第一話 帽子屋の看板娘
踏み込んじゃいけないところに片足を思い切り突っ込んでしまった娘の話。
何故、何もできなかったのだろう。
呪うべきは自分か、悲運な彼らの運命か、それとも黒の魔女か?
どちらにしろもう遅い。もう遅い。遅い遅い遅い遅い遅い────
次々と親しい人間が死んでいく。今生きている人間も、どうせじきに死ぬんだろう。自分だけ残して皆死ぬのだ。
一体、自分は何故こんな辛い目に遭わなければいけないのだろう。それ程の悪い事を、自分はしただろうか?
いっその事あの日に死ぬべきだった。そうすれば弱さに嘆く事も、時の流れで変わってしまったものに絶望する事もなかったのに。
望むなら、楽しかったあの日まで────
*
休息の町、ローズマリーズはドールハウスみたいな小さな家々が並び、色とりどりの花が咲き乱れるかわいらしい町だ。洒落た町並みと甘い花の香りは旅人にしばしの安らぎを与えてくれる。だからここは小さいながらもたくさんの人が訪れる町だった。
門の両脇にも花がたくさん植えられている。毎日きちんとお世話がされているのだろう、鮮やかなピンクの花びらや青々とした葉っぱには水滴がついていて、キラキラと光っていた。
「改めて見ると素敵な町ね。童話に出てきそうな……イリスこういうの好きでしょう?」
この町には小高い丘がいくつかあり、町全体を見下ろせるちょっとした絶景スポットとなっている。そこから見れば尚更、ここは季節の花に彩られた美しい場所だとわかるのだ。
だがイリスはイデアの問いにも耳を貸さず、迷子にでもなったかのようにきょろきょろと辺りを見回すラルバの方を見つめていた。そんなにこの景色が気に入ったのか、それともお店でも探しているのか。とにかく、そんな彼の様子が彼女にとってなんだかとても面白かったのだ。
「……イリス? ねえ聞いてる?」
「えっ? え、ええ。好きですよ。だーいすきです!」
内心の動揺を隠して慌てて笑顔を取り繕った。それを見て「……ふうん?」と首を傾げるイデア。
「そんな事よりもお姉様、私お店巡りがしたいです! 行ってもいいですよね?! というかなんと言おうと行きますよ!?」
今にも誘拐しそうな勢いでラルバの手を引いたものだから、彼はびっくりして声をあげた。それを睨みつけるはフォルテという護衛の男。彼もそこそこかっこいい方だとは思うが、無言の圧力とその体格のせいでなんだか近寄りがたい雰囲気がある。更に、いつも見られているような感じがして怖い。そもそも、男性の髪が長いのは好きじゃない。
「えーっと」と興奮気味のイリスにイデアは戸惑いながら言った。「いいけど……遠くに行っちゃ駄目よ? あと、お昼には帰ってきて。それと何か異変があったらすぐに────」
「全部わかってますから大丈夫ですよ! さ、行きましょラルバさん!」
「お言葉ですがイリス様……」
「あっ、フォルテ! これあげるのでお姉様とどっかうろついててください!!」
そう言って持ち出してきた銀貨二枚をフォルテに握らせ、何か言う隙も与えずさっさと二人から離れた。
────なんだ、意外といけるもんね。あたしがイリスって事、一瞬忘れてて焦ったけど……
彼女は内心ほくそえみながら歩く。
実は彼女、外見はイリスそのものだがイリスではない。ミカエラという名の全くの別人である。何故こんなことになったのか、そのわけは昨日まで遡る。
*
イリスが初めてミカエラと出会ったのは、彼女達がローズマリーズの町へ着いたその日の昼過ぎのことだ。
町に着いたのは明け方で、このときは結局宿に直行して眠ってしまったので皆が起きる頃には昼過ぎになってしまっていた。本当なら、ここは必要な物だけ揃えたらすぐ出発するはずだった。
消耗品や月光花を調合するための道具、山の気温が低い事を考慮して火を起こす道具などを揃えるため、イリス達は町を歩き回っていた。
ここはまともな買い物ができる最後の町だったのだ。
道は赤いレンガで舗装され、家々の窓には各々の趣向を凝らした様々な花が飾られている。お洒落ながらも目立ちすぎない、そんな感じの町並み。そして、辺りにはどこか甘い匂いが漂ってくる。誰かがお菓子でも焼いているらしい。何を焼いているんだろうとイリスは思った。クッキーか、そうでなければブリオッシュとか……
「腹減った」
丁度、イリスの心の声を代弁したかのようにラルバが呟く。
「なあ、ここって色々店があるのな」
「そうみたいですね。靴屋さんとか、仕立て屋さんとか喫茶店もあります」
「あーあ、食いたいなぁ」
匂いだけで、既にラルバの表情はとろけそうになっている。
「ねえお姉様、ラルバさんもこんな感じですし、ほんの少しだけこの町に留まりません? ここは休息の町ですよ!」
「そうね……まあ少しくらいだったら、いいかもしれないわね」
イデアもどうやらこの町を気に入ったのか、驚く程あっさりと頷いてくれた……どこか物憂げな横顔が気にかかったけれど、魔女が目の前に現れてからずっとその調子だった。
とりあえず調達は中断、ぶらぶらと当てもなく散策していた。ラルバだけは何か食べられそうな店を探していたのだが。
「ハーイ、そこのお兄さん達!」
彼らの元に、というよりラルバの元に少し背の高い少女が近づいてきた。年齢はイリスと同年代で短めのフレアスカートに、リボンが特徴的なベレー帽がよく似合っている。
「お兄さん……ってオレ?」
「あなた以外にいないでしょ? 横の子は彼女?」
「えっ?」
少女はイリスを見ていた。イリスもラルバもどう答えていいかわからなくて、お互い顔を見合わせているうちに「まあいいわ」と少女は続けた。
「あのね、よかったらうちのお店に寄ってかない? 絶対損はないから!」
少女はぱっと後ろを向いて一つの建物を指差す。
赤い屋根にかけられた大きな看板には帽子の絵が描かれている。文字は好き放題に躍ってるようにしか見えなくてよく読めなかったが、それで帽子屋である事だけは理解できた。
「買ってくれたらサービスするわ。あっでも、見るだけでも結構よ。お兄さん達みんな美男美女だから!」
ややウエーブのかかった、ツインテールの赤髪を揺らしながら少女はとびっきりの笑顔を見せる。
どうする、とラルバが耳打ちしてきた。機嫌を窺うような目つきで時々フォルテの方を見ながら。
「いいんじゃないですか? 見るだけでもいいなら……ね、お姉様……」
「さっすがお客様! じゃあ行きましょ、ほら早く早く!」
イデアが答えるより早く少女は軽い足取りで歩きながら、目をキラキラさせて彼らを手招きした。
*
黒くて光沢のあるシルクハット、リボンの巻かれたボンネット、更にキャスケットや麦わら帽子などが日当たりの良い店内に整然と並べられている。店主の几帳面な性格が窺える店だ。
「あら、珍しい! 今気づいたんだけどお客さん……《ゲムマ族》の方ね?」
店内で皆と離れ、イリスが一人で帽子を眺めていると先程の少女が近づいてきた。
「え、ええ。そうですけど」
「やっぱり! だって、あなたってすっごく綺麗な目をしているんだもの!」
少女は両手を組んで嬉しそうに小躍りしていたが、イリスが困惑している事に気づいたらしく「あ、ごめんね!」と慌てて付け加えた。
「あのね、ここに来るお客さんは実はいいトシした金持ちのおじさまおばさまの常連さんが多くて……同年代の子って滅多に来ないのよね。だから嬉しくなっちゃって、つい……」
「そうなんですか? そんな感じはしませんけど」
「そう思うでしょ? ここはあたしのお父さんの店で腕はたしかなんだけど、凝り性なもんで素材にこだわりすぎて一般人じゃ手が届かないくらい高くなっちゃうのよ。見るだけで結構って言ったのはそういうこと」
嬉しそうな表情からは一変、次々と愚痴がこぼす彼女は今は大きな目を細めてつまらなさそうな顔をしている。
それにしてもよく喋る、表情豊かな子だ。私の同年代の女の子って皆こんな感じなのかなと思いながらイリスは相槌を打ったりしていた。
「ね……あなたって話しやすいわ。あたし店の手伝いばっかで友達いなくてつまんなくてさ。よかったら色々お話しない? そうね……閉店した後とか! どう?」
「いいですね。ちょっとだけなら、いいと思います!」
「じゃ、決定! ああそうそう、あたしの名前はミカエラ。ミカエラ・ゼロフィリア。あなたは?」
「私は……」
一瞬迷ったが、まさかこの子に危害を与えるような存在とはとても思えなかった。でも周りにも人はいるため小声で言った。念のためハルモニアの名だけ隠して。
「私は……イリスです。イリス・ラ・ルーナエ」
「じゃあイリス。夜の七時には店じまいするから、そのときを見計らってこっそり裏に来てよ。あたし待ってるから。遅れたら承知しないからね」
ミカエラは名前の一部を隠した事には気づいてないようだった。人差し指を立てて、にこっとはにかんでみせる。
「わかってますよ。そっちも遅れないでくださいね?」
「当たり前じゃない」
そして二人で顔を見合わせて笑った。フォルテが帽子を手に取るふりして怪訝な顔で様子を見ているのも気にしなかった。
こんな経験は初めてだった。友達って、いつもこんな事を話して笑ったりするんだろうな。
「おーい、イリスー」
声がしてミカエラと同時に振り返ると、ラルバが手を振りながら近づいてくるところだった。
「ラルバさん? どうしたんですか?」
「イデアさんがなんか具合悪いから一回宿に戻るってさ。イリスはこれからどうする? オレはイリスをよろしくって頼まれてるんだけど」
「私は……」
イデアも心配だが、ミカエラともう少し一緒にいたかったのも本音だった。だが、イリスがミカエラの方を見ると「あたしの事は気にしないで」とでも言いたげに首を横に振る。
「でも、ミカエラちゃん……」
「だってぇ~、彼氏が来たら邪魔するわけにはいかないじゃん? いいなあ、あたしも彼氏欲しいな~」
「彼氏じゃないです!」
「なんでそんな必死になってんだよ。お前、オレの事好きなの?」
「ラッ……ラルバさんまで! からかわないでください、あなたには別の相手がいるはずです!!」
イリスが軽く叩くと、彼はまるで悪戯っ子のような笑みを浮かべながら逃げるように去っていく。イリスもそのあとを追いかけていった。
このときイリスは、ミカエラが笑っているものだと思っていた。だからまさかミカエラがとても寂しげな表情を浮かべていたなんて思いもしなかったし、ラルバも気づく由もなかった。




