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以後リタルは微動だにしなかった。
いや、出来ないのかもしれない。
「くそ……っ」
リチウムは狼人とリタルの間に立った。
リタルの肢体が微妙に震えているのは恐らく狼人になんらかの攻撃を受けている為だと判断するも、それ以上の事がリチウムにはわからない。
「……リチウム。あたしたちが向こうで倒した犬どもは全部、コイツに身体を乗っ取られた末路よ」
背にかけられた甲高い声に、妙な違和感を覚えた。自分の考えと彼女の言葉は、どこか齟齬する。
「操っていた訳じゃないのか?」
狼人から視線を逸らすこと無く問うリチウム。リタルは満身創痍の大きな背中を見上げながら答えた。
「……ニュアンスは合ってはいるんだけど。正確には、もっと違う言い方があると思う。
他者の人格を無理に縛り付けてその肉体だけを遠隔操作する――まんまファーレンの能力だけど――には、常に魔力で相手の身体……頭なんかを覆っておく必要があると思うの。
けど、犬頭、犬胴体に纏わり着いている魔力なんか、『魔眼』を持ってしても視る事は出来なかった。『魔眼』で視る事の出来ない魔力なんか無い。よって、奴に他者を操作する事は事実上不可能よ。
あの犬頭、犬胴体達は個々で動いていたという事になる」
「ンならなおさら『オヤダマ』で合ってンじゃねぇか? 子分従えて俺等を陥れたんだろ? てめぇは魔界で黙って眺めていただけっつう」
「あいつら。数を減らしてまであたしたちの能力を見極めようとしてたでしょ?」
「……それがどうした?」
「頭数減らされるの、黙ってみてるかしら。普通。
ヤバイとなったら応援とか呼び寄せるんじゃない? ほら、転位とか出来るんだし。途中で逃げても良かったのに。
誰かの手を借りる事や逃走なんてプライドが許さない……ってのが魔族というものなら、そもそも人間に倒される事を良しとするかしら。
大蜘蛛を思い出すとどうもしっくりこないのよ。アレの考え方が魔族の基盤だと考えるなら、こいつらのやってきた行動――人間に倒されてやるってのは死ぬ事よりもよっぽど堪えられない事だと思うわ」
「……むぅ」
「あの犬魔族たち、自殺願望でもあったのかやけに素直に人間達に倒されてくれたでしょう?
そして……思い出してよリチウム。奴等、痛覚が無かったじゃない」
「確かに。外灯で打ちつけようが、手足寸断しようが、動じなかったな」
「傷を負っても反応したのはその一瞬だけで、後は他人事みたいだったでしょ。それでピンときたのよ。本当に他人事だったんじゃないかって」
「あいつら、あの狼野郎の分身だったってのか? それこそコピーだったとか。それならどんだけ死のうが本体が無事なら問題ない」
「……どうかしらね。それにしちゃ、奴等の持っている魔力はバラバラだった。火、風、土、雷。でしょ?
なら、断じて奴等は同一じゃない。犬頭、犬胴体魔族の個々と、奴とはそれぞれ全く別の存在。だけど……その意思だけは同じ。
あの狼人、己の精神をアメーバみたいに分裂させて増やす事が出来るんじゃないかしら」
「アメーバだ?」
「そう。アメーバは分裂菌植物。単細胞生物が分裂して数を増やすっての、聞いた事あるでしょ?
で、本体のソレと全く変わらない精神を、なんらかの形で他の肉体に植えつけると同時に元から在った精神を侵食し、その肉体を完全に支配する。
そうすると肉体、魔力は違えど、意思は同じってゆう、まんま『自分2号』やら『自分3号』やらを作れるでしょ?
だから分身じゃなくて……『分心』ってとこ」
「……なるほどな。
それだと確かに『操る』は違う。考えは同じでも立派に『個人』な訳だ。
……しかしンな魔力持ってンなら、あの狼野郎はどうしてあの時俺様達に直接『分心』仕掛けなかったんだ? そっちの方が手早く鎮圧出来ただろ?」
リチウムの問いにリタルはしばし思案する。
「……犬頭等の持つ本来の魔力は倒した時に結晶化した火、風、土、雷の魔力だった。最後に現れた犬胴体ですら倒して出てきたのは水の魔石。断じて『空間操作』なんかじゃなかった。
けど不思議なことに、元来の魔力を発動させていたのは犬頭のみ。犬胴体の魔力量は犬頭と比較すればとても弱くて、纏った『空間操作』の魔力で見えなくなっていた。一度も使おうとはしなかったし。
……推測だけど、頭と胴体。あれ、元は引っ付いていたんじゃない? それを無理に引き千切って二つの戦力とした。
あたしたちが倒したのは、犬頭四つと、犬胴体一つ。
グレープたちの元にも、ほぼ同時刻に奴の『分心』体が複数行ってると思う。だから、あの子たちの所にはきっと、あたしたちが倒した『分心』体の対となる犬魔族が……だからええと。犬胴体が四つと、犬頭が一つ、現れたんじゃないかしら。
そう考えると、あたしたちに直接手を下さなかったのは単純に……」
「限界があるって訳か。『分心』で作れる『自分~号』の数は」
「だと思う。恐らく、目的であるグレープには『分心』を仕掛けてはいけない……なにか理由があったんじゃないかしら。もしくは、仕掛けたくても出来なかった、とか。
だからと言って、あの子の周りに居るあたしたち全員に『分心』仕掛けようとしても、あたしたちはともかくとして非常識遊霊なんてのがいるからね。ハナから肉体の無いクレープに『分心』が通じるとはとても思えない。逃亡された時を考えてより多くの兵力を必要としたんでしょう。だから、奴は魔力をほぼ限界まで使用して――『分心』体を引き千切ってまで場に多数の兵を配置しておく事にした。
それに『分心』なんて能力。普通に考えても仕掛ける対象によって行使する魔力量も違うと思うし。いざあたしたち一人一人に『分心』かけて、足りませんでした、じゃ意味ないでしょう。
大体そんなことすれば天使にだって感づかれると思うし。人界に魔族が潜んでた、しかも人間に直接危害を加えている、これは条約違反だーって天界との全面戦争に成りかねないじゃない。……まぁ今回のことだけでも天使が騒ぎ立てるとは思うけど。だから、下手に博打できなかったんじゃないかしら。
だけど今や『狼人~号』の何体かはあたしたちが倒した。だからその分の魔力が奴に返ってきて……」
「『分心』されちまったわけな……おまえが。
それで身体が動かない、最悪俺様に攻撃するかもしれない、と」
「…………ごめん」
「しかし、そこまで解ってたんなら、なんで最初から言わなかった」
「…………言ったらあんた。あたしに『来るな』とか言うでしょう?」
「どうだかな」
「ここに来る前にあたしに散々『足手まといだついて来んな』なんてぬかしてたのは何処のドイツよ」
「ここの俺様だ」
「知ってるわよ! ……普段は超が着く程面倒くさがりで動きたがらないくせにこういう時だけすぐ格好つけたがるんだから……ってか、あたしだってねぇ……っ」
リタルはそこで一度言葉を飲み込むと、しばしの間言葉を選んでいたようだったが、
「……あたしだって。助けたいのよ。…………グレープ」
落ち着きを取り戻した声で、自分を護る背中に向けて、静かにそう告げた。
「別れはすんだか?」
狼人の声が、近くで聞こえた。
リチウムの大きな背中が視界を遮っていたが、辛うじて『魔眼』を行使し続けているリタルはその位置を捉えることが出来る。
……さて。奴はどうでるつもりか。
「後ろの人間の言っている事は、大方合っている。『分心』か。言い得て妙だな」
「どうするつもりだ?」
「判りやすいように、状況を教えてやろう。
我が力は、他人の精神に己の魔力を植え付け侵食し、身体能力の異なる複数の『我』を作り出す事が出来る。植えつけは対象の目を視、念じる事で実行できる。……そうだな、『分心』と呼ばせてもらおうか。
おまえの後ろの人間に今『分心』で我の精神を植えつけている。
ただし完全に、ではない。微量犯した程度で留めている。今は身体の自由がきかないだけだ。しかし、我が念じれば侵食は再開し、数秒も経たぬ内にその精神は完全に消失する。後は生命が途絶えるまでその身体は『我』として活動することに……」
狼人の愉し気な口調が、思わず身震いするほど冷え切った青の眼光で遮られる。
「……回りくどい野郎だな。つまりはリタルは人質だって言いたいんだろ? さっさと言え。要求はなんだ」
これまで一度たりとも聞いた事がない、ぞっとする程低いリチウムの声に、リタルは一瞬、耳を疑う。
「『死球結界』とやらを解除してもらおう。今すぐ」
「…………」
一瞬後。
リタルの耳が、リチウムの舌打ちと同時に微かな空気の振動を拾う。
同時に、リチウムとリタル、二人の間に不可視の障壁を作っていた『死球』の魔力が絶えた事を彼女は識った。
気を取り直した狼人が満足げに鼻を鳴らしてリチウムに歩み寄る。
「つくづく回りくどい事しやがんな……面倒臭ぇ」
「何?」
「なんで俺様に直接仕掛けないっつってんだよ」
厳しい双つの青光が対峙する狼人を貫き続ける。
対して狼人はしばしの間の後、聊か間の抜けた声を返した。
「……その質問は、冗談と言うやつか?」
「…………は?」
眉を吊り上げたリチウムの様子をしばらく眺めると。
「……これは驚いた。本気で理解していないのか」
至極意外そうな声をあげた。
「意味がわからん。何が言いたいんだてめぇは」
苛つきを露にするリチウムを狼人は改めて上から下まで眺める。
「……なるほど。耄碌していたとはいえ蜘蛛爺が気づかないわけだ」
狼人は何かを思案しているようだった。やがて、口を開く。
「事は単純だ。おまえに『分心』を仕掛けた所で徒労に終わるというだけの事」
『徒労……?』
リチウムと、リタルの声がハモる。
彼らの様子はやはり狼人にとって予想外のものだった。
自覚が無いとは。
だとすれば、どうして共に行動していたのか。
……誘導する何者かがいるのか。
「……まぁ、結局。その者の行動は総て無駄だったと言う事か」
「なにをごちゃごちゃ訳のわかんねェ事を……」
「そうだな。そろそろ、終わりにするか」
狼人は静かに言い放つとその屈強な腕を伸ばす。
目前に居るリチウムの首を掴んだ。
「…………!」
瞬間、リタルが息を呑む。
己の中に、自分とは違う意思が、確かに存在している。
身体が、勝手に動いてゆく――
「さて。リチウム、とか言ったな。楽にしてやる前に最後の質問に答えてもらおう」
「…………」
首を掴まれて、なおも目の前の狼人を睨みつけていたリチウムは、背後の気配をも感じとっていた。
震える銀の銃口が、リチウムの後頭部を狙っている。
「………く……っ」
構えた細腕がぶるぶると、激しく震動していた。
リタルの抵抗の証であろう。
「…………」
改めて、リチウムは目の前の狼人を凝視する。
この距離だ。『死球』で消し飛ばす位訳無い。
だが、たとえ発動までの時間が数秒かからなかったとしてもそれでは遅過ぎる。奴は今、念じるだけでリタルを殺せるのだ。たとえ次の瞬間には消し飛ぼうとも、こちらに少しでも魔力の流れを感知すれば、奴は報復として迷う事なく実行するだろう。結果、リタルの精神は消失してしまう。
しかし、このままでは――
眼前で放たれる猛烈な殺気を涼しい表情で受け流して、狼人は口を開いた。
「――答えろ。……おまえは一体何者だ」




