ヘッセンの私的所感

提出不要書付


 エレノア様は恐れられています。これは事実です。

 若手はだいたい目を逸らすし、古株ですら背筋を伸ばす。

 だが同時に、もめ事が起こった時や在庫が合わない時など、誰かが泣きつく先も結局あの方なのです。

 甘いからではありません。

 逆です。いちばん容赦がないのに、いちばん帳尻を合わせてくれるからです。

 現場にいると、それがよく分かります。


 怖かった。でも、あの方がいると、誰もが安心を得られるのです。

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