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26. チェリーブロッサム

 講堂に着いてなかをのぞくと人影はまばらだった。


 弟は席に着いてひとり文庫本を読んでいる。窓から差す光がやわらかな髪を明るく照らしていて、フェルメールの地理学者みたい。エルフリーデの姿はない。


 ……あれ? ケヴィンはちゃんと道を教えてあげたんだよね。

 彼に限って嘘を教えるようなことはないはずだけど。

 一度外に出てあたりを見回すと、彼女は講堂のわきにあるベンチで本のページをめくっていた。


 そうそう。ふたりとも読書家でおなじ作家さんの作品を読んでたことからなかよくなるんだよね。

 ふだん口数の少ないアルトゥールが同好の士のまえではめずらしく饒舌になっちゃったりなんかして。

 小説のシーンの再現とかいってエルフリーデのために夜の屋上で月明かりのしたヴァイオリン弾いてあげちゃったりするのだ。


 ねぇねぇ、こんなとこにいちゃダメだよ。

 早くなかに入ってアルトゥールのとなりでその本を開くんだ。

 さあ、早く!


 興奮するわたしの背中で声がした。


「なにをしてるんだ」


 げっ、殿下!


 ふりかえったわたしはとっさに殿下の視界からエルフリーデを隠そうとした。


「フィーネ、おまえ今日はずいぶんと朝が早いな。なにかあるのか」

「特になにも」

「特になにも」


 殿下は復唱した。この反応はあまり信じてないな……。


「殿下こそ、今日はずいぶんと早くいらしたんですね。なにかあったのですか」

「走ってたらおまえが寮から出てくるのがみえたからな。なにかあるのかと」

「…………」


 そうだった。この人はこうみえて毎朝鍛錬を欠かさない努力の人だった。


「わたくしなんかにかまわず走ってらしてください。もう少し集中なさったほうがよろしいかと」

「……ちょっと疲れたんだ」


 殿下の表情が微妙に翳った。

 うわぁ。

 嫌な予感がする。

 この顔の殿下はふだんの三割り増しくらいでめんどくさいのだ。かなうものなら関わりあいになりたくない。


「それはおつらいですね。たまにはお休みになられてもよろしいのでは」

「おまえな……いまめんどくさいと思っただろ」


 よくおわかりで。


「ところで、おまえがさっきから気にしているのは彼女か?」


 殿下はひょいと背伸びしてわたしの頭ごしにエルフリーデに目を止めた。


「見慣れない顔だな」

「……よくおわかりになられましたね」

「赤のラインは同学年だろう。わからないほうがどうかしてるぞ」


 悪かったですね、コミュ障で。


「あ、ちょっと」


 止めるまもなく殿下はエルフリーデのまえに出ていってしまった。


「おはよう。なにを読んでるの?」


 エルフリーデが顔をあげた。


「おはようございます」


 いきなり声をかけてきた男子生徒にとまどいつつも、溌剌とした受け答えで本の表紙を返してみせる。


「ああ、やっぱり。どこかでみたことがあると思った。この作家は知ってるよ。おれの友達が好きなんだ」

「ご存じなんですか」


 彼女の声がいっきに明るくなった。応えるように殿下がほほえむ。背景にまた花が飛んだ。

 わたしは冷めた目になった。


「おれはジークフリート。ジークでいい。三年生だ。きみは?」

「エルフリーデです。友達はみんなエルフィと呼びます。わたしも三年生に編入してきたんです」


 よろしくお願いしますね、と微笑んだエルフィは差し出された手を素直に取った。恐縮するわけでも歓喜するわけでもない。フラットな反応だ。

 殿下も人が善いのか悪いのか。そこで省略せずに名乗って敬称をつけるよう教えておけば、彼女に向けられるいじめの三割くらいは減るでしょうに。


「新刊が出てたんだね。知らなかった」

「つい最近ですよ」


 それから殿下は既刊の感想をすらすらと述べた。どうやら知ってるということばは出まかせの口説き文句でなく事実だったらしい。友達がというフレーズで予想はしてたけど。

 エルフィはすっかりうちとけたようすでたのしそうに話している。


 これは……よくない流れなきがする。


 しかたない。

 こほん、とひとつ咳払いしてわたしは出ていった。


「ごきげんよう」


 エルフィがわたしをみた。


「おはようございます」

「なんだ、結局来るのか」


 あなたは黙っててください。


「ジークさまのお友達ですか?」

「親戚です」

「ちがうだろ!」


 殿下がつっこんだけどわたしは無視した。

 ちがわないし。なにもまちがってないし。訂正するのならむしろ。


「殿下です」


 エルフィは首をかしげた。


「その方のことは殿下とお呼びするようにしてください。不敬にあたりますから」

「おい、フィーネ」

「いけません。この方のためになりませんから。すくなくとも、ほかにだれかいるときはその名前を呼んではなりません」

「わかりました。気をつけます」


 エルフィは空気の読める子だった。これだけのやりとりで目のまえの男子生徒の素性を正確に理解したのだろう。表情がわずかに強ばっている。


「あなたは……ええと」

「ゼラフィーネ、三年生です。ゼラとお呼びくださいませ」

「ゼラさまですね。はじめまして、わたしはエルフリーデです。エルフィと呼んでください」


 殿下はあからさまに不機嫌になった。


「べつにかまわないのに。アルトもそう呼ぶ」

「同性と異性とでは意味が異なります」


 殿下はなにかいいかけたが、結局は黙ってしまった。


 これがわたしとエルフィとのファーストコンタクトだった。




 始業式のあとにクラスわけが発表され、わたしはエルフィ、殿下とおなじクラスだった。


 殿下とおなじクラスということは自動的にクラウス、ケヴィンともおなじクラスということだ。

 アルトゥールだけべつのクラス。ちなみにどちらのクラスも古代文学の受け持ちはヨアヒムさまだ。

 ストーリーは本編とほとんどおなじように進行していた。


 それにしてもあらためて考えると胃が痛くなるようなメンバーだ。担任が気の毒でならない。

 ストーリー展開の都合上ヒロインとメインヒーローがおなじクラスっていうのは理解できるんだけど、わたしがそこにいる必要ある?

 いらなくない?

 弟といっしょがいいんだけど。


「兄弟姉妹は基本的におなじクラスにはならないようになってるんじゃなかったですか」


 休憩時間にちょっぴりぐちるとクラウスはまじめに返してくれた。


「そういえば兄弟でおなじクラスという方を聞きませんね」

「兄弟でおなじ学年というのがそもそもあまりないですからね」


 そうだった。弟のことが好きすぎてうっかり忘れそうになるが、わたしとアルトゥールは母親ちがいの半年ちがいで同学年というなかなかにセンシティブな関係なのだった。


「まあ、私たちが毎年殿下とおなじクラスなのとおなじでたんにそういう仕組みですから、あまり深く気にされないほうがいいかと」


 最後にこれが出てくるあたりがクラウスだ。

 たぶん殿下ならわたしが気にしてることにきづきすらしないと思う。


 どうでもいいような雑談だけど、わたしは地味に感動していた。友達のいないわたしは休憩時間におしゃべりすることなんてほとんどなかったので。

 経緯をふりかえると微妙な気持ちになるが、クラウスがわたしにとって人間ではただひとりの友達と呼べる存在であることはまちがいない。


「気になりますか」


 さらりとたずねられ、一瞬なんの話をされているのかわからなかった。

 困惑するわたしをみてクラウスのくちびるが三日月のかたちをえがく。


「殿下……ではないですね。エルフリーデ・ヴァイス?」


 わたしはゆっくりとまたたきした。


 ほんとうに、この人は勘がいい。なにもかも見透かされている気分になる。こういうときはへたにごまかさないほうがいいと学んでいた。


 教室の反対側では本日編入してきたばかりの異邦人、ふわふわとゆるく波うつキャラメル色の髪の美少女が学園の王子さまとなごやかに談笑している。殿下の素性を知ってしまったエルフィはじゃっかん遠慮がちだが、基本的にひとなつこい性質なのだろう、ふつうにたのしそうだし、ときおりささやかな笑い声をあげてすらいる。

 クラスの女の子たちは表面上にこやかに見守っていた。


 この静寂、かえって怖いんだけど……。


「さきほどから何度かみていらっしゃるようだったので。編入生は、やはり気になりますか」

「すこし。わたくしに話しかけてきたのって、あなた以外ではエルフィがはじめてだったもの」

「それは、まあ」


 否定できないらしい。と思ったら。


「ゼラさまに話しかけることができるといえば、殿下もそうでしょう?」


 教室でそんな話題ふらないでよ。クラスの半分は女子なんだよ。


「訂正します。わたくしが会話をたのしめたのが、あなた以外ではエルフィくらいしかいなかったと言いたかったのです」

「それはそれは。光栄ですね」


 クラウスはにっこりした。わたしもにっこりで返した。

 おかしいな。なんだか今日は肌寒い。


「まあ、お気持ちは理解できますよ。高等部三年生から編入なんて、そうそうあることではありませんから」


 だったら先にそういってよ。


「なにかご存じなのですか」


 身辺調査はこの人の仕事だったはず。クラスわけが発表されるまえから情報をつかんで調査を開始していてもおかしくない。


「特になにも」


 今朝わたしが使ったばかりの台詞を唱えてクラウスは読めない笑みでささやいた。


「ですから、調査に協力していただけるなら歓迎しますよ」


 わたしはきっぱりとお断りした。











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