20. 夏の夜の夢
「ほら、今夜の主役の登場だ」
人垣が割れて姿が垣間見えた……その瞬間。
「ヴォルフラム!」
ギゼラさまが声をあげた。そのまま駆け出して入ってきた紳士に抱きつく。
熱い抱擁をかわすふたりを呆然とみつめる殿下の胸から薔薇の花が落ちた。
……パリン。
タイルに散った紅い花びらに目を落としたわたしは、いま、確かにひとつの恋が終わる音を聞いたと思った。
「おかえりなさい。まにあってよかったわ。あなたのお誕生日なのに主役が不在というわけにはいかないでしょう」
「すまないね。ちょっと立てこんでいたものだから」
今日は二十三歳のお誕生日らしいから仕事をはじめてすぐなのだろう。ギゼラさまよりも五歳上。奇しくも殿下とは逆方向におなじ年齢差なわけだ。
「弟がきみを退屈させてなかったらよかったんだけど」
やってきたヴォルフラムさまはヨアヒムさまをみた。ヨアヒムさまはちっとも悪びれずに答えた。
「だいじょうぶだよ、兄上。とても有意義な時間を提供できたと思う」
「そのことについてはまたあとで話し合いましょう」
「……わかった、悪かった。僕の人選ミスだ」
つまり、文字通り『弟みたいなもの』だったわけだ。
わたしはとなりで灰になっている殿下にためいきをつき、じゃまにならないようすみっこに引きずって行った。
ホールの中央であいさつしたヴォルフラムさまがギゼラさまを紹介するのを、燃えカスとなった殿下はただただ黙って聞いていた。
お誕生日祝いに集まったはずのご令嬢たちは、売約未の優良物件に話しかけたくてたまらないようすだったが、さすがのわたしとしてもここで殿下を売り渡すのはあんまりかわいそうに思われたので、しかたなく盾になってやった。
これで殿下には貸しふたつだ。なんとしても倍以上にして返してもらわないと。
「……もういやだ。消えてしまいたい」
「ほとんど消えかかってると思いますけど」
傷口に塩を塗ってやっても無反応だ。これはいよいよ末期かもしれない。
「たいへん、牧師さまをお呼びしなくては」
「……おれは国教徒だ」
知ってます。というか、この国の王侯貴族はみんな国教会の信徒なんだからネタに決まっているでしょう。
ようやく復活しかけたところに指摘すると、殿下はふたたび萎れてしまった。めんどくさい。
「……夜風にあたって少し頭を冷やして来る」
「それはかまいませんが、ちゃんと護衛を連れて行ってください」
殿下は「わかってる」と言い捨てると壁際に控えていたケヴィンに目配せして出て行った。わたしはためいきをついて追いかけた。あのふたりが暗黙の了解をきちんと把握しているとは思えない。とりあえず西の亭
あずまや
には近づかないようにだけ注意しておかないと。
扉を出て庭に降りようとしたところで背中から声がした。
「……姉上、待って……姉上!」
ふりかえる。
アルトゥールが左足を引きずりながら走って追いかけてくる。
わたしはびっくりした。忘れていたわけではもちろんないけど、松葉杖の弟は到着してからずっと壁の花だったのでまさか向こうから来るとは思ってなかったのだ。あいさつ回りに付き合わせるのもかわいそうだし、てきとうなところで迎えに行っていっしょに帰るつもりだったのに。
階段の途中で立ち止まっていると、焦って駆けおりようとしたのだろう、上から弟の身体が降ってきた。
とっさに避けようとしたが、あいにくと今日のわたしは夜会用のドレスだ。避けきれず巻きこまれるようにして階段を転がり落ちる。
「……っ」
受け身を取ろうとしたのが功を奏したのか、奏さなかったのか。
落ちたところはやわらかいものの上だった。
痛みを感じくちびるに触れると赤いものが指を伝う。どうやらぶつけて切ったらしい。
「っ。ダメね、もうちょっと鍛錬を増やさないと……」
言いながら地面に手をつこうとして、そこがやっぱり温かいなにかの上であることに気がついた。だれか下敷きにしてしまったようだ。
「ごめんなさい。だいじょうぶ……?」
薄明かりのしたで顔をのぞきこむと、弟は顔を真っ赤にして固まっていた。
開いたくちびるからのぞく前歯になにか付いている。どうやらわたしのくちびるが切れたのはこれにぶつかったかららしい。
よかった。怪我したのが弟じゃなくて。
――――じゃなくて!!
一拍遅れてことの次第がじわじわと脳みそに染みこんでくる。
――――わたし……アルトゥールとキスしてしまった……?
え、待ってなにそのご褒美……いやちがごめんなさいなんでもありませんこれは事故ですただの事故ですなんでもありませんなんでもありません……。
わたしは壊れかけた頭に必死で自己暗示をかけた。
これは事故これは事故これは事故これは事故……うん、だいじょうぶ、これは事故!
「あの、アルトゥール……もしかして頭をぶつけてしまった?」
揺らさないようにそろそろと身体から下りると、わたしは弟の顔のまえで手をふった。
「だいじょうぶ? この指が何本あるかわかる?」
「……五本」
「よかった。だいじょうぶね」
「だいじょうぶなわけがないだろう!」
横から殿下がつっこんだ。一部始終みられていたらしい。
「おまえというやつはデリカシーのかけらもないんだな」
わたしはムッとした。殿下にだけは言われたくない。
「……く、くちづけしておいて『だいじょうぶ?』はない。おまえ、いったいどういう神経してるんだ」
~~~~人がせっかく暗示かけたことを……。
わたしは拳をにぎりしめてもう一度唱えた。
……これは事故!!
「事故でしょう」
「なんとも思わないのか!?」
「アルトゥールは弟ですし……」
お願いだからこれ以上蒸し返さないでほしい。切実に。
しかし殿下は殿下(意訳:空気が読めない)だった。
「おまえは……おまえは……どんなにがんばっても弟としかみられない男の気持ちがわかるのか!?」
…………。
わたしは真顔になった。どこに感情移入してるんだこの人……。
「おことばですが、わたくしとアルトゥールは血のつながった実の姉弟です」
「……お、お、おまえなんか嫌いだああぁぁーー!!」
殿下はわっと顔を覆うと身体を起こしていた弟に突進した。弟はとまどいながらも殿下の肩を抱きなぐさめている。
なんなのこの展開……。
しばらくして弟が口を開いた。
「あの、姉上……」
声は硬かった。心なしか語尾が震えている。
「俺は殿下についています。先に帰っていてください」
「え、だってあなた足を怪我してるしたったいま階段から落ちて……」
「だいじょうぶです」
「というか、さっきわたくしを追いかけてきたのはなんだったの? なにか用事があったんでしょう?」
「もういいです。いいから戻っていてください」
アルトゥールはいつになく強い口調でいうと、後ろから追いかけてきていた(それこそわたしが完全に存在を忘れていた)クラウスをわたしに押し付け、別荘まで送っていくよう申し付けた。
弟の反抗期のはじまりだった。




