第十一話 天からの声
朝日に照らされてイリスは目を覚ました。
伸びをして窓に目をやると、昨日の闇夜が嘘のように光が街を包んでいた。 でも、何故だか少し淀んでいるように見える。昨夜、星が全く見えなかったのはその見えない淀みのせいだったのだろうか。とにかく、今までで一番つまらない夜空だった。
ふと、今は何時だろうと壁時計を探す。村では見たこともない物だったが、この街では割と頻繁に見かける。円盤に一から十二までの数字が書かれ、その上を針が時を刻んでいく様子は不思議で面白いものだ。
ルークに聞いたら仕組みから見方まで丁寧に教えてくれたけれど、全くもって覚えていない。
さて、今何時だっけ。
「五時四十七分」
イデアの声に振り返る。
「そうよね、イリス?」
「えっ、あ、はい。そうです! えと……起きてたんですね」
イデアはベッドに座って足を組んでいた。窓から差し込む黄金の光がイリスよりも淡い桃色の髪や木漏れ日のような瞳、真珠のような白い肌を更に美しく輝かせる。
それにしても、イデアは意外と朝に弱かったはずだ。いつも決まって最後に起きるのは彼女だった。
「まあね。今日はたまたま朝まで眠れなかっただけ」
「た、たまたま?」
「そう。いつもは寝ているフリをしているんだけど不眠症みたいで」
「睡眠薬は作れないんですか?」
「眠気を促す作用のある薬草を煎じて飲んでるけど、この通り」
私はあまり薬が効かないみたいなの、と彼女は笑ってみせた。そこに昨日の疲れ切った様子は感じられず、イリスは密かに安堵する。
「ところでイリス。集合時間っていつだったかしら?」
「六時って言ってませんでしたか?」
時計に目をやると長針は十を示していた。たしか五分ずつだったから……五十分?
イリス達は六時に宿の入口に集合するようにルークから指示されていた。
「行きますか? まだ早いですけど」
「そうね。少し早いくらいが丁度いいと思うわ。行きましょ」
ここの宿はやけに広い。天井には自身の光できらめくシャンデリア、大理石の床の玄関から食堂や酒場にも繋がっていてまるで宮殿のようだった。舞踏会でもできるんじゃないかと思う。
朝方でまだ人は少ないが、それでもぽつぽつ旅人らしき人が出入りしている。その忙しなく動き回っている中で一人静止するルークは、あまりに浮いていた。
「あ、来た」
二人に気づいたルークが近づいてくる。
「おはようございます、ルークさん。一体いつからいたんですか?」
「三十分くらい前からですよ」
えっ。
さらっとすごい返しをしてきた。三十分もここで律儀に待っていたのか。疲れがとれてないのか怠そうな顔までして……真面目というかなんというか。
「ラルバ君とフォルテはまだ来てないみたいね。殺し合いでもしてなきゃいいけど……」
「お姉様。その冗談、少しも笑えませんよ」
「冗談じゃないわよ。まあよっぽどの事がない限り、大丈夫だとは思うんだけど」
「関係が少しでも改善されたらなって思って敢えて同室にしたけど間違いだったかな。僕、様子を見に行ってきます!」
ルークが広間を出て階段を上ろうとしたとき、二人はやってきた。おぼつかない足取りのラルバをフォルテが無理やり連れてきたような感じだ。
「ラルバ! だ……大丈夫?」
「……逆にお前はこれで大丈夫に見えんのかよ」
フォルテに引っ張られながら、ラルバが恨みがましく答える。そして二人はルークを通り過ぎるとイリスの前まで来た。ラルバの所々跳ねた髪が一歩歩くごとにぴょこぴょこ躍っている。
「イリス様。お待たせしてしまい申し訳ありません」
一礼するフォルテにイリスは慌てて首を振った。
「私も今来たところですし待ってはないですよ! だから謝らなくても」
「いいえ。本来ならばイリス様よりも早く来ていなければならないのです……」
「ま、いいじゃない。そんな堅苦しくなくても」
察するに直前まで寝ていたラルバを叩き起こしていたところ、ぎりぎりになってしまったのだろう。重力を完全無視したラルバの髪が、その証拠だ。
「で? こんな時間に集まってどうすんだよ……街を出るとかほざくんじゃねーぞ?」
「ああ、まだ街は出ない。朝食をとるんだよ」
「えー、そんな気分じゃねえんだけど」
するとルークは不敵に微笑み、秘密の合言葉のように囁いた。「……甘いお菓子もたくさんあるよ」
半開きのラルバの目が丸くなり、彼をじっと見つめた。マジで? と口が動く。それにルークは笑顔で頷いた。そしてイリスも少し心を躍らせた。
だってそんなもの食べたことなかったから。ラルバさんが森で話していた木いちごのタルトみたいなの、ずっと食べてみたかった。真っ白ふわふわのクリーム、太陽の光をたっぷり浴びた真っ赤で甘酸っぱい木いちご……
「しばらくこういうの食べてなかったろ。好きなだけ食べていいよ。ただしお金の事も考えて……ってあれ?」
ラルバはいなくなっていた。見回せば遠くにどこかへ向かって駆けていくラルバの姿。
「おい、後で返すけど今金を払うのは君なんだからなーっ! しかもそっちは反対だ!」
全く聞こえていない様子のラルバを、ルークも追いかけていく。
「ねえ、私達も行きましょう? 早く早く!」
イリスも二人の手を引きながら走り出す。
「……イデア」
イリスに引っ張られながらフォルテが小声で尋ねた。「あいつ、感情の起伏が激しい奴なのか」
その視線はラルバへ向けられていた。
「まあ、落ち込むときはとことん落ち込むから激しい方だと思うけど……まさか貴方がそんな事聞くなんて。どうしたの?」
「うなされてるんだか泣いてるんだか知らんが、一晩中声がうるさかった。おれだからまだよかったが、これからイリス様の眠りの妨げとなっては困る」
フォルテは無機質な声でそう言った。そしてイデアは無言のまま。
もちろんこれがイリスに聞こえないはずはなく、それでも無邪気を装い続けた。
泣いてる? まさか……。
それは一瞬だけ垣間見えたものから目を逸らしたかったからだったのかもしれない。
「あー……オレの金」
規則正しく並ぶ建物と建物の間を歩きながら、ラルバは独りごちる。左手には最初の半分以下にまでしぼんだ巾着袋。
それもそのはず、イリス達は最初から無一文、ルークは境の村で全て置いてきたので今までの支出をこの巾着から出してきたのだ。しかもこの街の宿は豪華な代わりにひたすら高い。久しぶりのお菓子だったからか彼がケーキだの果物の砂糖漬けだのを馬鹿食いしていたのも、大きな打撃を与えただろう。
「だからお金の事も考えろと言ったのに……」
「は? 聞いてねーし」
「君は聞いてなくても僕はたしかに言ったよ」
「知るか。オレに聞こえるように言えや」
やれやれ、とルークはこめかみを押さえる。
コーラムバインは北区、南区、西区、東区に分かれている。北へ行けば首都ブバリアへ、南はニレの町と港町アルストロメリア、東は図書の街ゲンティアナ、そして現在地の西は休息の町ローズマリーズへと続いている。それぞれ結構な距離があるが、馬車があるのは首都と輸出用のアルストロメリア行きだけ。
少し歩いたところで、ルークがいきなり足を止めた。
「じゃあ、ここらへんで一度お別れですね」
「……え? どういうことですか?」
「あなた方はリリィ山脈へ向かうんでしょう? 僕はこれから《ゲムマ族》の方々をどうにかしなきゃいけないし、ブバリアにも戻らなきゃ」
「え……なんで? そんなとこ行って何すんだよ?」
ルークが一瞬答えに詰まった。瞳に驚きと戸惑いを湛えたラルバの問いはとても寂しげで、すがりつくような響きを持っていたから。
「えーと、親分を裁いてもらったりとか……まあ色々だよ! 元々帰郷のために休みを貰ってただけだからね、早く帰らなきゃいけないんだ」
「……休みを貰う? ルーク君ブバリアで働いてるの?」
「いえ、特別にお城で色々修行させて頂いてるんです。剣術とか、魔法とか」
「え、待てよ。お前村を飛び出したのって……まさかその修行のため?」
ルークは無言で頷いた。
「なんで……なんで何も言ってくれなかったんだよ!! ステラだって悲しんでたんだぜ!? わけわかんねーよ、なんだよ修行って……」
「ごめん。そこは素直に謝るよ。でもね、その……僕の予知夢も笑う君の事だし、どうせ誰も信じないだろうと思ってさ……」
ルークの声が段々小さくなって、いつも人の目を見て喋る彼の目線はゆっくり下へ落ちていった。そんな彼の目をラルバから下から覗き込む。
「なんだよ。信じるから言ってみろよ」
「えーと、夜に目が覚めて、ボーっとしていたらふとどこからか聞いたこともない人の声が聞こえて……」
「……それってさ、寝ぼけてただけじゃね?」
「違う! ちゃんと意識は覚醒してたよ。そして声が言ったんだ。僕は選ばれた存在だ。けれど未熟だから首都まで行って僕の力が必要になるその日までに、強くなっておけって」
ふとイリスは昨日の出来事を思い出した。夕空を仰ぎ見ていたあのときのフォルテのように、イリスはそっと彼の方を見た。
「……ルーク。お前も聞こえるのか。あの声が」
フォルテは表情を一切変えぬまま、驚いている様子のルークを底知れぬ海のような目で見据えていた。
「ま、まあ聞こえたのはその一回だけですけど……もしやフォルテさんも?」
「まあな。おれの場合は一回だけではなかったようだが」
「昨日も捕まったルークさんを助けろって命令があったみたいですよ!」
「イリス、それ本当?」
「間違いないです。その命令がなければ、フォルテはお姉様達を見殺しにするつもりでしたから」
イリスが頷くと、イデアは手を顎に当てて考え事を始めた。何かを思い出しているのか、謎に包まれた彼の正体を考察しているのか────
まあ何はともあれ、そう意味では声に感謝しなきゃ。
「あーもう、二人してなんなんだよ。わけわかんねえ」
ラルバを無視してルークは静かに言った。
「声は随分僕に肩入れしてるみたいですね。フォルテさん、何か声について知ってますか」
「知らん。心当たりもない」
「そうですか……ということは今推測したところで手がかりが少なすぎるので無駄ですね。もうこれ以上考えるのはやめにしましょう。選ばれた存在と言われた僕にもわからないんですから」
と、ルークはおどけたように肩をすくめた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
何かおかしい点などがありましたら、教えていただければ幸いです。




