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33. 千年の孤独

「フィーネのようすがおかしい」

「そうですか?」


 エルフィは表面上礼儀正しく、しかしよくみると微妙に迷惑そうに返した。

 休憩時間、おれはエルフィのノートを書き写していた。宿題はもちろん自分でやってきたのだが、悔しいことにこちらの解答のほうができがいい。


 あいつの頭のなかはいったいどうなってるんだ……。


 このところ、フィーネは毎日のようにエルフィに勉強を教えている。そしておれはフィーネが加筆修正したエルフィのノートをせっせと書き写し、こうやって敵情視察に励んでいるわけである。


「わたしの目にはいつもどおりに見えますけど。いっとき落ちこんでいたようですが、最近はふつうに話しますし」

「それがまずおかしいんだ」


 エルフィは首をかしげた。


「あいつはふつうに話したりなんかしない。なにをいっても嫌みで返してくるやつだ」

「まあ、殿下がそういうのなら、殿下にたいしてはそうなんでしょうね」

「……」


 こいつ……ひとがよさそうな顔をしておいて。やっぱりあいつの友達だな。直球なぶんフィーネのほうがまだ潔い。


「ところで、ひとつお願いしたいことがあるんですが」

「なんだ」

「このノートはお貸ししますから、書き写すのはご自分の席でやってください」

「いやだ」

「……理由を訊いても?」

「いま、ちょっとした実験をしているところなんだ」


 エルフィはあからさまに迷惑そうなかおをした。

 背筋がぞわりとしたが、おれはひるまずに続けた。


「あいつ、おれがエルフィといると不機嫌になると思わないか?」

「それは……婚約者として当然のことなのでは」

「まさか。あいつがおれの婚約者をやってるのは家庭の事情だ」

「家庭の事情……」


 平民出身のエルフィの常識に政略結婚はないらしい。


「だから、こういう反応はめずらしい。嫉妬してるなら脈があるはずだ」

「それ、わたしの絡まないところでやってもらえませんか」

「ちょっとは協力してくれよ。友達だろ」


 エルフィはすこし考えてから口を開いた。


「殿下って、とてもしあわせに生きていらしたんですね」


 グサッ。


 …………いまのは聞かなかったことにしよう。そうしよう。


「まあ、でも、おれはエルフィが来てくれてよかったよ」

「えぇ?」

「あいつはみてのとおりの鉄面皮だし、なにかと誤解されやすいやつだからな。ロキ以外にもちゃんと友達ができたみたいでよかったと思って」

「ロキ……?」


 エルフィは首をかしげた。


「そっか。エルフィは知らないか。あいつの猫だよ。黒猫で、瞳の色が赤いんだ」

「……このあたりでは、赤い目の猫ってよくいるんですか?」

「まさか。おれはロキくらいしか知らないな」

「その猫、人間のことばをしゃべったりとか……」

「はあ?」


 これは笑うところなんだろうか。冗談はわかりやすくいってほしいんだが。

 ノートに影がおちる。顔を上げるとフィーネが立っていた。あいかわらずの無表情だが、まなざしの冷たさから微妙に不機嫌なのがみてとれる。


 まずい。……聞こえてたか?


 おれはみなかったことにしてエルフィに話しかけた。


「そうだ、エルフィ。今日の放課後はなにか予定があるか?」

「アルトさまにお借りした本を返しに行こうかと」

「だったらちょうどいいな。あいつと剣の稽古をすることになってるんだが、終わったらいつもなにか食べに行くから、いっしょにどうかと思ったんだ」


 おれはフィーネのほうをみた。反応はない。


「フィーネもどうだ?」


 すこし間があった。フィーネはエルフィをみて答えた。


「エルフィがいいのなら」

「もちろん」


 即答だった。こいつ、絶対にフィーネのこと好きだろ……。


「それじゃ、放課後に」


 仕切りなおすつもりで強調したが、ふたりともすでにおれのことはみていなかった。




 放課後、ふたりはちゃんとやってきた。


 忘れているかとも思ったが、さすがに今日の今日だからおぼえていたらしい。しかし、ちょうどおれがアルトから一本取ったところだったのに、リアクションはなにもなかった。ふたりでなにやらたのしそうに話しこんでいる。


「……観るなら向こうのベンチのほうがいいよ。そこは逆光になるから」


 アルトが声をかけるとエルフィは素直に「ありがとう」と従った。

 フィーネはわずかに驚いたかおになった。おれも内心かなり驚いた。アルトがこんなふうに女の子を気遣うのはめずらしい。

 しかし、あとでちょっとつついてやろうというささやかなたのしみは、フィーネの次の一言で吹き飛んだ。


「ねえ、わたくしも参加してはいけないかしら」


 ふたりとも制服で膝丈のプリーツスカート。靴下のエルフィとちがってフィーネは黒タイツだが、どこからどうみても鍛錬に適しているとは言いがたい。……とかいう以前に。


「お、お、おまえは女なんだぞ!?」


 フィーネは目をしばたいた。


「ご存じ……なかったのですか」


 おれはいつものようにつっこんだ。


「知らんわけがあるかぁぁぁー!」


 はぁはぁと肩で息をするおれをよそに、フィーネはのんびりと靴紐を結びなおしている。スカートのすそがめくれて太腿のラインがあらわになっているが、気にするそぶりはかけらもない。


「おまえな、そういう誘い受けはいいかげんに……」


 そこまで口にしてからハッと手で口を覆う。とぼけた言動に一言もの申したかったのだが、この状況はよろしくない。いろいろと。


「どうかなさったのですか」

「な、なんでもない」

「なんでもないことはないでしょう。目が泳いでますよ」

「う、うるさい」


 フィーネは視線を追いかけてエルフィのすがたをみとめた。


「ああ、なるほど。よくわかりました」

「絶っっっ対にわかってないと思うぞ……」

「え? 要約すると殿下が最低だってことですよね」

「…………お、お、おおおまえなんか、おまえなんか……」


 いつものように「だいっきらいだー!」と叫んでやろうとしたが、どうしても出てこない。フィーネは淡々と続きを促した。


「おまえなんか?」


 おれはうつむいて涙目になった。


「もうそれくらいにして差し上げてください」


 アルトがためいき混じりに引き取った。


「クラウス、悪いけど姉上に貸してもらってもいい?」

「はい」


 用意のいい従者が自分の得物をフィーネにうやうやしく差し出す。


「よろしければこちらをお使いください。手に合わないようでしたら代わりをお持ちしますが」

「いいえ、ありがとう」


 フィーネはアルトをみてうなずいた。

 ふたりは向かい合って剣をかまえた。


――――瞬殺だった。


 合図の直後、ほんの数秒のうちにアルトはフィーネの手から練習用の剣を弾き飛ばしていた。

 数年前ならいざ知らず、十八歳にもなれば男女の腕力の差は歴然としている。膂力にものをいわせたやり方はともすればおとなげなく映るだろうが、フィーネの反応はあっさりとしたものだった。空になった右手を二、三回開いて閉じてをくりかえした後、重々しくうなずく。


「ありがとう。とても参考になったわ」


 なんのだよ。そのリアクションはおかしいだろ。

 しかしアルトもエルフィもつっこまない。いやいやいやいや。おかしい……よな?


「満足されたならなによりです。それでは、今日はここまでということで。どこかでお茶でも……」

「ちょっと待て」


 アルトは露骨にうっとうしげな顔をした。


「おまえ、いま、わざとおれのほうをみなかっただろう」

「だから?」

「あのなぁ……」

「やめといたほうがいいと思うよ。女の子に勝っても自慢できないし、負けたらどういう目をみるかは一回経験してるんだからわかるだろ」

「わたくしはかまいません。エルフィ、申し訳ないけれどもうすこしだけ待っていてくれる?」


 そこで声をかけるのがそっちなんだな。

 フィーネは拾った剣を握りなおすと、くちびるにうっすらと笑みを刷いた。にっこりとはほど遠い黒い笑みだったが。

 そこで怯んだのがよくなかったのだ。

 たぶん、この時点ですでに勝負はついていた。

 膂力で劣る相手を速攻で打ち負かすのはおとなげない……なんて判断は誤りだった。

 こっちが手加減しているとみるや、フィーネは体格差をものともせずに跳びこんできた。濃紺のスカートがひるがえってなかがみえそうになる。黒いタイツに包まれた太腿のラインは思ったよりも肉感的な曲線を描いていて、予想外のなまなましさが網膜に灼きついた。


「おまえ……ちょっとは気にしろよ!」

「なにをですか」


 息こそ上がっているが、あいかわらず感情に乏しい声だ。


「いや、だから……」


 どう言えと?


 キーン、と高い音がして剣と剣がぶつかりあう。間近に対峙して頭一つ分はある身長差を意識してしまうと、もうそれ以上強くは出られなかった。

 フィーネが三歩下がってかまえた。

 来る。

 彼女が大きく跳躍したところで、おれはとっさに目をそらした。見たらまずい。いろいろと。というか、さっきのだってじゅうぶんまずかった。これ以上はやばいだろ。

 体勢を取りなおして白旗を上げるまえに、首筋に金属の冷たさを感じた。


「……わかった。おれの負けだ」

「あら、よろしいのですか。わたくしは三回勝負でもかまいませんけれど」

「かんべんしてくれ」


 フィーネはこんどこそ満面の笑みを浮かべた。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 空になった右手をにぎって、ひらいて。


 それを幾度かくりかえし、感触を確かめる。痺れはない。でも、弾かれたときの衝撃はしっかりとおぼえている。


 アルトゥールは強くなった。

 いまの弟ならわたしを倒すくらいかんたんにできる。

 物語は本編をなぞるように進んでいる……それも、わたしが記憶しているよりもずっと速く。


 見上げると空は夏の色をしている。

 エルフィはアルトゥールと愛称で呼びあい、いまにも個別ルートに突入しそうなふんいきだ。もっとも、本人にそのつもりはないみたいだけど。


「……だいじょうぶですか」

「え?」

「手。さっきから気にしているようなので。まだ痺れているんですか」


 まえを歩いていたはずのアルトゥールがいつのまにかわたしのとなりに並んでいた。以前よりもふんいきがやわらかくて、こころなしか距離も近い気がする。こんなふうに自然に話すなんて何年ぶりだろう。


「だいじょうぶ、気にしないで。それより……いいの?」

「なにがですか」

「なにがって……」


 わたしは殿下と話しているエルフィを目で示した。どうしよう。ものすごく訊いてみたいけど、わたしが首をつっこんでいいものか。


「エルフィがどうかしましたか」

「……殿下とふたりきりで話してるみたいだけど。いいの?」

「ああ。……なにか誤解があるようですが」


 アルトゥールは苦笑した。


「友達ですよ。たぶん、そういうかんじのことがお聞きになりたかったのでしょう?」

「え……」

「どうかしたんですか」


 友達……。

 友達……ですか。

 パーティにふたりで来ておいて、友達。

 え。まじで?


 アルトってヒロインの恋人になるか他人かの二択だった気がするんだけど。そういえば、いちおうは家族だから悪役令嬢についてヒロインの敵になるパターンもあった。あれは思い出したくもない、ジークルートのバッドエンドで皆殺しの地獄絵図……。


 でも、友達になるようなルートって存在したっけ?


 これまでさんざん本編からはずれてきたわけだから、このくらいのコースアウトはまたかってかんじもある。だけどなにかがひっかかるというか。だいじなことを見落としているような。


 思い出せなくて迷路にはまりこむわたしをよそに、アルトゥールはさっぱりした表情で空を見上げた。

 今日はよく晴れている。

 彼の瞳とおなじ、明るく冴えた青色だ。


「なんだろうな。彼女はおもしろいですよ。物事の見方がふつうとはちがっていて、とても興味深い。……姉上のことも」

「わたくしのこと?」


 話はいきなり飛んだ。自然なようでいて自然ではない流れ。だから、きっと弟はこれが言いたくて機会をうかがっていたのだろう。


「エルフィと話していて、俺は姉上の弟でよかったと思ったんです」

「なにがどうしたらそんなことになるのよ」


 わたし、悪役令嬢なんだけど。

 わたしの役割はふたりをいじめていじめていじめたおし、ふたりがわたしにいじめられる者どうし共感しあうように持っていくことだ。エルフィが天使なのはデフォとして、アルトゥールがわたしの弟でよかったとか思う必要はどこにもない。いや、まあ、もちろん悪い気はしないんだけど。


 ……ちょっとまえは、あんなに淋しかったはずなのに。


 いつのまにか、あの淋しさはどこかへ消えてしまっていた。雨があがったからだろうか。ふしぎなくらいすっきりした気分。


「さあ。どうしてですかね」


 弟がほほえんだ。

 その言い方で、これはどうしたって聞き出せないだろうなとわかった。

 そうだ。なんだかんだ、わたしとこの子は長い付き合いなのだ。わたしが悪役令嬢でも、いじわるな姉でも、そこだけは変わることはない。

 だって、わたしはこの子をずっとみてきたんだもの。前世から。


 アルトゥールは左手を空にかざし、いちどにぎってひらいてみてから、わたしの右手に重ねた。

 それはこどものころですらほとんどなかった行動で、だからこそわたしは、この子に姉として認められたのだとたしかに信じられた。











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