第十三話 月夜の告白
「私は、魔女が怖い」
月が美しい夜、星詠みの丘でそう告白した。
秘密を長い間一人で抱えることは困難だ。それが重大な秘密である程、その苦しみを誰かに気づいてほしくなる。それなのに言えないという事実が更に首を絞めていく。
だが、敢えて彼女は告白した。
星という光の隣に黒々と佇む、奈落のような闇に吸い込まれてしまわぬように。
*
ここはローズマリーズへ続く道。コーラムバインの西門を抜けてここまで来たのだ。
ニレの近辺は平原だったが、ここからは丘陵帯なのか少しずつ丘や傾斜、それから林が多くなってきた。きっと、リリィ山脈が近づいてきている証拠だ。まだ山脈は、旅人を品定めするかのように彼方でイリス達を見下ろしているだけだが……
イリスは邪魔くさい建物がなくなったことに対する解放感と、空に地面に、目に見える所全てに見慣れた自然が存在する幸福感を覚えながら、ラルバの語るアジトでの話に耳を傾けていた。それからあの奇妙な小男に対する悪口も。
「あいつなんなの? ただの趣味悪い金の亡者じゃん。畜生、オレを騙しやがって……あいつこそ罰金じゃね? その、メイヨキソンで!」
騙しやがってというのは、多分あの骸骨の面のことだ。でも騙してというよりはラルバが勘違いして気絶しただけ。ついでに名誉棄損の意味をわかっていない。小男も名誉棄損は言い過ぎだとは思うけど。
心の中で一つ一つ突っ込みを入れながら、でもただ無言で微笑んでいた。
「ところで、ラルバさん」
「……ん?」
と、悪口をぶった切り、突然声を潜めて喋りだしたイリスにラルバもつられる。
「お姉様の事……どう思います?」
「ど、どう思いますって何が」
動揺したようにラルバが後ろのイデアに目をやる。彼女はフォルテと並んで歩いていたのだが、ラルバの視線に気づくと首を傾げて笑いかけ、フォルテは忌々しげに睨みつけた。
「ああ、そういう意味じゃないです! 私は、実はお姉様こそが神の生まれ変わりなんじゃないかって思ってるんです」
「え? それじゃイリスが教会に閉じ込められてた意味なくね?」
「私はきっと偽者なんです。敵の目をごまかすための。さっきラルバさんが言ってた、お姉様が作り出したバリアーは光の魔法なんですよきっと! 光と闇の魔法は限られた人間しか使えないとお姉様は言ってたでしょう。きっと光の魔法使いは神の生まれ変わりであるお姉様、闇の魔法使いは魔女だと思うんです!」
「あー、まあたしかにな」
口ではそう言いながらも、彼は納得いかない様子で腕組みをしている。
「どこかおかしいところがあるんですか?」
「いや、なんというか……魔女って何者なんだ的な。神の生まれ変わりみたいに特別な存在なの?」
「さあ。それがわかってたらこんなに噂は広まらなかったんじゃないんですか?」
黒の魔女は現在人々の間でまことしやかに囁かれている存在だった。正体不明、神出鬼没、だが出会ったら願いを叶えてくれるという夢のような存在。
「ねえラルバさん、いつでもいいのでお姉様に聞いておいてくれませんか? 神の生まれ変わりだとか、魔女のことだとか」
「えぇー、なんでオレが。本人いるんだから自分で聞きゃいいだろうがよ」
「私が聞くより、ラルバさんが聞いた方が包み隠さず教えてくれるような気がするんです」
目を丸くしたまま、ラルバが固まった。「……わかった。どうしてもって言うんなら聞いといてやるよ」
この日一行はこの辺りの丘陵地帯の中でも、星詠みの丘と呼ばれる一番高い丘の近辺で休むことになった。空に最も近く、星がよく見えるからこんな名がついたらしい。
誰も火の魔法を使えないから、仕方なしにイデアが魔法で光の玉を作ってみせた。暖はとれないけど、夏だから問題ないんじゃない? と。光の玉は少々眩しかったが、「まだ寝ない」と欠伸しながら強がっていたラルバは、数分後にはあえなく撃沈していた。次いで、途中でフォルテに運んでもらって一番疲れていないはずのイリスが眠りに落ちてしまった……坂は平原の数倍体力が削れるみたいなのだ。
*
「……つめった!!!」
顔に何かをぶっかけられてラルバは現実へ引き戻された。起き上がって視界を遮る濡れた前髪をわけると、目の前に水筒を持ったフォルテが現れた。
は? なんなのコイツ。
彼の顔を見た瞬間、ふつふつと怒りが湧き上がってくる。
「おいてめえ、オレに喧嘩売ってんのかよ。ぶっ飛ばされてーのか? あ?」
「……お前の声がイリス様の眠りの妨げになるから起こしただけなのに、おれは吹っ飛ばされなければいけないのか」
最近変な夢ばかり見ていたのを思い出した。
最初は懐かしい思い出ばかりなのに、目覚める頃には決まって焼け焦げたおぞましいゾンビみたいなのに追いかけられている。そして最後は必ず────何者かに崖から突き落とされて目を覚ますのだ。
そう考えるとフォルテにはむしろ感謝しなければならないのだが、そんな気にもならないのでせめてイデアとイリスのために声を小さくした。
「……オレ、そんなうなされてた?」
「まあな」
素っ気なくフォルテが答える。
水を被った顔がまだひんやりしている。だが、水だってそれほど冷たくはなかったはずだ。それでも冷たく感じたのは、それだけ外が暑くなってきたということじゃないだろうか。だから変な夢ばかり見るのか、とラルバは一人で納得する。
「てか、お前暑くないの? 冬みてーな恰好して」
「別に」
「ふーん」
適当に相槌を打ってラルバはフォルテに背を向けた。
「どこへ行くつもりだ」
「別に」
嫌味っぽくフォルテを真似てみる。本当に用事はない。ただ、もう寝たくないだけ。
ラルバは丘の頂でぼーっと星空を眺めていた。闇なんて知らないのだろう、一面の星々はそれぞれの小さな光の粒となって夜を照らし続けている。
今宵は下弦の月が空に浮かぶ。ぽっかりと一部分が欠けてしまったそれは災厄の日のときの、彼の穴の空いた心のようだった。
「何してるの?」
背後からの声に振り返ると、いつの間にかそこにイデアがいた。
「うわっ、いつからそこにいたんスか!」
「今来たところよ。そっとしておくか悩んだけど……結局来ちゃった」
そう言うと、ラルバの隣に座って空を仰ぐ。
「月、綺麗ね」
「えっとまあ、はい」
「こんなに綺麗ならイリスも起こしてあげればよかったわ」
「ああ、はいそうスね」
「適当に答えてるでしょ」
「いや……」
ぶっちゃけ、会話どころではない。イリスの事なんて考えられない。空なんか端からどうでもいい。なんで……
なんでこんな近いんだよ!! しかも深夜に二人っきりって!!!
自然と左のイデアの方に目がいく。眠気なんてどこかに飛んで行った。少しでも身じろぎすれば間違いなくイデアの細くて白い腕に当たる。
火照る身体をもぞつかせながら、ああそうだと気を紛らわすように昼にイリスと話したあの話を切り出すことにした。
「あ、あのイデアさん」
「なあに」
振り向いたイデアの微笑は月光に照らされ、儚く悲しげな影を落とす。それが瞬間どきりと胸に突き刺さった。そして熱くなった身体を静かに冷ましていった。
「イデアさんってその……神の生まれ変わりなんスか?」
「……どうしてそんな事を聞くのかしら」
イデアに落とされた影はいよいよ濃くなっていく。
「オレもアジトで見ててちょっとおかしいって思ってたし、イリスも自分は偽者だと言っていたんスよ。逆にイデアさん、なんで隠してるんですか?」
少しの沈黙があって、イデアは言った。
「……違う、私は神の生まれ変わりじゃないわ。イリスこそ正真正銘ハルモニアの生まれ変わりよ」
「でも光の魔法は使えるんですね。特別な人間じゃないと使えないって言ってたのに」
「ええ。たしかに私は光の魔法使いよ」
神の生まれ変わりと光の魔法使いは同一人物とは限らないみたいだ。
ラルバはいつのまにかふざけた口調もなしに真剣に考えていた────イデアには秘密がある。そして、魔女にも。二人は密接に関係があるような気がして仕方なかった。昼にも同じ疑問を浮かべていたのだ。
「……ラルバ君、せっかくだから教えてあげる。私の力と秘密をね。でも、イリスには何も知らないままでいて欲しいの。だから絶対言わないでね?」
一瞬迷った。イリスにどう報告したらいいのかわからなかったから。だが、イリスとよく似た穢れのない瞳に見つめられて彼は言葉を失った。そのまま、黙って頷くしかなかった。
そうして、イデアの告白は始まった。
「単刀直入に言うわね。私は……イリスの姉じゃない。そっちの方が都合がいいからそう名乗っていただけ」
「……は」
────姉じゃない?
いきなりの言葉に一瞬にして頭が真っ白になる。そして代わりに「?」で満たされる。
それに答えるようにイデアはまた言葉を紡ぎだした。パズルを一つずつ合わせていくように。
「私は、イリスを魔女から守るために生まれた存在なの。だから魔女もそうなんだけど、私達は人間かどうかも怪しいわ。精霊に近いものかもしれない。人間と同じような生活はできるけど、母親から産まれたわけではないから。
そして私の能力は察知。魔女の存在やその力を気配として感じることができるの。魔女の言う願いを叶えるというのは大抵、その願いに合った力を分け与えるということで、願いを叶えてもらうというのは魔女との契約を意味している。だから魔女と契約していたら、一瞬でわかるというわけ」
だからイデアは親分と戦うとき警告していたのだ。ラルバは聞き入れようとはしなかったけれども。
と、突然イデアは夜空を仰いでこんな事を言い出した。
「ねえ、ラルバ君。闇を見たことがあるかしら?」
「闇?」
質問の意図が読めずに思わずラルバは一緒に空を見上げた。
空は星明りと月光に満ちているように見えるけれども、その隙間に今にも吸い込まれてしまいそうなどうしようもなく深い闇が点在している。でも暗くて見えないからその奥が気になって、つい手を伸ばしてしまいたくなる。それはとても無垢で幼稚な、危険な好奇心だ。
「私は……闇が大嫌い。だから夜も暗い所も大嫌い。私という存在が闇の中に消えていってしまいそうな気がして、眠りたいけど怖くて眠れなくて……でも、イリスを不安にさせてしまうからどうしても弱い所は見せられなくて。どんなに怖くてもそれを表に出すことができなかった……」
心の奥から無理やり押し出すように彼女は言葉を絞り出す。
誰かに気づいてほしい。でも気づいてほしくない。この狭間でイデアはどれほど人知れず苦しんできたのだろう。その苦しみに耐えかねて、イデアはラルバに思い切って告白したのだ。
「ねえ、私は魔女と戦うために生まれたような存在よ。でも怖いの! 平気で人間を傀儡にして堕落させてしまうあの女が……!!」
「イデアさん……」
「それにね、何年も前、あの魔女が暴れようとしたときに戦ったことがあるの。そのときはなんとか勝ったけど、私はそれで彼女に呪いを受けた。時間をかけて少しずつ、けれど確実に私の力を蝕んで最終的には……私という存在そのものが消えるという呪いを。だから私はもうあのとき程の力は残ってない。闇に消えるのも時間の問題。それが、一番怖い」
「……どうにかならないんですか? イデアさんが消えずに済む方法」
「ある。一つだけ」
イデアは夜の底に沈んだ山々を見た。
「私、それから呪いを解く方法を村で調べたの。それは、満月の夜にだけ花を咲かせる幻の薬草《月光花》を見つけること。月光を浴びたその花は、あらゆる魔を振り払う力があるとされているの。そして薬にして飲めばどんな病魔も消えていくといわれている」
「だから、途中で目的地を変更させたんですね。その呪いを解きたいから」
「それだけじゃないわ。貴方やイリスを守るためにも絶対必要なの」
「え……オレも?」
「貴方にずっと忠告しようと思ってたの。今一番危険な状態なのが貴方だってこと」
意表を突かれて一瞬思考が止まった。自らを指差したまま硬直した。
「フォルテが言ってたわ。貴方が悪夢にうなされていたって。夢は精神の状態に強く影響されるの。自分でも気づかないうちに追い詰められている可能性がある。
どんなに普通に見えていても、私にはわかる────あの災厄の日から、貴方はずっと心に闇を宿している。そして魔女はその闇に付け込む。でも、そんな事させない。私がいる限り、絶対手出しはさせないわ……!!」
けれど彼女は震えていた。彼女からは完全に血の気が消え失せ、月光に青白く輝く肌も髪の毛さえも触れたら壊れてしまいそうな程脆く見えた。
思わずラルバはイデアの手を握る。
「……ラルバ君?」
「よかった。まだ触れた」
細くて柔らかくて、とても冷たい手。でも彼女はきちんとそこにいる。まだ間に合う。
守りたいと思った。強くて、優しくて、そしてあまりに儚い彼女を────大切な、大切な人だから。
「絶対、オレが呪いを解いてみせます。イデアさんがいなくなるのは嫌だから」
「……ありがとう。そういうところもあるのね、ラルバ君」
イデアが笑った。月光がよく似合う、美しい笑顔だった。それを見てラルバも頭を掻きながら恥ずかしそうに笑う。
「今……北の方から魔女がこちらに近づいてきてる。避けるつもりだったけど、恐らく逃れられない」
山脈の方に視線を移した彼女は、静かにそう言った。
「これは運命なんだと思う。運命からは誰も逃れられない。私と魔女を例えるならば、光と闇。対をなす存在。だから私達は反発し合うと同時に惹かれあい、そしていつかはぶつかる運命────
彼女の力が一番増す新月の夜、きっと姿を現す。本当はその日が終わるまで、隣にいて欲しいんだけれど……イリスが快く思わないから駄目ね。変な誤解招いちゃう」
「どう思おうとイリスの勝手だ。オレは隣にいますよ。別にあんな事やこんな事をしてるわけじゃないんだから」
できたらいいなとは思うけど、という言葉は心の中に押しとどめておく。
「イリス……ごめんね。ほんの少しだけ、甘えさせて」
イデアはそう呟くと、手を強く握りラルバの肩に身体を預ける。
心地よい静寂の中、二人はずっと夜空を見ていた。
そして、段々とラルバが空に飽きて微睡んで、そのうち眠ってしまっても不思議と気味の悪い夢を見ることはなかった。
次話、多分二章最終話です。




