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第六話 無色の青年

短い話を一つにまとめたような感じになっております。

 奇怪な出来事が起きた。

 ラルバの前で緑色の光が瞬いたかと思うと影達はミカエラをも巻き込み、突風にでも煽られたかのように吹っ飛んだのだ。地に着くや否や影は一瞬にして消滅、ミカエラだけそのまま地に叩きつけられた。


 何が起こったのか、遠巻きに見ていたイリス達には全くわからなかった。ラルバも同じようで呆けた様子で失神したミカエラを見下ろしている。

 彼は、フォルテに支えられてぐったりしているイデアを見て飛び上がった。


「……イデアさん!」


 ミカエラを抱きかかえ、慌てて丘を駆け下りてくる。


「フォルテ!! イデアさんは……」

「私は大丈夫……それより」


 今にも消えてしまいそうな声で、イデアが応えた。フォルテの手をよけて、おぼつかない足取りでラルバに近づいてくる。


「ミカエラの中の、魔女を……」

「待ってください、それ以上魔法を使ったらお姉様は消えてしまいます!」

「せめて、イデアさんが回復してからでも……」


 イリスがイデアの腕を引っ張ったものの、強引に振りほどかれる。ラルバも首を横に振って、イデアから後ずさった。


「またいつ暴れ出すかわからないじゃない……!!」


 イデアは冷静さを失っているように見えた。魔女がイデアに固執するのと同じように、イデアも魔女に固執しているのだ。


「ラルバ君、さあ早くミカエラを私に」


 イデアらしくもなく早口でまくしたてる。


「嫌だ」

「時間がないの、早く!」

「待って」


 彼女とラルバの間に割って入ったのは、先程のウサギ耳の青年だった。


「あなたは……」

「さっきは迷惑をかけたね。この不思議な人が、私を我に返らせてくれた────魔女には逆らえないんだ」


 ありがとう、と青年はフォルテに笑いかける。フォルテは何をするでもなくただ無表情で見つめ返すだけだった。


「話を戻そうか。イデア、あなたは焦りすぎている」

「魔女の手下に言われたくないわ」

「この人がそうだっていうんですか?」

「私は魔女の力を感じ取れるって知ってるでしょ。一体なんのつもりでラルバ君に近づいたの……答えなさい」


 詰め寄るイデアに、彼は動じなかった。

 青年は違う世界の人間のようだった。彼の中で色彩を持つものは淡い桃色の瞳と首に提げた金色の懐中時計だけ。それ以外は風来坊を思わせる外套や羽根のついた帽子は漆黒、ウサギの耳や肌は純白に染め上げられている。


 いや、無色のようにも見えた。

 何色にも染まっていない白と何色にも染まらない黒。


「さすがだね。たしかに私は、魔女によって生み出された────所詮あの影達の同類さ。だから魔女の命令に絶対に逆らう事はできない」

「じゃあ、ラルバさんを助けたのも魔女の……」


 いや、と青年は首を振る。


「ただ純粋に助けたかっただけなんだ。それに、私は魔女を憎んでいる。でもイデアは今無理をしてはいけない」

「何故? 何がいけないというの?」

「やっぱり、冷静になった方がいい。もしそれであなたが消えてしまったら一体誰が魔女からイリスを……いや皆を守るんだい? 魔女を倒せるのは自分だけと言っているのに?」


 イデアが声を詰まらせた。


「私はいずれ魔女と戦うつもりだ。私だけじゃない、自由を愛するジルエットだって本当はこのままで良いと思ってるはずがない。私達は皆、魔女に縛られている状態なのだから」

「……ジルエット?」


 思いがけない人物の名に、ミカエラを抱きしめたままぼんやりとしていたラルバが顔を上げた。


「そう。私達は魔女が好き勝手使える人形としてつくられたんだ。しかも、魔女の力が足りないせいでジルエットは鷲、私は白ウサギが混ざったような姿で生まれてしまった。中にはこれ以上に色々混ざって生まれてしまった奴もいる……私達は何にもなれない《異形》なんだ。魔女を恨まないはずがないじゃないか」


 そう語る彼は、あくまで穏やかだった。だが静かな怒りと嘆きは瞳が物語っていた。

 自らを生み出した魔女に対する怒りと、こんな姿で生まれてしまった彼らの悲しみはきっと彼らにしかわからないだろう。


「でも、貴方達は魔女に刃向かえないじゃない」

「わかっている。だが、私達は必ずいつか革命を起こす。そのためならば手段も選ばない。だから……イデア、どうか死に急がないで欲しい。少なくともイリスがいれば消えはしないはずだから」


 そして、とうとうイデアが折れて頷いた。


「……わかったわ」

「ラルバ、そういうわけだから、しばらくミカエラは君に任せたよ」

「え」


 不意打ちを食らったラルバが一瞬固まる。


「ちょ、待って。そんな、なんでオレがコイツを────」

「だって、イデアが回復するまでその子はずっと危険な状態なんだよ? 大丈夫さ。数時間だけだし、見た目はイリスだから二人共イリスだと思えばいい」

「えーそりゃねえよ……」

「じゃあ、そろそろ使い魔は去る事にしよう。ラルバ、またいつかどこかで……」

「あ、あの」


 背を向けた青年に、思わずイリスは声をかけた。

 なんだい、と青年が振り返った刹那、星明りは彼の髪を銀色に煌めかせて顔に物憂げな陰影をつくる。

 その神秘的な美しさに心を奪われそうになりながらも、イリスは言葉を紡いだ。


「えっと、ということはあなたは味方なんですよね」

「一応、そうなるのかな」

「一緒に来てはくれないんですか?」

「私がいると、イデアに悪影響があると思う。それに私は自分の事もまだわからないから知りたいんだ。何故、魔女が私を生み出したのか」

「そうですか……ええと、そういえばお名前知りませんでしたね」

「名前────ファド・サウダーデとでも言っておこうか。実は私はまだ名前がないから、咄嗟に考えたんだ。どうだろうか」

「良いんじゃないかしら……ありがとう、ファド」


 イデアが言うと、彼は帽子を取って返礼をした。





 なんだか、悪い夢を見ていたような気がする。あたしがあたしでなくなってく夢。湧き上がる悪意と狂気に染まっていく。


 目を開けると、すぐにミカエラはベッドに寝かされている事に気づいた。

 見慣れた部屋じゃない。

 視界に入った乱れた桃色の髪を見る。まだイリスのままだ。

 起き上がって、見覚えのある後ろ姿を発見する。


 悪夢の中で唯一聞こえた自分を呼び続けていた、大嫌いなあいつ。


「ラルバ……!!」


 椅子に腰掛けている彼は、机に頬杖をついて動かない。


「ねえラルバ、どういう事よ。なんであたしがあんたと同じ部屋にいるの。てかここどこよ?」


 耳が遠いようなので、わざわざ近づいて言ってやった。それでようやく、のろのろラルバが振り向く。


「……ああ、起きたの。ここ、宿だよ」

「あたしがなんでこんなとこにいるのって聞いてるんだけど」

「なんか上から目線でムカつく……まあいいや。覚えてないんだ?」

「何を?」


 気だるげな彼の言葉に、悪夢が現実であった事を知る。


「お前が魔女に取り憑かれてたのを助けてやったんだよ」

「魔女? 取り憑くって何それ……幽霊みたいなんですけど」

「まあ、実体無いし幽霊みたいなもんじゃない? 知らねーけど」

「知らねーけどってこんな目に遭わせといて随分無責任ね」

「だって知らねーもんは知らねーんだもん。しかも自業自得だし」


 じろっとミカエラを睨むと、ラルバはぷいっと背を向けた。


「あんたが知らないもんあたしはもっと知らないわよ。魔女はなんで入れ替わった瞬間豹変したの? あんなに優しかったのに……」

「目当てはイリスの身体というかそこにある魔力だからな」

「……あんた達、何者なの? 特にイリス」

「オレ達? 旅人だよ、一応。イリスについては……秘密」


 ふと、これ以上首を突っ込んではいけないと直感で感じた。

 イリスの正体も、魔女も知らない方がいい。彼らが何者かなんて気づいてはいけない。

 だが、推測は止まらない。

 彼らは一人を除いて、ただでさえ数の少ない《ゲムマ族》。それに、ここらへんは緑目狩りが出るから彼らにとっての危険地帯だったはず。何故こんなところを旅しているのか。


「……帰る家は」

「無いよ」


 抑揚の無い彼の言葉で確信してしまった。

 彼らは山の麓に住んでいたという《ゲムマ族》の生き残りだと。山で凄まじい火事があった事はミカエラも知っている。それで山の麓の村も一緒に焼けて村人も皆死んだと。

 しかも、恐ろしい事にミカエラが魔女と出会った時期と一致している。


「まさか、魔女があんた達の……」

「大体、そうなるのかな。オレのおふくろも嫌いな奴らも皆、殺された」


 森を焼き払うような奴が優しいわけがない。人々の願いを叶えるだなんて、そんな都合の良い奴なわけがない。

 もう少し彼女が何者なのか考えるべきだった。そんな恐ろしい存在だったなんて、他に何人の人間が知っているだろうか。

 ミカエラが目覚めたときラルバがぼーっとしていた理由も、耳が遠かったからじゃない。きっとなくなってしまった村の事を今も────


「ごめんなさい、あたし……何も知らなかった……」

「だろうな」


 絶句するミカエラに、ラルバは素っ気なく返した。


「何が恐ろしいって、その魔女がまだお前の中にいる事だよ」

「……!」

「まー、ぶっ飛ばして大人しくしてやったし、大丈夫じゃね? 後少ししたらイデアさんも回復して追い出してくれるし」

「ぶ……ぶっ飛ばしたって」

「その事も忘れたのか? なんか知らないけど、ぶっ飛んでったんだよ」


 その瞬間、ミカエラの中に僅かにこみ上げてきた、ラルバに対する情や憐れみといった感情が一瞬にして消え失せた。


「あんた……女に手上げやがったな? 仮にも仲間の姿をしてんのに!!」

「女? 目の前にいるのは美少女の姿を借りた不細工だけだぜ?」

「前から思ってたけど、あたしに対してだけ酷すぎない!? あたしこれでも不細工って言われたの生まれて初めてなんだけど!」

「夜中なんだから静かにしてくれよ。本物が起きてしまう」

「本物ぉ?」

「ああそれと、あんま喋らないでくれ。お前の口調がイリスを汚してる」

「なっ……!!」


 ムカつく。超ムカツクコイツ!!!


 そこに壺でもあったら叩き割ってやりたい気分だ。

 怒鳴りたくても怒鳴れないこの状況で、ラルバは心の底からミカエラの反応を楽しんでいるようだった。暗い表情は消え、饒舌に貶しまくっている。


 気持ちを抑えて、ようやくミカエラも言葉を絞り出す。


「……調子に乗りやがって。どうせ自分より強い奴に対してはヘコヘコしてんだろこのヘタレ」

「あん? 誰がヘタレだって?」


 効果は抜群。暗い部屋に、ラルバの目がきらりと光った。

 燃え上がった火に油を注ぐように追い打ちをかける。


「だってそうじゃん? あたしこれだけは覚えてんだよ。魔女に怖気づいて一人だけ逃げるあんたの姿をさ! 情けないったらありゃしねえ!」

「う……うるせえっ!」

「なーに、図星過ぎてそれしか返す言葉も無いって?」

「てめえ、せっかく助けてやったってのに、そのオレに喧嘩売ってんの?」

「売ってないよ。売られたのを買ってるだけ!!」


 この際昼だの夜だの近所迷惑だの、そんなのもう関係ない。

 堰を切ったように飛び交うのはクソ野郎地獄に堕ちろ、キメエ死ね不細工はまだ序の口、とてもとても本物のイリスには口にできない程の数々の暴言────


「……あの、どうしましょうお姉様?」

「近づかない方がいいわ……何されるかわからないもの」


 実は少し前から扉が開いていて、すっかり怯んでしまったイデアとイリスが突っ立っているのにすら気づく気配はない。

 体力が尽きた二人が眠りに落ちたとき、それはまるで嵐が去った後のようだった。





 夏の夜明けは早い。煌めいていた星々はあっという間に群青の空に消える。

 ラルバもミカエラもその場で眠りこけているのを確認して、イリスとイデアは部屋に踏み込んだ。


 静寂しじまと深海のような青に満たされた時間。邪魔をしていた者達も、深い夢の中へ。


 イデアはミカエラの元へ行き、光の魔法を纏った手を彼女の身体に押し付けた。

 やがてミカエラの背から黒煙のようなものが上がり、シュワシュワ音を立てて消えていく。


「やっぱり、これも本体じゃなかったのね……」

「ただの分身ってことですか。あんなに暴れてたのに」

「影や分身達は魔女の悪意そのもの。理性や知性の欠片もないからあんな風に暴走しやすいんじゃないかしら」


 立ち上っては消えていく煙を見つめながら、イデアは淡々と語る。

 儀式の様子を、イリスは息を呑んで見つめているしかできない。イデアの身体が大丈夫そうだとわかると、心配事もなくなって暇になってきた。思ったよりも時間がかかるのだ。

 だから椅子にもたれかかりすぎて、身体が反ってしまっているラルバの方へ近づいて行った。


「すごい格好で寝ていますね」


 起きた時に腰かどこかがおかしくなってそうだなと思い、イリスは彼の姿勢を直そうとした。


「よほど疲れたんでしょう。放っといてあげなさい」


 こちらを見もせずにイデアに止められるが、イリスは、それに返事をしなかった。いや、できなかったのだ。


「……イリス? 聞いてるの?」


 少し苛立ちを滲ませて彼女が振り向いたことも、イリスは気づかなかった。

 イリスはラルバの寝顔を見つめていた。

 苦痛に顔を歪ませ、苦しそうな息が口から漏れている。


「イリス」

「ラルバさんが……苦しそう」

「え?」


 寝不足、悪夢、フォルテが語っていた彼の涙、ファドの言葉、あの日の抜け殻のようなラルバ────

 イリスの脳裏で色々な記憶が巡り、繋がっていく。


「そういえば……ファドさん言ってましたね。ラルバさんはかつて見捨てる事で人を殺した事があるって。まさかずっとずっとその事を……」

「それは何かの間違いよ」


 イデアがきっぱりと言い放った。


「ラルバ君の力は今も残ってる。本当に誰かを殺めたのなら《ゲムマ族》の禁忌に触れて、力は消えてしまうはずだからありえないわ」

「禁忌……?」


 初耳だった。

 イデアが初めて手を止めてこちらを振り返って頷く。


「そうよ。女神は命を愛しているの。動物を無闇に殺したりすると女神に嫌われて、せっかく女神から授かった力を永遠に失ってしまう────という伝承がある。私の周りでそんな事する人間を見たことが無いから確実ではないけれど、もしこれが本当ならば、ラルバ君が誰も殺していないという決定的な証拠になると思う」


 違う、と思った。

 曖昧な死もある。直接手にかけなくたって、言葉のみで死に追いやる事も簡単にできるのだから。けれど、それをどう言えばいいのかわからなくて、イリスはただ黙りこむしかできなかった。


「でも、非常に危ないわ。もしその事をずっと気に病んでるとしたら……魔女はそこを狙って追い詰めてくる。そんな事させないんだから!」


 一人決意を固めるように、強い口調でイデアは呟く。

 イリスは、力無く垂れたラルバの右手をそっと握った。


「……私も、力になりますから」


 一瞬、それは呻き声かと思った。だが、イリスは決して聞き逃さなかった。

 何かに苦しむラルバの声を。


「許してくれ……ステラ……!」


 彼の頬を、冷たいものが伝った。

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