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再び進め、緋蜜!

「緋蜜ちゃん、声、すごくいいな……」


東山峙菌がそう胸の内でつぶやいた瞬間、ずきんと頭が疼き、目眩に襲われた。何か硬いもので強く殴りつけられたかのような鋭い痛みが広がると、風鳴草原の血の臭い、喉を踏み潰された窒息感、崖際まで追い詰められた緋蜜の背中、霞のふわりとした笑い声が、壊れたコードのように一気に脳裏を駆け巡った。


過去の苦痛な記憶が鮮明に蘇り、峙菌は思わずこめかみを押さえ、体を小さく揺らした。眉をひそめ、しばらくぼんやりと意識が霞む。


話し終えた愛知緋蜜が、そばに佇む峙菌に気づき、柔らかく心配そうな瞳を向けた。


「目が覚めたの?具合は大丈夫?傷の痛みは残ってる?」


目の前の少女が無事な姿で立っている様子を見て、峙菌は呆然と立ち尽くした。絶望の淵にいた記憶の姿とあまりにもかけ離れ、喉が詰まって言葉を飲み込み、ただぽかんと佇んだ。


ぼうっと自分を見つめる峙菌を見て、緋蜜は少し間を置いて食堂の方を指し示した。


「ご飯を食べに行くつもりなのね?私も朝食を摂るところだから、一緒に行きましょう。すぐ近くよ」


そう言って二歩前へ進み、ゆったりとした歩調で彼が追いつくのを待つ。


自分が本当に惨劇の起こる前の時間へ巻き戻ったと悟った峙菌は、慌てて頷き、足早についていった。指先をぎゅっと握り、複雑な思いが胸に渦巻いた。


廊下の灯りで淡く輝く銀色の髪の背中を眺め、今まで見たどんな景色よりも彼女が眩しく映る。


今度こそ、過ちを繰り返さない。


傍らのメイド・香川恵は無表情に歩を速め、緋蜜に報告した。


「緋蜜様、食器の準備を済ませて参ります。お二人は後ほどいらっしゃってください」


「恵、ありがとう」


食堂に到着


掃き出し窓から陽光がテーブルに降り注いでいた。峙菌は緊張から身を縮め、食器に触れることさえためらった。


緋蜜が少し照れながら口を開いた。


「まだ名乗ってなかったわね。私は愛知緋蜜、あなたは?」


「東山峙菌です。命を救っていただき、心から感謝しています」


顔を上げた瞳には、感謝の気持ちと隠しきれない真剣さが宿っていた。


緋蜜は彼の風変わりな服装を眺めて問うた。


「この辺りの出身ではないみたいだけど、どこから来たの?」


「自分でもどうやってここへ来たのか分からなくて……」


一瞬ためらった後、勇気を振り絞って訊ねる。


「近所で仕事を探せますか?掃除や炊事なら何でもできます。住み込んで、恩返しがしたいです」


緋蜜は穏やかに頷いた。


「邸内に空き部屋があるし、雑用係も不足してる。住み込みで雇うわ、食事も部屋もこちらで面倒を見るから」


峙菌の目が一瞬輝いたものの、すぐに気持ちを抑えた。


「精一杯働きます!」


「まずご飯を食べなさい。お腹を空かせちゃだめよ」

麺を小口で啜りながら、視線は無意識のうちに対面の緋蜜へ向く。


穏やかな日常の中、箸をぎゅっと握り締める。今度こそ、彼女を危険に巻き込まない。


食事が半ば過ぎた頃、あの男が来る頃合いだと峙菌が思った瞬間、食堂の入り口に背筋の通った男の姿が現れた。


峙菌はちらりと目をやるだけで、初対面の時の戸惑いや好奇心は一切なく、黙ってうつむいたまま食事を続けた。


「あ、お兄ちゃん、おはよう!」


「おはよう、緋蜜。昨日はよく眠れた?」


妹の声を聞いて無表情だった顔が次第に和らぐローデル・キングス。


テーブルをなぞる視線が峙菌に落ちた途端、表情が冷え切った。緋蜜の隣に椅子を引き、ゆったりと朝食を摂りながら、品定めするような口調で話す。


「失礼する。ローデル・キングスだ。昨日緋蜜が連れ帰った人間か?このまま邸に居続けるつもりなのか?」


愛知緋蜜は慌てて言い返そうとするも、兄の一瞥で言葉を飲み込み、袖を握り締めてもどかしそうに佇んだ。


普通なら狼狽える場面だが、峙菌は箸を軽く握り、落ち着いた真剣な面持ちで顔を上げた。


「規則を守って過ごし、邸の雑用を精一杯務めます。緋蜜さんに迷惑はかけません」


緋蜜が慌てて弁護に回り、早口で訴えた。


「峙菌は悪い人じゃないわ!路地裏で重傷を負って倒れているのを見て可哀想で連れてきただけ。ちょうど人手が足りないのだから、残ってもらって大丈夫よ!」


妹の頑なな様子と、予期せぬ落ち着きを見せる少年を前に、ローデル・キングスは反論の言葉が出ず、黙認するしかなかった。


朝食が終わりローデル・キングスが立ち去ると、食堂の中は静けさに包まれた。


窓から差し込む陽光が穏やかに部屋を照らすものの、峙菌の胸には得体の知れない重圧が漂う。


食器を片付ける緋蜜の方へ顔を向け、柔らかい声で訊ねた。


「緋蜜さん、この辺りに冒険者ギルドはありますか?仕事を受けに行きたいのです」


「ギルドはあるけれど……」緋蜜は一瞬驚き、慌てて手を振って止めた。「危険な任務が多いわ。まだ体の傷が完治していないのだから、無理はしないで」


「難易度の低い安全な仕事だけを選びます」


峙菌は首を振り、強い決意を宿した。


「早く強くなりたいのです」


無事な彼女の姿を見つめ、声は細くとも揺るぎない信念が滲んでいた。



緋蜜は二秒ほど呆然とした後、目尻を緩め優しく笑った。


「なら私も付き添ってあげるわ」


冒険者ギルド

再び冒険者ギルドの前に立つ。人のざわめきや武器の擦れ合う音が押し寄せ、活気に満ちた喧騒が広がる。

峙菌は初心者のふりをして受付の女性とやり取りした後、緋蜜と共に任務リストを吟味した。


それから何気なく風鳴羊の依頼票を手に取り、緋蜜に話しかけた。


「これにしましょう。Cランクプラスだし、初心者向けだと思う」


緋蜜が用紙に目を通して頷いた。


「実は治癒薬を調合していて、羊角が材料として必要なの。この任務を受ければ、ついでに素材集めもできて一石二鳥ね」


「じゃあ即出発しよう!遅くなると夕飯に間に合わなくなっちゃう!」


風鳴草原


馴染みの草原へ辿り着く道中、峙菌は何度も自分を奮い立たせた。初めてのリスタートとはいえ、緊張と微かなわくわくが胸に宿る。


道すがら緋蜜が細やかに注意事項を教えてくれた。

「風鳴羊の角は普段柔らかいけれど、警戒すると石のように硬くなるわ。群れで子供を守る習性があるから、子羊が鳴けば草原中の仲間が集まってくる。だから音を立てず、草を食べている隙に角を取らないと」


峙菌は頷き、心が和む。一度聞いた言葉だが、再び耳にすると優しさが染み入る。愛知緋蜜は本当に優しい人だ。


草原に足を踏み入れると、手のひらに汗が滲んだ。深く息を吸い、過去の悲惨な光景を胸に押し込める。今度こそ、緋蜜を傷つけない。


半時ほど歩くと視界が開け、土手の下の洞窟が目に入った。数匹の羊が無防備に草を貪っていた。


「洞窟周辺だけで採取して、奥へは絶対に入らないで」


緋蜜の言葉に峙菌はそっと頷き、足音を殺して近づいた。草に夢中な子羊を狙い、前回と同じように手を伸ばして角を折ろうとした瞬間——


羊の群れが一斉に顔を上げ、瞳が険しくなり、角が瞬く間に硬く輝きだした。


「警戒した!下がれ!」


峙菌は慌てて緋蜜の手を引いて後退した。数匹の羊が猛然と突進してくるため、二人は身を躱す。何とか緋蜜を庇いながら後退するも、腰の脇を角で擦られ、鋭い痛みが全身に広がった。


「峙菌!」


緋蜜が慌てて呼び、駆け寄ろうとするも別の羊に行く手を塞がれ、ただじりじりと後退するしかない。


洞窟から次々と羊が溢れ出し、二人を包囲する。峙菌は歯を食いしばり、ずっと緋蜜を背中に庇いながら身を翻した。混乱の中、脛を羊の蹄で蹴られ、古傷に新たな痛みが重なり体がふらついた。


緋蜜も土手の際まで追い詰められ、脇腹に傷を負いながらも、ずっと彼の安否を気にかけて視線を向け、掌の光球が不安定に揺れる。


胸がぎゅっと締まる。歯を噛み締めて一歩も下がらず、二度と過ちを繰り返さないと自分に言い聞かせ、緋蜜の前を死守する。


羊の攻撃が波状に押し寄せ、腰と足の傷から血が服に滲む。痛みを堪え、全身の力を振り絞って襲撃を弾き返し、後ろの少女を守り続ける。


次々と傷が増える様子を見て緋蜜の目が赤くなり、光球を放って羊を遠ざけながら焦って説得する。


「無理をしないで!前回の傷も完治していないのだから、隙を見て逃げて!」


痛みがだんだんと限度を超え、視界が霞み耳鳴りが響く。力が抜け意識が薄れゆくも、体は本能的に緋蜜の盾となって前に立ち続ける。


その時、待ち望んだ眩しい光が視界に飛び込んだ。懐かしい人影が現れた瞬間、霞んだ意識がはっきりとし、歓喜が胸に湧き上がった。


彼女は掌に魔力を練り上げ、澄んだ光の術弾を生み出すと、強い風を伴い羊の大群へ叩きつけた。

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