34. 千年の孤独
夏休み、わたしはエルフィを王都の邸宅に招待した。
帰省中の弟と親交を深めてもらおうと画策したのだが、なぜか彼女は弟よりもわたしのほうに話しかけてくることのほうが多い。
まあ、ふつうの感覚をしていたら女の子どうしのほうが話しやすいよね。一般的に乙女ゲームのヒロインってかなりの強メンタルだと思う。
午前中に宿題をしてエルフィといっしょに庭のハーブをつんでポプリの作り方を教えてもらって、午後はショッピングの予定だった。たいていのものは頼めばうちに持ってきてもらえるけど、せっかく女の子の友達ができたわけだからいちどやってみたかったのだ。
「そういえば、あなたの猫はげんき? うちの食事がお口にあってればいいんだけど」
なにしろあの猫は食べものにうるさいのだ。
四月に打ち合わせしてあったとおり、エルフィのバスケットに入ってうちにやってきてから一週間、ロキはわたしと顔をあわせても話しかけてこないのはもちろん「にゃー」と猫のふりをして鳴いてみせることすらない。
「ありがとう。おかげさまで食事はとてもきにいってるみたい。とくに鴨のローストがおきにいりで……」
いいかけて、エルフィははっと口をつぐんだ。
どうやら彼女もねだられるまま人間の食べものを与えているらしい。まあ、ロキはほんものの猫じゃないから病気になることはないだろうけど。タマネギもニンニクもへいきで口にするうえ、チョコレートだのスコッチだのがほしいと言い出すことまである。
いいのかな。あの子、人型のときの見た目、完全にショタなんだけど。魔物だからかまわないのか……。
繁華街の手前で馬車を降り、すこし歩いてからエルフィはポストのまえで封筒を取り出した。
「立派なお手紙ね」
紋章入りの封筒に赤い蝋で封をしてある。ごていねいに印璽まで押されたそれに、エルフィは苦笑した。
「シュミットさんへの定期報告よ」
ぽとん、と軽い音がして手紙がポストのなかに落ちる。
「宛先は中央郵便局の私書箱。徹底してると思わない?」
「そうね」
エルフィは小さくためいきをついて空を見上げた。
「シュミットさんはどうしてご自分の素性をかくしておきたいのかしら」
「うーん、謎ね」
「見ず知らずの女の子をあんなお金のかかる全寮制の学校に入れてくれるんだから、お金持ちなのはまちがいないと思うんだけど。連絡はすべて秘書の方を通していて、シュミットさんご本人のことはさっぱりわからないのよね」
少し考えて、わたしはたずねた。
「ねえ、エルフィ。さっきの封筒、余分はまだ持っている?」
「ええ、あるわよ」
エルフィは鞄から紋章入りのレターセットを取り出した。
この模様……どこかでみたことがあるようなきがする。
「予定変更。これを持ってフェラー先生のところに行きましょう。あのかた、こういうのに詳しいはずだから」
非常勤講師は夏休みのあいだ仕事がないため、ヨアヒムさまは大学の研究室に戻っているらしい。わたしはこのことをたまたま休みまえに図書館で会ったときに聞いていた。
約束もなく訪ねてきたわたしたちをヨアヒムさまはこころよく出迎えてくれた。
「これはめずらしい。ソールの紋章だね」
「ソール。……大魔法使いソールですか?」
「そう。オペラ『千年の孤独』のモデルにもなった大魔法使いソールだ。おとぎ話の住人みたいにいわれているけどね。実在した魔法使いだよ」
研究室は壁の二面がすべて本棚になっていて、分厚い装丁の専門書が天井までぎっしりと詰めこまれていた。デスクのうえにも来客用のソファのはしにもこれでもかとばかり本が積みあげられていて、整理ができているんだかできていないんだかわからないありさまだったが、ヨアヒムさまはなにがどこにあるかすべて把握しているらしい。迷わずに重ねてある木箱の山を崩して、なかから一冊の本を取り出してみせてくれた。
「読んだことは?」
「わたくしは、何年かまえに」
知らないというエルフィのために、ヨアヒムさまは小さな子に読み聞かせるようにやさしい声で語りはじめた。
「むかしむかし、あるところに、偉大な魔法使いがいました。
あんまり偉大だったので、年を取ることもなければ、死ぬこともありませんでした。
そんな偉大な魔法使いはひとりの女の子と出会い、やがて成長した彼女と恋仲になります。
しかし、彼女はふつうの人間だったので、やがて年老いて亡くなるときが来てしまいます。
そこで彼女はいいました。
『泣かないで。わたしは生まれかわって、またあなたに会いに来る。なんども、なんどでも、あなたのところに会いに来るわ』」
有名な恋物語だ。
開け放たれた窓から吹きこんださわやかな風がカーテンをゆらす。
窓のそとにはポプラの木があって、みずみずしい緑のすきまからこぼれおちる木漏れ日がきらきらと魔法みたいに踊っていた。
古紙とインクのにおいに包まれた研究室は、まるでそこだけ時間が止まっているようだ。ここならばいにしえの不思議に、魔術に、手が届く。そう錯覚させるかのようで。
「だけど、世界から魔法が失われていくにつれて、彼女は生まれかわりをくりかえしても魔法使いのことを思い出せなくなっていく。これは失われゆく魔法の物語なんだよ」
オペラでは、前世の記憶なんかなくても、なんどでもまたあたらしく恋におちたらいいんだよ、と愛がすべてを解決するハッピーエンドで終わる。
あいにくと、現実の世界はそこまでやさしくはできていない。
この世界から魔法が失われてひさしい。という言い方は語弊があるけど、ほとんど失われたといって過言ではない。みえないところで魔法を使って動いているものはいろいろあるそうだけど、だれにも仕組みがわからないし、いちど動かなくなるとほとんどの場合もとには戻せないと聞く。
「鉄道が敷かれ、ガス燈がともるようになって魔法は消えていった。あれは鉄とガスを嫌うからね」
わたしは窓のそとに目をやった。大学の構外はポプラのこずえに遮られてみえないけれど、この部屋のそとではちゃんと時間が流れている。
魔法は消えていく。止めようもない時間の流れにおしながされて。
「それに……くりかえすと、魔法は消える」
「くりかえすと、消える……?」
「そう」
ヨアヒムさまは棚から本を取り出しながら説明してくれた。
「魔法は環になっているものだから。使ったあとはもとあった場所に還さないといけない。ひとつの世界に存在する魔力ってのは本来なら一定であるものなんだ。使いつづけたら消費するだけで回復しなくなってしまう。その結果が現在だね」
化石燃料みたいな話だな。
ヨアヒムさまは脚立をひきずってきて天井近くから一冊の本を取り出し、百科事典みたいに分厚いそれをパラパラめくってひとつの図を示した。右肩下がりに減っていく魔力量のグラフ。これがこの世界に存在する魔力の総量の変化だという。
いま、世界に魔法使いは数人しかいない。魔法使いだと公言していない人を入れても、大した数にはならないだろう。
「……養女になるとき、シュミットさんの秘書だという方が説明してくださいました。シュミットさんはわたしの魔法を見込んでいらっしゃるのだ、と。せいぜい蝋燭に火がつけられる程度なんですけど」
それ、じゅうぶんすごいことだからね。
エルフィの魔法ってそこまで強力だったっけ? せいぜいロキの声が聞こえる程度だと思ってたんだけど。
わたしは驚いたが、ヨアヒムさまはあっさり「そうなんだ」で流した。
「いちどなくなった魔力はもう回復させることはできないんですか?」
「そうでもないらしいよ。わっかだからね。残ってるぶんを環になるようにつなげてあげたらいい。車輪が回転することでエネルギーが貯まっていく。つまり、くりかえしだね」
「え?」
「魔法を使うのをくりかえしたら魔力がなくなる。だから、その逆にまわせばいい。魔力を貯める方向にまわすんだ」
なんかすごいことをサラっといってるきがするんだけど。魔法ってそんなかんたんに回復できるものなの?
わたしの疑問が顔に書いてあったんだろう。ヨアヒムさまは苦笑してあっさりといった。
「まあ、それができる人がいないから魔法はなくなったわけだけど」
やっぱりそういうオチがつくわけね。
しかし、落胆するわたしをよそに、ヨアヒムさまはエルフィのほうをみてなにか確信をつかんだかおでほほえむ。
「きみは逆にまわせる人なんだね」
「わかるんですか?」
「いや、さっぱり」
そんなあっさりと。……ちょっと信じそうになっちゃったじゃないですか。
「でも、ソールの紋章を使うのは魔法使いだ。数少なくなった魔法使いが、見ず知らずの子にわざわざ支援するとしたら、たぶんそうなんだろうなと思って」
「逆にまわす……」
「そう。正しい方向にまわせば、魔力は貯まる。それができる人のことを先祖返りというんだ」
ヨアヒムさまは開かれたままのページに目を落とした。
「僕にはシュミットさんがどうしてきみを養女にしたいと思ったのかわからない。だけど、きっと、彼はこの世界に同胞が残されていたことに感謝したかったんだろうね。失われていく世界に取り残される淋しさ……ソールのことばでいう『千年の孤独』は計り知れないものだから」
「あのっ……魔法の勉強をしたいと思ったら、どうしたらいいんですか?」
わたしがたずねると、ヨアヒムさまは驚いたかおになった。
「きみも魔法を使えるの?」
「いえ、わたくしは……。でも、わたくしが勉強しておけば、いつかエルフィの役に立てるんじゃないかと思うんです」
本編でエルフィの魔法はせいぜいロキの声が聞こえる程度だった。
『エルフリーデ』は通常ルートにかんしては恋愛シミュレーションがメインでファンタジー要素はそこまで多くなかったのだ。
ヒロインが大富豪の養女になる理由は魔法だし、その設定は隠しルートでようやく活かされるという話だったけど、わたしはそこにたどりつくまえに挫折しているし。
…………そうだ。隠しルートだ。
どうして忘れていたんだろう。自分がプレイしてないせいで忘れかけてたけど、隠しルートは魔法編なんだから、エルフィの魔法が強化されてるってことはこの世界は隠しルートかもしれないんだ。だったらなおのこと魔法の勉強をしないわけにはいかない。
「うーん……知識だけなら僕も趣味でいろいろ調べてみたりはしてるんだけどね。でも、あれはやっぱり自分でやってみないことには意味がないんだろうな。説明を読んでてもいまいちイメージがつかめないんだ」
いいながら、ヨアヒムさまはてきとうな本を何冊か見繕ってくれた。
「持ち出しは禁止だからここで読んで行ってね。必要だったら夏季休暇のあいだはいつ来てもかまわないから。教授はフィールドワークに出かけててとうぶん僕ひとりだから、気兼ねなく来てくれてかまわないよ」
「ありがとうございます」
わたしが『初級』と書かれたテキストらしき一冊を手に取ると、エルフィも横からのぞきこんできた。
「ねえエルフィ、なにかおぼえてみたい魔法ってある?」
「うーん……空を飛ぶ方法? 定番よね。おとぎ話なんかだと、魔法使いってだいたい空を飛んでるもの。いきなり飛ぶのは怖いから、とりあえずものを宙に浮かべる魔法あたりからやってみたいわ」
夢があるなあ。さっすがヒロイン。わたしはアルトに剣で勝てるようになりたいとか、追放されても困らないような特技がほしいとか、現実の延長でなんとかなりそうなことしか思いつかないよ。
「ものを宙に浮かべる魔法、ものを宙に浮かべる魔法……」
「それならこっちだね。中級のなかでもけっこう上級寄りになるけど」
ヨアヒムさまがべつのテキストを出してくれた。ほんとうに知識だけならぜんぶ頭に入っているらしい。
エルフィはうれしそうにお礼をいって該当部分を読みはじめた。
「最初は対象を手に取ってその質感をたしかめることからはじめましょう。質量を確認し……ふうん。やっぱり手を触れずに浮かせるのは上級編なのね。軽いものからはじめて練習するのがいいって書いてある。このあたりは感覚的になっとくできるんだけど」
だんだんと難しくなっていくのだろう。眉間にしわを寄せてテキストとにらめっこするエルフィはすっかり夢中になっていた。
「ねえ、ゼラ。なにか浮かせてもいいようなもの持ってない?」
「金貨でよかったら」
「もっと軽いものがいいんだけど……あ、そうだ。いやね。わたしハンカチ持ってたじゃない」
ポケットから白いハンカチを取り出し、広げててのひらにのせる。
「呪文が必要になるの?」
この本に書いてある呪文をぜんぶおぼえようと思ったらかなりの分量だ。それだけで学校に通う必要がありそう。
「上級になればなくてもできるみたいだけど、とりあえず呪文ありからはじめるのがいいって」
エルフィはくちびるだけでなにか唱えた。
ハンカチのはしっこが風もないのにゆれる。成功と呼ぶにはあまりにも軽微な変化だが、いきなり効果があらわれたことにわたしは驚愕した。こんなにかんたんでいいんだろうか。かえって不安になる。
何回かくりかえし、一時間も経つころにはエルフィはハンカチを一分間宙に浮かせることに成功していた。
……魔法って、こんな容易く使えるようになるものなんですかね。
主人公補正やばい。
怖い……。
「うーん、なかなかうまくいかない。やっぱり重たいものは難しいのね」
バッグを浮かせようと苦心しながらエルフィはつぶやいた。
練習開始三時間でここまでできたら、じゅうぶんすぎるくらいだと思うんですけど……。
ヨアヒムさまもわたしとおなじことを思っていたらしい。
「あんまり根を詰めるのはよくないよ。今日はそろそろ帰って休んで、また明日練習してみたら?」
「それはそうなんですけど。……なんだろう、もうちょっとやればできるようなきがして。あと少しだと思うんです」
うそ……。あなたのチートはいったいどうなってるんですか。
ヨアヒムさまはすこし考えてからいった。
「それじゃ、ゼラさんの魔力も借りてみたら? 自分で使うことはできなくても、高位貴族はだいたい魔力を持っているものらしいから。王族がいちばんいいらしいんだけど。きみ、たしか王族の血も入ってたよね」
「ええ、まあ」
安い呑み屋の水割りレベルですけどね。
「魔力を借りる……ですか?」
「そう。初心者向けだと、ほら、こうやって手をつないでやるんだって」
ヨアヒムさまはテキストの別のページを開いてみせた。
エルフィは素直にわたしの手を取り、反対側の手でもう一度バッグに触れた。
つないだ手からなにかあたたかいものが流れ出していく。
吸い取られる……。
かるくめまいがしてふらつきかけたところでヨアヒムさまが驚嘆の声をあげた。
みればエルフィのハンドバッグはふわふわと宙に浮いたうえ、なめらかな動きで部屋のなかを周回していた。
「すごい。こんなことができるなんて」
エルフィは無邪気によろこんでいるが、吸い取られるほうとしてはけっこうな恐怖である。
上機嫌のエルフィに手を引かれて研究室を出るときには、わたしはすっかり疲労困憊していた。




