あの夜の不自然さ
——夏季大舞踏会観察メモ 断片
筆者不明
開宴前、中央列席次に二度修正あり。
伯爵令嬢エレノア・ヴァレニウスの席は、当初より王太子アレクシス殿下寄りへ改められた。修正理由の記載なし。
同時に、給仕控え一名が別室待機へ回される。
「また席が変わったの? 今夜だけで二度目よ」
「アレクシス殿下のお考えですって」
「だとしても、席を動かすだけならまだしも、給仕まで外すものかしら? まるで、何かを人目から隠すような……」
——使用人聞き書き
いつもなら開けておく西廊下の脇扉が、その夜だけ途中で閉じられました。
鍵までは掛かっていませんでしたが、通るなと言われたのと同じです。あのあたりは王太子アレクシス殿下の控室と、小広間へ抜ける近道でしたから、閉じるというのは妙な話です。
「なぜ閉めるんです?」
「今夜は使わないからだ」
「えっ!? そんなこと、誰が決めたのですか?」
「いいから黙って持ち場へ戻れ。……それ以上聞くと其方のためにならんぞ」
聞くな、と言われると余計に気になるのが人というものです。
けれど、あの夜はそれ以上聞ける空気ではありませんでした。
——席次修正記録 抄
修正前 伯爵令嬢エレノア・ヴァレニウス、中央寄り左列三席。
修正後 同令嬢、中央寄り左列二席。
追記 第二王子セドリック殿下側随員の導線確保。
なお、変更理由の詳細記載は不要とする。
「"詳細記載は不要"? なんだこの記述、こんなの初めて見たぞ?」
「席を一つ動かすだけで、なんだか大仰だな……」
「一つだからだろ。大きな動きは目立つけれど、小さな体裁ほど、あとで見えにくくなるものだからな」
——使用人聞き書き 続き
広間の空気が変わったのは、言上の少し前でした。
音楽が止むにはまだ早いのに、給仕がすっと壁際へ下がったのです。誰かが合図したように見えました。あれは偶然ではありません。
何かが始まる。広間にいた者は皆、そう感じていたはずです。
「何か始まるの?」
「たぶん、殿下のお言葉よ。壮行の挨拶でしょ」
「……でも、挨拶にしては、なんだか仰々しいわね。あんなふうに皆を下がらせるなんて」
——参列者覚え書き
王太子アレクシス殿下の言上ののち、広間は騒然となりました。
まさかあの場で婚約を破棄されるとは、誰も思っていなかったのですから。
伯爵令嬢エレノア・ヴァレニウスは、取り乱しませんでした。
顔色は白く、返答は短かく。
ただし、扇を持つ右手が小さく震えておりました。
「まあ、婚約破棄ですって!」
「やっぱり、あれだけ好き放題していたから、愛想をつかされたのよ!」
「エレノア様のあの顔、見てご覧なさいな。……ふふ、可哀そうにお手が震えていらっしゃるじゃない」
「こんなときに涙も見せないなんて……泣いたら負けだとでも思っていそうよね」
「負けも何も、もう負けているじゃないの」
「それでも思わせぶりな態度をとっているのが、あの女の厄介なところよ。憎たらしいったらありゃしない」
第二王子セドリック殿下は、言上の間じゅう、杯を持ったまま動かなかったと、隣席の者が記しています。
お顔は穏やかなままだった。いつもの柔らかい表情のままだった。
けれど、杯を握る指だけが白くなっておりました。
あとで見れば、殿下は言上の間、一口も飲んでおられなかったことが分かります。
ラウル公爵は後方列におられました。
公爵が何をしていたかについては、ほとんど記録がありません。
ただ一つ、使用人の走り書きに、こうだけあります。
「ラウル公爵閣下、言上の間、一度もお席を動かれず。ただし、言上の直後、不機嫌なご様子を隠そうともせず、席を立たれて退出なされた」と。
——廊下口立番控え
言上直前、小広間側より出た者一名。
名札確認漏れ。
本来なら止めるべきところ、人の動き重なり見失う。
事後照会、該当者不明。
あとから見返すと、目立つのは強い言葉ではありません。
閉じられた扉。消された理由。いなくなるはずのない者の不在。
エレノアがその夜、どう過ごしたのか。そして彼女を取り巻く三人の殿方は何をしていたのか。
そのことを知るものは、誰もいないのです。
——セシリア




