冒険者ギルドへ赴く
食事の最中、食堂の入り口に凛とした立ち姿の男が現れた。
東山峙菌は一瞬きょとんとした。この屋敷にこんな男性がいるなんて知らなかった。
「おはよう、お兄ちゃん!」
「おはよう、緋蜜。昨日はよく眠れたか?」
妹の声を聞いた途端、無表情だった彼の顔が徐々に柔らかくなり、目元まで穏やかに緩んだ。
たった数秒の変化を見て、峙菌の頭には即座に《シスコン》のレッテルが貼られた。
(妹溺愛か……怖っ)
彼の視線がテーブルをなぞり、峙菌に落ちた瞬間、温度は一気に冷え切った。
昨日、メイドから「愛知緋蜜が大慌てで男を拾い帰り、懇切丁寧に看病している」と聞いていた彼は、眉をひそめた。
特に咎めることもなく椅子を引き、緋蜜の隣に座ってゆっくり朝食を摂り始めた。
だが、口を開いた瞬間、峙菌に向けて問いを投げかけた。
「失礼する。ローデル・キングスだ。君が昨日、緋蜜が連れ帰った男か。昨日の酷い怪我を見たが、今日もここに留まるつもりか?」
愛知緋蜜はびくりと驚き、慌てて止めようとしたが、兄の視線に軽く制され、袖を握りしめてもどかしく見守ることしかできなかった。
峙菌は箸を持つ手を一瞬止め、茫然と瞬いた。
相手の言葉に含まれる拒絶や牽制など一切読み取れず、ただ単純に滞在予定を聞かれていると思い、真面目に背筋を伸ばした。
「あの……しばらくここにいさせてほしいです。怪我も完全には治っていませんし、頼れる場所もないので……でも、無償で居候するつもりはありません!掃除、荷運び、料理、何でもします。食宿代は働いて返しますし、雑用係として給料をもらっても構いません。全力で頑張ります!」
ローデルの動きが止まり、峙菌を見上げた。
その瞳には明らかな品定めと、隠しきれない敵意が宿っていた。
彼の目から見れば、妹が必死に拾い帰り看病した男が「住み続ける」と言い出すのは、つまり緋蜜が気にかけている相手に他ならない。
心中の不快感を抑え、表面だけ世間話のような口調を装い、棘のある質問を重ねた。
「君は緋蜜と、どういう関係だ?」
峙菌は敵意にまったく気づかず、真剣に答えた。
「友達、ですかね。助けてもらった恩人で、すごく感謝しています」
曖昧でどこか適当な返答に、ローデルは眉を寄せた。
緋蜜の好きなものを皿に挟み、何気ない風を装って追及する。
「どのくらい滞在するつもりだ?」
探りの意図など読み取れない峙菌は、素直に返した。
「分かりません。状況次第です。怪我が治るか、落ち着ける場所が見つかったら、出ていきます」
ローデルは内心ため息をついた。
次の言葉を続けようとした時、愛知緋蜜がついに口を開いた。
「お兄ちゃん、もういいの!」
彼女はそっと兄の袖を引き、強く真剣な口調で言った。
「峙菌くんは悪い人じゃないの。路地でひどく殴られているのを見て、放っておけなかっただけなの」
緋蜜は柔らかい目で峙菌を見、再び兄に向き直り、懇願するように続けた。
「最初は仕事を探しに連れ出そうと思ったけど、まだ怪我が治りきっていないし、外は危ないの。屋敷も人手が足りないから、落ち着く場所が見つかるまで、ここにいさせてあげて。いい?」
ローデルの眉は緩まなかった。
だが、ストレートな妹の言葉に言い返せず、一瞬言葉を詰まらせた。
茫然と真面目な顔で座る峙菌と、心配そうな妹の瞳を見て、
《こいつ、ただ単純にバカみたいに純粋なだけか》
と警戒心が大幅に緩み、残るのはただの外来者への品定めと呆れだけになった。
兄妹の間の緊迫した駆け引きにまったく気づかない峙菌は、「仕事を手伝っていい」という言葉だけを拾い、瞳を輝かせた。
「大丈夫です、緋蜜さん!もうだいぶ治っています。今日からでも働けます!」
ローデルは無言でため息をついた。
何も理解していないのにやる気だけは溢れるこの男を見て、先ほどの牽制がまるで綿に拳を打つような空振りだったと思った。
長めの朝食が終わり、ローデルは自室へ戻った。
部屋に残された峙菌は、ふと思った。
(異世界なら、ギルドとか、剣士の依頼とか、戦いとか、絶対あるよね……すごく気になる!)
思い立って、愛知緋蜜に問いかけた。
「あの、愛知さん。この辺りに冒険者ギルドってありますか?依頼を受けてみたくて……色々知ってみたいです」
「うーん……あるわよ。近くにギルドがあって、依頼を受けてクリアすれば報酬の金貨がもらえるの。でも、あまりおすすめはしないの。難しい依頼も多いから、あなたが怪我のまま挑むのは……」
緋蜜は少し苦い表情で止めた。
だが峙菌は内心ワクワクしていた。
男性の体になった今、戦闘力がどう変わったか試してみたい。
それに、緋蜜ちゃんが自分の怪我を心配してくれてる……やっぱり天使だ!
結局、緋蜜は渋々、同行することを了承してくれた。
街を歩きながら、峙菌は異世界の景色を次々と眺め、心の中で感動していた
二人がギルドの木製の扉を押し開けると、一気に騒がしい人声と武器がぶつかる金属音が押し寄せた。
一面の木製掲示板には羊皮紙の依頼がびっしり張られ、空気には微かな硝煙と麦酒の香りが混ざって漂っていた。
峙菌は瞳を輝かせつつ、落ち着いた様子で掲示板の前に立ち、ゆっくり依頼内容を眺めた。
しばらくしてカウンターへ向かい、受付の女性に小声で尋ねた。
「すみません……依頼の受け方を教えてください」
受付の女性は愛知緋蜜を見た瞬間、すぐに立ち上がり丁寧に会釈した。
それから峙菌に視線を戻し、柔らかい口調で説明した。
「初めての冒険者さんですね。依頼を受けるには冒険者カードの登録が必要です。初心者ならDランクの依頼から始めるのが安全でおすすめですよ」
「分かりました、ありがとうございます」
峙菌は頷き、再び掲示板へ戻って一枚一枚丁寧に指でなぞりながら依頼を選んだ。
隣に立つ緋蜜は、時折小声で注意を添え、ずっと心配そうに見守っていた。
討伐や採取の簡単な依頼を眺めていた時、隅に貼られた一枚の速報記事が視界に入った。
——————————————————————
【驚愕!三人パーティ、一夜でA+級黒風狼の巣を殲滅!】
——————————————————————
峙菌は一瞬固まり、その紙をそっと剥がして見た。
文章の傍には簡単なスケッチが描かれており、一番前に立つ剣士の姿が目立っていた。
指先が一瞬止まる。
その横顔、髪型、そして微かに覗く眼鏡のフレーム——
間違いない、自分が最も嫌い、二度と会いたくなかった少年の姿だった。
心に驚きと混乱、そして得体の知れない苛立ちが湧き上がった。
「どうしたの、峙菌?」
異変に気づいた緋蜜がそっと寄り添って問いかけた。
峙菌は慌てて紙を元に戻し、震えを抑えて無理に笑った。
「何でもない……A+級の狼の巣を三人で制圧するなんて、すごいなって思っただけです」
緋蜜は柔らかく微笑んだ。
「A+級はとても難しいランクだから、相当実力のあるパーティなのよ。気にせず、簡単な依頼から始めましょう?」
「うん」
峙菌は頷いたが、視線はどうしてもその速報紙に引き寄せられた。
まさか……
あいつも、この世界に来たのか。




