第十四話 闇夜の決闘
イデアがラルバに告白をしてから、数日が経過した。イデアは夜、ラルバに寄り添ってもらうことで不安を打消し、ラルバはイデアと一緒にいることで悪夢を見る事はなくなった。二人は自然と一緒にいる時間が多くなった。
だが、あの夜も真実もイリスは知らない。仲良いな~なんて考えながらフォルテを引き連れ、夏草の匂い漂う小さな丘の道を歩くだけだ。
夏は真っ盛りとなり、春の暖かった太陽は今や強くイリス達を照り付ける。青い山々の向こうに待ち受けるは入道雲。
僅かな生ぬるい水さえも渇ききった喉にはオアシスのように感じる。でも、その分は汗となって一瞬で全部出ていくのだ。
右手で髪を持ち上げ、左手で首の後ろに風を送りながら思った。
髪長いと暑いな……ローズマリーズで髪留め買えたりしないかな……? ラルバさんには悪いけれど。というか私より暑そうな人がいる。
「フォルテ、見てるこっちが暑いです」
フォルテはいつも首から下の素肌が一切見えない完全防備だ。どれだけ露出が嫌なのか、という程。
「……見ているだけで暑いとは、どういうことでしょう」
真顔で答えるフォルテ。この人、多分暑いの意味もその感覚がどういうものかも知らない。何も言う気になれなかった。
「あー、前髪邪魔くせえ。ムカつく」
一方、ラルバ達もそんな会話をしていた。
「前髪?」
「濡れると張り付いて気持ち悪いんスよ」
「ラルバ君前髪結構長いものね。気分転換に切ってみたら? すっきりすると思うわ」
「別にいいッス。面倒くせえ。そんなことよりプラム食べたいな……」
「あ、プラムいいですね。私も食べたいです! オレンジもいいですけど」
「だよな。でもオレンジクソ不味くね?」
夏らしい倦怠感溢れる日常会話。ずっと続けばいいのにと思っていた。けれど、イリスは何も知らなかったのだ。魔女の手がもうすぐそこに迫ってきているということを。
運命の日は、丘の続く道を越えたその日の夜訪れた。そしてその瞬間は実に唐突だった。
夕日の欠片が山へと消えた頃。
焚き火代わりの光が今宵も輝きだす。月は完全になくなってしまったが、この光は月と違って欠けたりはしない。毎晩、皆が眠りにつくまで夜から守ってくれる。
だが、その光を作り出したイデアはずっと無表情のままだった。
「……イデアさん」
それを見たラルバが心配そうに彼女に声をかける。それでも反応がなかったのでイリスも近づこうとしたときだった。
「いる」
たしかに彼女はそう言った。探るように視線が夜の中を泳ぎ回った。と、その刹那。
「きゃっ!?」
光が消えた。辺りを不穏な闇が包み込み、近くにいたラルバ達の姿までもが見えなくなってしまう。状況の呑み込めない彼女は、俄かに言いようもない不安に襲われた。
「っ!!」
瞬間、何者かに肩を掴まれた。
「イリス様、ご無事ですか?!」
フォルテだった。目が闇に慣れてくると、彼の輪郭が浮かんで見えてくる。
「なんだ、あなたですか……私は平気ですよ! それよりお姉様とラルバさんは」
「ここだ!」
ラルバは屈んでいるようで、ぐったりとしたイデアを抱きかかえていた。
「ラルバさん、お姉様はどうしたんですか?」
「それが、さっきいきなり倒れて……! 多分、魔女が現れたんだ」
「魔女!?」
ラルバの思いがけない言葉にイリスは耳を疑う。
待って、魔女? そんなの聞いてない。
「イデアさんが言ってたんだよ。次の新月にきっと姿を現すって」
不意打ちされたのか……
どうしようか、とイリスは即座に思考を巡らせた。
今、むやみに動くのは危険だ。攻撃を仕掛けても魔女の事も居場所もわからないこちらが圧倒的に不利。しかもイデアは動ける状態ではない。だとするなら、できることは一つだ。
「……フォルテ! 岩壁を作れますか?! なんとか、魔女が去るまで……」
「いや、朝になるかイデアさんが動けるようになるまでだ」
ラルバが口を挟む。「イデアさんなら魔女を倒せるらしい。けど、魔女もそれを知ってるからイデアさんを消そうとしてる。だから魔女は朝になって明るくならないといなくならないと思うぜ」
「朝になるまで? 全員を守れる大きさの壁を作ることも楽ではないのに、それを何時間も保ち続けろと? 無理に決まってる!」
「私からもお願いします、フォルテ! できる限りでいいので」
イリスの言葉に、フォルテも声を詰まらせた。
「……承知しました。やるだけやってみましょう」
闇夜を引き裂くような地響き。たちまち唯一見えていた星達の光も岩に閉ざされる。
これで少しは安心だ────と思った直後。
うざい。鬱陶しい。
声が聞こえた。
「ラルバさん今うざいって言いましたか?」
「え、オレは何も?」
嫌い。この世で一番大嫌い。
世界中の憎悪をかき集めたかのような激しく、低い声。
まさか、魔女の声?
それからはっきり木霊した。
「お前なんて消えてしまえ!!!」
壁の向こうのどす黒い感情が音から振動、そして衝撃となって全身を貫く。重力が急激に強くなった感じがして、それでもイリスは力に負けて倒れないように耐えた。が。
何かが崩れる音がした。その瞬間遮断されていた生暖かい風が吹いてきて、それなのに何故だかひどい寒気に襲われる。
「壁が、崩れた……?」
「お、おい何やってんだよフォルテ!」
「私が壊したの。邪魔くさかったから」
会話に割り込んできたのはどこか挑発するような響きを持った女の声。
「貴様は誰だ」
「わかってるくせに」
「……魔女ですか。そんなに私の力が欲しいんですか? わざわざ自分から奪いに来るほど」
「そんな言い方しないでくれる。私はただ、貴方が自分の力を使わないなら私が使うから頂戴って言ってるだけよ。それに今日の目的は貴方じゃない。ねえ、ラルバ・ウォラーレ」
イデアを抱きしめたままラルバは何も言わなかった。けれど、瞳は闇の奥にいるであろう魔女を見つめ、身体は恐怖か緊張か微動だにしなかった。
「貴方を助けに来たの────ついでに、私にちょっかいをかけてくるその女を消すために」
ふいに闇が炎のように揺らめいたように見えた。
ローブだ。闇夜よりも暗く深い漆黒のローブ。それに不気味な笑みを湛えた仮面。
彼女こそがあの黒の魔女だった。
噂の中でしか存在しなかった彼女が、今、目の前にいる。
「助けに来た? ふざけんな、お前はオレを騙そうとしているだけだ。全部、イデアさんから聞いて知ってんだよ……!!」
「騙してなんかいないわ。私はただ同情するだけの奴らと違う。私なら貴方を絶望から救ってあげられる────だから、今すぐその女を渡しなさい。そいつがいると、本領を発揮できない」
「嫌だね。そんな事するくらいなら、死んだ方がマシだ!」
何故か、イリスは彼の様子を見てどきっとした。そして強く胸が締め付けられたような感じがした。
「あらそう。私に逆らうつもりなの。人間の分際で?」
明らかに魔女の声が鋭くなる。
突如、魔女の背の辺りから影でできた無数の茨の蔓が現れた。自分の意思を持っているみたいに蠢いていて、触手のようだ。
「いい? 貴方は私に逆らえない。それを今、証明してあげる」
「ラルバさん、お姉様を連れて逃げて!」
イリスが叫んだのと、蔓がラルバ目がけて飛んで行ったのがほぼ同時だった。
「イ、イリスは?!」
「私はいいから早く!!」
躊躇いつつもラルバが走り出す。蔓はそんな彼を絡め取ろうとその倍の速さで容赦なく襲い掛かる。
捕まるのは時間の問題だ。そう判断したイリスはフォルテの力を借りる事にした。
「フォルテ、魔女に岩を飛ばして。彼女の注意を逸らしてください」
「承知しました」
フォルテの周囲で幾つも砂が巻き上がったかと思うと、次々と岩の塊へと変化を遂げ、一斉に魔女を押し潰さんと飛んでいった。蔓と速さは互角。一方ラルバの姿はもう見えないが悲鳴などは聞こえない。イリスは大丈夫だと確信した。
さて、次は自分達だ。フォルテは貴重な主戦力だから失うわけにはいかない。ここは無理に戦わず───
「な……!?」
フォルテの動揺した声にイリスは驚いてそちらを見る。
「フォルテ、どうしたんですか」
「攻撃が効きません……!」
攻撃が効かない?
イリスは魔女の方を見て、愕然とした。
魔女は岩に貫かれると、蔓ごと粉々になって霧散した……はずなのに、再び集まって元の姿に戻っていくのだ。
魔女はゆっくりこちらを向いた。
「そんなので私を倒せるとでも?」
「……ッ」
「あんた、まとわりついてくる羽虫みたいでほんっと邪魔! 今すぐ失せて!!」
標的を変えた魔女はフォルテに蔓を伸ばす。彼はイリスをそっと後ろにやると、素早く岩を作り出して手当り次第に蔓に撃ち出した。
砂の岩が蔓に当たっては共に砕け散る。だが、蔓は後から目にも止まらぬ速さで伸びてくる。フォルテも次から次へと岩を飛ばしていくが、追いつかない。
唐突にフォルテがイリスに囁いた。
「私を置いてお逃げください。イリス様」
「え、でも」
「私に構わず、早くお逃げください。早く……!!」
刹那、岩の一つが狙いを外した。その蔓がフォルテの右腕へ絡みつく。それを合図に次々と蔓が足に胴体に巻きついて真っ黒に覆われていく。
「フォルテッ……!!」
でも、どうしようもできない。
イリスは無我夢中で夜の中を駆けだした。
振り向くと、繭のようになって動かなくなった彼が魔女の待つ暗闇へ引きずり込まれていったのが見えた。
「これで邪魔者はいなくなったわね」
魔女がそう言って高らかに笑う。
どうしよう、フォルテが。どうしよう、どうしよう。
恐怖でおかしくなりそうだった。でも、そうだとイリスは辛うじて我に返る。
ラルバさんを捜さなきゃ。単独は危険だ。
「あら、もしかしてラルバを捜してる?」
「!」
魔女の問いにイリスは思わず固まった。身体も、思考も。
嫌な予感がした。
おそるおそるイリスは振り返る。
魔女はローブを揺らめかせながら低空飛行を続け、背後の蔓は三つの繭を形作っていた。一つはフォルテ、もう二つは────
「同時進行で捕まえたの。イデアと一緒にいたから、彼女の気配で捜し出せちゃったわ」
「嘘……」
既に餌食になっていたなんて。
「可哀想なイリス、一人になっちゃった。でも怖がることはないわ。私がいるもの」
蔓がこちらに向かって伸びてきた。イリスを我が物にしようと迫ってくる。
そのとき、イリスの中で何かが音をたてて弾けた。
「嫌よ!! こっちに来るなぁ────っ!!!」
怯んだように一瞬蔓の動きが止まった、その隙に彼女は走り出す。どこへ向かっているかわからない。けれど、ひたすらに走った。
だがどんなに逃げても魔女の手からは逃れられない。
私の力を差し出す事で助かるなら、今すぐにだって差し出したい。けれど魔女は何を企んでいるかわからないし、皆もそれを望んだりはしない。でもそれじゃあ、私は一体どうしたらいいの?
目を強く瞑る。目を開けたら朝になっていたらいいのに、そう思いながら。
突如、何かが強く首にまとわりいてきた。氷みたいに冷たい。
「あっ……ぐ」
足が宙に浮いた。蔓を振りほどきたくても、その腕もばたつかせた足もがんじがらめにされてしまった。
全部全部、私の物。全部奪ってやる。貴方の全てを支配したいの私にはそれだけの力があるだから支配してもいいでしょう駄目なんて言わせない言うこと聞かないならいらないから消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えてキエテキエテキエテ──────
強欲と傲慢に満ちたどす黒い感情が洪水のように蔓を通して脳内に流れ込んでくる。
頭が痛い。痛い痛い痛い、破裂しそうだ……
酷い寒気に襲われ、声にならない叫びをあげながら、徐々に意識は遠のいていく。
誰か、と掠れた声で無意識に一言呟いた。
誰か、私を助けて。
少しあって、ふいに脳内に流れ続けていた思念が止んだ。
続いて甲高い悲鳴。首を絞めていた蔓が解け、目を細く開けると、真っ暗だった視界に次々と穴が開き始めていた。
やがて完全に蔓がイリスから離れても、まだ地面に足はついていない。風がイリスの髪とスカートを上に巻き上げて……と、ここまできて気づく。
私、落ちてる?
結構高い。地面にぶつかったら……
彼女の目が恐怖に見開かれた。
「いやあああああああ!!」
もう駄目、と思ったがあるところで突然落ちる速度が遅くなった。気づけばその周囲だけ僅かに白く光っている。そのまま、彼女はふわりと着地した。
「イリス……大丈夫?」
そう問いかけてきたのはイデアだった。
「今、結界を張ったの。間に合ってよかった……」
「お姉様!? なんで……」
「貴方の助けてっていう声が聞こえたから。なんとか、光の魔法で繭を突き破って、脱出してきたの……」
安心したのもつかの間、イデアはその場に崩れ落ちそうになる。
「お姉様!」
イリスはそんな彼女を支えたが、露出した右腕を見て絶句した。まるで純度の低い水晶のように、後ろが僅かに透き通って見えるのだ。
イリスの様子に気づいたイデアはその目線を追い、自分が透けている事に気づく。
「くっ……捕まってる間に魔女に力を少し吸い取られたのかしら」
「力を吸い取られる? 少しでそんな風になるなら、完全に吸い取られたら一体どうなるんですか?!」
「消える。私という存在そのものが」
イデアは立ち上がると、頭上で光の結界に入れず苛立っている魔女を見据える。
「イリス、協力して。まだラルバ君達は捕まったままなの」
「もちろんです。でも、どうしたらいいんですか」
「簡単よ。私と手を繋いでいてくれるだけでいいわ……」
手を繋ぐだけ?
わけのわからぬままイリスは冷えきったイデアの手を握った。すると、不思議な事が起こった。
イデア自体が光っているような、そんな気がしたのだ。
「行くわよ。絶対その手を離さないでね」
イリスが頷くと同時に彼女は結界を躍り出る。
「ふうん。あんたイリスの力を借りないと戦えないまでに弱ってるの。今度私に捕まるような事があったら……いえ、もう放っといても消えるのは時間の問題ね。私のせいで……ふふっ、可哀想」
「私は消えないわよ。貴方を消すまでは」
お姉様が消える……? どういうことだろう? それに、まるで仇敵にでも会ったかのような口ぶり。
「さあ、お喋りはここまでよ。とっとと消えて頂戴!!」
言うが否やイデアは指先から光線を放った。
光線は魔女にひらりとかわされ、背後で太陽のように一瞬強く瞬いた後爆発した。
「それはどっちの台詞かしらね?」
魔女も蔓を伸ばしてくる。
「イリス、来るわ。気をつけて!」
イデアは蔓の間をすり抜けながら、踊るような軽い足取りで光線で次々蔓を断ち切っていく。
と、光線がラルバを捕らえた蔓に命中した。続いてフォルテのいる繭を貫通。爆風で完全に繭は吹っ飛んでいった。
「あ……」
まばゆい光を見つめながらイリスは唖然とするしかなかった。
察したようにイデアは言う。
「心配ないわ。実は光の魔法って殺傷能力がないの。ちなみに闇の魔法にも」
間もなく、落ちてきた二人の真下にイデアは素早く結界を作り出して受け止める。二人は気絶しているようだが、今は魔女が先だ。何があってもこの手を離すわけにはいかない。
「あぁー!!! これだからイデアは大っ嫌いなの!! 十年前に消えてりゃあよかったのよ!」
魔女は悔しそうに金切り声をあげる。頭を掻きむしっている風にも見えた。
「……残念だったわね」
イデアは笑っているようだった。障害物何一つなくなった状態で、彼女の指先は魔女に狙いを定める。
「悪いけど消えるのは貴方の方よ。イリスにもラルバ君にも、これ以上手出しはさせない!」
「嫌よ。この私が、あんたなんかに負けるはずがないもの……!!」
刹那、魔女の姿がぐにゃりと歪んで崩れ、ぐちゃぐちゃとした濁流のようになって全てを呑み込もうと襲い掛かった。
イデアも一瞬驚いたようだが、すぐに光線を撃ち放った。
相反する二つの力はちょうど中心で混ざることなくぶつかりあう。けれども、光線の威力は微々たるもので濁流の勢いは止まらない。
イリス、と彼女は呼びかける。イリスは無言で頷くと、空いている右手を自分の胸に当てて、目を閉じて強く念じる。
もっと、強い力を。
身体が熱を放っている。もっと、力を左手に集中しているのをイメージして────
イリスは目を開けた。
心細かったイデアの光は今や掌全体から放たれる程に強く大きくなって、辺りを真昼のように照らし出す。それでも濁流は止まろうとしない。水煙のように影を散らせてつんざくような悲鳴を上げながら、それでも全てを呑み込もうとする。それはもはや理性ある生物ではなく、思念の塊としか思えなかった。
だが濁流は光に勝てず、勢いは少しずつ衰え、悲鳴も小さくなっていく。
光は魔女ごと濁流を消し飛ばした。
その後には何も残らなかった。辺りに再び静寂が訪れたときには魔女も、濁流も、跡形もなくなっていた。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
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