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19. 夏の夜の夢

 それからの数日、殿下は絶好調だった。


 鼻歌混じりにものすごい勢いで宿題を片付け、足を怪我している弟を散歩に連れ出してくれた。

 毎朝ケヴィンと走ったり裏庭で素振りをしたりしている姿を見て、わたしは感心した。中間試験の結果をみたときにも思ったが、この人は生まれに胡座をかかずきちんと努力するタイプらしい。もうちょっと謙虚にしていればそれらしくみえるだろうに。


「ゼラフィーネ・シュヴァルツヘルツ!」


 週末の午後。

 わたしが着替えている真っ最中、殿下はノックもなしにドアを大きく開けて飛びこんできた。


「……なにかご用でしょうか」

「あ、悪い……」


 シュミーズにペチコートのわたしをみてさすがに気まずそうな顔になる。礼儀正しく目を逸らしながら、殿下はたずねた。


「薔薇がほしいんだ。庭のを少し切ってもかまわないだろうか」

「それはかまいませんが、なにに使われるおつもりですか」

「ギゼラに渡そうと思って」

「……パートナーでもないのに、ですか」


 今夜は例のパーティだ。

 招待状のない殿下はわたしのパートナーとして参加することになっている。

 中学生のわたし宛に招待状が来るようなカジュアルな集まりだから、殿下の身分ならそこまで気にしなくてもいいと思うんだけど。招かれてもいないのに押しかけましたというのはプライドが許さないらしい。めんどくさい。

 わたしは群青色のドレスを頭からかぶり、リボンでウエストを絞った。このデザインはメイドの手を借りなくていいかららくでいい。いつもこんなカジュアルならいいのに。


「声はかけてみたんだが、ヨアヒムと行くことになっていると言うから」

「……ヨアヒムさまと」

「ヨアヒムの兄上の誕生日だからな。親同士も付き合いがあるというから義理だろう」


 そのポジティブ思考がうらやましい。

 わたしは湖のジンクスを思い出したが黙っておいた。本人が忘れているならそのほうが幸せだ。みんなにとって。


「花束はやめたほうがいいと思います。荷物になりますから。二輪切ってまいりますから一輪だけお渡ししてください」

「一輪だけ?」

「髪に飾るのに。もう一輪は殿下が胸に挿すんです」

「なるほど」


 よく思いつくものだなと感心しているが、それを教えてくれたのは前世のあなたなんですよね。


「おれ……今夜ギゼラが踊ってくれたら告おうと思うんだ」


 ひとりごとともそうでないともとれるかんじで、殿下はつぶやいた。


「入学式で総代になれたら、武闘会で優勝したら、そうやってずっと先送りにしつづけてきたけど、どこかで思いきらないと前に進めない。いつかは星のテラスでって思ってたけど……やっぱり、先送りにしつづけるのはよくないと思って。いまならまだ学園祭にまにあうしな」


 わたしは黙ってうなずいた。

 がんばってください……わたしにはかかわりのないところで。


 ハサミを借りようと階下に降りると、弟はすでに準備をすませて庭のベンチで本を読んでいた。となりに松葉杖が立てかけてある。


「姉上、どうかなさったんですか?」

「殿下が薔薇がほしいとおっしゃるから」


 事情を話すと、弟は微妙な顔になった。


「姉上がお手を煩わせるようなことではありません」


 庭師を呼んで紅と白を二本ずつ切ってもらうと、紅色二本を殿下に渡すよう頼んでいる。


「こういうことはだれかに頼んでしまったらいいんです。使用人の仕事を取り上げないでください」

「だって、自分でやればすぐじゃない」


 わたしがこうなのは弟もよく知っているはずなのに。

 今日は虫の居所が悪いらしい。松葉杖でパーティなんだから無理もないか。


「体調が悪いなら無理に付き合わなくていいのよ。もともとあなたとはお付き合いのない方なんだし……」

「姉上は参加されるのでしょう?」

「もちろん」

「だったら行きます。先生からあまり安静にしすぎるのもよくないとうかがっておりますし」


 うーん……。それは散歩したり体操したりしろという意味であって、パーティに行くのはなにかちがうんじゃないかとお姉ちゃんは思う。仲間はずれが嫌なのはわかるんだけどね。

 弟は手元に残っていた白薔薇のうち一本を自分の胸に挿すと、手招きしてわたしをとなりに座らせた。

 わたしが自分でゆるく束ねただけだった髪をほどいてていねいに編みこみ、最後の一輪をそっと飾る。


「……おそろいですね」

「そうね。あなた、器用よね。わたしでもここまできれいにできないわ」


 弟は小さく笑って、また本を開いた。




 真夏の夕べ。


 暑気を払うため扉という扉を全開にされたホールからは夕日に包まれた庭園がみえている。絵画のように幻想的で、まるでほんとうの妖精が現れそう。せっかくのうつくしい光景だというのに、わたしの気分はまったくもってすぐれなかった。

 なにが困るって、殿下といるとどこに行っても目立つのだ。わたしたちは会場に入るなり人垣に囲まれてしまった。


「まあ殿下。いらっしゃるなんて存じあげませんでしたわ」

「わたくしも」

「こちらにはいつ?」

「どちらに滞在していらっしゃるのですか」


 砂糖にむらがる蟻のように寄ってくるご令嬢たちに閉口したわたしは、さりげなく殿下のとなりを離れようとした。


「バーデン侯の別荘です。侯爵のご令嬢とは同級生なんです」


 殿下はつい先日マスターしたばかりのアルカイック・スマイルでさわやかに告げた。今日もこの路線で行くらしい。メインヒーローだけあってビジュアルは最高なのでそれだけで破壊力抜群だ。

 きゃー! とホールのあちこちから黄色い悲鳴が上がる。

 殿下の中身は残念なままなのに、外面だけは順調に本編の正統派王子さまに近づいていってる気がする。

 怖い……。


「今日も彼女の付き添いで来たんですよ」


 あくまでもその設定を貫くんですね。

 殿下がわたしのほうをみたので、わたしもあいさつしないわけにはいかなくなってしまった。


「ごきげんよう。おひさしぶりです、みなさま」

「ごきげんよう、ゼラフィーネさま。今日は例のくろね……失礼、あのおかわいらしい方は連れていらっしゃらないのね」


 まっさきに口を開いたのはヨアヒムさまの遠縁だというご令嬢だ。お節介にも招待状を持ってきてくれたのも彼女らしい。たぶん、というか確実に、殿下がうちに滞在しているといううわさを聞きつけて来たんだろうけど。

 わたしは殿下を見習ってスマイルで返した。

 ご令嬢は黙った。

 場は沈黙に包まれた。


「そうだ、ヨアヒムにあいさつに行かないと。学校の先輩でいつもお世話になっているんです。みかけませんでしたか」

「まあ。殿下は礼儀正しくていらっしゃるのね」

「ヨアヒムさまでしたら向こうでおみかけしましたわ。わたくし、呼んでまいりましょうか」

「いえ、ぼくが行きます。教えてくださってありがとうございます」


 本来なら客のほうが主催者にあいさつに行くものだが、今夜はカジュアルな集まりだし、殿下の身分ならあいさつするにしても向こうから来るのが筋である。殊勝な発言は殿下の好感度をいっきに上げたようだ。

 いやそれほかの人にとっては常識なんですけどね。あいさつに行くだけで好感度上がるとかどんなチートだよ。というか、数日前の殿下ならそんなことしなかったですよね。つーかぼくってだれだよ。うーん、この……。

 がんばってるのはわかる。わかるんだけど……。ついついつっこんでしまうのはわたしの心が汚れてるからなんだろうか。

 なにをやっても悪い方向に解釈される悪役令嬢となにをやっても良い方向に解釈されるメインヒーロー。


 なにこの差。

 ひどくない?


 ホールを歩いているだけで周囲の人がにこにこして道を譲ってくれる。わたしも道を譲られることはよくあるけどこんなふうににこにこされることはない。単に避けられてます状態になる。もうやだ。帰りたい。せめて殿下のそばから離れたい。アルトゥールのところに行きたいよ。

 やさぐれるわたしのとなりで殿下は上機嫌だった。

 目的の人をみつけて意気揚々と声をかける。


「ヨアヒム!」


 となりには当然ギゼラさまがいた。


「来てくださったんですね。殿下、ゼラフィーネさま、ありがとうございます」

「こちらこそお招きいただきありがとうございます」


 わたしはにっこりほほえんでお辞儀をした。このせりふは殿下にはいえないはずだ。ざまあみろ。

 しかしこのくらいでめげるような殿下ではなかった。


「すばらしい趣向ですね。まるでほんもののパックが現れそうだ」


 庭園から楽団へと順に視線を移す。


「わかりますか?」

「ええ、もちろん」


 オペラを知らないと成立しない会話だ。殿下は教養のあるところをみせつけたわけだ。ギゼラさまも感嘆したがそれ以上に目を輝かせたのがヨアヒムさまだった。


「パックといえば『夏の夜の夢』が有名ですが、僕はぜひ『千年の孤独』をおすすめしたいですね。不老不死の魔法使いソールと転生をくりかえし何度もめぐりあうヒロイン。よくある恋愛もの、ご都合主義とみせかけてあの作品の背景にある魔法理論は非常に深く考証されているんです」

「……そうなのね」

「くりかえすことで魔法が還元される部分のことですか?」

「そうです、ゼラさん。たいへんすばらしい」


 そこからはヨアヒムさまの独壇場だった。

 大学の講義もかくやの熱演がはじまり、ギゼラさまは真っ先に脱落した。お目当てのギゼラさまがつまらなさそうに聞き流しているので、殿下も義理は果たしたと判断したらしい。しゃべりつづけるヨアヒムさまの相手をわたしに押し付け、飲みものを取ってきて点数を稼ぎ、まんまとギゼラさまをダンスに誘うことに成功した。


 曲がかわり、ホールでは数組の男女が踊りはじめていた。

 ハイヒールを履いたギゼラさまと殿下とではギゼラさまのほうが身長が高いけれど、美少女と美少年の組み合わせは思ったよりちゃんと釣り合っていた。

 ギゼラさまがくるりとターンするたびに淡いピンクのドレスが花が咲くように広がる。殿下はそつなくリードしていた。さすがはメインヒーロー。カタログスペックはだれよりも高いらしい。悔しいけどふつうにかっこいい。


「ごめんね、殿下をお借りしてしまって」


 ふたりをみつめるわたしに気づいたヨアヒムさまがもうしわけなさそうに眉を下げた。


「お気になさらないでください。わたくし、殿下と話すよりも古代文学のお話をお聞きするほうが好きです」


 ヨアヒムさまが笑った。


「きみはおもしろいね」

「そうでしょうか」

「うん。ギゼラは僕が話しはじめるとすぐに目を開けたまま寝てしまうからね」


 わたしは踊るふたりを目で追いかける。

 殿下はたのしそうだった。ギゼラさまをみつめる瞳には幼いながら熱がこもっていた。

 一曲を踊り終え、殿下はひざまずいて胸に挿した紅薔薇の一輪をギゼラさまに差し出した。ギゼラさまはうれしそうに受け取って髪に挿した。殿下の瞳とおなじ紅色だ。ギゼラさまにとってはかわいい弟からの贈りものくらいの認識なんだろうけど。

 でも、それはとてもうつくしい光景で。ホールにいたみんなが見惚れてしまうくらいに、絵画のようにすばらしい一場面だった。


「……こちらこそ、もうしわけございません。殿下がギゼラさまをお借りしてしまって」

「ああ。それはかまわないよ。僕も頼まれていただけだから」


 ヨアヒムさまはさらりと答えた。わたしは思わずヨアヒムさまを見上げた。


「頼まれた……ですか?」

「そう。兄上にね」


 そのとき、ホールのドアから背の高い男性が現れた。ヨアヒムさまをもう少し年上にしたかんじの、落ち着いた雰囲気の紳士だ。みんなが一斉に注目する。ヨアヒムさまはにっこりして言った。


「ほら、今夜の主役の登場だ」










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