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誰が悪女を愛したか  作者: 十返香
婚約破棄後の冬

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冬越し配分

「エレノア様、第三区はもう人で溢れています……!」


 第三区世話役の声は抑えられていましたが、そこにはたしかな熱がありました。



——配分係書記補マルク・ヘッセンの記録

冬月十二日


 あの日の帳場は、最初から空気が悪かったのを覚えています。

 北街区、南門受入れ所、第三区、工房宿直分——各配分の見直しのため、立会いが開かれました。乾燥麦、塩漬肉、毛布、灯油、薬草束。現残数と到着見込みを照合して、立会い者の意見はことごとく一致しない。全員が足りないと言っている。全員が自分のところが先だと思っている。けれど倉の中身は決まっている。誰かに回せば、誰かが削られる。そういう状況でした。


 エレノア様が帳面を読み上げはじめた瞬間から、誰もが必死の形相を浮かべておりました。



——利害対立の記録 一


「流れてきた者を追い返せず、私倉も底をつき……このままでは、子どもから先に倒れてしまいます」

「……承知しているわ」

「ならば、なぜ追加請求をお止めになるのです、エレノア様!?」

「止めるのは第三区だけではないわ」

「ですが――!」

「聞きなさい。第三区の追加配分を認めないだけよ。既存の配分には手をつけていないわ」


 その横から、南門受入れ所の係が割って入りました。


「エレノア様、南門の毛布減数案まで戻されたのでは、こちらも持ちません。病者が増えているんですよ?」

「だから戻したのよ」

「では第三区はどうしろと?」


 第三区世話役が噛みつくように言いました。


「寒さに震える者を見捨てろとでもおっしゃるのですか!?」

「……数で判断するしかないの」


 その一言で、帳場の空気が冷えました。


「情で配れば、その場は静まるでしょう。でも、崩れる場所を見誤れば、後で倍の死者が出る。私が見ているのは、一夜をどう過ごすのかではなくて、冬の終わりまで皆でどう生きるのか、なんですから――」



——利害対立の記録 二


「エレノア様、工房に灯油を回すのですか?」


 今度は会計吏が、信じられないものを見るような顔をしました。


「第三区が騒いでいる、この時に」

「そうよ」

「でも、工房は人を温めませんよ?」

「工房が止まれば、布と補修が尽きる。袋物と戸締め布がなければ、もっと大勢のものが凍えるわ。工房に踏ん張ってもらわないと、第三区も長くは持たないの。私はいちばん哀れな場所ではなく、いちばん大勢が関わる場所から守っていきたいの」

「……ですが、切られる側の心情は――」

「気持ちだけで冬を越せるのであれば、私だってこんなこと言いたくないわ」



——調停控え 追記


 伯爵令嬢エレノア・ヴァレニウス、帳面照合ののち、再配分を口述。

 一、第三区追加分、認めず。

 一、南門受入れ所の毛布減数、見送り。

 一、工房宿直分の灯油、半刻増。

 一、北街区炊き出し分の麦、現行維持。

 一、式典名目在庫より塩漬肉一樽を差し替え。



——第三区世話役連署の不満書き


 伯爵令嬢エレノア・ヴァレニウスの裁定、あまりに机上にすぎる。

 当区の寒さ、流入者の不安、空になった私倉の事情を知りながら、なお追加を退けた。

 病者と工房を優先する理は聞いた。

 だが、飢える前の者を見捨てて、倒れた後の者ばかり拾うのは、果たして公平と言えるのか。

 伯爵令嬢は正しいのかもしれない。

 しかし、あのように迷わず切られれば、切られた側は忘れない。



——マルク・ヘッセンの記録 末尾


 最後に第三区世話役が食い下がりました。


「エレノア様、せめて毛布だけでも――」

「駄目よ」

「子どもがいるんですよ!?」

「南門にもいるわ」

「では、何を基準に切るのですっ!?」

「止めた時、誰が何人死ぬか――それだけよ」


 あまりにためらいのない答えに、その場の全員が黙りました。

 泣きつかれても、怒鳴られても、エレノア様は要求を退けます。あの方は、助けを求めるものの顔よりも、崩れた時に広がる未来を見据えていたのです。


 あれを有能というのだろうと思います。

 ですが、近くで裁かれる者にとっては、理解がえられ難いものでした。


 結局、第三区の追加配給は認めず、死者を減らすには、まず全体を残すことが徹底されたのです。

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