15. 仔羊たちの休暇
待ちに待った夏休み。
前半は帰省せず寮に残ったわたしは、高等部の教室にやってきて学級委員の義務を果たしていた。
といっても、複雑な仕事は上級生が引き受けてくださるので、一年生のやることなんてパンフレットのホチキス止めとかポスターのベタ塗りとか雑用ばかりなのだが。
順番に並べられたプリントの山から一枚ずつ取って重ねて、ぜんぶを重ねおわったらトントンとはしをそろえて、ホッチキスで止める。取って、重ねて、そろえて止める。延々とそれのくりかえしだ。
やりながら思った。おなじ作業のループってしんどい。勉強や鍛錬もループといえばループだけど、自分の成長のためなのでそこまで苦痛はない。でも、この作業はやりがいが薄い。
……こんなのにわざわざ自主参加する人の気が知れない。
わたしはとなりで黙々と紙を重ねる殿下をみてひとりごちた。
「どうかしたのか? ゼラフィーネ・シュヴァルツヘルツ」
「なんでもございません」
どういう風の吹きまわしか、殿下は友人の手伝いと称してこの作業に参加していた。
友人……友人を自称するならもうちょっとクラウスの胃袋を労ってやったほうがいいと思う。いいかげん穴が空きそうだ。
わたしは腹黒鬼畜眼鏡がファンのあいだで言われていたほど腹黒でも鬼畜でもないのではないかと思いはじめていた。
いや、黒いのはたしかに黒いんだけど……それを補ってあまりあるストレスを抱えているようなので、ついつい同情してしまうのだ。
ご愁傷さまです。
「こっちは終わったぞ」
「ありがとうございます。それでは私が箱に詰めますから……」
「こうか?」
殿下はできあがったパンフレットの山を存外ていねいに箱に詰めはじめた。
淡々と作業しているようにみせかけて、その視線がときおりギゼラさまのほうを向いているのは知っている。
高等部三年生のギゼラさまは書類の校正を担当しているのだが、ペアになって仕事をしている先輩が見目よし家柄よし成績よしの三拍子そろった優良物件なのだ。
気になってしかたない殿下が押しかけてきて現在のこの状況である。
「……あの、殿下。恐れながら、もう少し余裕をもって詰めていただけると助かります」
「こうか?」
「はい。ありがとうございます」
クラウスはためいきを押し殺してポスターのベタ塗りに戻った。
「クラウスさまも苦労されているのですね」
「……まあ、これも仕事のうちですから」
いいんですか、殿下。仕事とかいわれてますけど。
まあ実際仕事なんだろうけど。お手当もらってお友達やってるんだろうけど。うーん……。
正直なところ、はっきり口に出すだけクラウスは良心的だと思う。
クラスの女の子たちをみていると、あからさまにバックの権力に媚び売っているにもかかわらず「わたしたちって友達よね!」とかわいらしい笑顔で言いあっていて寒気がする。
……これはぼっちの僻みではありません。
なにはともあれ、殿下のおかげで仕事が早く片付いたのはいいことだ。
作業は今日で終わりなので、予定を切り上げて実家に帰るか、弟といっしょに図書館で宿題をするかして有意義な夏休みを過ごそう。
るんるんで荷物をまとめるわたしの背中に悪寒が走った。
……なにいまの。
いま、なにかよくないことが起こった。
イヤだイヤだイヤだイヤだふりむきたくない……。
「おい、シュヴァルツヘルツ」
わたしは油の切れたロボットみたいにギギギとぎこちなくふりかえった。
「なにかご用でしょうか、殿下」
殿下はたのしそうに話しながら教室を出ていくギゼラさまと先輩を虚ろな目でみつめながら言った。
「おまえ、ギゼラのところに行ってじゃましてこい」
「お断りします」
即答。
「ご自分で行かれてはいかがでしょうか」
もしくはクラウスを、と思ったがたぶんクラウスとギゼラさまはそこまで親しくない。親しかったらわざわざわたしとお近づきになんかなろうとしないだろうから。
「……おまえにひとつ頼みがある」
「お断りします」
「おーまーえーはー」
あ、来る。
わたしは両手で耳を塞いだ。
「せめて内容を聞いてから断れよ!」
大音量でわめかれて、頭のなかで銅鑼がぐゎんぐゎん鳴った。
「ほんとうに聞くだけで断ってよろしいのならおうかがいしますが」
「聞いたら引き受けるものだろう!?」
あいかわらずの暴君だなぁ。
ちょっとは成長したかと思ってたんだけど。
「おまえの家は別荘を持っていたな?」
殿下は国内有数の別荘地の名前をあげた。山脈の麓にある自然豊かな高原で、大貴族の別荘も多くある。夏にはちょっとした社交界ができあがる避暑地である。
「避暑に行きたいのでしたら、ご立派な離宮がいくつもおありかと存じますが」
「離宮はダメだ。まわりの森や湖までまるごと王家の所有だからな。散歩に出てもだれかと偶然会うことなんてない」
「避暑というのはそのために行くものではないでしょうか」
なにが悲しくて休日に散歩してるとき知り合いとエンカウントしなくちゃいけないのか。
夏休みっていうのはひとり静かにまったりくつろぐためのものだと思う。弟はべつとして。
「たんなる同級生でほかに接点のないわたくしに頼むよりも、ほかをあたってみられていかがですか。そちらにいらっしゃるご友人とか……」
「もうしわけございません。うちはそこまで余裕があるわけではありませんので」
「そう……なんですか」
殿下のご学友なのに?
わたしの疑念を察したのだろう。クラウスは実家が学問で名を成した家系で資産状況はどちらかというと苦しいほうだということを淡々と説明した。道理で苦労性なわけだ。
正直、ちょっと意外だった。
殿下がいちばん近くに置いているのだから、さぞいいお家の出なんだろうと思っていたのだが、家柄ではなく本人の能力で選ばれていたらしい。
この暴君にも人を見る目があるんだな……。
まあ、クラスにおとなしくてかわいらしいご令嬢がたくさんいるにもかかわらず、遠慮なく叱ったり締めあげたりしてくるギゼラさまを慕っているわけだから、本質を見抜く力はあるんだろう。
一瞬だけ見直しかけたのに、殿下は次の一言でぶち壊した。
「いいから黙っておれを招待しろ」
「…………」
今日の殿下はやけに強引だ。このところおとなしくしてたのに。いったいあのプチ社交界でいったいなにがあるというんだ。
少し考えて思い至る。あそこにはたしかギゼラさまのご実家も先輩のご実家も別荘を持っていたはず。
……絶っ対にかかわりたくない。
わたしは毅然として突っぱねた。
「それは他人にものを頼む態度ではありません」
「わかった、おれが悪かった。それでは正式な契約書を作成することにしよう。一泊いくらならいいのだ?」
「…………。そもそも、あの別荘はわたくしの持ち物ではありませんので」
「それもそうだな」
殿下は思いのほかあっさりと引き下がった。
やけにすんなりと話が終わったことをおかしいと思うべきだったのだ。
三日後。
弟といっしょに帰省したわたしは、実家の玄関で待ちかまえていた母親によって降りたばかりの馬車に詰めこまれ、一路別荘へと向かうことになった。




