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17. 仔羊たちの休暇

「おーまーえーはー……」


 ずぶぬれになった殿下が岸にはいあがってくる。


「あんなところでいきなり叫ぶんじゃない! つーか助けろ! かってにひとの冥福を祈るなああぁぁっ!!」


 両手を耳にあてたが一拍遅かった。

 このところおなじみになりつつある殿下の大声が頭のなかで反響する。

 顔をしかめ、耳から手をはずすとわたしは苦言を呈した。


「いちいち怒鳴らないでくださいませ。耳がバカになります」

「おまえがおれを見殺しにしようとするから……」

「だって、自決なさるおつもりだったのでしょう? わたくしは殿下のご意思を尊重したまでです」


 止めたりしないからどうぞ初志貫徹してください。


「だれがするか!」


 怒鳴りながら、殿下はびしょぬれになったシャツを脱いで絞った。たちまち足元に大きな水たまりができる。

 あらかた絞りおわったところでシャツを木の枝にかけると、ひたいに貼りついていた髪をかきあげた。白金色の髪からぽたぽたと水滴がしたたって、剥き出しになった首筋から肩、胸へと流れていく。

 こうしてみると、さすがはメインヒーロー、びっくりするくらい造形が整っているのがわかる。肌、きれいだなぁ……。滴のひとつひとつが日光を反射してキラキラ光っている。

 水もしたたる美少年……なーんて。ビジュアルだけならたいへんうるわしい光景なんだけど、なかみがあの殿下だからなぁ。


「どうして湖をのぞきこんでいらしたのですか」


 わたしは殿下が立っていた位置を目で示した。

 湖の岸ギリギリのところに殿下がすべりおちた跡が残っている。あんなところから身を乗り出しているのをみたらだれだって入水自殺だと思うだろう。

 というか、護衛はなにをしてるんだ。


「撒いたんだ。ちょっとひとりになりたい気分だったから」

「なんて無責任な」


 非難すると殿下は露骨に不機嫌な顔になった。


「ケヴィンはよくやってくれている。職務に忠実すぎてたまにうっとうしいくらい……」

「無責任なのは殿下です。あなたが死んだらクラウスとケヴィンの責任になるのですよ」

「だからあれは事故だって。湖の底になにかみえたから気になっただけだ」


 言いながら、殿下は手にもったネックレスを目のまえにかざしてみせた。

 銀色の細い鎖に華奢な指輪が通してある。月長石だろうか。近づいてよくみればうっすらと青みがかった乳白色の石がほのかに光を放っていた。

 とんでもなく高価なものではないが、こどものおもちゃでもない。年若い恋人たちが贈りあうのにちょうどいい品だ。


「だれか落としたんだろうな。似たようなものがほかにもいくつか沈んでいた」


 懲りもせず水底に視線をやりながら殿下がいった。わたしはつきあいのあるお嬢さま方から聞いた伝承を思い出して遠い目になった。


「…………。落としたのではないと思います」

「はあ?」


 たぶん、多くの恋人たち……正確には「元」恋人たちが投げ入れたのだろう。


「この湖は縁を結びなおすことで有名ですから。前の恋人との思い出の品をささげれば、新しい恋人と出会うことができるとされているのです」

「…………なるほど」


 殿下は乙女心こそ理解できなくても乙女心が理不尽であるということは理解できるらしい。得心した顔になった。

 というか、こんなにも大きな湖で似たようなものが一か所にいくつも沈んでいることに疑問をもってほしい。


「ちなみに、一度湖にささげた供物を盗った場合」

「盗った場合……?」

「かならず失恋します」

「……。なぜそれをもっと早くに言わない」


 殿下は左手のネックレスに視線を落とし死んだ魚の目になった。


「わたくし、いまここに来たばかりですもの」

「…………」


 しばらく苦悩したすえ、殿下はネックレスを湖に投げ入れようとした。


「ちなみに」

「まだなにかあるのか」

「この湖に捧げものをすれば、古い縁を切って結びなおされます。ですから、そのネックレスをこの湖に返すと失恋二回分が確定します」

「…………」


 殿下は空虚な目で空を見上げた。


 ……さすがにかわいそうになってきた。


 わたしはこういうものをあまり信じる質ではないけど、前世もちの悪役令嬢やしゃべる黒猫が存在する世界なので、あんまりバカにするのもよくないと思っている。

 前世のわたしならロキの戯言なんててきとうに流していたはずだが、まじめに()ルート修正に取り組んでいるのもその一環だ。


「だからってうかつなところには捨てられんだろう。このまま持っておくのもどうかと思うし」

「わかりました」


 一呼吸ついて、わたしは殿下の手からネックレスを取り上げた。


「これはわたくしから湖の乙女にささげます」


 宣言し、ことばの意味が殿下の頭にしみこむまえにさっさと投げ入れてしまう。


「なっ、おまえ……っ!!」

「これは貸しにしておきますから。ちゃんと利子をつけて返してくださいね。十一でいいですから」

「おまえのような悪徳高利貸しに借りるくらいなら失恋二回のほうがまだましだっ!」


 一回目の直前で現実から目を逸らしてこんなところをさまよってるやつがなにを言うか。


「そうですか」

「当然だ!」


 威勢よくわめいた殿下は、沈んでいったネックレスを追いかけるように湖をのぞきこみ……しばらくして、小さな声でたずねた。


「そういえば、おまえの好きなやつの話は聞いたことがなかったな」

「おりません」


 にべもなく返すと殿下は鼻じろんだ顔になった。


「もっとこう……なにかあるだろう。好みのタイプとか」

「弱みをにぎりたいのでしたらその手には乗りません」

「おーまーえーはー。おまえが貸しにするというから借りを返すのに手伝ってやってもいいかと思ったんだ!」

「ありがとうございます」


 気持ちだけ受け取っておこう。

 この殿下にねだるなら貴金属などのモノに限る。ほかはろくな結果がみえない。


「好きなタイプは……そうですね」


 考えながら、わたしは空を見上げた。

 高原の空は高く青く澄んでいる。天上の瑠璃色はすそへと広がるに連れておもむろにその色合いを淡くし、遠く山の端では透きとおるような薄水色になって溶けていた。アイスクリームみたいにくっきりした雲がもこもことうかんでいる。透明な夏の空に、よく似た色の青い瞳を思い出す。


「頭がよくてものしずかな方がいいです。あまり感情をおもてに出さないというか、感情の起伏がないわけではないけれど出せないような方が、自分だけに打ち明けてくれるとうれしくなりますよね。一見無表情っぽいかんじの表情の微妙なちがいを読み取れるようになってきたりなんかしたら、それだけで思い残すことはなにもないといいますか……」

「やけに具体的だな」

「そうでしょうか」

「というか、感情がおもてに出ないって、それ、おまえ自身のことだろう」

「…………」


 そういえばそういう体質だった。

 やっぱり遺伝なんだろうな。ふりかえってみれば父も祖父も感情がかおに出にくいタイプだ。


「そんな細かい条件まで決まってるならだれか探させてやろうか?」

「クラウスにですか」

「当然」

「泣きますよ」

「十一で膨れあがった利子を返すよりはましだろう」


 自分で返すつもりはないらしい。


「というか、おれとしてもおまえにはさっさとだれかと婚約してほしい。こっちに押しつけられても困るからな」

「本音が出ましたね」


 いまから押しつけられた借りを返そうとしてる相手にそんなこと漏らしてどうする。この人には外交をやらせたらダメだ。


「べつに悪い話じゃないだろう」

「いりません。それに、わたくし婚約するのならできるだけ自分の趣味ではない方としたいと思っておりますから」


 アルトゥールルートのトゥルーエンドを目指すと決めた以上、わたしの行き着く先は死あるのみ。

 バッドエンドでアルトゥールの剣に倒れる、ノーマルエンドでもアルトゥールの剣に倒れる、トゥルーエンドで処刑される……。

 どこがトゥルーなんだとつっこみたいところだが、これはあくまでヒロイン視点。

 この国の法律で爵位と領地の継承順位は嫡出子が優先される。男子とはいえ非嫡出子である弟はわたしが生きているかぎり侯爵になれないのだ。

 教会法が十六親等以内の近親婚を禁じている以上、実弟とのハッピーエンドなんてありえないし。

 畢竟、ヒロインが弟と幸せに暮らすためにわたしの死は避けては通れない。


 死が確定している以上、未練は少ないほうがいい。


 殿下は理解に苦しむと言いたげだったが、わたしはみなかったふりをした。











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