第七話 懺悔
ローズマリーズでの奇妙な数日間は幕を閉じた。
ミカエラは吹っ切れたせいか、それとも怒りを全部吐き出したせいか怒っている様子もなく出口まで見送りに来てくれた。
イデアは魔女の影を抜いただけで疲れてしまい、イリスの手を握りしめたまま離そうとしない。
「あなた達、イキシアまで何しに行くの? あそこは何もないよ?」
「おめえには関係ねーだろ」
「関係なくたって聞いてもいいじゃん! ちっせえ男」
相変わらずラルバは突っかかるしミカエラも彼相手には乱暴になる。どこまで本気なのかわからないが、喧嘩をほんの少し楽しんでいるようにも見える。
「目的なんてねーよ。お前と違ってオレらは自由人なんだよ」
「自由人? ただ村が焼─────いや、あたしはあんたが羨ましいわ、これはホント」
「ふーん、それはどうでもいいけど、何か言いかけなかった?」
「なんも? あんたの耳がおかしいだけだよ」
その証拠に一番言ってはいけない事を避けている。
「まあ、また来てよ。お詫びに色々してあげるから! ラルバだけは来なくていいけど」
「言われなくたってこねーよ」
「まあまあ」
これ以上はきりがないのでイリスは強引に二人を遠ざけ、切り出す。
「ミカエラちゃん。ごめんなさい、そろそろ行きますね。実は姉が虚弱体質なので静養に行くんです。ね、お姉様?」
後ろで手を力無く握りしめるイデアの方を振り向くと、俯いたまま彼女はこくこくと頷く。どうやら魔法が思っていたよりも、負担が大きかったようなのだ。
「嘘!? じゃあ、気をつけて。お大事にね!」
ミカエラは過ぎ去った非日常を惜しむかのように、彼らの姿が見えなくなるまでずっと見送っていた。
*
それから数日。
彼らはほぼ未開の地へ足を踏み入れていく。山脈が目の前に迫ってきているが、それも錯覚でしかなくまだ目の前には鬱蒼と生い茂る森が待ち受けている。
その道程が厳しい事からイデア曰く、その山脈でのみ花開く《月光花》は昔かなりの高値で取引されていたそうだ。今ではそんな命知らずの商人すらいなくなって、幻の薬草と化しているらしい。
────いつか見た景色だ。
息を弾ませながらイリスは思った。
高い木々から茂る葉は、夏の青い空も力強く輝く太陽もすっかり隠してしまう。そして山脈から来る冷たい風が時々ふっと悪戯をしていくのだ。木も笑っているみたいにざわめている。そして、漂う懐かしい夏草と土の匂い。
あの日失われた森ととてもよく似ていた。
それもそのはず、イリス達の住んでいた山はリリィ山脈の一部だった。だからだろうか、初めて来たはずのこの場所が郷愁を呼び起こすのは。
ラルバとイデアが見たという黒猫のノックスを思い出す。それから、行方不明になったままの小鳥のピッコロも。
この山にはその昔、女神ハルモニアが降り立った場所という伝説がある。そのときの女神の魔法が、久遠の時が流れても宿っているのだ。
だからかイデアはこの周辺に来てから顔色が良くなり、普通に喋る余裕はありそうだった。
対照的に、ラルバはミカエラと別れてからしゅんとしていた。あれは空元気というものだったのかもしれない。じっと俯いたままで、一歩進む度に口数が減っていく。
「ラルバ君」
見かねたイデアが声をかけて、ようやく彼は顔を上げた。
「貴方について、ずっと気になっている事があるの」
「オレが昔人を殺したって?」
「え?」
イデアが目を丸くした。
「あの白いのが暴露してくれちゃったんだもんなぁ。あいつさえいなければ、オレは忘れたフリをしてればお前らにバレる事はなかったのに……あははははは」
彼は渇いた笑い声をあげる。だが、その目はちっとも笑っていなかった。
それは、自分自身を嘲笑うかのような悲しい笑い声。
「待って、違う。それは貴方の誤解────」
「何が?」
足を止め、ラルバが真顔でイリス達を見つめる。
「知ったように言ってんじゃねーよ。何も知らないくせに」
「だったら教えてください。あなたの事……」
「いいよ。バレちまったもんは仕方がないから、この際何もかもぶちまけてやる」
そう吐き捨てると、彼は近くの木の下に腰掛けた。
*
魔女へと豹変したミカエラに押し倒されたその瞬間、彼が見たのは幻。記憶を蝕み、精神を苛み続けてきた黒い夢。
火の粉が舞い散る真っ赤な空が見えた。それは魔女に魅入られた少女の瞳の色にとてもよく似ていたから、ラルバは忘れようとしていた悪夢を自ら呼び覚ましてしまったのだろう。
「そのときから────耳について離れないんだ。竜に踏み潰されたステラの……叫びが……」
そうラルバは語った。
「じゃあ、あなたが殺したっていうのはやっぱり」
「ステラの事さ。イデアさんならわかると思うけど、オレと違って優しくて可愛い奴だった」
「でも、それならステラちゃんを殺したのは竜でしょう。ラルバ君は危険を冒してまで助けに行ったじゃない。何も貴方は悪くないの」
イデアを見つめ、ラルバがぽつりと言った。
「……魔が差したんだ」
「魔?」
「家の窓を壊してステラを助けだしたまではよかった。でも三つ首の竜が炎の中からいきなり現れて、その姿を見た瞬間、急に怖くなったんだ。それまではステラが死ぬ事が一番怖かったのに────で、思ったんだ。ステラを囮にすれば竜はそっちに行って、オレは助かるんじゃないかって」
見捨てた事で人を殺した、とはそういう意味だったのだろう。
イリス達が黙り込んだのを見て、ラルバは慌てた様子で付け加えた。
「でもさ、考えてもみろよ? 例えばオレが犠牲になってステラを助けたとして……あんな火の海の中を一人で逃げれるはずないじゃん! 二人共竜に殺されるところだったんだぜ? どっちにしてもステラは助からない。だから、変に身代わりになって全滅するより一人だけでも生き残った方がいいに決まってるだろう!?」
最後は悲鳴に近かった。
「でも、私が来てなかったら貴方も死んでいたわ……覚えてる? 貴方、竜の前で魂が抜けたみたいに突っ立ってたのよ」
「あの悲鳴のせいでオレも動けなくなったんだ……イデアさんも助けに来てると知ってたら、オレはステラを見捨てなんかしなかったよ」
「何ですかそれ……」
心から沸き上がったのは軽蔑。
自分の事が好きで好きで仕方がないんだ。幼いステラを可愛がっていたのもそんな自分に酔っていたからかもしれない。蓋を開ければただの小心者。どうしようもない、ただの────
いや、違う、とイリスは思った。
これだけ聞けば、彼はただの開き直った臆病者かもしれない。だが、イリスは昨夜の地点でラルバの真意になんとなく気づいていた。
冷たい視線を感じ取ったのか、ラルバは言い訳をやめて薄く笑う。
「……今オレの事、クズだって思っただろ? 悪いな、オレはどうしようもない駄目人間なんだ」
「だったら、どうして泣いてるんですか?」
「え」
ラルバがびっくりしたように自分の頬に手を当てる。
「今じゃないですよ。でも、あなたは毎晩うなされて、その度にとても悲しげな声で泣いてるんです。ごめん、許してくれって。駄目人間だって開き直るのは、罪悪感から身を守るためじゃないですか? そうしたら自分はクズだからって言い訳ができるし」
自分の頬に手を当てたまま、無言でラルバが目を伏せた。
彼は自分は悪くないと言い張りながらも、見捨てた事を心から後悔している。
緑目狩りの親分に一人で逃げ出した事を指摘されたとき、そしてファドに糾弾されたときに彼が言葉も出ない程動揺していたのはきっとそのせいだ。
本当は彼だって気づいているはずなのだ。こんな事になってしまった原因に。ただ、認めたくないだけ。
ラルバは観念したように目を閉じ、一拍置いて静かに言った。
「────わかってるんだ。このままじゃ、また同じ後悔を繰り返すだけだって。実際似たような事は何度もやらかしてるし。わかってるけど、どうしたらいいのかわかんなくて……オレ、ルークやイデアさんみたいに誰かを守れる程強くないからさ」
「そんな事ない」
ラルバがびっくりしたようにイデアを見た。彼女がラルバの手を強く握りしめたからだ。
「貴方は、悪に立ち向かう勇気を持っている。自分で思ってるよりずっとずっと強い人よ」
全てを包み込んでくれるような、いつものイデアの温かい声。最近はとても弱りきっていたから、なんだかイリスも安心する。
それでも何か言いたげなラルバに、イリスも補足した。
「本当に弱いのなら、そもそも最初からステラちゃんを助けになんて行ってなかったでしょうしね」
彼は本当は強いはず。でもきっと、何かがまだ足りないのだ。
「絶対私の呪いを解いてみせるってラルバ君言ったわよね。私────信じてるんだから」
「……! そうだった……」
その瞬間、ラルバから迷いや恐れといった暗い感情の全てが消え去ったように見えた。
「こうしてる間にも呪いが進んでいるかもしれないのに、過去をいつまでも悔やんで、弱気になってる暇なんてなかったんだ……。イリスの事は今はフォルテに任せておけば大丈夫。だから、オレはイデアさんを守る。オレはもう逃げないから」
きっとラルバに足りなかったもの。決して揺るがない、強い想いだった。その想いはやがて強さへと変わっていく。
一瞬、イデアが不安げな顔を見せたがすぐにふわりと笑顔になった。
「ありがとう。きっと貴方なら大丈夫」
イリスは二人に気づかれないよう踵を返し、そっと距離を置いた。
きっともうラルバは魔女の闇に呑まれる事はないだろう。これで、よかったのだ。
ふいにフォルテの姿が見えない事に気づく。戦闘時以外は基本的に後ろから付いて行っているだけだから、いなくなったのに気づかなかったのだ。
彼はすぐ見つかった。少し遠く、だがイリス達の姿がはっきり見える木陰に腰掛けていた。まるで眠っているかのように目を閉じた彼の頬を山からの涼風が撫でていく。
「……フォルテ?」
イリスが近寄ると、フォルテはすぐ目を開けた。
「出発ですか、イリス様」
「いえ、もう少しここで休んでいても大丈夫だと思いますよ。あなたが一瞬どこかわからなくなってしまって」
「申し訳ありません。私は、奴を理解できないのにあそこにいても無駄だろうとここで様子を見ていたのです」
「ラルバさんに対しては相変わらずですね。怒らなくなったからとっくに許したと思っていたのに」
呆れ気味にイリスは言い、フォルテの横に座る。ひんやりとした空気が満ちるここでは、木陰は少し肌寒くも感じた。
「私はイリス様に悪影響を及ぼさなければ良いのです。それに、私がラルバを理解できないと言ったのは決して嫌いという意味ではありません」
これは意外だ。フォルテはラルバの事を嫌いではないというのか。見捨てたり、胸ぐらを掴んだり散々な扱いだったと思うのだが。
イリスには、俄には信じがたかった。
「……ふうん? 嫌いじゃないのに、殺そうとしますかね?」
「先程も言ったでしょう。彼が危害を加えようとするなら容赦なく痛めつけますが、何もしなければ後はどうでも良いのです」
本当に呆れた。好き嫌いの基準が私に害をなす存在か否かなんて。
イリスはこういう話を聞く度にこめかみが痛むのを感じる。守ってくれるのはたしかにありがたいのだけども、いちいちうんざりするのだ。
「じゃあ理解できないのは別に嫌いって意味じゃないというなら、一体どういう意味なんです」
「悲しみや苦しみといった感情が、私にはわからないだけです」
「ああ、そういう事ですか。フォルテは感情そのものが無いんじゃないですかね」
「……そうなのかも、しれません」
一瞬の間があったものの、いつもと変わらない調子で彼は言った。
そういうところがフォルテの嫌いなところだ。過保護すぎるところ、血も涙も無いところ、そしてまた一つ増えた。皮肉も冗談も通じないところ。
話しかけても返事は淡々としているし、あちらから話しかけても来ないしでフォルテと居るのも飽々してきた頃、ちょうどラルバとイデアが二人を呼んでいる声が聞こえた。
「出発みたいですね。行きましょう、フォルテ!」
まるで彼らの声が天からの助けのように感じた。イリスは素早く立ち上がると、腰が重そうなフォルテを引っ張りつつ嬉々として二人の元に走っていった。




