5
鷹人の言葉に、大きなルビーさらに見開かれる。
「…………リチウムさんたち、が……?」
呆然と、掠れた声でグレープが呟いた。
なんでこんな所に……?
自分と同じように連れてこられたのだろうか。
もしくは『死球』を奪われて、それを取り返しに――
――違うだろう。思い出せ。
彼らが、どんな人間だったか。
「おまえを助けに来たんだろう」
代弁するような淡々とした低音を耳にした。
「まぁ、無駄な足掻きだったな」
「無駄?」
「男はもうすぐ死ぬ」
「…………!?」
「……一体おまえは何者だ」
長身の自分が見上げるまでの強靭な肉体。
狼人の質問に対し、首を鷲掴みされたまま厳しい目つきで睨んでいたリチウムは、静かに口を開いた。
答えはシンプルだった。
「リチウム・フォルツェンド様だ」
「…………あんたね」
依然、リチウムの頭に銃口を向けたままのリタルがジト目を向ける。
身体の自由が奪われていなければ危くずっこけるところだった。
「言っとる意味がわかんねェんだからしゃーねぇだろ」
「おまえが『死球』と呼んでいるソレは……ただの石ではない」
「そんくらい知ってら。禁術封石だろ」
「『禁術封石』か。それは天使が定めた枠に過ぎない」
「……あん?」
見上げた狼人は、不可解な……まるで汚物でも見るような眼で『死球』を視ていた。
「ソレは決して操れる類のものではない。維持するだけでも相当な魔力が要る。万一、開き、中身を引きずり出し……現界においてソレを支配する事が可能な者が居るとすれば、それは我等のかの主のみ。
ソレの存在を識った我等は、ソレをかの主だとばかり思っていた。蜘蛛爺もそう思っていた。だが。それは勘違いである事に我等は気づいた。こうして間近で直視すれば解る。ソレはかの主ではない。ソレは……」
ここで、狼人は言葉を切った。長いようで短い沈黙の後、狼人は自分を見上げる青い双瞳を直視した。
「だが……ソレを所持している貴様は断じて、かの主ではない」
「…………? そんなもん俺様に言われても……」
「その髪。その目。その肉体。その在り方。ものの考え方。口調ですら。どれも違う。貴様が、かの主のはずはない。我は認めない」
「…………」
「それでも滲むのならば、それは、ある二つの結末を呼び寄せてしまうのだ」
眼から、奥底を覗くように。狼人はリチウムを凝視する。
「答えろ。貴様はソレを、一体どこで手に入れた」
「…………」
「……リチウム?」
重厚な空気。
沈黙の中、戸惑うような声をリタルが漏らした。
目の前の大きな背中が動揺しているように見えたからだ。
「我がこの任務を引き受けたのは、主に命令された――それだけの理由ではない。ただ、かつて、かの主を支えていた者として、事の詳細を得たかったのだ。
貴様は何者だ。
……先程の様子からして答えられないと言うのも無理はない。そうであれば、もう我は貴様に用が無い。
どちらであるにしろ、ソレが単独で存在している。故に我等の望む結末は訪れないのだろう。
実のところ、我にとって貴様は視るにも耐え難い存在だ。この場ですぐに始末する。貴様の代わりなど、すぐに現れるのだろうからな……」
「……出して、ください」
鷹人は僅かな鈴声を耳にし、状況の監視を中断してそちらを振り返った。
少女は、奇跡の白濁球の中で、小さく蹲っていた。
その細い肩は、僅かに震えている。泣いているようにも見えた。だが……。
少女はやがて、両の拳を硬く握る。
「出してください」
次の瞬間、顔を上げた、俯き加減のその瞳は――強靭な意志を灯していた。
「ここから、出してください」
「……出たければ」
「…………」
「我は止めはしない。出たければ自分で出て行くがいい」
鷹人の眼光が、グレープの奥を捕らえる。
「…………え?」
鋭利な褐色の眼に、少女の戸惑いの表情が映る。
「我は止めない。出たければ自由に、自身の力で出るといい」
「わたしの……力?」
「主は言っていた。今のおまえはそれが出来るはずだと」
「わたしには、力なんて」
「出来なければそれでもいい。このまま連行するだけだ」
「……リチウムさんたちは」
「死ぬだろう。恐らくは後数分も無い」
「どうすれば、いいんですか? 教えてください」
「我は方法など知らん」
「……そんな」
「主は言っていた。おまえは知っているはずだと」
「…………」
……何を、言っているんだろう。
わたしが、知っている……?
わたしの力で、ここを出る……?
この空間が何であるのかもわからないのに……?
解っているのは、今自分が居るこの白濁の世界はやけに心地良い……異様なまでに魅惑的なものであると同時に、元の状態に修復する――元の状態に戻すという特殊な空間だという事だけ。
それに、ここから出る事が出来て彼らの元へ駆けつけた所で、自分には何も出来ないだろう。いや、さらに足を引っ張ってしまうかも。
――それでも。
グレープはぎりっと歯を食いしばった。
それでも自分は、なんとしてでも行かなければならない。
だって彼らは自分を助ける為にこんな所まで来たのだ。
危険なめにあっているという。その事実だけでもう居ても経ってもいられない。それに。
予感がするのだ。
それでも今を何とかしなければ、きっと自分は後悔する。
例え彼らが無事でも、もう永遠に会えない。そんな気がした。
「…………っ」
外と内の境界に両手を着け、押してみた。……びくともしない。
境界を叩いてみた。……やけにふわふわしたそれは衝撃を吸収してまるで手ごたえがない。
さまざまな部分で試してみた。両側面、背後、天井、地。……同じことだった。
何度も何度も試す。
何度も何度も、しまいには必死に。これは焦りからくるのだろうか、全身から大量の汗をかきながら。
絶望的な程、手ごたえが無い。それでも叩く。地を叩いて叩いて、何の感触が無くても、それでも叩いて――そうしていつしか。視界が歪んでいた。
何の力も無い。
助けてもらってばかりなのに、何の助けにもならない。
迷惑ばかりかけている。
――今、こんな時でさえ。
役立たず。
誰かが言った。
いなければいいのに。
誰かが言った。
おまえ、いらない。
おまえがいなければ、こんなことには――
「…………~っ」
地を叩き続ける手に雫が降る。
また自分は、何も出来ないのか。
一滴。
また自分は、何もしてやれないのか。
また、一滴。
そうしてまた自分は、壊すのか。
そうやって、零すのか。
雨のように、ぱらぱらと。
大事な、大事な
大事な存在を――
おまえがいなければ――
「…………っ」
悔しい。
自分だって、そう思う。
そう思っているのに、それを他人に言われてしまったら、なんだか、とても悔しい。
責められたところで、一体どうすればよかったのか。
どんなに自分が自身を責め抜いたところで、狂って壊れてはくれなかったのに。
望んだところで、消える事なんか、許されなかった私は。
言われなくても、本当に消えてしまえたらと、本気でそう思ってた。
願った。……それは、逃げだったのかもしれない。
だって。そうすれば、もう誰にも不快な思いをさせなくて済むのだろうから。
あんな顔をさせているのは、自分。
嫌な思いをさせているのは、自分。
――見たくなかった。だから……思った。
わたしがいなければ、
みんな こまらなかった?
みんな、わらえるようになるの?
――あのひとも……?
「…………っ」
一体何が悲しいのか、もうそれすらわからない。
でも、蹲って泣いているとすぐに横から自分の声が聞こえてきた。
そうしてまた、己が可哀想だと涙を流すのか。
……そうだ。
何故、泣く。
自分のために泣いているのか。
自分が可哀想だとでも、思っているのか――
ゼンブ オマエノセイナノニ。
興醒めて、涙も止まる。
こんな自分。
己の為に涙を流している自分は、どうしようもなく滑稽で――
そうすることしか出来ない自分は、なんだかとても悔しくて――
なんだかとても、狡い。気がする。
けど、そう思う自身は、そうとしか思えない自分を見る事は、そうやって、自分を責め続ける姿は、きっと、とても哀しい。
「…………らなぃ……っ」
――こんな、こんな自分なら――
「いらない……っ」
叩く。
「いらないっ」
叩く。
「~いらない……っ」
叩く。
「…………っ」
――それでも。こんな自分に、手を伸ばしてくれた人がいる。
「…………~っ」
こんな自分に、笑いかけてくれる人がいる。
「…………~さ……っ」
こんな自分を、見捨てないでくれる人がいる。
「……~ムさん…っ」
どんなに迷惑をかけても。
どんなに役立たずでも、どんなに、価値がなくても、それでも、彼らは、こんな自分にも見せてくれた。
目が覚めるような、色鮮やかな世界。
強い強い、青の眼差し。
それは、消えたはずの記憶を思い起こさせるには十分過ぎた。
――まだ、とてもとても昔。
遠い記憶。
何も無かった空の頃の自分に、それでも彼は、こんな自分に、告げたのだ。
「 」
世界が暗転する。
『……いいの?』
小さな自分が、蹲っている自分を見下ろしている。
そう声をかけられ、顔を上げた。
『いままでは わたしがわたしを とめていたの だって ここはあぶないから』
「…………」
『そういわれたのも おぼえていない?』
「……」
『こんどこそ いいつけを まもるんじゃなかったの?』
遠い昔の小さな自分の、曇りの無いただ真っ直ぐな視線がわたしを貫く。
鈴の鳴るような高く細い声で、わたしに問う。
『こんどこそ あぶないよ それでも いいの?』
「…………、……だって、」
……いつだっただろう。
告げられた事がある。
――これから、忙しくなる。
普段は見たことも無い、ひどく疲れた表情の男を前にして、思った。
ならば自分は、助けたい。
なんの力が無くても。せめて、支えたい。
僅かでもいい。全力で、支えになりたい。
あの時、確かにそう思った。
「…………たい……っ」
わたしを抑えるわたしの声に、もう耳を傾けない。
だって、総てが消えてしまった今――現在にも、この胸を震わせる衝動が確かに在る。
自分以上に護りたい存在がいる。
あの時のように。
私を呼ぶ声を、二度と、裏切らない為に。
もう二度と繰り返さない。後悔したくない。そのために。
自分にだって何か出来る。
可能性を――
「…………信じたいの……っ」
声を上げた、その時。
その身を掻き消される寸前に、それでも小さな自分は笑ってくれた……気がした。
――瞬間。強い光が暗闇に差し込んだ。
迷いを消し、導くように自分を照らす、
青い、青い、青い、光輝――
「~……リチウムさん……っ!」
光は再び降臨する。
それは、穏やかな癒しの色。
晴れた日の空。
海を思わせるクリアブルーの輝き。
総ての者を照らし満たす、温かなそれは、確かに。
目覚めの光。
発光の中、艶やかな青い髪がさらりと揺れた。
伏し目がちのルビーが数回瞬いた。拍子に光を反射する雫が数滴零れる。
重力を感じさせない、見惚れる程に優雅な動作。
白濁の球体が消失し、青の光の中心。場違いな程清浄な空気を纏った白く輝く少女が、今、地に降り立つ。
鷹人は逸らすことなく視界に入れ続けていた。
留まっていた光はやがて、天に昇りゆく。
白い光柱。
それは、過去、自分が見た光景に酷似していた。
奇跡のような、夢のような。
ほんの、半年前に――
「…………この光は」
「……ひかり?」
狼人の正面。リチウムたちの背後。
全員の意識が、突如現じた崖上の青白い光に向けられる。
リチウムは、誰かに呼ばれた気がして、背を照らす温かな光に呟いた。
「…………グレープ……?」




