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39. 森の神殿

 鉄道と辻馬車を乗り継いで森の近くでおろしてもらう。

 『森』と一言にいっても広大な山岳地帯で、起伏のある針葉樹の森は渓谷と湖をはらんで見渡すかぎりにひろがっていた。当然ながら、馬車で乗りつけられるような入り口近くからは『神殿』らしき建築物など影もみえない。ドイツにあるシュヴァルツヴァルトはグリム童話の舞台にもなったというけれど、白い石でもまきながら歩かなければとても元いたところへ帰ってこられそうになかった。


「気をつけろよ。あそこは迷ったら戻って来られないと評判だからな」


 名も知らぬ御者のことばはほんとうだった。

 いちばんきちんとした訓練を受けているはずのケヴィンが真っ先に道がみえないと言い出したことで、ケヴィンとクラウスは早々に引き返すことになった。鬱蒼と生いしげる梢が自然の天蓋をつくっていて、日差しはすきまからわずかにこぼれ落ちるだけ。昼間なのに薄暗い。


「わたくしも戻ったほうがよろしいでしょうか」


 あたりには霧が濃くたちこめていて、足もとにのびる道もはっきりとはみえなくなってきている。それでもまったくみえないわけではないのだが。


「どうだろうな。ここまで来てしまうと、戻るにもけっこうな距離だし」


 殿下が不安そうにふりかえる。ちなみに殿下にこの霧はみえないらしい。やっぱりわたしの血が水割りなのがよくないようだ。しかし、エルフィのほうはわたし以上に浮かない顔をしている。

 さっきまで青かった空が鈍色の雲におおわれる。


「まずいな。降ってくる」


 雷鳴がとどろいた。さすがにこれは殿下にもみえるのか……なんて、悠長なことを考えている場合ではなかった。


「この森って、王族にはほんとうに害はないのよね?」


 エルフィがたずねた。なにその嫌な聞き方。不安しかない……。


「いちおうそういう話にはなってるが」

「それじゃ、あなたはゼラの手を離さないで。わたしが出たら反対方向に走って」

「ちょっとエルフィ……」


 あたりは暗くなっていた。木立ちの向こうから唸り声がする。獣の……ちがう、わたしにはよくわからないけど、エルフィの反応をみればこれはきっと魔物の気配だ。下草のかげにうずくまって獲物に飛びかかる瞬間をいまかいまかと待っている。

 ぽつり。ほおに冷たいものがあたる。降りだした。


「おい、おまえひとりで行く気か?」

「その血が一滴も入ってないのはわたしだけだから。アレが来ちゃったのはわたしのせいだと思うもの」


 はじめふるえていた声が、話すうちにすこしずつ冴えていく。こんなところで主人公属性発揮しなくても。あなたヒロインなんだから殿下にくっついて逃げちゃえばいいものを。


「エルフィ、あのね……」

「だいじょうぶ。このなかでわたしがいちばん強いから」

「…………」


 やめてあげて。その攻撃は殿下に効く。

 対人スキルゼロのわたしでもわかる。それはヒロインのせりふじゃない。主人公のだ。


 話しているうちにも押し殺したような息づかいが聞こえてくる。雨はすっかり大粒になってえぐるように叩きつけていた。

 深い霧におおわれていた視界がいっそう白くけぶる。目を細める。木々の輪郭がぼやけていく。つながれたままの手に目を落とすけれど、肩よりもさきにあるはずの表情さえもあいまいでみえなくて。


 エルフィは両手をかざした。

 むかいあった左手と右手のあわいに小さな星がともる。


「行って。そのほうがわたしもやりやすいの、わかるでしょう?」


 そういう問題じゃないと思うんだけど。

 言い返すまえにつないでいた手を強く引かれた。

 無我夢中で足を動かす。目のまえは真っ白で道なんてまるでみえないのに、導かれるままに走れば足はたしかに踏みかためられた道を蹴っていた。たちはだかる岩肌をなんの抵抗もなく突きぬけた瞬間に確信する。

 実在しない障害物の幻影が、わたしにだけみえている。


 エルフィ、ごめん。

 この森に拒まれてるの、わたしのほうだと思う。


 でもよかった。だったらエルフィはちゃんと目的地にたどりつける。

 この人も。


「ごめんなさい」


 手を離す。


「フィーネ!」


 殿下はつんのめるように足を止めわたしの手をつかんだ。


「おひとりでしたらだいじょうぶだと思います。アレはわたしを追ってきてるみたいなので」

「だいじょうぶなわけないだろ」

「でも……」

「いいから走れ。しゃべってる時間がむだだ」


 殺気立った声に気圧されて思わず走り出していた。


 こんな声も出せるんだ……。


 冷たく、重くこころの底に突き刺さる。

 つかまれた手首が痛い。

 あいかわらず視界は真っ白なままだったけど、もう足を止めようとは思わなかった。


 靴底が土よりも硬いなにかを踏んだ。

 つまさきがひっかかる。転びかけたからだをひっぱりあげられて倒れこんだのは小さな洞窟のなかだった。どうやら入り口がいちだん高くなっていたらしい。殿下が荷物から取り出したマッチで蝋燭に火をともすと、わたしの視界もいっきにクリアになった。


「よかった。……みえるようになった」

「それはよかった」


 抑揚のない声でいって、殿下はずぶ濡れになったシャツを脱いで絞った。水は滝のように降りそそいだ。あらわになった肩から胸にかけて赤褐色の痕が走っている。わたしは黙って目をそらした。


「なにか?」

「いえ、なにも」

「いいから言え」

「……似てるなって思ったんです。そういう話し方していると」


 だれにとはいわなかったけど、それだけで伝わったらしい。

 荷物を確かめていた殿下はあらかた濡れてしまっているのをみて舌打ちした。かろうじて役に立ちそうな毛皮をわたしのほうに放ってよこす。


「おまえも脱いだほうがいいと思うぞ。そのままにしておくと体温が奪われる」

「でも、これ借りたらあなた困りますよね」

「べつに」


 わたしは立っているだけで足もとにできてしまった水たまりを見下ろして途方に暮れた。


「着替えを持ってきたほうがよかったでしょうか」

「持ってきても濡れたと思うぞ」


 言いながら、洞窟のおくから集めてきた枯れ枝を火にくべている。まじめに訓練を受けているということばにうそはなかったらしい。てっきり貴賓席に座って見学してただけかと思ってたんだけど。パンを串に差して火にかざす手付きはなかなか堂に入っていた。

 その横顔に表情がほとんどなかったから、わたしはあきらめてびしょぬれの服を脱いで毛皮にくるまった。きつく絞って火の近くに干しておけばなんとかなるだろう。


「なんか、まえにもこんなことありましたよね」

「あ、ああ……」


 淡々としていた顔にわずかに動揺がにじむ。


「あのときは、濡れたのはあなただけでしたけど」

「そっちか」

「殿下、そんな頻繁に水に落ちてるんですか?」

「そんなわけないだろ!」


 表情が戻ってくる。わたしは正直ほっとした。よかった。いつもの殿下だ。


「その傷……このまえのですか?」


 ロキが来て、シャンデリアが落ちて、アルトが……消えたときの。


「うん、まあ」

「ありがとうございます。かばってくださって」

「…………たいしたことできなかったけどな」


 焼けたパンを串からはずしてよこす。なんだかキャンプみたいだ。野営って案外たのしそう……とつぶやいたら、ふつうはこんなやわらかいパンは持ち歩かないからなと釘を刺された。いやそこはリアリティいらないから。MGSじゃないから。


「なあ、魔法で消えた人間って、どうなると思う?」


 思い出させてしまったらしい。触れたことを後悔しそうになる。でも、言わなかったら言わなかったできっと後悔する。


「あなたなら、どうなっていたらいいと思いますか」

「どうだろうな。ソールの伝説なら前世の記憶をもって生まれ変わるんだろうが……」

「が?」

「どうせ別人になるなら記憶なんかもたないほうがいいな。つまらないだろ。終わった前世にひきずられるの」

「…………」


 そうきたか。

 エルフィとは真逆だな。


「殿下は、アルトの記憶はおぼえていないほうがいいものだと思うのですか」

「そうはいってない。あくまでも自分の話だ。……あいつだったら、憶えておきたいんじゃないのか。おまえがいた記憶なわけだから」


 どういう意味だろう。

 わたしはすこし考えた。焚き火の焔が明々とゆれている。枯れ枝をもう一束放りこむと、ふたりぶんの影がながくのびて岩肌をなめるように踊った。


「わたし、なにも知りませんでした」

「そうだったな」

「まえに話したときは、なんでなにも知らないんだとかおっしゃってなかったですか」

「こういうのは黙っていてもかってにうわさがまわるものだからな。さすがにこんなことを大声で言ってまわる命知らずはいないだろうが、おまえの立場ならどこかで耳にしてるものだと」


 どうやらオリジナルとわたしの最大のちがい、対人スキルの有無が効力を発揮した成果らしい。

 パチパチと薪の爆ぜる音がする。いつのまにか手のなかのパンはなくなっていた。


「だから、あいつにはおまえがいてよかった」

「……え?」


 話が飛んだ。


「なにも知らないおまえがそばにいたことで、あいつは救われたはずだから。だからおまえはなにも知らなくてよかったんだ。あいつはたぶん憶えてるよ」


 と思ったらちゃんとつながっていた。どうやら慰めてくれているらしい。

 わたしはひざを抱えて顔を埋めた。雨音はまだ続いていた。冷えきった指先が白くなってふるえている。

 へんなの。焔はさっきよりもずっと大きくなっているはずなのに。寒くて寒くてたまらない。


「わたしに前世の記憶があるっていったら、殿下は信じますか?」

「それはどっちが正解なんだ?」

「はい?」

「いや、おまえとしてはおれがどう答えたほうがおもしろいのかと」

「……」


 わたしは自分のこれまでの言動をふりかえり、反省した。

 このふざけた回答は、一周まわってわたしのことを気遣ってくれた結果なのだろう。


「つまり、いまので正解なわけですね」

「すまない。話の流れがさっぱりわからなかったんだが」


 あなたがそれを言うんですか。


「いいんです。殿下はそのままがみていていちばんおもしろいので」

「ほめてないだろう」

「そうですね」


 わたしは自分から手をのばして殿下の手に重ねた。

 あたたかい。その感覚でようやく、自分の手がどれだけ冷たくなっていたか気づく。熱はしだいに混じりあって溶けるように染みこんできた。ぬくもりの差がなくなっていく。


 握りかえされたその手はもう、わたしのとおなじ温度をしていた。




 まどろむように眠りについて、つぎに目を開けたときには空は青く晴れていた。


 道はくっきりとみえているらしい。殿下はわたしの手を引いて危なげない足取りで歩いていく。

 しばらくして石造りの家がみえた。デザインは古めかしいが、軒先には束ねたハーブが吊るされ、庭もよく手入れされていてちゃんと人が住んでいることがわかる。

 そのよく手入れされた庭のテーブルで、エルフィは黒いローブをまとう男性とお茶を飲んでいた。どうやら雨はここには降らなかったらしい。クロスはパリッと糊が効いていて湿ったようすはどこにもない。ティーセットは上等の白磁でお茶請けはアイシングたっぷりのシュトレンだった。


「ゼラ! 無事だったのね」


 エルフィはしわくちゃになった服をみて眉を寄せた。


「だいじょうぶ?」

「ええ、まあ」


 わたしはローブの男性をみた。

 腰まで届く黒髪を首のうしろでゆったりとゆるく結いている。片眼鏡のおくには漆黒の瞳。ぶかぶかのローブといいあちこちにくっついている猫の毛といい、お世辞にも上品とは言い難い身なりをしているが、まっすぐのびた背筋とおだやかなまなざしには理屈でなく畏怖を感じさせるものがあった。魔法使いソール。一目でわかる。


「はじめまして。で、いいのかな」


 ソールさんはたずねた。落ち着いた声はどこか懐かしい響きがした。


「……はじめまして、じゃないんですか?」

「どうでしょう」


 ローブがくたびれたパーカーに変わる。その変化は一瞬で、詠唱どころかことばひとつなかった。わたしはパーカーのなかからのぞくTシャツの『働いたら負け』に脱力した。


「なんなんですか、それ……」

「あなたにはこういうのが親しみやすいかと思ったんですけどね。受けませんか」

「受けませんよ……」


 パーカーはまた一瞬でローブに戻った。


「どうぞ座ってください。お茶を淹れましょう。種類はそんなにないんですが、あなたには懐かしい銘柄を提供できると思います。ダージリンとアールグレイ、どちらがおこのみですか」

「……ありがとうございます。どちらでもけっこうです」


 わたしは完全に気勢を削がれてしまった。この人に会ったら言いたいことがいろいろとあったはずなのに。ひとつも思い出せない。

 それにしてもダージリンだのアールグレイだのどこから持ってきたんだろう。

 茶葉をすくう優雅な手付きに見惚れていると、彼の足もとから赤い目の黒猫が出てくる。


「みゃーう」

「どうしたの、ロキ。そんな猫みたいな鳴き方して」

「みゃーう」

「なんとか言いなさいよ」

「みゃーう」


 くすり、と小さく笑い声がした。


「しばらくしゃべれないし、本性にも戻れませんよ。それだけのことをしましたからね」


 わたしはハッとしてソールさんをみた。こぽこぽと音を立てて紅い液体がカップに流れ落ちていく。黒曜石の瞳からはなんの感情も読み取れない。


「あなたがしたんですか?」

「そう」


 わたしたちのまえにカップを置いたソールさんは、ひざに乗ってきた黒猫の背をなでながら続ける。


「でも、ロキが急いだのは私のためですから。あなたたちには私を非難する権利があります」


 アルトを消したことだ。より正確には、アルトという器を壊してその魔力をエルフィに移したこと。


「わたし、アルトを返してもらうために来たんです」


 エルフィのことばにわたしはあやうく紅茶を噴くところだった。


「そうですか」


 ソールさんはしずかにうなずいた。わたしは背筋を冷や汗が流れるのを感じた。この人はエルフィが生まれ変わるのを百年の単位で待ってたはずなんだけど……。


「残念ながら、彼の器はすでにありません」


 恬淡とした口調はなにものにも拘泥しない傍観者のそれだった。いっそやさしげですらあるまなざしから、彼が責任逃れをしようとしているわけではなく、ほんとうに自分には無関係な事柄とかんじているのがわかる。ロキをこうしたのだって、ただ、飼い主の義務を果たした程度の認識なのだろう。神が国ひとつ滅ぼしてなにも思わないように、この人は人ひとり消してしまってもそのことになにか思うわけではないらしい。

 同時に、エルフィの怒りにたいしても反応は薄い。


「死んだ人をよみがえらせるとここに幽閉されると聞きました。ということは、死んだ人をよみがえらせる方法もあるということですよね?」

「おすすめはしません。だいたい、あなたの魔力ではできないでしょう」


 彼がエルフィをみつめる目は、恋人というよりもなにかもっとか弱い生きものを見守る者のそれだった。


「だって、そんなのおかしいじゃないですか。アルトはなにもしていないのに。なんで消されなくちゃいけなかったんですか!」

「あなたがたの推測のとおりだと思いますよ」


 ソールさんはわたしのほうをみた。ほんとうにすべて知っているらしい。


「エルフィの魔法を強化するため……ですか。なんのために?」


 殿下がたずねた。


「もういちど逢うために、でしょうか。わたしはここを出られない。くりかえせばくりかえすほど、彼女の記憶は薄れていって、彼女の魔法は弱まっていった。そして、わたしにとっても。何度も何度もくりかえすうちに人としての感覚はなくなっていきました。いまとなってはどうしてくりかえそうと思ったのかすらあやふやで……だから、ここで終わりにしたかったんです。わたしを止められるのは彼女だけですから」


 ソールはおだやかにほほえんだ。


「これが最後のループです」











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