心底忌み嫌うあいつ!
栗樺白たちの後に従い診療所へ向かう道中、東山峙菌は緋蜜に手を貸してもらうのを意地で拒み、歯を食いしばって独りで足を運んだ。腰の傷は体を動かすたびに肉を引っ張るような刺す痛みが走るのに。
心中で自嘲する。この程度の痛みで歩けなくなるわけではない、人に支えられるのは情けなすぎる。傷に張り付いた布が擦れるたび鈍痛が腹全体に広がり、額に細やかな汗が滲むも、背筋を伸ばして強がり続けた。
愛知緋蜜は時折横目で彼の顔色をうかがい、手を差し伸べようとするも、彼の強がる様子を見て黙って傍らを付き従った。
しばらく歩くと、診療所の建物が視界に入ってきた。
栗樺白が目を凝らすと、遠くに隊長の姿と、その傍に小柄な男の子がついているのが見えた。子供は隊長の服の裾を掴み、丸い瞳で往来の人々をきょろきょろ眺めていた。
樺白はすぐ手を振り大きな声で呼んだ。
「隊長!ここだよ!」
隣のサリーシアは足を止め、手を振る方へ視線を向け、寄せていた眉を緩めた。栖橙時矢の方を見て口調が自然と柔らかくなり、その場で静かに待機する。
隊長は声に反応して振り返り、栗樺白とその隣の二人に目を留めると、手を繋いだままの男の子を連れてゆっくり近づいてきた。
近づくと子供は樺白を見て手を振りほどき駆け寄った。栗樺白は屈んで弟の頭を撫で、表情が和らいだ。
「小炳、悪さしてない?隊長に迷惑かけたりしてない?」
小炳は首を振り、彼女のローブの裾を掴んでぺちゃくちゃ話し始めた。
隊長は腕を組み、栗樺白を見て咎める口調で言った。
「栗樺白!無断で隊を離れて長時間どこへ行っていた?シアまで探し回らせるとは」
サリーシアが穏やかな声でフォローを入れた。
「私が捜索中に彼女と出会ったの。この二人が風鳴羊に包囲されていたため、樺白が救助に手を取られ、足止めになっただけです」
栗樺白は慌てて立ち上がり、胸を張って得意げに隣の二人を指した。
「そう!この二人だよ。さっき羊の大群に囲まれてあわや命落とすところ、私の機転で助け出し、ついでに診療所まで連れてきたの」
「わかった、もういい」
隊長の言葉が切れた瞬間、彼の視線が峙菌に定まり、二人の動きが同時に止まった。
さっきまで強がって立っていた峙菌の体が一瞬硬直し、腰の痛みすら突如湧き上がる恐怖にかき消された。冷や汗が後ろ首から伝い落ち、背中の服が汗で湿り、全身の毛が逆立った。
心中が混乱し苛立ちが膨らむ。
なんでここで鉢合わせるんだ?速報の剣士って、まさかこいつのことか?
生まれつきの嫌悪感が湧き上がり、見つめられるだけで胸が詰まって息苦しい。前世から顔を合わせれば避けてきた相手に真正面から観察され、体中が落ち着かない。
栖橙時矢も眉を寄せ、目の前の少年の輪郭と表情に奇妙な違和感を抱いた。
故郷のあの人にそっくりだが、あちらは女性、こちらは男の姿で断定できず、思いを抑えて血に染まったベージュのパーカーに目を落とした。
栗樺白へ話しかける。
「二人の名前は?どういう経緯でこんな傷を負った?」
樺白は小炳から手を離し胸を叩いた。
「東山峙菌と愛知緋蜜だ。野原で羊に囲まれているところを発見、私が羊を蹴散らして診療所へ誘導したの」
「東山峙菌」の四文字を聞いた瞬間、栖橙時矢の体がぴくりと止まった。あの女の子も確か同じ名前だったはず。
改めて真剣に顔を観察する。頬の三つの小さなホクロ、前髪が片目を隠す髪型、すべての特徴が一致した。
時矢は眉をひそめて問うた。
「東山峙菌、だな?少し横へ来て話を聞かせてくれ」
峙菌は渋々頷き、脇へ移った。心底の嫌悪から会話する気が起きず、うつむいて足元を見つめ、顔を上げて目を合わせようとしなかった。
栖橙時矢は少し距離を取り、距離感のある口調で質問した。
「故郷から来たのは確かか?どうやって異世界へ飛ばされた?それに元は女性なのに、なぜ男性の体になっている?」
峙菌は肩をすぼめたまま俯き、靴先を見つめ、押し寄せる嫌気を抑えて細い声で呟いた。
「……わからない。気づいたらこの世界にいただけだ」
できるだけ言葉を少なく済ませたかった。相手の異世界での活躍ぶりを問いたい気持ちもあるのだが。
栖橙時矢は返答の曖昧さにため息をつき、面倒そうに手を振った。
「まあいい、聞いても答えは出ないようだ」
振り向いて待機している樺白たちに声を上げた。
「樺白、任務が残っている、隊を率いて戻ろう」
サリーシアは穏やかな目で隊長の傍へ寄り待機する。
栗樺白は小炳を引き連れ、別れ際に二人へ呼びかけ
た。
「私たちは先に戻るね。早く診療所で手当てして、峙菌はゆっくり休んで!」
サリーシアもそっと頷いた。
愛知緋蜜は深くお辞儀し、感謝に満ちた眼差しを向けた。
「今日は本当に助けていただき、ありがとうございます」
峙菌はうつむいたまま黙り込み、一行の姿が遠ざかるにつれ、心の鬱屈が少し和らいだ。
遠ざかる背中を無意識に目で追うと、胸に酸っぱい劣等感と嫉妬が湧き上がった。
栖橙時矢はどこにいても目を奪われるほど輝いている。元の世界では成績優秀で周囲から慕われ、異世界に来ても実力に恵まれ、仲間から信頼され、常に人の中心に立つ主人公然とした存在。
なぜ?幸せも才能も光も、すべてがあいつ一人に集まるのか?
自分は唐突に異世界へ放り込まれ、傷だらけで逃げ回る平凡な存在、何の取り柄もない。濃い劣等感が心を締め付ける。
本来、主人公は俺のはずなのに……?
重く沈んだ気分に飲まれ、ひどく落ち込んでいると、柔らかな手がそっと腕に触れた。
愛知緋蜜が優しく囁いた。
「どうしたの?早く中へ入って薬を塗らないと、傷が化膿しちゃうわ」
柔らかな声が乱れた心に響き、嫉妬や落胆が大半癒えた。
俯いたまま隣の少女を眺め、胸中でつぶやく。
栖橙時矢は生まれながらの勝者、天に恵まれた天才だ。
だけど愛知緋蜜は、まるで天使が地上に降りたかのように優しい。
時矢の輝きが生まれ持った主人公の運命だとするなら、緋蜜との出会いは、この過酷な異世界に来た自分に与えられた唯一の幸せ、救いなのかもしれない。
胸中の複雑な思いを押し込め、緋蜜の澄んだ瞳を見上げ、照れて掠れた小声で呟いた。
「……愛知緋蜜、あなたは優しいね。行こう」




