第八話 掲示板の人
少し短めです。
鬱蒼とした森の奥深く。木は太陽を覆い隠し、辺りは少しずつ薄暗くなっていく。そんな道なき道を進んでいくと、彼らはぽつんと立っている古びた看板を見つけた。
「ここより西、イキシア……ですって」
大分掠れていたけれど、なんとかイリスが読み上げた。
「あれ、裏にもなんか書いてるぜ?」
こちらの文字の方が比較的新しいように見えた。だが、表側と比べて文字が小さい上になんだか全体的にうねっていて読みにくい。
ラルバが見つけた文字を、今度はイデアが目を凝らして読んでみる。
「森に住む姿なき狼に注意!! ……比喩かなんかかしら」
「ひゆって何?」
「それは────」
イデアが口を開きかけた瞬間だった。
ざわわ、と一部の茂みが突然音を立てて揺れた。もちろん風は吹いていない。
一斉に身を固くして見回しても、何もいない。
と、イデアが噴き出す。
「これを読んだ直後だったからびっくりしちゃったわね! 森だから小動物の仕業と考えるのが一番自然なのにね」
「たしかに……そうですね」
ぽかんとしたまま、イリスが言った。
「チッ、一瞬ビビっちまったじゃねーか……って、あれ?」
「どうかしたんですか?」
ラルバは答えず、自分のベルトやらズボンのポケットの中を必死に探っている。イデアやフォルテが不思議そうに見ているうちに、だんだん彼の顔色が青白くなっていく。
「……ヤバい」
「何か失くしたの?」
彼はゆっくりイデアの方を向いた。
「……金が、ない」
「えっ」
イリスもラルバの方を見た。
「ローズマリーズに置いてきたんですか?」
「いや、落としたんだと思う……最悪! あれ一応、形見だったのに……!!」
屈んで探しまわりながらラルバが嘆く。
三人が捜索している中、フォルテだけは警戒していた。
「近くに何かいる────ん?」
「どうかしたんですか?」
フォルテは地面に転がり落ちた石を見ていた。大きめで、イリスの拳と同じくらいの大きさだ。
「頭上に石が……ということは」
彼の右手の中で砂が小さく渦を巻き、一つの岩を作り出す。
「木の上かっ!!」
頭上を仰ぐと同時にその岩を上に飛ばした。岩は木の上まで行った辺りで破裂、無数の破片となり、四方八方に弾け飛んでいく。
上を見ていたフォルテとイリスは気がついていなかった。失くした巾着を探すのに夢中になっていたラルバとイデアも。気配を消し、音も無く忍び寄る影に……
「きゃあっ」
突然イデアがスカートを押さえて悲鳴を上げた。
「今スカートめくったの、ラルバ君!?」
イデアを含めた全員に白い目で見られたラルバは全力で首を振りまくる。
「えっ、それは誤解────うわぁ!!」
と、突然ラルバは派手に頭から転倒。
代わりに彼の背後から現れたのは、屈んだ体勢のまま、ラルバのマントの裾を手にケラケラ笑う男だった。
灰色の短髪と朽葉色の左目。そして、右目の真っ黒な眼帯。
彼と目が合ったラルバは、起き上がろうともせず口を開けたままぽかんとしていた。
「あら、あなた……掲示板の人」
イリスが言った途端、男の顔から笑みが消え去り、目つきが鋭くなった。そのまま、ラルバに威圧するように問いかける。
「オレを、知っているのか?」
一拍置いて、ようやくラルバは「ええと、多分」と答えた。
「掲示板を見て、知り合いと似てる人がいるなって思ったんですけど……」
「その知り合いと、掲示板に載ってた男が似てるって……掲示板を見て思った事はそれだけか?」
「はい……えーと、その……もしかして兄貴、ですか?」
しばしの沈黙。
ふいにイデアが「掲示板ってどういう事?」とイリスに耳打ちしてきた。すぐさま事情を説明すると納得したように頷いて二人を見守る。
と、男はニッとはにかんだ。
「ラルバお前……生きてたんだな!! とっくの昔に死んだかと思ってたぜ」
*
ジェイド・スピアーズ。それが男の名前だった。
彼はラルバより五歳年上のかつての悪友だったが、森が焼失したことを知ってラルバをずっと死んだものと思っていたらしい。
それが偶然彼にとてもよく似た男を見つけ、本人かたしかめるために得意の盗みで彼の巾着を盗んだりと悪戯を繰り返して反応を見ていたのだそうだ。
名前が呼ばれ、本人だと確信したときについ嬉しくて直接驚かしてやりたくなり、背後から登場したという事だ。ちなみにそのときに盗んだ巾着は返してもらえた。
そして現在。こんなところで立ち話もなんだから、と彼らはそう遠くない森の中のジェイドの家へ向かっていた。
「で? 何年ぶりだっけ?」
「十年ぶりですよ!」
「そうか。って事はラルバは十七、八か? 早えなあ」
ラルバの敬語に違和感を感じながら、イリス達三人も二人と少し距離をとって続く。
掲示板で見るより、ジェイドは気さくな印象があった。顔こそ怖いものの、八重歯を見せてあどけない笑い方をする。今の方がきっと、悪戯好きな彼の素顔に近いのだろう。
隣のイデアの顔を盗み見てみると腕を組み、むっつりとして機嫌が悪そうだった。
「……もしかしてスカートをめくられた事、気にしてるんですか」
「気にしてなんかいないわ。ただ、何か気になるだけ」
「何か? 魔女ではないんでしょう?」
「ええ」
つっけんどんにイデアは答えると、ぷいっと恥ずかしそうにイリスから顔を逸らす。
やっぱり少し気にしてるじゃない────と考えるとなんだかおかしくなった。
「何笑ってるのよ」
「なんでもないですよ」
「あいつ……何者だ?」
和やかな雰囲気に水を差すようにフォルテが呟いた。
普通の人ではないでしょうね、とイデア。
「どうしてそう思うんです?」
「掲示板に載る地点で、何かしら訳ありの人なんじゃないかしら? それに、イキシアに住んでいるのなら別だけどこんな誰もいない森に、わざわざ住み着いたりする? ありえるとしたら……考えたくないけど、罪人とか」
「イリス様に危険が及ばないなら別におれはどうでもいい」
フォルテのその言葉にイリスは、小さく溜め息をつく。
ほんの一瞬、ラルバと談笑していたジェイドが振り向いた。誰も気づきはしなかったが、獣にも似た冷たい左目が三人の姿をしっかりと捉えていた。
*
森のはずれにある彼の家は明らかに家────というより、隠れ家にしか見えなかった。一本の巨木の上に作られた、まるで大鷲の巣のような住処。ジェイドはそこで暮らしているという。
「家って……思ってたのと違いますね」
ラルバが期待外れだと言いたげに呟くと、ジェイドは「当たり前だ。オレは大工じゃないんだからお前が想像してるような家なんか作れねーよ」とぶっきらぼうに言い返す。
「大体ここはお前さんが住んでた森と違って動物が凶暴だから木の上の方が安全なんだ」
「ジェイドさん……でしたっけ? こういうのもいいですよね。こんな経験もあまりありませんし」
イリスの率直な感想だ。この木からなら空だって見えるはずだし、眺めも良いのだろう。イキシアの村だって山脈だって、更にその山脈の隣にうっすらと霞がかった異国も見えるかもしれない。
「ところで……梯子はどこにあるんです?」
ジェイドはその質問には答えず、怪訝な顔でラルバに何か囁く。ラルバが答えると彼は鋭い目を一瞬丸くして、イリスの事をしげしげと見つめた。もうこの一連の仕草だけで会話内容がわかってしまった。
────また女神がどうとか言ってるんだ。ラルバさんまで。
正直余計なお世話だとイリスは思う。自分が神の生まれ変わりだからなんだというのだ。
でも、決して表には出さない。だからせめて話を元に戻す。
「ジェイドさん? お家に続く梯子は無いんですか?」
「……あったら木の上に家を作った意味ねえだろうが」
苦笑とも嘲笑ともとれる笑みを浮かべながらジェイドが答えた。
「あの木を登れる奴しか住処には入れねーぜ。どうだ、女神様はそんな事ができるのか? そこのでかい野郎は重そうだし、隣の女は体力無さそうだし、見るからに無理そうだよな?」
いくらラルバが慕っている人間とはいえ若干の苛立ちを覚えるが、たしかにイリスは木に登った事すらない。フォルテとイデアがそれをしているところも見た事がない。イリスは黙って視線を逸らし、イデアは毅然と「できないけど?」と言い放つ。
ふと気づいた。先程まで輝いていたラルバの表情が少し曇っている。
「いや、残念だなと思ってな。せっかく来てくれたのにこんな事も────」
「あっ、イデアさん!」
唐突にラルバが彼らの間に割って入った。
「さっき気づいたけど、前より調子良さそうッスね?」
目を丸くする二人をよそに彼は無邪気に笑いかける。
でもイリスにはわかる。あの笑みは嘘だ。彼も嘘の笑みを作るのだと初めて知った。
「ええ、そうね。ここら辺は山に近いからか不思議な力が働いてるみたいなの」
「じゃあ、まだちょっと時間あるッスか?」
彼の言葉の意味を察したイリスがすかさず止めるもイデアに遮られた。
「つまり二人きりで話させて欲しいって事でしょ?」
「そう! それそれ」
ぎこちなかった彼の笑みがぱあっと明るくなる。
「そうね……どうせ私達は彼の家には行けないし、貴方だけ一晩だけ残ればいいんじゃない?」
「え、マジッスか」
「ラルバ君が私達に追いつけなかったら、イキシアでぎりぎりまで待ってるわ。どう?」
ラルバがちらっとジェイドの顔色を窺うように見て、頷いた。
「わかったッスよ。なるべく早く追いつけるようにするから」
と、ラルバがイリス達の顔を見ながら小声で言った。
「ごめん。兄貴、ちょっと斜に構えたとこがあるから……」
ここまで言ったところでジェイドに呼ばれてラルバは弾かれたみたいに振り返る。
ジェイドを追いかけながらも、彼はイリス達にずっと嬉しそうに手を振っていた。




