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誰が悪女を愛したか  作者: 十返香
恋と実務の二重奏

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14/25

休んでください

「エレノア嬢、お顔の色がよくありません。暫く休まれては……」

「いえ、お気づかなく。セドリック殿下――」

「そうはいきません。今日こそは話を聞いていただきますよ」



——第二王子宮侍従エミール・ハザック私信

姉宛、冬入り前


 姉上、殿下のことで気がかりなことがあります。


 セドリック殿下はこのところ、伯爵令嬢エレノア・ヴァレニウスのことをひどく案じておられます。

 お会いするたび、顔色が悪い、痩せた、眠れていないのではないかと気にされる。北街区の配分や工房の融資や南門の受入れ——あの方が抱えているものの重さを、殿下はおそばで見ていらっしゃるのです。

 あの方を案じるお気持ちに偽りはありません。

 ただ、殿下はお優しいぶん、あの方が立ち止まれない種類の人だということまでは、まだ掴みきれておられないようにも見えるのです。



——侍女聞き書き


 その日、第二王子セドリック殿下は、王宮の廊下でエレノア様をお見かけになると、すぐに足を止められました。

 エレノア様は帳面を抱えて歩いていらっしゃいましたが、いつもより歩みが遅く、目の下に薄い影がありました。


「昨日も遅くまで根を詰められていたのですか?」

「……昨日からと、いうことはありません。もう少し前から――」

「誰にも相談せずに?」

「…………言ったところで帳面の数字が整うわけではありませんから」


 殿下は少しだけ眉を寄せられました。怒りではなく、痛みに近い顔でした。


「もう結構です。たとえどんなことがあろうとも、貴女には早急に休息をとっていただかなくてはいけませんね」

「……休めば片づくことなら、私だって喜んで従います」

「では、せめて今日だけでも。一日だけです。帳面の数字だって逃げたりはしません」

「……セドリック殿下」

「貴女だけが無理をなさる必要はありません」

「必要があるから無理をしているのです。いま、手を止めることはできません」


 エレノア様の声は静かでしたが、そこに揺らぎはありませんでした。

 殿下は何か言いかけて、やめられました。



——侍女聞き書き 続き


 それからしばらく、お二人は黙って立っていらっしゃいました。

 廊下に人通りがなかったものですから、まるでお二人きりのようでした。


 殿下がご自身の外套を外しかけたのは、その時です。

 軽く畳んで、エレノア様の肩にかけようとされたのです。


「――殿下、人が見ております」


 エレノア様がそうおっしゃったのは、咎めるような声ではありませんでした。

 どちらかといえば、困っていらっしゃるような声でした。

 殿下がそういうことをなさると、自分がどういう顔をすればいいか分からない——そういう困り方に見えました。


 セドリック殿下は、外套を持った手を止めないまま、こうおっしゃいました。


「見ていても構いません。あなたが凍えるよりずっといい。……私が気にしているのは噂ではなくて、あなたの肩が震えていることのほうなのです」


 エレノア様は一瞬、言葉を失ったように見えました。

 怒っているようでも、うれしそうでもなく、ただ少し、どうしていいか分からないようでした。

 結局、外套は受け取りませんでした。

 けれど、断る時の声がいつもより小さかったことは、書き留めておきます。


「お気持ちだけ、いただきます。殿下」


 殿下は微笑まれて、外套を腕にかけ直されました。

 無理に押しつけるような方ではないのです。断られても、怒らない。ただ少しだけ寂しそうなお顔をされて、それでも穏やかに笑う。

 あの方のやさしさは、いつもそういう形をしています。



——エミール・ハザック私信 末尾


 姉上、殿下のお気持ちは本物です。それは間違いありません。

 けれど、本物のやさしさでも、相手が受け取り方を知らなければ、すれ違うことがあるのだと、このごろ思うようになりました。


 エレノア嬢は、やさしくされることが嫌いなのではないと思います。

 ただ、やさしさを受け取ると、自分が弱くなるような気がしてしまう方なのではないでしょうか。

 殿下がいくら差し出しても、あの方は自分で立っていることのほうを選ぶ。

 それが強さなのか、不器用さなのか、私にはまだ分かりません。

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