第十二話 捨て犬
ラルバはジェイドの後ろについて歩いていたが、二人は終始無言のままだった。
ラルバは気づいていなかったが、浮かない顔をしている彼を実はジェイドはずっと注意深く観察していた。そして、とうとう覚悟を決めたらしい。突然立ち止まる。
ぼんやりとしていたラルバは危うくぶつかりそうになった。
「……兄貴? フォルテは?」
「ああ、すまんな。背後に人がいるってのが我慢できなくなってよ」
振り返ったジェイドは目を見開いて、肩を震わせ笑っていた。
「なんで……笑ってるんですか?」
「馬鹿だな、お前。まさかこのオレを……欺けるとでも思ったか?!」
不穏な気配を感じたラルバは反射で後ずさる。直後、何かに取り憑かれたかのようにジェイドは錆びた剣を抜いた。
振られた剣の切っ先が腹をかすり、腰が抜けた。逃げようとしても、ジェイドの眼力にそれ以上動くことができなかった。
「おいラルバ。正直に吐け。てめえ、イリスをわざと逃がしたな? あの女を見たときすげえ動揺してたぜ。しかもフォルテの話を聞いてるときには顔真っ青にしちゃってさ。最初からオレに従うつもりなんかなかったな? そんな状態で手を下せるわけないもんな?」
「違う、そんなつもりじゃ」
「だったら何故逃がした!!!」
激情に任せられた剣が地面に振り下ろされる。
このままではいけないとずっと思っていた。嘘をこれ以上重ねたところで、ジェイドに通じそうにもない。ならば、正直でいるしかないのだ。
ラルバも覚悟を決め、ジェイドの冷えきった隻眼を見つめる。絶対に目を逸らしたりしなかった。
「……兄貴。もうやめましょう。こんなの、絶対間違ってる」
みるみるうちにジェイドの目が見開かれていく。
ラルバは、その言葉に一抹の望みを託したつもりだった。
「成長したじゃねえか。素直だったお前が従ったフリをして、一瞬でもこのオレを信用させるとはな……!」
もはや彼は瞳に映る者は全て敵に見えているのだろう。手を差し伸べようとしている人間さえも。
「自分はたしかにイリスを匿いました。最初からできないとはっきり言えばよかったんだと思いますが……怖かったんです。兄貴を裏切った事になるんじゃないかって。でも、だからといってアイツらを殺したくなくて────でも、もう遅いかもしれないけど、やっと答えが見つかった」
ジェイドは口元だけ笑みを浮かべながら、剣を地面に突き刺して腕を組む。
「ほう? 言い訳にしか思えんが、とりあえず聞こうか」
「自分にとっては、どっちも大事な人です。だからこそ、言わなきゃと思って……自分は、兄貴に昔みたいに戻って欲しかったんです。昔の兄貴は平気で人殺しできるような人間じゃなかった! ……もう、賊なんて辞めて罪を償いましょう」
「随分無責任な奴だな。罪を償うって自首するってことだろ? オレみたいなのが捕まりゃ確実に死刑だろうよ」
「だったら、自分達と一緒に来ないですか……?」
「……?!」
ジェイドの表情が変わる。張り巡らされた警戒心に一瞬の綻びが生じた瞬間だった。
「おいおい、それ本気で言ってんのか?」
「兄貴が殺人鬼だとしても、兄貴への気持ちは変わりませんから」
ジェイドが本来の心を取り戻す。そしてイリス達を助ける。それがラルバが望んでいた事だった。何がしたかったのか。そして今何をするべきか、彼なりに考えて出した答え。
突如、けらけらとジェイドが笑い声をあげた。
「オニキスがずっと前に言っていたのを思い出したぜ、お前はまるで犬っころみてえだって!!」
「い、犬っころ?」
ラルバの目が点になる。
「ああそうさ。主人がどんなに冷たく突き放しても、尻尾振りながら追いかけてくる愚直な犬みてえだってよ。だが、それは昔の話だ。今のお前は、忠犬のフリをした嘘つきな犬だ」
刹那、鈍い衝撃が走る。
彼はその場に倒れこんだ。生温かい血が雨水と混ざって伝い落ちていく────錆びた剣で頭を殴られたことに、しばらくしてから気づいた。
「うぅ……」
酷い目眩が襲ってくる。目の前が霞んでいく。
「ど……どうして……?」
その言葉にジェイドが目をひん剥く。
「オレはもうお前の素顔に気づいてるんだからな、オレはもう騙されないし過去にも惑わされない。オレは騙されない、絶対に騙されないぞッ……!!」
そうじゃない、とラルバは口を開こうとしたがジェイドはもう彼を許してはくれない。
血に汚れた剣が大きく振り下ろされた。
*
雨音が虚しく森にこだまする中、ジェイドは動かなくなったラルバを背負って落とし穴のあった場所へと向かっていた。
彼は気絶しているだけ。止めはいくらでも刺せるのだが、ジェイドはそうはしなかった。
まるでけじめでもつけるかのように、ラルバの身体を穴の中へ放り込む。
奈落の闇へと落ちていく彼を、ジェイドは静かに見つめていた。
*
目を覚ますと、遠くに空が小さく切り取られているように見えた。
「う……」
腐臭が漂う穴の中、澄んだ雨水が濁った水たまりの中に落ちていく。
まだ頭が痛み、上手く働かない。現れては消える黄色い水紋を横目にぼんやり眺めていた彼は、違和感を感じてふと起き上がった。
ラルバのいるところでは泥が山となって高く積もっていた。これがクッションになってくれたのだ。そしてその泥の山の下には────フードを深く被り、うつ伏せに倒れているフォルテ。その周囲には人や獣の骨が散乱していた。
彼はここで初めてジェイドに落とされた事に気づく。この泥がフォルテの魔法によるものだということにも。だが、そのフォルテはもう人形のように全く動かない。
「……フォルテ……おい、フォルテ」
当然だが返事はない。
しかし、揺さぶろうとしたラルバを突然フォルテの腕が払いのけた。
「触る、な……」
「生きてる!」
思わず飛び上がった。
「……なんとかな。魔法が使えなければ、危なかった」
安堵のあまり、そこに座り込む。
「なあ、今まで役立たずとか言ってごめん。騙したことも謝る。イリスは安全なところに匿ったから居場所も教える。だから、力を貸してくれ。じゃないとオレもお前も一生ここから出られないぜ」
「……捨てられて殺されかけたのだろう? ざまあないな────生憎、貴様に貸す力などない……」
「オレの言う事聞いてなかったのかよ。協力しないとオレら……!」
言いかけて、ラルバは気づく。フォルテの言葉に覇気が全くない上、喋っているときですら身じろぎ一つしない。
「お前……本当に、動けないの?」
フォルテは小さく呻き声を上げるだけだ。
「マジかよ……」
立ち上がったラルバは高い雨空を仰ぐ。
壁を一人で登る事すら不可能に近いのに、フォルテを担いでいくなんて尚更不可能だ。イデアもイリスも、引き上げるロープがあっても引き上げる力は持っていないだろう。
自業自得。その一言が浮かぶ。
ジェイドを止める勇気がなくて、結果的に全員をひどい目に遭わせた挙句、自分の嘘が原因でジェイドにすら裏切りとみなされて捨てられてしまった。
「犬……か」
ジェイドに握らされた短剣をまだ持っていた事にラルバは初めて気づいた。
鋭い輝きを放つ短剣と動かないフォルテを、ラルバは無表情で見つめる。
フォルテは弱っている。今殺せば、今殺せば、兄貴はオレの事をまた信じて助けてくれるかもしれない……
ラルバの瞳孔が大きく開かれる。握りしめた短剣が震えていた。
「ごめん、でも、悪く思うなよ……」
ふらりと脱力したように膝をつくとフォルテめがけて大きく短剣を振りかざす。
だが、ラルバの足をフォルテの手が鷲掴みにした。
「!」
凍りつくラルバを、フードの奥の青い瞳がまっすぐに見つめていた。その瞳以外は完全にフードの影になってしまい、その表情を伺い知る事はできない。
「……殺されかけてなお、忠誠を貫こうとするか」
「オレはやっぱり兄貴を騙した事になるみたいだ。だから信頼を取り戻したいだけだよ」
「まあ、わからないでもない……が、諦めろ。本気でお前を殺そうとした事は明らかだ。それが、敵だと見なした何よりの証拠……おれを殺したところで一度壊れた信頼など戻らないだろう」
「はぁ……?」
抑揚の無い声に、ラルバの眉が上がった。
「……お前に、兄貴の考えてる事がわかるのかよ……!? 情の欠片も持ってねえお前なんかに!」
「おれじゃなくてもわかる事だ……こんな穴に落とされた時点で」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れっ!!」
足を掴んでいる方のフォルテの腕を斬りつけた。
フォルテが一瞬怯んで握力が弱まった瞬間に振り払い、短剣を今度は首の辺りに突き立てる。
「もういい、さっき謝ったのは無しだ。協力しようとも思ったけど、お前のせいで気が変わった。くたばれ……フォルテ!」
短剣はフォルテが突然動き出して空振る。彼はよろよろと立ち上がり、壁に寄りかかりながらも戦闘態勢をとった。だが、水に濡れたせいか彼の手からは泥がベチャベチャと溢れて地に落ちていくだけだ。相変わらずフォルテは顔を外套で覆い隠してしまっている。
「何無駄な事をやっているんだか……イリス様の場所を教えるというのはどうなった」
「どうせてめえはここで死ぬんだから教えても無駄だろ?」
「殺してどうする」
「だから、もう一度兄貴に……」
「そんな事したところでどうにもならないと言ったのがわからなかったか。それに、おれを殺すと同時にイリス様とイデアの両方を裏切った事になるぞ……いいのか? 双方を敵に回して」
「……ああ、くそったれが!!」
力任せに投げつけた短剣がフォルテの横の壁にぶつかって落ちた。
「だったらてめえはオレにどうしろってんだよ!? どうすればよかったんだよ!! オレはどっちも助けたかっただけなのに! だから、イリスを匿って、兄貴にはもうこんな事やめようって言っただけなのに────なんでオレが捨てられなきゃいけないんだよぉ……!!」
叫び散らしたラルバは、脱力したように膝をついて項垂れる。
フォルテがゆっくりとこちらに近づいてくる。その足取りも心許ないが、ラルバにはもう歯向かう気力さえも残ってなかった。
「……ただ、あいつにはその声が届かなかった。それだけの話だ」
ラルバは失敗した。結果、捨てられた。それが全てだった。
「あっ、いたいた。おーい」
上空から降りかかってきた、やけに能天気な声に二人が顔を上げた。
真っ黒な服と真っ白なウサギ耳の美青年。更に隣にいたのは────
「フォルテ! ラルバ君! 無事!?」
「……イデア」
「ファドがどこからか現れて助けてくれたの」
「偶然通りかかっただけだよ────二人共、今助ける」
ファドが飛び降りて、ふわりと着地した。
「どうやってこの状況で助けるんだ……」
「フォルテ、私が風使いって忘れたかい。でも私はジルエットより弱いから、自分の近くにしか風を巻き起こせないんだ。さあ、ラルバも協力してくれ。フォルテを背負って隣に来て欲しいんだ」
ラルバは一拍置いて、無言のまま言われるがままにした。
ファドが空を仰いで両腕を広げた、その刹那。
穴の中でつむじ風が巻き起こる。
その場の骨や泥をも巻き上げて、三人は軽く舞い上がった。そうして、瞬く間に穴を飛び越えて地上に辿り着く。
だが、ラルバがフォルテを下ろした瞬間、彼は深い溜息をついたかと思うとその場に倒れ伏してしまった。
「フォルテ!」
イデアが駆け寄ると、返事の代わりに彼はぎこちなく右手を上げた。
「……応急処置をした方が良さそうね。その外套を脱がせるけど、いい?」
近づいたイデアをまたもフォルテの右手が払いのけた。
「やめろ。どうせなら、木陰へ……」
フォルテがふらふらと進んでいるところを、ファドとイデアが木陰まで肩を貸してやる。
雨が当たらないところまでくると、まるで力尽きたようにフォルテは動かなくなってしまった。




