第五話 魔女に魅入られた少女
影達の群れの中心部、丘の上空で両手を広げている人が見えた。
「……!!」
イデアと青年の目つきが一気に鋭くなる。
まぎれもない変わり果てたイリス────いやミカエラの姿だった。長い桃色の髪は触手のように広がり乱れ、若草色だった瞳は今や紅蓮の炎のように暗闇の中に燃えたぎっていた。
彼女が影を生み出し続けているのだった。
「ラルバ」
青年がぽかんとしているラルバの方を見た。
「彼女はあなたに好意を持っていた。もし彼女の中に正気が少しでも残っていれば……あなたが呼び続けたら我に返るかもしれない」
「……なんでオレがそんな事をしなきゃいけねえんだよ。アイツは、自業自得だ」
ふて腐れてそっぽを向くラルバに青年は更に語りかける。
「そうかもしれない。でも彼女はただ巻き込まれただけで、本来魔女とはなんの関係もない被害者なんだ。それに、私は知ってるよ。あなたはそうやって見捨てることで……人を殺した事があるんだろう!?」
刹那、ラルバは氷の刃に身体を貫かれたかのように凍りついた。そんな彼の背中を、青年は軽蔑の目で見据えている。
冷たく、そして激しく責め立てる青年の剣幕にイリス達は止める事はおろかラルバを庇う事さえできなかった。
「こ、殺したって……そんな馬鹿な。オレのせいじゃねえよ」
「オレのせいじゃない、だって? また責任転嫁をして逃げる気かい? 本当は自分でもわかっているはずだよ、あの日何もできなかった自分の無力さと愚かさに。あなたはまた同じ後悔をしたいのか? 今度こそ全てを失う事になるぞ……その手に残った大切なものまで、何もかも!!」
「……う、わかった、わかったよ……オレがアイツをどうにかするから、もうやめてくれ」
ラルバが頭を垂れて力なく頷くと、一転青年の声は温かい響きを帯びる。
「……それでいいんだ」
「でも、その前に教えてくれよ。お前はなんなんだ? 初対面のお前が、なんでオレの事を……?」
その問いに、青年はふっと笑みを見せる。
「だって、私はあなたの記憶の一部を持っているから。少なくとも人間じゃないって事は……これを見ればわかるよね?」
「…………」
青年の帽子から飛び出た長く白いウサギの耳は、自身が持つランタンでオレンジ色に染まってぴょこぴょこ揺れ動いている。
「さあ、もう行かなくては。私達がラルバに襲い掛かる影を追い払おう────イリス、イデア、そしてフォルテ。協力してくれるね?」
三人はウサギの耳を持つこの謎の青年に呆気にとられたまま、黙って頷いた。
気になる事は山のようにあるけれど、今はミカエラを救う事が第一だ。
ゆっくりと顔を上げたラルバは、四人に守られながら一人ミカエラのいる丘へ登っていく。
「……ミカエラ。おい、ミカエラ!!」
彼が名前を呼び続ける中、イリスは慣れない戦いに無我夢中で短剣を振り回し続けていた。フォルテもイデアもそれぞれの魔法を駆使して攻め続ける。
青年が司るのはジルエットと同じ風。神速で野を駆け巡り、左手のナイフで立ちはだかる敵を斬り裂き、ランタンで容赦なく殴りつける。
一方ラルバの声はなかなかミカエラに届かない。彼女はただただ空を仰ぎ、笑いながら影を呼び続けるだけだ。
ふいにイデアが動きを止めた。上空のミカエラをきっと睨みつけたかと思うと突然彼女に光線を撃ち放った。
ミカエラの身体を一筋の光が貫き、影が固まる。
「お姉様?!」
「あの人はなんとしてでもラルバ君に解決してほしいと思っていたようだけれど、魔女を倒すのは私にしかできないの……」
ミカエラの身体は地面に落下。影の姿も一人でに散っていく。
「……痛い」
倒れた彼女がそう呟くとよろよろと起き上がって、側にいるラルバと丘の下にいるイリス達を交互に見つめた。
「ミカエラ!」
「ラルバ……どういう事よ、あんた達何者なの」
「はぁ?」
「はぁ? じゃない! 特にイリス、あんた、あたしを身代わりにしたわね!! こ、この……性悪女がァッ……!!」
ミカエラがイリスを指差して喚き散らす。
弁解をするつもりはなかった。つまらない願望が色んな人間に迷惑をかけた事は揺るぎない真実だから。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい……私の身体を手に入れたあなたを魔女が狙うとは、思ってもいませんでした。でも、そこまで考えがいかなかった私が、浅はかだったんです。巻き込んでしまって、ごめんなさい!」
ミカエラに聞こえているのかいないのか、何も言ってはこなかった。代わりに俯いて、ただただ震えていた。
「チッ、性悪女はどっちだよ。どーせ、てめえの方から誘ったんだろ、え? ……おい聞いてんの? 泣いてんじゃねえよ」
ラルバが眉をひそめて舌打ちする。
だが、それにしては様子がおかしい。段々と息が荒くなって、苦しそうに胸を押さえてうずくまった。
「……?」
「いっ……や……助けて、助けてラルバ…………!! なんかあたし……おかしいの、あたしがあたしじゃないの……身体が言うことを、きかない……こいつ、私じゃないよう……信じてラルバ……!」
顔を歪めながら、ミカエラが後ずさったラルバの足にしがみつこうとしてくる。
「下がって、ラルバ君!!」
イデアが言うが否やミカエラに光線を放つ。
が、それは突如立ち上がったミカエラの手で受け止められる。いや、正確には彼女の手から発せられた黒い波動によって消されたのだ。
「危ない」
青年が呟いたのと、ミカエラが今度はケラケラ高笑いしながらラルバを押し倒したのが同時だった。
「ぐっ……う」
ラルバは、もがく事なく地に倒されると同時に動かなくなった。
「ありえない! ありえないわ!! この私にちっぽけな光線を撃ったあの売女も、私を否定してあの女を選んだあんたも、みーんなありえない! アハハハハハッ!!!」
ミカエラのいる丘を中心にして再び影が姿を現す。が、今度はゆらゆらとゆっくり近づいてくるだけではない。
怒り、憎しみ、嘆き、妬み。あらゆる悪意をはっきりと抱いてイリス達に襲い掛かる。
その悪意はミカエラの闇か、それとも魔女の闇か。
「お姉様? だっけ? その程度で、私に敵うとでも思ってるわけぇーっ!?」
「あ、待って……!!」
イデアの制止も利かず、青年は勝手に走り出していた。向かってくる影達をすり抜けて、短剣を振りかざしながら大きく宙を舞う。
「彼から離れろ、黒の魔女っ……!!」
「やかましい! 小動物の分際で、この私に逆らうなぁっ!!!」
ミカエラがそう叫んだ瞬間、時間が止まったかのように青年がその場で固まった。
そのまま彼は真っ逆さまに落ちていき、ランタンの灯りが消えた。たちまち影達が群がっていって見えなくなってしまう。
「嘘……」
「これでわかったかしら? この私に逆らう事なんてできないってこと。でもまだ気が収まらない。ねえ、あんたもいつまでも寝てないで手伝いなさいよ!! 早く、あのメス豚を殺せ────ッ!!!」
ミカエラが金切り声で叫ぶと、黒い影の中からゆらりと白い青年が現れた。が、様子が違う。
再び彼の目が開かれたとき、薄い桃色の瞳は血のような真紅へ染まる。
「え……?」
彼は何も言わず、ただイリスもフォルテも無視してイデアの方に直進していく。その手に持っているのは壊れたランタンと鈍く輝く刃。
それだけではない。影達も顔と思われるところから巨大で真っ赤な一つ目が現れる。標的を探すようにギョロギョロと目玉を動かし────イデアで目を止めた。
「フォルテ!!」
「わかっています!」
刹那、一斉にイデアを殺しにかかってきた。
影は蟻だ。女王蟻である魔女が生み出したそれは一体だけなら素人のイリスでも勝てる程弱いけれど、集団で一斉に襲い掛かってくる。
しかもミカエラの声一つで青年まで敵に回ってしまった。
フォルテが青年を食い止めようとするも、神速に圧倒される。
どんな攻撃を使っても青年はいつのまにか後ろを突いてくる。フォルテにはなんとか岩と砂を操って防御するしかできない。
イデアは四方を囲む影達を見回して、二人がいる方に光線を撃とうと構えた。
が、何も起きない。
「嘘でしょ、こんなときに……!!」
再び撃とうとするが、あの閃光が二度と放たれる事はなかった。
「そ……んな」
イデアが膝から崩れ落ちる。
もう、今の彼女に魔力は残されていないのだ。これ以上魔女に力を奪い取られれば、それは彼女の存在の消滅に直結する。
どうしよう、と影を潰しながらイリスは頭で打開策を考えていた。
すぐにミカエラを操る魔女を倒す必要があるが、イデアの光線をいともたやすく受け止めたり、命令一つで青年が操られてしまったところを見てもイリスやフォルテも同じ目に遭うだけだ。
……ラルバしかいない、と思った。
「いやああああああ! うっ、あああぁぁ……!!」
イデアの悲鳴と呻き声があたりにこだまして、二人は弾かれたように振り向いた。
影がイデアに辿り着いてしまったのだ。無力になった彼女に、無数の黒い腕が纏わりついていく。
「……うわあああああーっ!!」
イリスは叫び声をあげて、増えていく傷もかまわず影を無理やり短剣でかき分けながらイデアの方へ猛進した。
黒い腕を振りほどいて、突進で押し退け、首を締められても握りしめた刃で引き裂いていく。
「イリス様、私も……」
「……彼女の身を案じる前に、自分の身を案じるべきだったね。フォルテ」
「!」
青年の声にフォルテははっとするが、もう遅かった。
フォルテが気づいたとき、彼の左胸には既に深々と短剣が突き刺さっていたのだから。
青年は笑っていた。そしてフォルテは自らの胸に刺さった短剣にゆっくりと視線を落とし、まじまじと見つめる。
「……いつの間に……」
と、平然とそれを引き抜いた。
「え?」
「もしも長剣だったら、危なかったかもしれないな……」
面食らう青年にフォルテはほんの僅かに笑っているようであった。
「す……砂で作った分身か!? 本物はどこにいる?」
「おれが本物だ」
「だったら何故……」
青年が言い終わる前に、四方八方に散らばった岩の塊が一斉に動き出す。先程フォルテを守って砕け散った壁の破片達。
「今、楽にしてやる」
フォルテのその言葉を合図に、岩達が包囲するように青年に迫ってくる。
神速さえ囲まれてしまっては無力だった。青年はあっという間に、再び集まった岩に潰されてしまった。
「……イリス様!」
フォルテはイリスの元へ行こうとしたが、ふと立ち止まる。
背後の巨大な岩の塊に「もういい、やめろ」と呟くと、岩は一瞬にして崩れ黄色い砂へ変わった。
砂まみれになった青年が身じろぎをしたのを確認すると、今度こそフォルテは走りだした。
一方イリスはイデアを抱きしめたまま、ひたすら影の攻撃に耐えていた。
数はどんどん増し、恐怖と痛みが全身に襲う。視界が真っ黒に埋め尽くされていく。
ミカエラをどうにかしないといけないのはわかっている。けれどイデアを放っておくわけにはいかない。
せめて、いつもの姿であったなら魔力を分ける事もできたのに……!!
と、ゴウと音がした。渦を巻く幾つもの砂塵が影達を締め上げ、次々と消し飛ばしていく。
「イリス様、ご無事ですか!?」
「フォ、ルテ……私は、大丈夫です……」
フォルテがイリス達を助け出したときには、彼女は満身創痍になっていた。
丘の上からその光景を眺めていたミカエラは軽く舌打ちをする。
「なにあいつ。腹立つわぁ……!! まとめて皆ぶっ殺してやる!!」
「うぅ……」
彼女は視線を落として一瞬言葉を詰まらせた。
ラルバが真っ直ぐに彼女を見つめていたのだ。
「あら、やっとお目覚め? 貴方の大好きなイデアちゃんは今にも死にそうになってるわよ?」
彼が目を見開いた後、悲しげに目を伏せる。
「貴方が悪いのよ。でも、貴方だけは助けてあげるわ! 代わりに今丘の下にいる奴らはみんなみーんなぶっ殺すけど!!」
「……ミカエラ……」
「悲しい? 悲しいでしょ? でも、ミカエラが狂ったのもあいつらを死に追いやったのも全部あんたが原因がなんだから自業自得よね、アハハハ……」
「ミカエラ!!」
びくりとミカエラが怯んだ。
「オレのせい? オレのせいでこんなことしたの?」
「……そうだよ、アンタのせいだよ」
ミカエラが答えた。今までは魔女が彼女に乗り移っていたように見えていた。だが、今は違う。正真正銘の、ミカエラの言葉。
「あたしはイリスが羨ましかったんだよ。妬ましくて恨めしくて、消し飛ばしたくなるほどね!! アンタ達はあたしと比べて自由だ! それに比べてあたしはどうよ、少しでも遊んだらあのクソ親父にはボロクソ言われて傷が残らないように殴られて、ただでさえ少ねー客に媚を売りまくって……!!
入れ替わってこんな生活とおさらばできるならって思ったけど……何も上手くいかない!! もう嫌なの! いっそ何もかも────」
「うるせえ、お前の話はどーでもいいんだよっ……!」
ミカエラの言葉が途切れた、派手に空を舞う。
その光景を見ていたイリスは思わず頭を抱えた。
うわ、投げちゃったあの人……
「いったあ……」
強打した背中をさするミカエラにラルバが一言。
「ブスだなお前」
「……はあっ!? 女の子殴っておいてブスって、どういう意味よ!?」
「そのままの意味だよ。元の見た目もブス、性格もブスって救いようねーな。イリスに勝てるはずねーわ」
「……っ!!」
別人格が目覚めたようにミカエラの目尻が吊り上がった。
「……もういい。私に、その減らず口が二度と利けないようにしてやるっ!!!」
突如目の前に現れた影達にラルバが怯んだ。
彼が動けぬまま、影の魔の手が伸びる。
「ラルバさんッ……!」
ラルバが反射的に腕で自分を庇う。そして彼を不気味に伸びた影が覆いかぶさっていく……ように見えた。
その刹那、彼の前で強い緑色の光が瞬いた、それと同時だった。影達がミカエラをも巻き込んで弾き飛んで行ったのは。




