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18. 仔羊たちの休暇

「それにしても、なかなか乾かないものだな」


 枝にかけたシャツを見上げひとりごちる殿下に、わたしは重々しくたずねた。


「つかぬことをおうかがいしますが、ご自分でお洗濯をされたことは?」

「ない」


 だと思った。


「そうそうすぐには乾きません。うちに戻って洗濯係に任せましょう」

「あ」

「どうかなさいましたか」

「ギゼラ……」


 殿下の視線を追いかけてみると、湖の対岸からこちらをみているご令嬢はたしかにギゼラさまだった。ライムグリーンの涼しげなドレスにおなじ色のパラソルをさしている。

 この距離でよくおわかりになられましたこと。ちょっぴり感心してしまう。

 三歩離れて立っている亜麻色の髪の男性はおそらく例の先輩……ヨアヒムさまだろう。ふたりはまもなくこちら側へやってきた。

 途中で足を取られて転びかけたギゼラさまにヨアヒムさまが手を貸したので、殿下の機嫌はみるみる急降下した。


「ごめんなさい。おじゃまするつもりはなかったのだけど、困っているように見えたものだから」


 開口一番そういって、ギゼラさまは枝にかけられたままのシャツを示した。

 殿下は黙りこんだ。ギゼラさまに会えてうれしいのが半分、みっともないところをみられて恥ずかしいのが半分といったところか。デート中のギゼラさまがわざわざお気遣いくださったんだから、素直によろこべばいいものを。

 少年の恋心は複雑らしい。


「その……よろしければお使いください」


 ヨアヒムさまは殿下にタオルを差し出した。準備がよろしいことで。


「うちがすぐそこなんです。よろしければ寄って行かれませんか? 服もお貸しできますし」


 赤くなったり青くなったりする表情から殿下の複雑な胸のうちが推察されたが、結局はデートのじゃまに注力することに決めたらしい。


「……すまない。世話になってもいいだろうか」

「もちろんです。殿下のお役に立てるなんて光栄です」


 ほがらかな笑顔を向けてくださるヨアヒムさまにはもうしわけないが、殿下からの逆恨みを回避するため、うちの別荘のほうが近くにあることは言わないことに決めた。


「あなたは……その……」

「ヨアヒムとお呼びください」

「ヨアヒムはギゼラとは親しい間柄なのか? ……あ、いや、なのですか?」


 無理に敬語を使わなくてもいいんですよと苦笑して、ヨアヒムさまはギゼラさまのほうをみた。


「同級生なんです。中等部のころから何度かおなじクラスになったり、学級委員でいっしょになったことも二回ほどありましたから」

「あら、三回じゃなかった?」

「そうだっけ?」

「ええ。たぶんだけど」

「……そんなに親しかったわけではないんだな」


 親しくなかったらふたりで散歩なんてしないでしょうよ。

 わたしはつっこみを入れた。


「いや、ひとりで歩いていたらたまたまいっしょになったとか……」

「そうですね、そうかもしれませんね」

「おまえなぁ……」

「どうしたの、ふたりとも」


 ギゼラさまがこっちをみたので、殿下はまた黙ってしまった。


「…………」

「なんでもありません」

「ふたりともなかよくなったのね。よかったわ」

「…………」


 ヨアヒムさまの別荘までの道すがら、殿下は躍起になっておふたりの関係に探りを入れようとしたが、はかばかしい成果は得られなかった。

 まわりくどいことをせずにずばり婚約のうわさについて訊いてしまえばいいものを。それだけはどうしてもできないらしい。ほんとうにめんどうな人だ。


 おうちが伯爵というだけあってヨアヒムさまの別荘もなかなかに立派だった。


 ヨアヒムさまはメイドを呼んで殿下に着替えをお貸しするよう言いつけ、わたしたちにはテラスに準備してあったお茶を勧めてくれた。

 二人分追加してほしいと頼んでいるのを聞いて、やはりギゼラさまがここに来るのは確定だったのだと推察する。

 そりゃそうだ。ギゼラさまみたいな良家のお嬢さまが侍女も連れずにひとりで出歩くわけがない。


 そういえば弟はどうしているだろう。わたしがひとりで出てきてしまったから、心配してないといいけれど。


 まもなく殿下がやってきた。真新しいシャツに裾を折ったズボンを履いている。


「もうしわけございません、若さま。お客さまにちょうどいいサイズがなかったもので」

「いえ、十分です。ありがとうございます。助かりました」


 そつなくほほえんで、殿下はわたしとギゼラさまのあいだに座った。こういう態度も取れるらしい。わたしは少しびっくりした。

 どうやら、これまでのやりとりから自分がまったく相手にされていないとわかった殿下は、作戦変更して優等生のヨアヒムさまとおなじ路線で行くことにしたらしい。

 ズボンの裾を折らないといけなかったのが地味にショックだったんだろう。……十三歳と十八歳がおなじサイズのわけないでしょうに。

 上品だが底のみえないアルカイック・スマイルを浮かべた殿下は、テーブルのすみに積まれた本の山に目をやった。


「ヨアヒムは読書家なんですね」

「ああ、これ? 出かけるまえに読んでたんだ。ちょうどいいところだったんだけど……」

「悪かったわね。あなたが一日中家にこもってばかりいるから連れ出してあげたんでしょ。感謝してほしいくらいよ」


 侍女が追加のカップを持ってきて殿下とヨアヒムさまのまえに置いた。


「ありがとう。わたくしがやるから下がっていいわ。殿下はミルクとお砂糖がふたつで……ヨアヒムはレモンでよかったわよね?」

「それは兄上だよ。僕はストレートでいいから」

「そうだったわね。ごめんなさい」


 殿下もなにか言いかけたが、結局は黙っていた。たぶんミルクとお砂糖ふたつはもっと幼いころの嗜好だったんだろう。わたしは殿下の嗜好なんて知らないし興味もないが、そこまで偏っていたらクラスの女子のあいだでうわさになってるだろうし。


「ヨアヒムさまは古代文学に興味がおありなのですか」


 わたしはたずねた。


「わかるかい?」

「ええ、多少」


 背表紙をみただけでだいたいの内容が思い出せる程度には。

 ロキがうちに来てからしばらくのあいだ、わたしが必死になって調べていた分野だ。ロキは詳細をしゃべりたがらないが、どこかに「原作と一定以上乖離すると消滅して最初に戻る仕様」を変える方法があってもいいんじゃないかと思ったのだ。


「とくに前神話時代から神話時代にかけて興味があります」

「創世記か。あのあたりはおもしろいよねえ。ちょっとした日常会話にも魔法だの妖精だのといった超常現象を示唆する単語がいくつも登場するんだ。かなりお堅い作品でもそうだからねえ。あの時代は実際に魔法が身近にあったんだろうなって想像するのはたのしくてしかたない……」

「ヨアヒム。あなたが創世記が好きなのはよくわかったから。ゼラが困ってるじゃない」

「いえ。もっと詳しくお聞きしたいです」


 わたしはテーブルに身を乗り出した。

 この世界では魔法はほとんど失われた過去のものとされている。

 この『ほとんど』という部分がポイントで、『仕組みはわからないけど特定の条件で作動する魔導具』がインフラとして使われていたり、滅多にないことだが、『本人も無自覚のうちに超常現象を引き起こす先祖返りの魔法使い』がみつかることがある。

 ヒロインもこの『先祖返りの魔法使い』で、平民の孤児でありながら大富豪の養女になったり王立学院に編入したりできたのもこのあたりの事情が関係している。

 そしてヒロインが『魔法使い』だと最初に発見したのがサポートキャラクターである黒猫ロキだ。


「伝説の魔法使いソールの使い魔ロキについて調べているんです。なにかいい資料をご存じありませんか?」


 ヨアヒムさまは目を輝かせた。


「すばらしい! ソールについての研究はたくさんあるけど、ロキについては文献も少なくて謎が多いからねえ。僕も以前から気になってたんだ。王立図書館の禁書の閲覧許可がいただけたらもう少しはかどるんだけど……僕はそのために古代文学で博士号を取るつもりだよ。王立学院で助教以上になれば閲覧できる」

「助教以上……」


 一瞬だけ期待しかけたが、すぐにオチがついた。

 助教になるまえにわたしは死んでいるだろう。アルトゥールのルートはもちろん、ふつうに本編と無関係に生きていてもそれは無理。あれは学校の勉強がちょっとできるとかじゃどうにもならない世界だから。


「ヨアヒムは学者を目指すんですか」


 殿下がたずねた。古代文学のほうに興味はないらしい。


「うん。僕は三男で家督を継ぐ立場にないし、軍人や医者は性格的に向いてないからねえ」

「あなたが軍人になったら出征するまえに訓練で死んでしまうし、医者になったら治療がはじまるまえに患者が死んでしまうわ」

「ひどいなあ」


 ヨアヒムさまはふわふわと笑った。


「でも、僕は三男でよかったよ。少しでも魔法の残ってる国に生まれたからには、ね」

「魔法のある国で三人兄弟のいちばん上に生まれるほど不幸なことはない……ですか」

「よく知ってるねえ」


 ヨアヒムさまはうれしそうに言った。


「きみは素質がありそうだ。ロキに興味があるなら、森の神殿に行ってみるのもいいかもね」

「森の神殿……」

「北のほうにある離宮だよ。大昔は神殿だったからそう呼ばれてるんだって。なかに入れるのは王族だけだけど、外からみるだけでも神秘的でインスピレーションがわいてくるんだ」

「それはあなただけだと思うわ」


 ギゼラさまが容赦なく断じた。


「おふたりはなかがよろしいんですね」


 わたしがいうと、ギゼラさまは肩をすくめた。


「弟みたいなものだもの」


 帰り道、殿下が狂喜乱舞したのはいうまでもない。


 あなたも『弟みたいなもの』だと思いますよといってやろうかと思ったがやめておいた。

 それにしても、同い年のヨアヒムさまが『弟みたいなもの』で自分はそうじゃないと思える思考回路はいったいどうなってるんだろう。




 うちに帰ってくると弟は庭のベンチで待っていた。


「おかえりなさい、姉上。ずいぶんと遅かったですね」


 杖もなしに立ちあがろうとするから、わたしはあわてて駆け寄って肩を貸した。

 まだ身長がほとんど変わらないから、顔が近くにあって心臓に悪い。こんなふうに怒っているときはとくに。

 仲間はずれにされてすねるなんて、反応がいちいちかわいいなあ……。

 弟は殿下を非難するようにみた。


「……どうしたんですか。出て行かれたときとは服がちがいますよね」

「ちょっとね。不幸な事故があって……」


 わたしが湖のほうに目をやると、察しのいい弟はうなずいた。


「それはたいへんでしたね。姉上はお怪我はなかったのですか?」

「なんで服の変わってないほうにたずねるんだ……」

「そういうものですから。もうしわけございません、ゼラさま。殿下がご迷惑をおかけしました」


 クラウスが出てきて頭を下げた。


「お礼ならギゼラさまとヨアヒムさまにして。ヨアヒムさまが服を貸してくださったの」

「かしこまりました。……その、おふたりはフェラー伯爵のお屋敷にいらしたのですか?」

「偶然よ。殿下が湖に落ちたところに、ギゼラさまとヨアヒムさまが偶然通りがかって、ご親切にもあちらから声をかけてくださったの」

「そうですか。それならよかったです」


 言いたいことはよくわかった。

 ギゼラさまとうわさの先輩とがデートしているところに暴走した殿下が乱入したのではないかと思ったのだろう。

 わたしも結果だけをみればそう邪推したくもなると思うし。


「ヨアヒムはまあまあいいやつだったぞ」


 殿下は得意げに胸を張った。


「ギゼラに対して少々馴れ馴れしくしすぎてる感はあるが、いっしょに委員をしたことを憶えてなかったり、そこまで感心があるわけでもなさそうだ。ギゼラのほうもお茶の好みを憶えてなかったしな。おまけにあいつの学者気質には閉口してるようだったから、あいつらがうまくいくことはないだろう」


 うれしそうに言わないでよ。

 そもそも高校生で婚約しようというのだからかなりの確率で政略結婚だろう。

 お互いに恋愛感情で好きあっていなくても、嫌いでなければそれなりにうまくいくでしょうに。


「ギゼラはヨアヒムのことを『弟みたいなもの』だといっていたしな」


 だから、なぜそれを自信をもっていえるんだか。

 政略結婚で婚約前から相手のことを『弟みたい』に思えているのなら、将来的にはかなり期待できると思うんだけど。

 ヨアヒムさまは派手なところこそないけれど、おっとりとして上品な好青年だし。


 ……ん?


 わたしはもう一度乙女ゲーム『エルフリーデ』の内容をおさらいした。


 攻略対象は王太子ジークフリート、侯爵令息アルトゥール、ジークフリートの側近クラウス、そして……教師ヨアヒム。


 鳥の巣みたいにボサボサな亜麻色の髪に琥珀色の瞳。

 文学部を卒業後、大学院に在籍するかたわら非常勤講師として高等部の授業を受け持っている。

 学者気質で浮世離れしたところがあるが、おとなの余裕で包容力もある堅実なキャラだ。

 婚約者はいなかった……はず。そういうエピソードは記憶にない。

 教師と生徒ってだけで障害

エピソード

には困らないし。


 てことは、やっぱりギゼラさまとヨアヒムさまはくっつかないのか。

 もっと早くに気づいてたら、こんなところまで来るまえに殿下に教えてあげたのに。……って、さすがにそれは無理。


 わたしは脱力した。


「姉上、お疲れでしたら部屋に……」

「いいの」


 アルトゥールのとなりに腰をおろして思いきり手足を伸ばす。


「今日はかまってあげられなくてごめんね。明日は別荘のまわりを案内してあげるから。少しはリハビリしたほうがいいんでしょう」

「それはまあ、そうですけど……つまらなくないですか」

「どうして?」


 わたしはアルトゥールをみた。傾きはじめた夕日が彫刻のように整った輪郭をやわらかく照らしている。


 ああ、この光景をみていられるだけで幸せ……。


「姉上は健康なんですから、乗馬でもボートでも……」

「ひとりでしたってつまらないじゃない。あなたといっしょならなんだってたのしいわ」

「姉上……」


 弟ははにかんだ顔でわたしの手を取った。




 その夜、わたしはロキにこう話しかけた。


「今日はとってもたのしかったね。明日はもっとたのしくなるよ。ね、ロキ」











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