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第十三話 末路

ジェイドの件、終わりです。

遅くなって申し訳ありませんでした。

 イデアはフォルテのところに残る事になった。だからラルバはファドと二人でイリスがいたはずの洞窟に向かっている。

 あのときラルバは、変わり果てたフォルテに何も言う事もできず、ただ呆然と木陰へ運ばれていく様子を見ていることしかできなかった。


 そして今も、彼はずっと黙りこくったまま木を渡っていた。


 ……アイツ、死ぬのかな……


「死なないと思うよ」

「えっ?」


 隣で一緒に木を渡りながら、さらりとファドが答える。


 でも、オレ、今口に出したっけ?


 ラルバが戸惑っているのをファドはニコニコと笑っているだけだ。


「今、少し元気になったね。安心したのかい?」

「まあ……」

「相手が頑丈なフォルテでまだよかったよ────でも、これでわかったんじゃないかな? 二兎を追う者は一兎も得ずって」

「そんな難しい事言われてもわかんねーよ……いちいちうぜえんだけど」

「だってヘタレで馬鹿なあなたに、もう他に説教する人間はいないだろう?」

「……チッ」


 一回くらい殴ってやりたかったけれど、生憎そんな時間も気力も無い。仕方ないので舌打ちだけして聞いていないフリをした。


「……ラルバ、時の流れによって変わってしまったものを元に戻すのは不可能に近いんだ。この世界は常に変わり続けているから。でも、あなたは過去の呪縛に囚われているようだ」

「……何言ってんだお前」

「ジェイドを元のように戻って欲しいと思う事も、連日の悪夢も、あなた自身の願いも全て過去の記憶から来ているものだ。これを過去への固執と呼ばずしてなんと言おうか?」

「なあ、本当に何言ってんの……?」


 ラルバは段々不気味さを覚えるようになってきていた。


 だって、願いなんて誰にも言ってない。なんで二回しか会ってないコイツが知っている?


「……だったら、今、この場でオレの願いを言ってみろよ」

「時間を十年前まで巻き戻し、全てをやり直す。この願いならイリスにも迷惑がかからないぜ、オレ天才! ……なんて思ってたんだろ、この馬鹿」

「う……!?」


 ラルバがぎょっとした表情を浮かべ、ファドから距離を取る。もはやすごいを通り越して気持ち悪い。


「ずっと疑問だったけど、何者なんだよお前……」

「前にも言っただろ、あなたの記憶の一部を持っていると────私は、たとえ憎き魔女の力を借りる事になってもあなたの願いを叶えたいが、まだその時じゃない……その時が来れば、私があなたを魔女の元に導いてあげる。私の事もいずれわかるだろう」

「その時っていつだよ?」


 ファドが横目でラルバを見た。


「この世界に絶望したとき、魔女は敵ではなく最後の希望へと変わるだろう……その時だよ。さあ、その時が訪れぬよう、今は急ごう。実はね、ジェイドの運命を分ける事実を、私は知っているんだ」

「……?」

「ここに来る途中で見たんだ。首都からやってきたたくさんの兵士達が馬に乗って、今この森に向かってる。ジェイドは一刻も早く逃げなければ間違いなく捕まるだろう。そうなれば……」

「……死刑」

「そう、死刑だ。ラルバは、彼を助けたいかい? 私にはもう、彼はさっさと殺して楽にしてあげた方が良い気がするけど」


 ラルバは、まだ理解が追いつかないままぼんやりと考えた。


「やっぱ……昔仲良かった人が死ぬのは嫌だなぁ……」

「────まあいいか。じゃあ、私とラルバで賭けをしようじゃないか」





 イリスはただ入り口の前に座ってラルバが来るのを待っていた。

 空はずっと薄暗く、何時なのか想像がつかない。何時間も待っている気がするのはただの錯覚なのか、それとも本当なのかすらわからない。


 と、おもむろにイリスが立ち上がった。その表情には、強い意志。


 もう私ばかり傍観しているのはやめだ。私にだってできるということを皆に見せつけて────


 彼女の動きが固まった。何か、目の前に二対の白い光が見えたからだ。


 睨み合っていると、やがて霞がかった雨の中から大きな影が現れ────熊となった。

 立ち上がればフォルテの身長の二倍はありそうな巨大な熊。目をぎらつかせてこちらに近づいてくるが、怖くはなかった。


 私はあなたの敵じゃないよ。落ち着いて。


 ピッコロやノックスにしたように語りかける。自分にはその力があると、信じて疑わなかった。しかし。


「グルルル……!!」


 何も頭の中に響かない。牙を向いた熊が唸り声を上げる。

 もう一度同じことを集中して語りかける。でも何も聞こえない。そして、言葉なんかわからなくても伝わる熊の感情。


殺意。


「どうして……!?」


 初めてイリスの瞳が恐怖に見開かれる。足が竦んで、動こうにも動けない。できるのは、短剣を抜いて威嚇することだけ。


「く……来るなら、私も容赦しないんだから……」


 一瞬躊躇した熊が、一歩踏み出す。


「来るな、来るな、来るな……!!」


 と、一気に巨大な熊が跳びかかってきた。


 ラルバ……

 何故か、自分勝手で頼りない彼の名前が浮かぶ。


「助けて、ラルバ……!!」


 刹那、熊の背後に現れた黒い影がすかさず剣を投げつけた。

 剣は熊の足に命中、血飛沫が地面に染みをつくる。


「……ラルバ?」


 熊はイリスの事など忘れてしまったかのように後ろを振り向くと、人影に向かって呻き声をあげる。

 と、熊が咆哮をあげた。血塗れた足をそのままに、影に突進する。

 危ない。そう思ったのもつかの間、影がひらりと身を翻してかわす。そのときに黒いマントがなびいたのがわかった。


 来てくれたんだ……!


 一瞬だけ泣きそうになる。本当に死ぬかと思ったのだから。

 黒いマントの男は木を慣れた手つきで登っていくと、熊もそれに続く。鋭い爪を樹皮に突き刺し、ゆっくりと登って行く。

 一足先に太い枝に辿り着いた男は弓矢を構えていた。だが、怒りに我を忘れた熊にはそれが見えていない。夢中で自らを傷つけた相手に猛進し、その手が影の足元に届きそうになったときだった。


 熊の動きが止まる。

 手が木から離れ、熊は真っ逆さまに落下した。


 イリスがそっと近づいてみると熊の眉間に矢が突き刺さり、鮮血が糸のように細く流れ続けていた。その瞳孔は見開かれたまま。


 あれ、とイリスは思った。

 ラルバはこんな武器使わない、そう気づいたときには遅かった。


 ふいに殺気を感じて彼女は振り返る────黒いマントを纏っていたのは、獣よりも鋭い光を隻眼に宿したジェイドだった。


「……!!」

「お前には死んでもらっちゃ困るんだ」


 イリスが慌てて逃げようとするも腕を掴まれてしまう。短剣は奪われて地へ投げ捨てられてしまった。


「何だ? すっげー驚いた顔してるな? もしかしてラルバの奴が来てくれたとでも思ったのか?」

「……」


 人を困らせたり驚かすのが大好きだったというジェイドは今この上なく嬉しそうに、八重歯を見せて笑っていた。


「図星みてえだな! 良い事教えてやるよ、アイツの黒いマントは────元はオレの真似だったんだぜ!! アイツがどこまで自覚してんだか知らねーけどな!」


 ああ、と納得した。だからニレで装備を買うときにラルバは食い入るようにあれを見つめていたのかと。

 イデア曰く彼は真似好きの人懐こい子供だったそうだが、ラルバはジェイドと知り合ってしまったがために染まってしまったのだろう。

 時の流れで一番変わってしまったのが、実は自分だったということにラルバはまるで気づいていないのだ。


「ラルバの奴、見つからない場所に匿ったつもりだったんだろうが、このオレがわからないとでも思ったのかな。どこまでもナメきった奴だ」


 冷たい雨に打たれ、羽交い締めにされながらイリスは問う。


「……皆をどうしたんですか」

「さあ? 死んだんじゃねー?」

「ふざけるなっ!」


 叫ぶなり日焼けした腕に噛み付いた。


「ッ!」

「あんたなんかこうしてやる!」


 止めに腹に後ろ蹴りを入れて逃げ出す。だがジェイドも簡単に倒れたりしなかった。


「……ゲホッ、貴様、ラルバよりも度胸あるじゃねえか。正直見くびってたが……気に入ったぜ」

「あなたになんか気に入られたくない。ラルバさんが慕ってた人なんで我慢してたんですけどね、私はあなたが大嫌いですから」

「ハハハッ、何かを殺めると女神様に嫌われて魔力を失うとはよく聞いたが、まさか本当に嫌われてたとはな。ちなみに、お前の力ってどんなのなんだよ?」

「そんなもの知りません」

「ふうん……? 嘘じゃなさそうだな。まあいいや、お前で何してやろうかな、神にもなれんのかな?」

「……くだらない」


 目を血走らせたジェイドがイリスを見た。

 自分でも何故こんな言葉が出てきたのかわからなかった。だが、止まらなかった。


「……くだらないって言ったのがわからなかった? 私の力で神になろうなんて発想が、あまりにも幼稚でくだらないって言ってるの」


 ジェイドの眉がぴくりと動いた。


「年上は敬えって親から教わらなかったか?」

「そもそも私は親の顔を知りません」

「だからこんな礼儀知らずなのか。まあいい、オレがこれから教えてやるよ……!」


 イリスの短剣をジェイドが拾い上げたとき、彼の背後からまたフッと黒い影が現れた。それに気づいた彼は振り向きざまにそれを投げるが、影は身を横に反らしてかわす。


「……ラルバさん!」


 馬鹿な、とジェイドが小さく声をあげる。

 頭から流血し、泥にまみれたラルバがそこにいた。光を失った暗い目でジェイドを見つめている。


「……生きてやがったのか……」

「兄貴」


 苦悶の表情を浮かべ、ラルバは小さく声を絞り出した。


「あ?」

「よく聞いてください……実は、今首都からやってきた兵士達がここに向かってます。早く逃げないと、多分兄貴は捕まってしまいます」


 淡々と感情を込めずに語るラルバ。


「……どうしてこの森に?」


 イリスの言葉にラルバは首を振る。オレも知らない、とでも言いたげに。

 だが、ジェイドは平然とした態度だった。


「疑問を挙げればキリがないが、第一にお前を殺そうとしたオレに何故それを伝えに来た? 背後から近づいてきたとき武器も持ってなかったみてーだしな」

「そんなの、捕まってほしくないからに決まってるじゃないですか……! 二度と仲間に手を出さないと誓ってくれるなら自分が、兄貴が逃げる時間を稼ぎます」

「オレが断ったら?」

「それは……」


 ラルバは目を逸らしたまま黙り込んでしまう。


「そもそも何故兵士達がここに向かっている?」

「……わかりません」

「兵士が来ているという物的証拠は?」

「ありません……でも……!」


 ジェイドは薄ら笑い、ラルバの胸倉を掴む。


「ラ……」

「てめえは首を突っ込むんじゃねえ」


 イリスが駆け寄ったところを、すかさずジェイドが錆びた剣を突きつける。


「一度嘘をついた人間が、それで信じてもらおうなんて馬鹿げてると思わないか? さあ、言え。何のつもりだ、ラルバ」


 彼は糸の切れたマリオネットのようにぐったりとしていた。目は濡れた前髪に隠れてしまい見えなかったが、ほんの微かに彼の薄い唇が動いているのが確認できた。


 ────駄目か。そう呟いたように見えた、その刹那。


 ラルバが胸倉を掴んでいたジェイドの手を掴んで力任せに地に叩きつけた。更に彼はジェイドに馬乗りになってねじ伏せる。


「……!!」


 身動きがとれなくなったジェイドは流石に少し目を丸くして驚いていた。が、その戸惑いを見せまいと口元でだけ笑う。


「とうとうやけくそになりやがったか……! そんな事するくらいなら、最初からこうしてりゃよかったのによ」

「……違う。違うんだ……」


 彼が発した言葉はどこか無機質で、イリスはどうしたらいいかもわからないまま傍観していた。


「今ので、最後だったんだよ」

「最後?」

「そうそう、もうあなたは包囲されてるからね」


 木の上からこだました声に、イリスとジェイドは雨空を仰いだ。ただ一人、ラルバは俯く。

 ふわりと綺麗に地に降り立ったのは、ファドだった。


「やっぱり失敗したみたいだね。ラルバ、もう下がって。後は私と兵士達がなんとかするよ」


 ラルバは黙ってジェイドから離れる。

 漆黒の服に純白の肌。帽子から飛び出すウサギの耳。不思議な雰囲気を放つファドに、今度こそはジェイドも呆然としていた。雨音しか聞こえなかったこの森に、どこからか人々のどよめきや足音が聞こえてきた。


「……お前は誰だ」

「私? 通りすがりの旅人だよ」

「……どうしてあなたが?」

「お呼びだと思ったから」


 イリスの問いに彼はそう言って笑ってみせた。

 そしてジェイドは全てを悟った。

 彼はラルバを見やる。その眼差しにはどこかすがるような感情が宿っていたが、結局何も言わなかった。きっと、誰かに助けを求める事さえ既に手遅れだということもわかっていたためだろう。

 一方のラルバは目を合わそうともしなかった。

 

「私はね、あなたが助かろうと、絞首台で断罪されようとどちらでもよかったんだ。けど、ラルバが決心を固められずにいたから、私が提案したんだよ。ラルバをもう一度あなたが信じれば、まだ救えるとしてあなたを助ける。信じないようであれば……もう手遅れ。誰の言葉も届かない。これ以上被害が増えないように断罪すると」

「ああ、なるほど。オレはこれでもう救いようがないと判断されたわけか……もう、逃げられないな……」


 ジェイドが観念したように笑う。


「────なーんつって。そんな風にこのオレが諦めるとでも?」


 刹那、ジェイドは錆びた剣を薙ぐ。

 イリスとラルバの目の前で、ファドが吹っ飛んだ。


「ふざけんな!! たとえ世界中に標的にされようが、神に見捨てられようがオレは一人で生きてやる。そのためなら鬼にでも悪魔にでも喜んでなってやろう。てめえらの思い通りなんかになってたまるかぁ……ッ!!」

「!」


 彼がイリスに掴みかかろうとしたとき、突然時間が止まったかのように彼の動きが止まった。鋭い目が大きく見開かれ、咳と共に大量の血が吐き出される。

 ゆっくりジェイドが後ろを振り返る。そこには、返り血を浴びて佇むラルバがいた。


「ラ、ルバ……」


 イリスに一歩届かず崩れ落ちていくジェイドを、ラルバは真っ赤な短剣を手に哀れむような眼差しで見ていた。


「裏切られたのは……オレの方ですよ、兄貴────」


 うわ言のように、ラルバは呟いた。

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