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31. レイニーブルー

 頭が重い。


 何重にもかけられた毛布のしたからなんとか起き上がると、ぐるぐる巻きにされていたタオルがはずれてぐちゃぐちゃにもつれた髪が落ちてくる。


 ああ、また髪の毛を乾かさないで寝ちゃったんだな。結衣にちゃんとドライヤーかけないとダメだよって怒られる……。


 薬品のにおいのするリネンに眉をよせ、顔をあげるとそこは見覚えのない部屋だった。


 え。なにここ。


 あせって見回すとわたしが寝ていたベッドにつっぷして白金色の髪の男の人が眠っている。


 なにこの人。外国人……?


 あわてて彼の肩に手をかけると、小さくうめき声をあげて寝返りをうった。

 二次元みたいなビジュアルには見覚えがあって、ようやくわたしの意識は覚醒した。二次元みたいってなんだ。いや、実際以前のわたしにとっては二次元だったわけだけど。いまのわたしにはこれが現実、正真正銘三次元なわけで……。


 そうだ。結衣はもういないんだ。


 そしてわたしはこの世界で数少ない友達に置いてきぼりにされたところで……。


 どしゃぶりの雨のなか、ふりかえった黒猫のひとみが青かったのはおぼえている。

 そうだ。あれはロキじゃなかった。

 ロキはわたしのところには来てくれなかった。雨の日はいつも教えてくれたのに。

 ……いいんだけど。打ち合わせどおりなんだけど。べつにロキがいなくたって……だいじょうぶじゃないけど、だいじょうぶにならないといけない。


 だってわたしは悪役令嬢なわけだし。


 そこまで思い出して、ようやくおおよその状況を理解する。


 どうやら殿下はどしゃぶりの雨のなか倒れていたわたしをみつけてここまで運んできてくれたらしい。わたしはベッドサイドの壁にハンガーでつるされた制服をみつけ、胸ポケットに小さな柘榴石のついたネクタイピンをみつけてためいきをついた。この人はなんだかんだ義理堅い。

 それにしても、殿下はどうしてあんなところにいたんだろう。


 からまった髪を指でとかしながらぼんやり考えていると、殿下が目をさました。


「おはようございます」

「……起きてたのか」

「はい、ついさきほど。こちらまで運んでくださったようで、ありがとうございます」

「いやちがっ……」

「? 殿下ではなかったですか」


 なんとなくおぼろげにだけど、目を閉じる直前、白金色の髪をみたきがしていた。この色はめずらしいから、知り合いには弟と殿下くらいしかいない。国王陛下とか殿下の姉上とかも王家の人はだいたいこの色だけど、さすがにちがうだろうし。


「ケ、ケヴィンだ。みつけたのはおれだがここまで運んできたのはケヴィンだからな。おれはいっさい手を触れてないぞ」

「はあ」


 それって殿下が運んできたっていうのとどうちがうんだろう。

 まあ、義理堅い殿下としては部下の手柄をよこどりする上司みたいなことはしたくないんだろうな。使用人の手柄は主人の手柄と思ってる貴族がすくなくないなか、この人が慕われてるのはこういうところなんだろう。


「の、のどが渇かないか?」

「ええと、水でよろしければ以前来たときにコップの位置を教えていただいたような。お茶のほうがよろしければ食堂まで行ってもらってまいりますが」

「どうしてそうなるんだ」

「え、のどが渇いたんですよね」

「おれが淹れてやろうかといってるんだ。左の棚のなかのものはてきとうに使っていいといってたし」


 え、うそ、お茶なんか淹れられるの?


 うさんくさそうなかおのわたしをみて殿下は不満げにいった。


「王宮の侍従ほどじゃないにしろ、野営で困らないていどの訓練は受けている」

「野営で出てくるようなお茶って眠気覚ましの薬草茶とかじゃないですか」


 苦ければ苦いほどいいというシロモノだ。


「なぜおまえが知っている」

「教養です」


 殿下の顔にはおまえのほうがよっぽどうさんくさいだろと書いてあった。


「まあいい。とにかくおまえは座っていろ。病みあがりなんだからな。きゅうに立ち上がるんじゃないぞ」


 殿下は戸棚をあけてなかを物色しはじめた。


「なんだ、思ってたよりいいものが……って、消費期限が一年も過ぎてるじゃないか。どうなってるんだ」

「お茶っぱなんてそうそう腐りませんよ。風味は多少落ちるでしょうけど、カビがはえてるとかならともかく、消費期限過ぎたくらいでおおげさな」

「……おまえ、侯爵令嬢だったよな」


 いけない。忘れるところだった。

 というか、ふつうの侯爵令嬢は台所の管理なんてしないから消費期限の存在じたい知らないと思う。銘柄だの淹れ方だのは教養として知っておく必要があるけど、いついつにこれを出してほしいから用意しておいてねとだけいっておけば出てくるものなのだ。


 野営ができるということばにうそはないらしく、殿下はそれなりにこなれたようすでお茶の準備をしてくれた。平民に偏見もないし、必要とあればこうやって雑用みたいなことまでしてくれるし。


 やっぱり、なんだかんだいい人なのだ。


 わたしがじゃましたりしなければ、殿下はエルフィとしあわせになれるのかもしれない。


「ほら、できたぞ。ミルクはなかったけど、砂糖はてきとうに入れてくれ」

「ありがとうございます」


 こころにスプーン一杯の罪悪感がうまれ、さらさらとおちて溶けていく。




 しばらくして先生が戻ってきた。


 どうやらわたしはまる二日眠りつづけていて、いまはもう金曜日の放課後らしい。

 おなかがすいたなと思っているとパンがゆとスープを出してくれて、どうせ週末だから今夜も泊まっていくようにいわれた。

 わたしは部屋にひとりだから、倒れるとだれにもみつけてもらえない可能性があるらしい。なにかあったらベルを鳴らすようにいって、先生はおくの部屋に消えた。

 それでまたロキがいなくなったことを思い出した。まあ、ロキの声はほかの人には聞こえないし、いてもそこまで変わらないんだけど。


 わたしの口数がすくなくなったのをみて、殿下は寮に戻って本を何冊か持ってきてくれた。


「この本は姉上がくれたんだ。女心を勉強しろと押しつけられたんだが……さっぱり理解できなかった」


 わたしはべったべたの恋愛小説をパラパラめくった。

 それは孤児院で育った平民の少女が富豪の養女となり、寄宿学校に入学して王子さまと出会うという、どこか既視感のある内容だった。ヒロインのライバルとして登場する悪役令嬢なんてまんま本編ゼラフィーネである。


 マルガレーテ殿下、こんなの読むんだ……。

 失礼ながら、あの女傑がこのかわいらしいヒロインに感情移入してるところが思い描けないんですけど。


「たぶんちがうと思うぞ。流行は把握しておいたほうが社交に役立つといってたから」

「……」


 わたしは本を置いて殿下をみた。


「殿下はこれを読んでどう思われましたか」

「どうとは?」

「設定に見覚えがあったりとか」

「そういえば、この侯爵令嬢はおまえとおなじ銀髪だな。おまえも彼女くらいおれに敬意をはらってくれたらいいんだが……」


 ポイントはそこなのか。


「たしかに彼女は婚約者には敬意をはらってますけど。ヒロインにたいしてはたいがいでは」

「そうか? このくらい独占欲をだしてくれるほうがかわいげがあって……いや、なんでもない。いまのは忘れてくれ」

「ふつうの人はヒロインに共感して彼女のことをいやな女だと認識すると思うんですが」

「このヒロインに共感だと? 無理じゃないのか。おれだったらいつも笑顔でにこにこしてる女とか恐ろしくて近づけないぞ」


 どんな経験をしてきたんだよ。


「そこは素直に受けとればよろしいのでは。主人公の一人称で語られているわけですし」

「『終わりなき夜に生まれつく』を読んだことがないのか。あれのトリックは『アクロイド殺し』とおなじだぞ」


 推理小説と恋愛小説をいっしょにするなよ。

 ちなみに『アクロイド殺し』は言わずと知れた叙述トリックの金字塔。主人公の手記という体裁で書かれているが、語り手は意図的に自分にとって不利な事実を語らない。これを恋愛小説として成立させた不朽の名作が『終わりなき夜に生まれつく』である。主人公はヒロインとの出会いから結婚、死別まで、彼女をいかに愛しているかくりかえしくりかえし書きつづるが、財産目当てに近づいて殺したのは実は主人公だったというオチが待っている。


「ほんとうに嫌なことって、自分でも意識しないように封印するものだからな」

「あなたは少女小説になにを求めてるんですか」


 ここまでの会話でよくわかった。

 この人、やっぱり恋愛方面が壊滅してる。

 おかしいな。外面がよくなってからはそれなりにもててるはずだし、本編の殿下はもうちょっとスマートだったはずなのに。もしかしてあれは相手がエルフィだったから? 女の子慣れしてるようにみせかけてじつはさっぱりだった殿下がヒロインのために一所懸命がんばった結果があれってこと?


 …………。


 なんか、かわいそうになってきた。

 エルフィに弟とくっついてもらいたいのはやまやまなんだけど、でも、殿下のことももうちょっとだけ応援してあげてもいいかもしれない。


「あのですね、殿下」

「なんだ?」


 わたしはすこし間をとって、真剣にいった。


「もうしわけございません。わたくしがいけませんでした」

「…………。すまん。話がまったくみえないんだが」

「わたくし、殿下のことを少しないがしろにしていました」

「少しじゃないだろ。いや、まあ、わかればいいんだ。うん。おまえがわかってくれるなら……」


 わたしの左手に殿下の右手が重なる。

 ふせていた視線をあげると、深紅のまなざしがまっすぐにみつめていた。

 ああ、そっかこの色、ロキとおなじ色なんだ。これまできづかなかったけど、どうりで安心する……。


 バタンと、ドアが開く音がした。


「「失礼します」」


 声がふたつ重なった。どちらも聞きおぼえがある。弟とエルフィだ。


「ゼラさま、目がさめられたんですね。よかった……!」


 エルフィはうれしそうにいって鞄から紙束を取り出した。となりで弟が不機嫌そうにだまっている。来るつもりなんてなかったのにエルフィにひっぱられて仕方なくってところかな、これは。


「これ、今日のぶんのノートの写しです。さしでがましいかとも思いましたけど、いちおう……」

「ありがとうございます。……ふたり、なかよくなったのね」

「え? あっ、これはちがうんです。ちょっとそこでいっしょになって」


 パタパタとせわしなく手をふるエルフィのよこで弟はますます不機嫌なかおになる。冷ややかな青の瞳が殿下をにらみつけると、形勢をみてとった殿下はさっさと荷物をまとめはじめた。


「あのね、アルトゥール。ごめんなさい。ロキがいなくなってしまったの。もう戻ってこないと思うわ」


 弟は虚をつかれたかおでわたしをみた。


「そう……ですか。わかりました」

「ほんとうにごめんなさい」

「姉上があやまることではないと思いますが」

「でも、あなたが拾ってきたのに」


 つかのまよぎったたよりなげな表情は、ロキを拾ったときの彼を思い出させた。

 弟はわずかにほほえんだ。


「それでも、ロキが姉上を選んだんですよ」


 帰ります、と告げた声はいつもの素気ないもので、だけどわたしはほっとした。


「あー、それじゃおれもそろそろ帰ろうかな。フィーネ、その本はおまえにやるから、いらなかったら図書館の寄贈箱にでも入れといてくれ」

「ありがとうございます」


 この人、わたしがこういうのは読まないことわかってて押し付けたな。


「ほら、アルト。帰るぞ」


 殿下が弟の肩を抱いて出ていってしまうと、わたしとエルフィのふたりだけが残された。










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