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第九話 牙

 その日の夜。この日はイデアに魔力を使わせないために、薪を拾い集めて火を焚いていた。ルークのように火が操れるわけでもないので火打ち石で火を点けるという、なんとも原始的な方法で。

 それに火は獣を簡単に寄りつかせないとかなんとか、イデアは言っていたような気がするけれどイリスはもう覚えていない。


「……ラルバさん、どうしてるんでしょうかね」

「お互い積もる話もあるでしょうし一晩中話し込んでるんじゃないかしら」


 そう言いながらもイデアは不安げな表情だ。

 恐らく、ジェイドの事だろう。彼に何かあると彼女はずっと疑っているのだ。

 一方、フォルテの方は相変わらず周囲を警戒している。夜の方が危険ではあるのだが、彼はやりすぎだ。が、逆にそれしかやることが無いとも言えよう。


 低い笛の音にも似たふくろうの声や虫の輪唱が辺りにこだましている。まるで夜の森の演奏会のようだ。焚き火が弾ける音も調和して安らぎを生み出す。星空は厚い雲に閉ざされ、辺りは火の周辺を除いて真っ暗闇だが不快ではなかった。

 目を閉じれば、木に止まって羽を休めるふくろうや草陰で鳴く気の早いコオロギの情景が浮かぶ。そうして次第にうつらうつらとしてきた、そのときだった。


「誰だ」


 フォルテの鋭い声が平穏を突き破った。

 イリスは飛び起き、フォルテが見据える茂みの奥を一緒に見つめる。


「何かあったんですか」

「あの木の陰に何かがいます」

「……私が光を灯す? そうしたら確認できるわ」


 イデアが一歩踏み出したところを、フォルテは「いい」と制した。と、彼の足元で砂が虫のように蠢きはじめる。


「こうすればいいだけだ」


 命令を下すように彼が腕を突き出すと、一斉に地を這いながら砂が波となり木の奥まで流れ込んでいく。と、その直後。


「うわっ!! きもっ!?」


 とてもよく聞き慣れた声。

 そして、砂の波に木陰から追い出されるように向かってきたのは……


「……なんだお前か」


 案の定ラルバである。砂はフォルテの元へ撤収していくが、彼はそのまま砂から逃げながらこちらの方へ走ってきた。左手にはジェイドから貰ったらしいランタン。


「なんだと思ったらお前の仕業かよ! ビビったじゃねーかッ……!!」

「そんな事はどうでもいい。何しに来た?」

「ジェイドさんは?」


 イリスが尋ねると、肩で大きく息をしていたラルバの動きが止まった。代わりに顔を上げてイリスを見る。


「……ちょっと、大事な話があってさ。戻ってきた」

「大事な話?」


 イリスよりもイデアの方が早く反応した。その言葉に小さくラルバが頷く。走ってきたせいなのか、頬が上気して赤くなっていた。


「あの……イリスに」

「私?」

「うん。兄貴に色々言われてさ、二人きりで話したくなったんだ。フォルテ、少しオレ達だけで向こう行ってもいい?」

「いいわけないだろう」


 当然だが即答、疑念を宿した眼光がラルバへ向けられる。

 だが、それはラルバも想定済みのようだった。前のように睨み返す事もなく、薄く笑って言い返す。


「大丈夫、あんまり遠くへは行かねえよ。声が聞こえない距離まで離れてくれるなら尾行してくれたっていいんだぜ?」


 フォルテの返事を待たず「行こうぜ」と彼に促されて、イリスも戸惑いながらも森の奥へ入っていく。


「……?」


 数秒の沈黙の後、残されたイデアとフォルテはお互い顔を見合わせた。


「確認するが……あのジェイドという奴に魔女の気配は感じなかったんだな?」

「ええ、誓うわ。ジェイドは魔女と契約もしてないし闇の魔力も持ってない。ついでにラルバ君も。でも、安全面もあるし言ってた通りついて行った方がいいわね……」


 フォルテも頷いて、近くの木から長剣くらいの長さの枝を折ると焚き火から火を移して松明のようにした。残りは砂で消して、二人はラルバ達の後を追っていった。





 ラルバの後ろを歩いていたイリスは、なんとなく後ろを振り返ってみる。

 だが、イデア達が来る気配はなかった。


「お姉様達、いないですね? 道にでも迷ったのでしょうか……」

「暗くて見失ったんじゃないの?」


 素っ気なくラルバが返す。


「……イリス、手出せ」

「手?」


 イリスが言われるまま手を出すと、そこにラルバの手が重なった。


 どきり、と大きく心臓が脈打つ。今までこんな事一度もなかったのに。

 寝ぼけた頭がみるみるうちに覚醒していく。


「暗くて危ないしさ……絶対離すなよ」


 イリスがラルバの顔を見ると、困った顔をして俯いた。

 彼女よりも大きい手だ。だが微かに震えていて、なんだかそれだけ頼りない。


「……暗いの怖いんですか?」

「んなわけねーだろ!」


 それきり会話は途絶えてしまった。

 初めてラルバの気持ちが知りたいと思ってしまった。彼が現れたとき、走って顔が赤くなっていたけど本当にそれだけの理由だったのだろうか。一体ジェイドは彼に何を言ったのか。二人だけで話すのが何故イデアでなく自分だったのか。そして何故今繋いでいる彼の手は震えているのか……


 走ったりしていないのに胸の高鳴りは止まらない。

 ラルバは遊び人なのだろうか。性格的に十分ありえる話だ。それだったらイデアにも思わせぶりな態度をとる説明ができる。それが違うのなら、多分私の自意識過剰だ。


 自意識過剰、自意識過剰……イリスはそう言い聞かせ自らを落ち着かせる。


「ラルバさん────私達はどこまで行くんですか。もう随分歩いていますけど?」

「……あ、ああ。そうだな……ここらへんにするか」


 ランタンを地に置き、その側に彼は座る。イリスもそれにならった。


「それでお話って……?」


 言いづらそうにラルバが口をもごもごさせている。イリスは辛抱強く彼が話しだすのを待っていた。

 やがて、彼は覚悟を決めたようにイリスを正面から見据える。


「イリス……本当にごめん」

「?」


 ラルバの顔に陰が差した。

 刹那、彼の細い腕がイリスの首筋に伸びる。


「くっ……!」

 

 逃げるのも間に合わなかった。ラルバは片手でイリスの首を掴んだまま、地面に思い切り彼女の頭を叩きつけた。


 鈍い衝撃が脳を駆け巡り、目の前に火花が散る。

 ぐるぐる回る視界の中で、イリスを見つめる彼の姿があった。


 どうして。そう言おうと口を動かしたが、きっとその言葉が伝わる事はなかっただろう。


「オレは……」


 意識が途切れるその瞬間、ラルバのくぐもった声が聞こえた。





 イリスがラルバに襲われた、少し前の事。

 フォルテとイデアの方では二人が消えた方向へ向かっていた。

 柔らかい地面だから照らせば、二人の足跡はくっきり残っている。


「……何か変ね」

「遠すぎるな」


 フォルテも呟いた、とその刹那。

 真上の木が風も無くざわめいた。


「何かいる……!」


 まるで合図のように小さな石が落ちてくる。

 それと似た手口をフォルテは思い出した。あれは注意を向けさせる罠かもしれない、と。


 さあ、どこからくる?


 フォルテは上だけではなく、周囲にも視線を走らせた。


「フォルテ、上!」


 イデアが悲鳴をあげた。

 見上げれば頭上には今にも突き刺さらんとする短剣。咄嗟にフォルテは右手の松明を振りかざした。


 炎が消えた。

 松明も所詮木の枝、幸い打ち返せたもののへし折れてしまったのだ。もう使い物にはならないだろうと、フォルテは惜しげもなく投げ捨てる。


「フォルテ……?」

「無事だ」


 頭上から何者かが動く気配がする。襲撃に失敗したから逃走するつもりなのだろうが、そうはいかない。手口からして襲撃者はジェイドと考えるのが一番自然だろう。恐らくラルバもその仲間だ。イリス様が危ない、と思った。


「二手に分かれる?」


 イデアのか細い声が聞こえる。


「イデア、一緒に来い」

「え? でもイリスやラルバ君を捜さないと……」

「襲撃してきた奴はおれ達が一人になるのを狙っているかもしれない。もう一度奴が来たとき、お前は一人で戦えるのか?」

「それは」

「……あまり無茶をするな。悪い癖だ」


 淡々と言うと、半ば強引にイデアの腕を掴む。

 木々は正直だ。そこを通ろうものなら、どんなに気配を隠しても枝が揺れ、葉っぱは擦れて音がする。これではまるでどの方向へ向かっているのか示しているようなものだ。


 聴覚を研ぎ澄ませ、襲撃者の位置を推測して走りだす。


「……逆に不気味ね。フォルテがイリス以外の人間に気を遣うなんて。さっき私が貴方を責めた事、気にしてるの?」

「さあな」


 襲撃者はどこかへまっすぐ向かっているように思えた。足取りに迷いが全く感じられなかったからだ。更に、距離は一定を保ったまま。そして、微かに漂う血の臭い。


 フォルテに悪い予感がよぎる。まるで、導かれているような────


「うっ!」


 イデアが突然立ち止まった。


「どうした」

「ここらへん、すごく血生臭い……!! フォルテはわからないの!?」

「たしかに血の臭いはする」


 俄に茂みがざわめきだし、気配が増した。一つではない、少なくとも五つか六つ。

 フォルテは足元に何かが当たったのを感じて下を見た。夜でよくわからないが、ここから強烈な血の臭いが漂っている。


「それって……まさか」


 イデアが指先から小さな光を放って黒い塊に当てる。


「!」


 それは、短剣が刺さって血まみれになった狼の死骸だった。夏も少しずつ終わりに近づいているとはいえ、まだ気温は高い。腐敗が進んでいないところをみると、今日のうちに殺された個体だと思われる。


「酷い……! 人間の仕業だわ」

「という事は」


 フォルテは木々の間に無数の黄金の目がぎらついているのを確認した。間違いない、仲間の狼だろう。いつのまにか復讐に駆られた狼達にフォルテ達は囲まれていたのだ。


「最初からここに誘導するつもりだったな……」


 怒りで我を忘れた猛獣達が、一斉に二人に飛びかかった。

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