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23. 夢のあとに

 夏休み最後の週末。


 早めに寮に戻っていたわたしは、例によって殿下に呼び出され、カフェテリアでケーキセットをつついていた。コミュ障のわたしはあれからすぐに宿題を口実に弟と殿下を別荘に残して王都に戻ってきていたから、殿下と顔をあわせるのは数週間ぶりになる。

 オレンジピールをあしらったチョコレートケーキはこてこてにあまいようでいてどこかほろ苦い。一口食べてからなにか考えていたらしい殿下は、わたしがほとんど食べ終わるころになってようやく口を開いた。


「その……礼を言う」

「それは礼を言うという宣言であって礼ではありません」


 あいかわらず失礼な御仁だ。


「悪かったな。ありがとう」

「どういたしまして」


 別荘に招待したことか、湖の言い伝えの二つ目を引き取ってあげたことか、パーティで盾になってあげたことか、あるいはそれらすべてか。殿下はどれとは言わなかったし、わたしも訊かなかった。倍にして返してくれさえすればそれでいいわけだし。

 殿下は空色の小箱を取り出してテーブルの上に置いた。


「借りを返そうと思う。これをもらってくれないか」

「……なんですか?」


 わたしは慎重にたずねた。うかつなものを受け取るとかえって面倒なことになる。


「ブルーダイヤモンド。アルトがおまえは青が好きだと言っていたから……」


 わたしはめまいがした。


「殿下、さすがにそこまで高価なものは受け取れません」

「十一で返せといったのはおまえだろう」


 だからって……。


「やっぱり、殿下からモノをいただくのはやめておきます」

「はあ? おまえ、おれにねだるならモノに限るとか言ってなかったか」

「その話は忘れてください。十一もひとまず保留にしますから」

「保留なのか……」

「わかりました。なしにします。とりあえずなにか思いついたらわたくしのほうから殿下にお願いしますから、これは殿下がお持ちになってください」

「めんどくさいやつだな」


 あなたにだけは言われたくありません……。


「しかたない。それでは手形を渡すから取っておけ」


 億劫そうにいって、殿下はタイピンをはずして寄越した。小粒とはいえ柘榴石がはめこまれ、殿下の紋章が刻まれた逸品だ。最初にこれを出されていたら固辞しただろうけど、さすがに二回連続で突き返すのもどうかと思ったので渋々受け取った。


「……ありがとうございます」

「いや。刻印を頼んでなくてよかった。それにしても長い名前だな。……フィーネ・シュヴァルツヘルツ」


 あなたにだけは言われたくないです。これでも短縮形だし。


「シュヴァルツヘルツでかまいません」

「たいして短くなってないだろ」

「そうでしょうか」

「おまえ、ほかのやつらにはなんて呼ばれてるんだ?」

「愛称で呼ばれることじたいがそんなにないのですが……強いて言えば『ゼラ』でしょうか」


 殿下は微妙な表情になった。


「そういえば……ラもクラウスもそう呼んでたな」

「では、ゼラでお願いします」


 気は進まないが、ひとりだけべつの呼び方をされるよりましだろう。腐っても王太子な殿下は中身がどれだけ残念でも驚異的にモテるので、あんまり目立つことをされると学校中の女子を敵に回すことになる。


「……いやだ」

「?」

「……ラと似ている」


 気のせいだろうか。さっきから殿下の発言の一部が伏字になっている気がする。

 ……まさか。

 わたしは殿下をまじまじとみつめてたずねた。


「殿下、フウロソウ目フウロソウ科テンジクアオイ属に分類される多年草の名前はなんといいますか?」

「知るかそんなもの」

「それでは動物の皮や骨に多く含まれるタンパク質に熱を加えて抽出したものは?」

「おまえ、いったいなにを言わせるつもりだ」

「作曲家アダンによるロマンティック・バレエの代表作のタイトルは?」

「……」


 わたしは確信した。


「殿下って思っていたよりも繊細な方だったんですね」


 どうやら『ギゼラ』の三文字がどうしても口にできないらしい。


「うるさい。おまえなんか嫌いだ」


 殿下はみるみる赤くなってうつむいた。

 なんだこれ。

 オレサマ殿下の恥じらう顔とか誰得なんだ……。


「……フィーネ」

「はい?」

「今日からおまえはフィーネだ。異論は許さん」


 …………。

 せっかく見直したところだったのに。殿下はあいかわらず殿下(意訳:暴君)だった。


「かしこまりました」

「わかればよいのだ」


 偉そうに宣って、殿下は皿に残っていたチョコレートケーキを猛然と口に運びはじめた。わたしも黙ってフォークに手をつけた。

 あまい。

 弟にあわせて砂糖ひかえめのお菓子ばかり食べていたせいか、ここまであまいケーキはひさしぶりだ。胸焼けがしそうにあまったるいケーキを味わいながら、わたしは殿下が早く次の恋をみつけてうまくいってくれることを祈った。


 それからまもなくして、わたしは実家から殿下との婚約の内定通知を受け取った。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 放課後に教室を訪ねると、アルトはひとりで本を読んでいた。


「ちょっと付き合えよ」


 おれが練習用の剣をみせると、アルトは一瞬だけめんどくさそうな顔をして、それでもなにもいわずに栞をはさんで本を閉じた。

 教室に残っていた女子たちがこっちをみてなにかひそひそ話している。こいつは見た目がいいので無口でも無愛想でも結構人気があるらしい。


「嫌なら嫌っていっていいんだぞ」

「どうしたの、ジーク。へんなものでも食べた?」

「…………」


 ……人がせっかく気を遣ってやってるのに。


 夏休みの一件以来、おれは気遣いのできる人間になろうと努力している。どこかのだれかが傷口にたっぷり塩を塗りこんでくれたおかげで、いやでも考え直させられるはめになったのだ。かくしてこうやって努力を重ねているわけだが。

 そのだれかにしてもだれかの弟にしても徹底した塩対応なので、おれの忍耐力はガリガリ削られている。

 クラウスに愚痴ると「あなたには忍耐力なんてもともとないでしょう」とバッサリ切られたが、それはもうガリガリガリガリ削られていっているのだ。つらい。


「おまえってほんとうにあいつの弟だよな」


 弱点をついてやるとアルトは露骨に嫌そうな顔をした。

 こいつはフィーネと姉弟だと指摘されるのをことさら嫌う。あんまりやるとほんきで口をきいてもらえなくなるので自重しようと毎回思うのだが、イラッとするとついやってしまう。やっぱりおれに忍耐力なんてないらしい。


「あのっ、殿下!」


 女子がふたり、なぜかこっちにやってくる。ひとりがピンク色の紙袋を差し出していった。


「これ、クッキーなんです。夏休みのおみやげで……みんなに配ってて……その、よかったら受け取っていただけませんかっ?」


 おれは努めてにっこりほほえんだ。


「ありがとう。でも、みんなから受け取るわけにはいかないから、気持ちだけもらうことにしてるんだ。ごめんな?」


 ふたりはうれしそうにうなずいて去って行った。

 おなじ断るのでも以前とはずいぶん反応がちがう。外見が九割とはよく言ったものだ。


 アルトはめんどくさそうにたずねた。


「練習に行くんだよな」

「あっ、ちょっ、待てよ!」


 本を鞄に放りこみ、さっさと席を立って教室を出ようとする。おれはあわてて追いかけた。

 まったくこいつは……こいつらは、か。

 それでもこいつはこういう性格だからおれにタメ口をきいたり真剣勝負したりするのをためらわない。こういうやつはあんまりいない。

 遠慮がないといえばクラウスもケヴィンもそうだが、あいつらは給料をもらっていることを盾に慇懃無礼な態度を崩さないのでこういうかんじにはならないのだ。


「そういえば、このまえ話してた姉上へのお礼はどうなった?」

「ああ、あれか。侍従長になにか青いものを用意しろといったらブルーダイヤを出してきたんだが……突っ返された」


 アルトはあきれた顔になった。


「そんな高価なもの受け取れるわけない。金銭感覚どうなってるんだよ」

「それはおれのほうが聞きたい。あんなものただの透明な石ころだ。食べられもしなければ温めてもくれないんだぞ」

「あなたはときどき本質をついたことをいうよね」


 低い声でつぶやいて、それからアルトは真顔のまま続けた。


「だったらあなたはそのただの透明な石ころを姉上に渡そうとしたことになるけど」

「おまえなぁ……」


 表情変えないまま怒るなよ。そっちのほうが怖いんだから。


「おれにとってはただの石ころでも市場に出せば値がつくんだ。それでいいだろ。というか、もとはといえばあいつのほうから恩を押し売りしてきたんだ。あんな呪い聞かなかったことにしてもよかったのに。あいつ、そういうのしんじるような性質だったか?」

「姉上はときどきおかわいらしいところがあるから」


 ……ちょっとなにを言っているのかわからない。


 フィーネのどこがかわいらしいんだ? 他人のプライドを踏みつけにしておいて歯牙にもかけないやつだぞ。なお悪いことに本人に自覚はあまりないらしい。あいつほどかわいらしいの対極にいるやつもないだろうに。


「なにか文句ある?」

「ありません」


 即答した。


「そういえばクラスの女子が話してたな。フィーネは猫に話しかけたり窓辺に牛乳を出しておいたり魔女みたいなことやってるって。あれって妖精を呼ぶやつだろ。あいつにもかわいらしいところがないことも……」

「牛乳はふつうにロキの分だと思うけど」

「そうなのか」

「女子ってそういうの得意だよね。ふつうにうわさ話してるようにみせかけてさりげなくだれかを落とすやつ」

「……はあ?」

「わかってないみたいだから言っとくと、この場合の魔女っていうのはほめことばじゃないから」


 なんだよそれ。背筋がぞわっとした。

 というか、なんでおまえはそれを一瞬で見抜くんだよ。闇が深いな。

 話しながら歩いていると、いきなりアルトが足を止めた。おれは惰性で数歩進んでしまってから、立ち止まってふりかえろうとする。


 首筋になにか硬いものがあたる。


 息をのんで跳び退こうとしたところで、それはいっそう深く皮膚に食いこんだ。


「……アルト」


 練習用の剣が離れる。

 ふりかえると、アルトは抑揚のない声でいった。


「ケヴィンは連れて歩いたほうがいいと思うよ。足、もう治っちゃったから」











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