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第十二話 街角の髑髏

 ルークが去った後、イリス達は休息の町ローズマリーズへ行くための準備を始めた。とはいってもここで買うのは食料などの消耗品ばかりなので、これはあっという間に終わってしまった。


 それにしても、とイリスは街中を歩きながら思う。

 この街は胸がざわつく。芸術的でどうしようもなく人工的な建造物が、土を覆う固い地面が夜空の星と草花達をを殺しているような気がした。見えない淀みに満ちた狭い空は見せかけだけ青く、そこでは飢えたカラスがゴミを探して群れをなす。豪華な服に身を包む人々は、虚飾に満ちたここの建物に見えた。

 たしかにこんな街並みも進歩した技術も見事なものだけれど、こういうのに慣れていないだけなのだろうけども……


「……イリス様。イリス様!」

「えっ? あっ、はい?」


 フォルテが名を呼び続けていたのに全く気付いてなかった。しかもイデア、ラルバまでもが足を止めてイリスを見つめていたのだ。


「大丈夫? 顔色悪いわよ?」

「えーと、まあ……その」


 蒼白だったのかもしれないイリスの顔が、恥ずかしさでみるみるうちに熱くなっていく。


「どうする? どこかで休む?」

「だっ、大丈夫です! この街は落ち着かないな~とか思ってただけですから、むしろ早く出ましょう! 早く!」


 もう我慢ができなかった。門を探して狭い道路を走り出す。


 早く出たい。狭苦しいしよくわかんないけど、ここは嫌い!!


 当たり前だが、イリスは後から追いかけてきたフォルテにあっという間に捕まってしまう。後ろから肩を掴まれ思わず叫びそうになるが、最後の理性がそれを喉元で止めた。


「イリス様! お気を確かに」

「なんか嫌なんです! 説明できないけど……とにかく早く出たいんです!」

「二人共早くしろ!!」


 ラルバ達はなかなか来る気配がない。見ると、ラルバが薄暗い路地裏を一点に見つめていた。イデアもそうだ。顔だけそちらに向けている。

 フォルテが軽く舌打ちをしたのが聞こえた。


「申し訳ありません、しばしお待ちを」


 と、ラルバ達のところへ戻っていく。

 何をしているんだろう、あの二人は? 四方八方から迫りくるような建物達に軽く目眩を覚えながらイリスも一歩ずつ近づいて行った。


「おい、どうしたんだ」

「フォルテ……聞こえなかった? ノックスの鳴き声」

「何を言っている。ノックスというのはイリス様が可愛がっていた黒猫のことだろう? あれはとっくに死んだんじゃないのか?」

「あの日の朝から行方不明だったから、別に死んだとは限らないんじゃね?」

「行方不明も死んだも同じだ。野良猫くらいここにもいるから勘違いだろう」

「あのね、私とイリスは十年以上ノックスと一緒にいるのよ? 他の子と間違えるはずないわ」

「ノックス……!? いるんですか、その向こうに」


 イリスの声が上ずった。

 まさかあの老齢でここまで来るなんて思いもしなかったが……イデアが言うからには間違いないのだろう。実はイデアもイリスと同じくらいかそれ以上にノックスを愛でていて、ノックスという雄みたいな名前をつけたのも、生まれて間もない彼女を拾ってすぐに三日月と星の首輪をつけたのもイデアだった。


「ええ。イリスは聞こえなかった?」

「それが……全然。いつ聞こえたんです?」

「今もそれっぽいの聞こえるぜ。ニャァーって」


 ラルバが裏声でノックスの鳴き真似をしてみせた。意外と似ていることに吹き出しそうになりつつも耳に全神経を集中させてみるが、聞こえるのは鳴き声とは似ても似つかぬ雑音ばかり。


「馬鹿言え。全く聞こえないぞ」

「嘘だ! めっちゃ近くに聞こえっから!」

「うん。すごく近く……」

「あの、オレ捜してくるッスか?」

「ええ、お願い! 足はあまり早くないと思うから!」


 返事代わりに包帯が巻かれた手をひらひら振りながら薄暗い路地の向こうへ消えていく。その間際「うぇ、くっさ!」と叫んだが、マントで鼻を覆ってそのまま進んでいった。

 それにしても、狭い路地だ。暗いし、綺麗に整備された表通りとは逆にゴミがそのまま放置されている。


 少し時間が経った後、彼は戻ってきた。ノックスはどこにもいない。


「ラルバさん、ノックスは」


 彼は黙って首を横に振った。


「あらら、見つからなかった?」

「すんません、イデアさん」


 ラルバが軽く頭を下げるとイデアは「いいのよ。仕方ないわ」と微笑んだ。だがイリスは、彼らの幻聴だった可能性も否定できないな、と少し肩を落とす。


「でも、変な奴見つけた」

「変な奴ってなんですか?」

「見りゃわかるよ。イリスも来てみな」


 珍しい物を見つけた子供のように、ラルバは手招きをしながらまた路地へ入ろうとする。


「やっぱりここ通るんですか? えぇー……」


 変な奴ってなんだろう。でもそれを見るためにはこの臭くて汚くて狭くて暗い路地を進まなければならない。知的好奇心と嫌悪感が火花を散らしてぶつかり合う。

 焦れたラルバがまだ尻込みしているイリスの手を引く。フォルテの目がきっと鋭くなったのが気配でわかった。


「だいじょーぶだって、すぐ綺麗なとこに出れるから! ほらイデアさんも来てくださいッスよ!」


 すぐ、か。


 ────結果、激戦に勝利を治めたのは好奇心だった。




 昔、少年と少女が世界中を冒険する物語を読んでいたときには、私もこんな冒険がしたいと子供ながらに思ったものだ。

 そして今、ラルバを追って大迷宮のような街を歩いている。これって憧れていた夢の一つが叶った瞬間なのではないだろうか……ラルバとイリスの間に過保護な護衛がいなければ。


 この街は貧富の差がとてつもなく激しいのかもしれない。路地裏を進んでいてなんとなくそう思った。だから働くこともできず、旅に出る資金もない貧乏人はこの街で金に執着し、非合法な手を使ってでも金を手に入れようとする。きっと彼らのなれの果てが緑目狩りだったのだ。恐らく探せばどこかに金持ちばかり狙う盗賊もいるのかもしれない。何の根拠もないけれど。


 嗅覚が麻痺してきて動物か人間のかもわからぬ糞の臭いも感じなくなってくる。ふいにパンくずを咥えた鼠が満足げに足下を駆け抜けていった。


(やった、これで今日は大丈夫だ!)


 そう言っているようだった。


 宿屋で食べた果物やケーキを思い出す。普段からああいう物を食べられる者がいる陰でまともに物を食べられない者もいるんだと思うと少し悲しくなって、鼠と緑目狩りの子分達に思いを馳せた。

 影というのは気づかれにくいのだ。いつもいつも。


 と、突然影に閉ざされた世界に光が差す。真っ直ぐ伸びる通路の先に曲がり角があり、そこから強い光が差しこんでいた。そここそが光と影の境界線。道が少し広くなったので彼らは並んで歩いた。


 少年か老人かもわからぬその小男は境界線の近く、ぎりぎり光の当たらない場所に座り込んでいた。寝ているのかうずくまったままでイリス達に気づいた様子はない。

 継ぎ接ぎだらけのみずぼらしいローブが身じろぎに合わせて微かに揺れる。


「な、変だろ? こんなとこで寝てるなんてさ」


 ラルバは薄笑いを浮かべ、小男を物珍しげに見ている。彼が軽く蹴っても全く反応はなし。


「うーん、ラルバ君。彼は浮浪者じゃないかしら」

「浮浪者?」

「貧乏で家を持たないのよ……彼らを変なの扱いするのはどうかと思うわ」

「……そうなんですか?」


 幸か不幸かは金で決まる。ここはそんな街だ。でもそんなの絶対間違っていると思う。

 少しでも。その力が微々たるものだとしても。救えるのが一人だけでも。


「ラルバさん、金貨を貸してくれませんか」

「ん? いいけどなんで……」


 ラルバが袋から金貨を一枚出してイリスに手渡す、が。


「あっ待て、やっぱ駄目! あー!!」


 気づいたときにはもう遅い。イリスは自分のパンを一切れ取り出すと、うずくまる小男に差し出した。


「なんでそんな事すんだよ! 知り合いならともかく、見ず知らずのそいつを助けて一体何になるよ!? 何か得でもするわけ!?」

「そういう問題じゃないんです。彼は私達より生活に困ってる。困ってたら、助けてあげないと」


 憤然とする彼に淡々とイリスは答えた。赤の他人に優しくできる人間が沢山いたら世界はもっと良くなるのにと思いながら。借りたお金はどう返すか考えておこう。


 と、突然小男がばっと顔を上げた。パンと金貨を差し出したままのイリス、近くにいたラルバと目が合う。


「!」


 その風貌に心臓が大きく跳ね上がった。


「……骨ェ────────ッ!!!!」


 悲鳴をあげてラルバが腰を抜かした。


「おやまあ、人を見るなり骨呼ばわりですか。これは名誉棄損の……ってあれー?」


 小男が喋り始めたときには既にラルバは白目を剥いてひっくり返っていた。


 無理もない。深く被ったフードから覗く小男の顔は────頭蓋骨そのものだったのだから。


 だがイリスは硬直したまま数秒見つめて、安堵か呆れか思わず溜め息が出る。たしか顔こそ髑髏そのものだが……よく見たら首の青白い肌が露出している。

 イデアが笑いを堪えるように口を押えながら言った。「ラルバ君……これお面よ」


「……ん? おや、貴方様は」


 髑髏の面を被った小男は、穴の奥の真っ赤な瞳でイリスとパンや金貨を交互に見比べた。


「これだけで申し訳ないのですが……」

「こんなわたくしめに物を恵んでくださるのですか!? しかも金貨!!」


 小男はひったくるようにイリスから金貨とパンを受け取った。「いやあ、さすが神の生まれ変わりのルーナエ様! 本当にお優しい!!」


 ん? ……えっ!?


「何故私の名前を!?」

「やはり貴方様がルーナエ様でございますね。迷いましたよ、そちらにハルモニア様によく似た方がいらっしゃるものですから」


 訝しげなイデアの顔を横目にフッフ、と小男は笑う。なのにその髑髏の面はどこまでも無表情で、それが不気味さと得体の知れぬ恐怖を増幅させる。


「イリス様。そいつからお離れください!!」


 フォルテが両腕を広げて立ちふさがった。炎とも血ともとれる鮮やかな赤はそんな警戒心剥き出しのフォルテの顔もまじまじと見る。


「おやおやこれは……どこかで見た顔だと思ったら!」

「……? おれを、知っているのか?」


 腕を下ろし、自ら前へ歩み寄った。


「当然でございます。それに、私めは全ての人間の名を知っているつもりでございます。例えば、この失神した方────ラルバ・ウォラーレ様でございましょう? ちなみに彼の母親の名はオルミカ・ウォラーレ様。そして貴方様の後ろの方はイリス=ハルモニア・ラ・ルーナエ様。後ろのハルモニア様に酷似した方だけ何故か名がわかりませんが……」

「んぁ? 呼んだ? ……ってギャ────!!!!」


 また絶叫して動かなくなったラルバを放っておいてフォルテは尋ねる。


「ほう? ならば、おれの名もわかるのか?」

「……おや、私めの事をお忘れになりましたか? ファロテウス様?」


 一瞬、空気が固まった。フォルテは僅かに眉間に皺を寄せて彼を見つめたままだったが、すぐに無表情に戻って首を振る。


「……誰の話をしている。おれの名はフォルテだ」

「え? でもどう見てもファロ」

「だからおれはフォルテだと言っている」

「……? これは大変失礼しました、フォルテ様。どうやら人違いだったようで……」


 小男は座ったまま恭しくお辞儀をした。


 あのフォルテが……

 イリスは自分がぽかーんと間抜けた顔をしていることには気づかない。

 フォルテ自らが赤の他人に話しかけるのは滅多にないことだった。イリスに無関係なことならば、尚更。


「ところで、お前は一体何者だ? ただの人間ではあるまい」

「名乗る程の者ではございません。この街に寄生するただの小汚い乞食でございます。こうやって寝ているとですね、皆様物を恵んでくださるのですよ。この街の人々はお優しい方ばかりです……」


 小男はそう言うとどこか自慢げに金銀銅のコインを地に落としてみせる。なのにその瞳は赤く凍てついた氷のようで、これっぽっちも笑ってはいない。

 コインをばら撒くだけばら撒くと、小男が今度は素早くかき集めながら言った。


「……ささ、皆様。こんな乞食に構っていては時間の無駄でございますから、そろそろ行かれてはいかがです。このウォラーレ様も連れて。それと、彼に後で伝えておいてくださいませんか。今度会ったら名誉棄損で罰金として銀貨四枚頂きます、と」

「待て、話を逸らすな。おれは何者だと聞いている」

「ですから、私はただの乞食で……」

「あからさまな嘘をつくな! イリス様に害が及ぶ前に……殺すぞ」

「フォルテ様、それは脅迫になります。これ以上言うならば金貨十枚頂きますよ? 更に、私を殺そうとすれば殺人未遂も加えて罰金総額百三十────」


 駄目だ、話にならない。

 フォルテがどれだけ問い詰めても脅してもこんな調子で、最後は話題を無理やり逸らされてしまい帰らざるを得なくなってしまった。




 表に出たところでイリスは先程の路地裏を振り返ってみたが、不思議なことにもうあの小男の姿はなくなっていた。つまりは、逃げられたのだ。


「……あの人、結局何者だったんでしょうか」

「さあ? でも、魔女とは関わりはないと思うわ。関わっていたら大体雰囲気でわかるもの」

「それにしても、あなたが他人に興味を持つなんて珍しいですね?」


 フォルテが未だのびているラルバを乱暴に担ぎながら言った。


「……奴は、ひょっとしたら私の事を知っているのではないかと思っただけです。まあ、期待外れでしたが」

「ファロテウス……どこかで聞いた気がするんだけど、それとは無関係なのね?」

「少なくともおれはそいつを知らん」


 三人は狐につままれたような気分でコーラムバインを後にするのだった。

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