休んでください
「エレノア嬢、お顔の色がよくありません。暫く休まれては……」
「いえ、お気づかなく。セドリック殿下――」
「そうはいきません。今日こそは話を聞いていただきますよ」
——第二王子宮侍従エミール・ハザック私信
姉宛、冬入り前
姉上、殿下のことで気がかりなことがあります。
セドリック殿下はこのところ、伯爵令嬢エレノア・ヴァレニウスのことをひどく案じておられます。
お会いするたび、顔色が悪い、痩せた、眠れていないのではないかと気にされる。北街区の配分や工房の融資や南門の受入れ——あの方が抱えているものの重さを、殿下はおそばで見ていらっしゃるのです。
あの方を案じるお気持ちに偽りはありません。
ただ、殿下はお優しいぶん、あの方が立ち止まれない種類の人だということまでは、まだ掴みきれておられないようにも見えるのです。
——侍女聞き書き
その日、第二王子セドリック殿下は、王宮の廊下でエレノア様をお見かけになると、すぐに足を止められました。
エレノア様は帳面を抱えて歩いていらっしゃいましたが、いつもより歩みが遅く、目の下に薄い影がありました。
「昨日も遅くまで根を詰められていたのですか?」
「……昨日からと、いうことはありません。もう少し前から――」
「誰にも相談せずに?」
「…………言ったところで帳面の数字が整うわけではありませんから」
殿下は少しだけ眉を寄せられました。怒りではなく、痛みに近い顔でした。
「もう結構です。たとえどんなことがあろうとも、貴女には早急に休息をとっていただかなくてはいけませんね」
「……休めば片づくことなら、私だって喜んで従います」
「では、せめて今日だけでも。一日だけです。帳面の数字だって逃げたりはしません」
「……セドリック殿下」
「貴女だけが無理をなさる必要はありません」
「必要があるから無理をしているのです。いま、手を止めることはできません」
エレノア様の声は静かでしたが、そこに揺らぎはありませんでした。
殿下は何か言いかけて、やめられました。
——侍女聞き書き 続き
それからしばらく、お二人は黙って立っていらっしゃいました。
廊下に人通りがなかったものですから、まるでお二人きりのようでした。
殿下がご自身の外套を外しかけたのは、その時です。
軽く畳んで、エレノア様の肩にかけようとされたのです。
「――殿下、人が見ております」
エレノア様がそうおっしゃったのは、咎めるような声ではありませんでした。
どちらかといえば、困っていらっしゃるような声でした。
殿下がそういうことをなさると、自分がどういう顔をすればいいか分からない——そういう困り方に見えました。
セドリック殿下は、外套を持った手を止めないまま、こうおっしゃいました。
「見ていても構いません。あなたが凍えるよりずっといい。……私が気にしているのは噂ではなくて、あなたの肩が震えていることのほうなのです」
エレノア様は一瞬、言葉を失ったように見えました。
怒っているようでも、うれしそうでもなく、ただ少し、どうしていいか分からないようでした。
結局、外套は受け取りませんでした。
けれど、断る時の声がいつもより小さかったことは、書き留めておきます。
「お気持ちだけ、いただきます。殿下」
殿下は微笑まれて、外套を腕にかけ直されました。
無理に押しつけるような方ではないのです。断られても、怒らない。ただ少しだけ寂しそうなお顔をされて、それでも穏やかに笑う。
あの方のやさしさは、いつもそういう形をしています。
——エミール・ハザック私信 末尾
姉上、殿下のお気持ちは本物です。それは間違いありません。
けれど、本物のやさしさでも、相手が受け取り方を知らなければ、すれ違うことがあるのだと、このごろ思うようになりました。
エレノア嬢は、やさしくされることが嫌いなのではないと思います。
ただ、やさしさを受け取ると、自分が弱くなるような気がしてしまう方なのではないでしょうか。
殿下がいくら差し出しても、あの方は自分で立っていることのほうを選ぶ。
それが強さなのか、不器用さなのか、私にはまだ分かりません。




