今回は!死なせない!
白光が弾けた瞬間、衝撃波で羊の群れが四方に吹き飛ばされ、草原に硝煙と土埃が立ち込めた。
煙が晴れていくと、空き地に細身の少女の姿が現れた。
ツインテールに結われた銀髪が埃の中で目立ち、頭に焦げ茶のベレー帽を被り、紫グレーのローブが風に裾をなびかせている。袖口と襟元に薄紫のラインが入り、襟の緑宝石が鈍く光を反射していた。
彼女は小走りで駆け寄り、焦った声色で叫んだ。
「大丈夫?早く逃げて!」
周囲の包囲状況を一瞥すると、すぐ振り向いて指示を出す。
「それぞれ朝錦地区へ散って逃げろ!分散すれば羊の注意を引き離せる!」
言葉が途切れる間もなく、弾き飛ばされた羊たちが再び襲いかかろうとする。三人は顔を見合わせて頷き、三方へ走り出した。しかし狂った羊の大半がなぜか峙菌だけを執拗に追跡し、愛知緋蜜とツインテールの少女の背後には僅かな数しかついてこなかった。
腰の傷を押さえながらよろめき走る峙菌の背後から、蹄音がだんだん迫ってくる。心中で悪態をついた。
「なんでだよ!どうして俺だけ狙われるんだ?まるで柔らかい草でも見つけたみたいじゃん……」
歯を食いしばり、残る力を足に込めて、少女の指した方へ全力で疾走した。
やっと朝錦地区の境まで辿り着いたところで足が力尽き、膝に手をついて腰を曲げ、荒い息を吐いた。腰の傷が焼けるように疼き、全身の力が抜け落ち、手を上げる気力すら残っていなかった。
息を整える暇もなく、背後から再びせわしない蹄音が響いた。振り返ると、黒々とした羊の大群が淀んだ水のように迫り寄せていた。
「やめろ……近づくな!」
恐怖で後ろへ下がろうとしたが足が鉛のように重く、二歩進んだところで足元が崩れ、地面に尻餅をついた。
羊が間近まで迫り、鋭い角が暗い紅色の光を帯びて彼を狙う。迫り来る影を見つめ、峙菌の脳裏に一つの思いがよぎった。
――またリスタート?また死ぬのか。
絶望に目を閉じ、角が突き刺さる瞬間を待ち受ける。
その刹那、一人の人影が猛然と彼の前に飛び込んだ。
ツインテールの少女は峙菌の襟元を掴むと、子猫を持ち上げるように後ろへ引っ張り投げ飛ばし、自ら彼の立っていた位置に身を置いて壁となった。
素早く掌に術を練り上げ、光球を羊の群れへ叩きつける。
「ぼうっとしてるな!中へ逃げろ!」
振り返って峙菌に怒鳴りながら、法杖を振って迫り来る羊を蹴散らした。
投げ飛ばされてよろめき地面に倒れた峙菌は、その一撃で我に返った。地面を蹴って起き上がり、少女の背中を眺め慌てて指示通り奥へ走った。
歯を噛み締め一歩ずつ進む。足元が綿の上を歩くようにふわつき、自分の足ではないかのように重かった。腰の傷が揺れるたびに痛み、内臓がねじられるような鈍痛が腹に広がる。
激しい喘ぎで肺が火照り、吸うたびに刺すような痛みが走った。視界が白く霞み、周囲の景色が揺れ、耳の蹄音さえぼやけていく。
抑えきれず涙が頬を伝う。痛い、ただ痛い。酸欠から出た生理的な涙と額の汗が混ざり落ちる。
叫ぼうとしても声が出ず、歯を噛み締め最後の力を振り絞り、遠くの家屋の影へ向かって突進した。
安全圏に近づくにつれ足取りはさらに鈍り、最後は地面を引きずるように進んだ。前髪を払う力も尽きた。
境をくぐり抜けた瞬間足が崩れ、膝をついて荒い息を繰り返す。腹の痙攣に耐えられず、壁を伝ってその場に座り込み、冷たい壁に背中を預け全身が小さく震えた。
息を切らして振り返ると、愛知緋蜜が心配そうに駆け寄ってきた。遠くからは栗樺白も杖を握り、手のひらを押さえながら歩み寄る。術の多用で魔力を消耗したのか、眉をひそめ額に細やかな汗が浮かんでいた。
樺白は峙菌の前にしゃがみ、戦いの余韻の残る荒い息で問うた。
「大丈夫?さっきは本当にヒヤッとした。何でそこに座って動かなかったの?」
緋蜜も駆けつけ隣にしゃがみ、肩を支え震える声で訊ねた。
「峙菌!傷の痛みは酷くない?」
二人の心配そうな顔を見てやっと落ち着き、峙菌は無理に笑みを浮かべた。
「大丈夫……足が少し力抜けただけ」
ゆっくりツインテールの少女の方を向き、小さな声で礼を述べる。
「さっきは、助けてくれてありがとう」
少女は照れて顔をそらし手を振り、赤くなった手のひらを擦りながら笑った。
「はは、無事ならそれでいいの!」
緋蜜も安堵し、そっと腰の傷に触れ柔らかい口調で言った。
「まだ出血してるわ、早く手当てしないと」
三人は地面に座り、張り詰めた緊張がようやく解けた。
息が少し整ったところ、緋蜜がそっと傷口に手を重ねた。指先に淡い光が宿り、治癒呪文を囁き止血を試みる。
「緋蜜さん、遠慮します……」
唐突な行動に顔が熱くなり、慌てて身を後ろへ引いた。
「自分で後で処置するから!」
緋蜜は頑なに体を押さえ、眉を少し寄せた。
「動かないで!傷が深いまま出血が続くと危ないわ」
少し押し問答した後、彼女の心配する瞳を見て、峙菌は顔を赤らめ諦めた。
「……わかった、お願いします」
指が傷に触れた瞬間、温かな力が皮膚から染み込み、疼きが和らいでいく。
うつむいて緋蜜の顔を見られず、目の端で見たベージュのパーカーの裾は血で大きく染まり、布が傷に張り付いている。壁際の外側で羊が止まっているのを眺め、何気なく質問した。
「どうして羊がここまで入ってこないの?何か遮るものがあるの?」
樺白が身を乗り出し、まだ赤い手のひらを揉みながら説明した。
「知らなかったの?ここに防護結界が張られてるの。数年前に整備された魔物遮断用で、安定してるわ」
峙菌ははっとし、自分が無事安全圏内へ逃げ込めたと悟った。緊張が抜けて壁にもたれ、真剣に術を施す緋蜜の横顔を見て複雑な思いに包まれる。
談話の最中、遠方から速い足音が響き、一人の女性が駆け寄ってきた。
グラデーションの紫ロングカール、トップスはビスチェタイプにスリット入りロングスカート、薄紗のガウンを羽織った、仕事のできそうな雰囲気だった。
近づくと眉をしかめ、困った口調で呼びかけた。
「樺白!どこへ行ってたの?隊長が大慌てだ、一声もなしに飛び出して危ないだろ」
栗樺白は舌を出し立ち上がり手を振った。
「ここにいるよ!大丈夫、冒険者二人を助けに来ただけ」
視線が地面の二人から、樺白の赤く腫れた手へ移り、眉がさらに寄った。
「また高出力の術を無断で使ったの?一人で無茶するなと何度言ったか」
樺白は照れくさそうに頭を掻き、再び二人に笑みを向けた。
「この子たち、助けたばかりの友達だよ、もう大丈夫」
峙菌の血の染まった服を見てしゃがみ、傷口と緋蜜を交互に眺め問うた。
「お二人の怪我の具合は?」
緋蜜は穏やかに頷いた。
「私は平気、少し驚いただけ」
峙菌は唇を噛み小さく答えた。
「俺も大丈夫です」
彼女は起き上がろうとする峙菌を手で支えた。
「座ってばかりいないで、近くの臨時医療ステーションへ行きましょう。きちんと傷の手当てをした方が安全だ」
栗樺白も袖を引っ張った。
「行こうお兄さん、先の安全圏診療所まで連れてってあげる、手当て優先だよ」
同行していた仲間も補足した。
「我々は任務のためキャンプへ戻るので、診療所まで送り届ける」
峙菌と緋蜜は顔を合わせ、心から感謝して頷いた。




