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16. 仔羊たちの休暇

「遅かったな」


 わたしと弟が父の所有する別荘に到着すると、出迎えた殿下は開口いちばんそうのたまった。


 遅かったもなにも、今年の夏はここに来る予定なかったんですけど……。


 宿題をするのに国立図書館のある王都で過ごしたかったのだ。

 しかし、学業が本業であるはずの娘のことばも母の気迫のまえには無力だった。殿下からありがたいお手紙をちょうだいした実家は狂喜乱舞し、全会一致でわたしを売ることに決めたらしい。嫁入りまえのかわいい娘を男と別荘にやるなんてどういう了見だ。


「おれたちも昼過ぎに着いたところなんだ。ついさっきおまえの友人だというやつがやってきてパーティの招待状を置いていった。ギゼラたちも来るらしい。おれもどうぞというから出席するとこたえておいたぞ」


 わたしは殿下から半歩下がってひかえているクラウスを非難の目でみた。


 止めてよ、お願いだから……。


 しかし彼のお家の事情を知ってしまった後では強く責めることもできない。


「……かしこまりました」

「もうちょっとうれしそうな顔をしろよ。このおれがエスコートしてやるんだぞ」

「けっこうです。弟と行きますから。殿下はどうぞご遠慮なくギゼラさまをお誘いになられませ」


 殿下はいっしゅんにして赤くなり青くなり最後は捨てられた仔犬のような瞳でわたしとアルトゥールをみた。

 無謀だという自覚くらいはあったらしい。

 まあ、いけると思ってたら最初から本人に声をかけているだろうけど。


 ……こういうの、ストーカーって言わない?


 いまさらながら思う。たぶん一途とかいう次元を超えている。ふつうに引く。


 おなじことを思ったのだろう。

 弟は到着したばかりで疲れているむねを必要以上にていねいに断り、わたしの肩を借りてさっさと部屋に戻った。弟の左足はまだギプスのままなのだ。

 負い目があるだけにアルトゥールの名前を出せば殿下は強く出られないと踏んでああいったが、パーティなんてむりだろう。別荘までついてきてくれただけで御の字だ。

 バタンと音を立てて閉められたドアをみて、わたしは肩をすくめた。


「……姉上、殿下となにがあったのですか」

「なにも。あの方はギゼラさまにご執心だから。わたくしは巻きこまれてるだけ。いい迷惑よね」

「そうですか」


 アルトゥールは少し迷ってからメイドたちが開いてくれた荷物を確認しはじめた。作業のかたわら、天気の話でもするようにサラリと、


「これはあくまでもうわさ話ですけど、ギゼラさまはちかぢかご婚約なさる予定があるそうです」


 爆弾が投下された。

 わたしは耳を疑った。


「どこで聞いたの、それ」

「友人から。クラスでもうわさになっていましたから」

「…………知らなかった」


 というか、弟がクラスに友人がいることも知らなかった。


「そうですか。まあ、姉上はご存じなくていいと思いますよ。公式になれば直々にご招待があるでしょうし、いまの段階でお祝いを申し上げるのも不適切ですから」

「……そう、そうよね」


 深呼吸して動揺を押しこめる。平常心、平常心。だいじょうぶ。ただのうわさ話だ。


「そうです。ほら、せっかくの別荘なんですからたのしんではいかがです?」


 アルトゥールは窓のそとに広がる森と湖を目で示した。


 ここに来るのは数年ぶりだ。

 わたしにとって数年ぶりなのだから、弟には当然はじめてなわけで。別荘のまわりを案内しようかと思ったけど、そとに出てだれかとばったりなんてことになったらさらにめんどうなことになる。

 殿下はああいっていたけど、わたしにはパーティのお誘いにくる友人にこころあたりがなかった。わたしは両親の顔を立てて社交をこなしているだけで、個人的なつきあいのある友人はいないのだ。コミュ障の血をわけた弟にすら友人ができたのに。……泣かない。


「殿下はご友人がいらっしゃらないから、ギゼラさまが離れていってしまわれるのが淋しいのでしょうね」


 わたしがこぼすと、弟が手を止めてこちらをみた。


「ご友人ならたくさんいらっしゃるでしょう。さっきもいっしょにいましたし」

「クラウスが殿下といっしょにいるのは仕事だからですって。自分でいってたもの」

「殿下がですか?」

「クラウスがよ」

「どちらにせよ姉上がお気になさることではありません。放っておいたらいいんです」


 容赦なく言い捨て、弟は慣れたてつきで杖をつき立ち上がると、棚の本を取ってパラパラめくりはじめた。


「そうね」


 同意したものの、小骨のような淋しさが喉のおくにひっかかっている。わたしは気分を変えようと弟の手もとをのぞきこんだ。


「なにかおもしろそうなものがある?」


 わがやの別荘はお客さまが退屈しないよう客室にもちゃんと小説や詩集が置いてある。定番なので内容の知られているものばかりだが、そのぶん安心して読めるはず。

 なのに、弟はパッと本を閉じて背中に隠そうとした。


「なによ?」

「なんでもありません」

「みせて」

「なんでもありませんから」

「みせなさいってば」


 わたしは弟の手から本を取り上げて表紙を確認した。




『若きウェルテルの悩み』




「………………わたし、やっぱり殿下のところに行ってくるわ」

「姉上!」


 うちに滞在中に自殺なんてされたら、寝覚めが悪いどころじゃない。




 客室に殿下の姿はなかった。

 階下におりてたずねると、年若いメイドが「お客さまでしたら湖のほうへ散歩に行かれましたよ」と答えた。


 わたしは青くなって飛び出した。


 弟が追ってくるかと思ったが、さすがにあの足ではむりだったらしい。


 離宮ほどではないとはいえ、貴族の別荘地なのでひとつひとつの敷地はそれなりに広い。

 建物はぽつりぽつりとまばらに立っていて、すきまを緑の濃淡が埋めている。

 太陽は明るく、落ちるかげは濃い。

 わたしは白いドレスをはためかせ、木漏れ日のしたを湖に向かって走った。


 ハイシーズンだというのにあたりは閑散としていた。

 小道を走っていてもだれにも見咎められることがない。

 この季節、この時間にこんなにもだれにも会わないなんてめずらしい。


 どうしてだろう。

 胸騒ぎがする。


 風はなく、湖面はしずかに凪いでいた。

 澄みきった青空を鏡みたいに映している。

 吸いこまれそうなほどに深く、青く。


 人影は湖のへりに寄るべなくたたずんでいた。

 湖まであと半歩もない、水面ギリギリの位置に。

 そしてゆっくりと傾いていく。水底をのぞきこむように。水に誘われるようにして……。


 ……まにあわない!


 あと数歩のところでわたしは叫んだ。


「……殿下!」


 影が驚いたようにふりかえり……


 ぼっちゃん!!


 水音とともにしぶきが跳ねた。水面に波紋がひろがり、いくつもがあわさって複雑な模様を描いていく。 




 ……待って。いま、ほんとうに落ちたの?




 ほおに手を触れるとぬれた感触。ハンカチをあててみればたしかに湿っている。殿下が湖に落ちた……わたしの目のまえで。

 実感のなさにわたしは立ち尽くした。


 そんな……。殿下なんてひどい目に遭えばいいのに思ったことは数知れず。だけどまさかほんとうになるとは思ってなかったのに。

 わたしは両手で顔をおおった。


 ふりかえってみれば短い時間だった。


 殿下ときたらはじめて出会ったときから偉そうで無愛想で礼儀知らずで、ほんとうにこんなやつがあのジークさまになるのかと何度公式に問い合わせようとしたことか。

 例のお誕生日会といい、中間試験のあとの態度といい、先日の武術大会といい。

 実際に紙とペンを用意して陳情書をしたためたことすらあるのだ。


 ……ああ、だからか。


 わたしはようやく腑に落ちた。

 殿下があんまりにも本編のルートからはずれてしまったから、ロキがいうところの「この世界から弾き出され」てしまったんだろう。


 そんな……殿下は傲慢で傍若無人でにくまれっこ世にはばかるを地でいく暴君だったけど。

 いいところだって少しは……ほんの少しくらいはたぶんもしかしたらあったかもしれないのに。

 武術大会のあとには(ギゼラさまに締められて)ちゃんと謝ってくれたし、学園祭のしおり作りだって(ギゼラさまを見張るために)手伝ってくれたのに。

 わたしだって、これからしばらくはお嫁に行かれるギゼラさまのことを嘆いて灰になる殿下でたのしく遊べるはずだったのに……。


 わたしは涙をぬぐってちかくに咲いていた青い花を摘んだ。

 水面に投げ入れ、手をあわせて祈る。


 ながれのきしのひともとは

 みそらのいろのみづあさぎ

 なみことごとくくちづけし

 はたことごとくわすれゆく


「殿下、どうかやすらかにお眠りください…………」




 …………ばちゃっ!




 ふたたび水音がした。

 わたしは湖をみた。水面から手がのびている。わたしはもういちど目を閉じた。みなかったことにしよう。


「おーまーえーはー……」


 ずぶぬれになった殿下が岸にはいあがってくる。


「あんなところでいきなり叫ぶんじゃない! つーか助けろ! かってにひとの冥福を祈るなああぁぁっ!!」











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