38. 森の神殿
地下牢は薄暗くじめじめと湿っていてかびくさかった。
それにしても、なぜ地下牢?
貴族が収監されるのってロンドン塔みたいな高いとこだと思ってたんだけど。
太陽がみえないので時間の経過がよくわからない。
食事はどうやら一日三回出されているらしく、餓死させるつもりはないようだ。
当然行われると思っていた訊問だったり拷問だったりがいっさいなかったため、かえってなにがどうなっているのかわからなくなっている。
なにしろ看守は窓から食べものを差し入れるだけで、憎まれ口ひとつきかないのである。
光もなく、音もなく。
時間だけはたっぷりあった。
真っ暗な闇のなかでわたしは考えた。死ぬというのはこういうことなのだろうか、と。
わたしには前世で死んだときの記憶がない。なにがどうして生まれ変わったのもさっぱりわからないけど。
アルトがいるところはこんななにもないような暗闇でなければいいと、ただ、それだけを祈る。
もっとも、ああいう消え方をしたたましいがそのかたちを残すものなのかすら、わたしにはわからないわけだけど。
だいたい三日くらい過ぎたかなと思ったあたりで、彼はやってきた。
「……だいじょうぶか」
明かりがなくても声でわかる。なんなら、口調だけでも。わたしにこんなえらそうな口をきくのは殿下くらいだ。
「いま開けるわ。ゼラ、ドアから離れていて」
続いて聞こえたのはエルフィの声だった。かなり怒っている。彼女がこんなにも冷たい声を出すのははじめて聞いた。
薄暗かった地下牢に小さな星がまたたいた。
魔法……たぶんだけど、うまくなってる。魔法のことはよくわからないけど、ロキを消したときよりも細かい調整がきいている気がした。
ドアの鍵を『消失』させて入ってきたエルフィは、わたしの足首につながれた鎖をみて眉を寄せた。
「……どうしよう。破壊防止の魔法印が捺してある。これ、失敗したらゼラの足ごと消えちゃうわ」
「え」
ちょっと待て。あなたドジっ子属性だったよね?
「わかった下がれおれがやる……エルフィ、頼むから落ち着いてくれ」
殿下は鎖に剣を突き立てた。対魔法に特化した鎖は物理攻撃は想定されていなかったらしく、あっけなく切れてしまった。
「とりあえず行きましょう。話は歩きながらしたらいいわ。このあたりにはだれもいないから」
囚人のいる牢のまわりにだれもいないとはこれいかに?
しかし、言われてみれば通路の明かりはほとんどなく、聞こえるのも風の音だけ。このエリアに人がいないのは事実らしい。ドアを出たところにケヴィンが控えていたが、力を抜いたかまえをみれば不審な気配がないのはたしかなようだった。
……て、この人たちが不審者なのか、この場合。
「あいつら、おまえが魔女だと思ってるらしいな」
「そうなの? だれもなにも言いにこないから、なにがどうなってるのかさっぱりわからなくて」
「消されたら困るからだろ。あいつらもどうしたらいいかわからないんだよ。なにしろ魔法が消えてずいぶん経ってる」
「それじゃ、この鎖は……」
「在庫ひっぱり出してきたんだろ。なくなったらもう作れない。それだけで骨董品として価値のあるシロモノだ」
それもそうか。作れるならエルフィが消したドアの鍵とかぜんぶそれにしてあるだろうし。
「殿下、そんな貴重なもの壊しちゃったんですか」
「おーまーえーはー……」
殿下は小声で怒鳴るという器用な特技を披露してくれた。
「じゃれあうのは後にして。来るわ」
見回りの兵士を詠唱ひとつで気絶させ、エルフィはほっと息をついた。
いやいやいや……。いつのまにそんな強くなったの? わたしが地下にいた三日間、いったいなにがあったんだ。
「……ねえ、ほんとうになにがあったの?」
「いまは逃げることに専念してください。説明はあとでしますから」
ケヴィンの先導で下水道を抜け、途中で荷馬車に乗り込んで到着したのはこじんまりとしたアパートメントの一室だった。王都のはずれにあるらしい。出迎えたクラウスは下水の臭いのするわたしたちをみて露骨に顔をしかめた。
「もっとましな経路を選べなかったんですか?」
「しかたないだろ。非常事態だ」
「非常事態だからですよ。犬を使われたら簡単に足跡をたどれます」
なるほど。こいつだけは敵にまわしたくないなぁ。
順番にお風呂に放りこまれ、出てきたときには食事の準備ができていた。三日ぶりにまともな食事にありついたわたしは、とりあえず空腹を満たすのに専念することにする。
「アルトゥール・シュヴァルツヘルツが消えました。ゼラさまには彼の殺害容疑がかかっています」
「消えた……」
驚かなかったのはそれがこれまでに何回も聞かされてきた話だったからだろう。
ロキはくりかえしいっていた。アルトが消える、と。もっとも、あれは本編からはずれたらという条件つきだったはずなのだが。
とにかく、超常現象に耐性ができていたのは不幸中の幸いだった。前世の記憶にしゃべる猫。空飛ぶベッドに真夏に凍る池。いまさら魔物くらいでは驚かない。
「目撃者が大勢いましたからね。一部始終を冷静に追っていけば、魔法を使ったのがゼラさまではなかったことくらいはわかったと思うのですが。みんなパニックになっていましたから」
そりゃそうだ。
「わたくし、これからどうなるのかしら」
「さあ。ひとまず、殿下との婚約は解消になりました」
「それはいいの」
「おい」
「殿下、あなたはすこし黙っていてください。混乱しますから」
「……」
これがアルトルートのトゥルーエンドなら、わたしは処刑されるけど実家に類は及ばない。なにしろ次の当主はアルトゥールだ。取り潰されたりなんかしたら彼まで巻き添えを食らうことになる。
でも、いくらこの世界でエルフィといちばん親しいのがアルトとはいえ、エルフィの非常識どころじゃない魔法をみるに、これは隠しルートだと考えたほうが妥当だろう。
どうしよう。隠しルートはプレイしてないしネタバレすら見ないようにしてたからここからどうなるのかさっぱりわからない。
「家はいまどうなってるのかしら」
「侯爵は蟄居です。監督責任を問われまして」
「ああ、わたくしの」
「おふたりのです」
「え?」
弟は居合わせて不幸な目に遭っただけじゃない?
聞き返すと、殿下は苦い表情になる。クラウスは抑揚のない声で続けた。
「侯爵にはアルトさまを監督する義務があったんですよ。彼は王子ですから」
「……Pardon?」
ごめんなにいってるかさっぱりわかんないんだけど。ばかでもわかるように説明してほしい。頼むから。
クラウスは殿下のほうをみた。殿下は目をそらした。
「殿下、もうしゃべってもいいですよ」
「言いづらいことだけ押しつけるなよ」
なんていうか、殿下、かわいそう……。扱いがひどい。いや、わたしが言うなって話なんだけど。でも、なんだろう、わたし以外のだれかが殿下をいじめるのはあんまり気分がよくない。
「しかたありませんね、私から説明します。彼の血縁上の父親は国王陛下で、侯爵ではありません。彼が王子であることは諸般の事情により伏せられていましたが、それを不服とした彼の母親が謀反をくわだてたため、母方の一族は処刑され、彼は侯爵に引き取られることになりました。まだこどもでしたし、いちおう貴重な駒ですから」
「おまえな、もうちょっとことばを選べよ」
「侯爵は厄介ごとを引き受けるかわりに長女を王太子妃候補にねじこむことに成功しました。ですから、侯爵には彼を監督するとともに保護する責任があったんです」
わたし、なにも聞いてないんだけど。
というかなんでそんな重要な設定がここでいきなり出てくるの? そういうのってアルトルートで出すものじゃないの? 隠しルートまでひっぱる意味がわからない。
「あの、謀反ってアルトのお母さまはいったいなにをやったんですか」
クラウスは殿下のほうをみた。殿下がやっぱり目をそらしたので素気なく告げる。
「そこにいるだれかさんの暗殺未遂ですよ」
だから死にかけたのか。
「でも、連座にならなかったってことは、アルトは直接は関わってないんですよね」
「証拠不十分だったんですよ。こどもに拷問するわけにもいきませんし、彼はああいうかんじでなにを考えているのかよくわからないですから」
「そんなことはないと思います」
「ゼラ、いまはそういう話してないから」
エルフィがパンのおかわりを取ってくれる。ひさしぶりのあたたかい食卓なのに、話題がこれってどうなのよ。
「とりあえず、はっきりしているのは彼の母親が殿下に死んでほしくて実際に手を下した、そこまでですね」
「それなのにおなじ学校に入れたんですか!?」
「更生ってそういうことでしょう。税金で生かされてるんだから国家の役に立つ人間になっていただかないと」
「…………」
「そうやって過剰に反応するのがよくないんですよ。怯懦をみせれば獣は攻撃してきます。ケヴィンひとり連れていれば脅威でもないのに、殿下が過剰反応で威嚇するからかえってややこしいことになるんです。……ということをご理解いただくのに、ずいぶんかかりましたが」
殿下は死んだ目でステーキを挽肉にしている。わたしは黙ってスプーンを取ってやった。それをフォークで食べるの無理だと思う。
「牢に放りこんでしまうのはかんたんですが損失です。上によると、けっこうな魔力もちだったそうですから。もっとも、本人を含めそれを活かせる者がいなかったのでたんに様子見になっていたわけですが」
クラウスはエルフィのほうをみた。エルフィは困ったようにことばを継いだ。
「かなりの魔力もちだったのはほんとだと思う。その……器としてのアルトは消えたけど、魔力のほうはそのとき共有していたわたしのほうに移ったの。まるごとぜんぶ。それで、わたし、いっきに強くなっちゃった」
きまずそうな顔をしている。無理もない。おひとよしのエルフィにその結果はたえがたい苦痛だろう。
そこでようやくわたしは思いいたった。王族は魔力が強い。だから魔法メインの隠しルートでその設定が出てきたんだ。
「ロキはなんであんなことしたんだろう。ずっとやさしかったのに……」
エルフィの目尻には透明なしずくがうかんでいた。清楚と慈愛を絵に描いたようなスチルにわたしは思わず見惚れてしまう。
「たぶん、エルフィを傷つける意図はなかったと思うの」
ロキはエルフィのことがすきだった。ロキの嘘にきづかなかったわたしがいっても説得力は皆無だけど。そして、サポートキャラは嘘つかないの前提が崩れたいま、もはや本編でロキがエルフィのことすきだった設定とかもまったく信用できないわけだけど。
「ロキが大魔法使いソールの使い魔なら、ソールといっしょに千年近く生きてきたわけでしょう。ほんのふた月まえに魔法の練習をはじめたばかりのエルフィにあっさり消せるわけがない。アルトとエルフィが魔力を共有してる状態でアルトを消せば魔力がエルフィのほうに移ることくらいわかってたはず。共有を切って術者をさきに攻撃するべきくらいのことは、ロキがいちばんよく知ってるはずなんだから」
「それはそうだろうけど」
「たぶんロキはエルフィの魔力を強化したかったの。エルフィ、あなたシュミットさんに手紙を書くことできる? 彼がソールなら直接聞いてみるのがいちばん確実なんじゃないかと思う」
わたしはヨアヒムさまの研究室でみせてもらった画集の話をした。
「書くことはできるけど……投函できるかはわからないわ。いつごろ届くかも。わたしたち、明日のいまごろにはおたずね者よ」
ですよねー。
「それに、シュミットさんからお返事が来たことって一度もないんだもの」
「彼はどうしてエルフィのまえに姿をみせないのかしら」
パッケージの背景に描かれていた黒いローブの影を思い出す。
「シュミット氏はエルフィの魔法を見込んで養女に迎え、王立学院に編入させて毎月定期報告を送るように伝えた。宛先は中央郵便局の私書箱で、レターセットも指定のもの……でしたね?」
クラウスが確認した。
「中央郵便局は王都にありますから、私書箱に手紙を取りにくることができるなら直接会いに来られるはずですよ。レターセットが指定のもので、しかもソールの紋章入りなら、そちらに魔法がかかっているのでしょう。たぶん投函した時点でポストを経由せず持ち主のところに届いている」
「……あなた、そんな知識まであるんですか?」
「魔法の使い方はさっぱりですが、魔導具の使い方なら。仕事で使う機会ありますし」
そりゃあ作ってしまえばだれにでも使えるのが魔導具のいいところだけど。ふつうにはまず出回ってないものなのに……。いったいどういう仕事してるんだ。
わたしは殿下が叩き切ってくれた足枷のことを思い出した。ぞっとしない。
「クラウスさま、魔術師の方と連絡を取る方法とかってなにかご存じありませんか。ひとまずだれでもいいんですけど」
「上に謀れば可能でしょうが、無理でしょうね」
なにしろわたしたちはおたずね者|(予定)である。
「あるいは森の神殿か……」
「森の神殿?」
「法に触れた魔術師が幽閉されているそうです。最後に使われたのが百年以上まえですから、真偽のほどはわかりませんが」
「法って、……それはつまり犯罪をおかした魔術師が閉じこめられている牢屋ってことですか?」
エルフィがたずねる。お皿にはステーキがまだ半分以上残っているけど、ナイフとフォークを繰る手はとっくに止まっていた。
「法といってもわれわれのものではありませんよ。いわゆる禁術というやつです。死んだ人をよみがえらせたとか、時間を巻き戻したとか、ふつうの人の常識では善いか悪いかすらさっぱりわからないような……」
「それだ」
わたしは手を打った。
「要するに、時間を巻き戻したら森の神殿に閉じこめられることになるんですね?」
ロキのことばを信じるなら、ロキはおなじ時間をかれこれ十回近くくりかえしている。
そして、時間を巻き戻したら森の神殿に閉じこめられる。
ロキが自由にそとを出歩いてる時点で矛盾しているようにも思うけど、そこにエルフィの養い親シュミット氏が姿をみせないこと、シュミット氏とソールが似ていること、ソールがロキの主人であることを加味すると、時間を巻き戻したせいで森の神殿から出られなくなったソールが使い魔にエルフィを託したという図式がみえてくる。
「そこです。行きましょう」
「は?」
「あなた、自分の立場わかってます?」
「わかってます。時間を置けば手配されます。早急に支度して明日の朝一番に出発しましょう」
わたしはこぶしをにぎりしめ、エルフィをふりかえった。
「エルフィ、あなたロキと話したいことがあるんじゃないの」
「……そうね。わたしは行きたい。ついて行くわ」
クラウスは肩をすくめた。
「行ってどうするんですか。あそこは王族しか入れないんですよ」
「わたくし、王太子殿下の婚約者ですもの」
「この五年間ではじめて自分からそれを口にしたな……」
「感動しているところに水を差してもうしわけありませんが、あれは血というか、血に宿る魔力で判定されるんですよ」
「王族の血は入ってます。水割りですけど」
「エルフィはどうするつもりなんだ」
「判定基準が魔力なら、ふつうに入れると思います。アルトの分があるから。無理なら強行突破します」
目が据わっている。
止めるのは不可能だと思ったのだろう。だれもそれ以上は追及しなかった。
夜明けまえ、あたりがまだ暗いうちにわたしたちは出発した。




