第七話 偽りの女神?
「……っ! ────ッ!!」
崩れていくラルバを、イリスは傍観することしかできなかった。叫ぼうとした口はフォルテに塞がれ、動きも太い腕に封じられている。唯一ラルバへ伸ばせたその右手も届くことはなく、ただ虚空を掴むのみ。
ここはラルバ達から離れた小さな木陰。少し前に彼らが乱闘を始めた辺りで、突然イリスはフォルテに下ろされてここまで連れてこられてしまったのだ。気づいて追いかけてきた数人の緑目狩りもフォルテの魔法の犠牲になってしまった。まとめて岩石の下敷きになり、もう生死もわからない。
次々と立ち上がってきた緑目狩りを前にルークも抵抗しているが、相手も傷ついているとはいえ疲れ切った身体で、しかも今度は一人で戦うのには無理があった。もう前後から取り押さえられようとしている。
フォルテは黙って見ているだけで、危機に陥った彼らを助けようともしない。
「……助けないんですか?」
口がようやく自由になったので、そう尋ねた。
「私にその義務はありません」
「何故でっ……!?」
思わず大きな声が出て、また口を塞がれる。
ああ、こんなことをしている間にルークも拉致されてしまった。早くしないと連れて行かれる……
「私の役目は、イリス様をお守りすることだけですから」
……どうして? あれを見て、フォルテは何の感情も湧かないの?
昔から冷淡だとは思っていたが、それを通り越して冷酷だ。血も涙も無いのかと聞きたくなるくらいに。思い切り問い詰めたいところだが、それもできない。
無力なイリスはじたばたしながら、動けない数人を置き去りに二人を拉致して撤退する緑目狩りを見送ることしかできなかった。
結局イリス達が木陰から出てきたのは、高原に再び静けさが訪れてしばらく経ってからのことだった。
「街に入ればいくらか安全になります。また賊に襲われる前に早く向かいましょう」
何故あの後だというのにフォルテはいつも通りでいられるのだろうとイリスは思う。災厄の日のときだってそうだ。一応共に旅をすることになった仲間だというのに、こんなにも簡単に切り捨てるとは……
「……何故そんな平気でいられるんです。あの方達がどうなってもどうなってもいいんですか!?」
「私には関係のないことです」
この言葉で、イリスの中で何かが弾け飛んだ。
「関係なくない! ないはずがないです!!」
赤の他人と同じって事? ありえない。そんなのあんまりだ!
イリスはフォルテに掴みかかっていた。だが、彼女の小さい手などではフォルテは動かない。その仏頂面を変えることさえできない。
そう、イリスは全くの無力なのだ。無力だからこそ、フォルテの力を貸してほしかったのに。だが、彼にその気がないのなら仕方がない。
「……私一人で助けに行きます。あなたがなんと言おうと」
フォルテを突き放し、一人で歩き出す。
ニレで助けた女性の話によると、緑目狩りはコーラムバインを根城としているらしい。だとするならアジトもあの街にあるのだろう。
背後から「お待ちください」なんて言われても無視するつもりでいた。だが無言で、しかもいつもよりも乱暴に腕を引かれて思わず振り返った。
────ひょっとしてフォルテ、怒ってる?
一瞬驚いたが、こちらだって沸点はとうに過ぎているのだ。失望と軽蔑を込めてねめつけた。
「あなたのような薄情者に言う事はありません!」
たとえ掴む手が乱暴でも、イリスに突っ撥ねられてもあくまでフォルテは平静な態度だ。
「……少しは自分の立場をお考えになってはいかがです」
「またそれですか! 考えなくてもわかりますよ、どうせまた神の生まれ変わりがどうって……」
「いいえ。イリス様はご自分の立場を全く理解されておりません」
一体何が言いたいというのだろう。イリスは改めて彼の顔を見上げた。
ごついながらも、面長で端整なその顔立ちには常に険しい表情を浮かべてどこか近づきがたいオーラを放っている。だから、今も彼の気持ちを読み取ることはできない。
「奴らがせっかく自らを犠牲にしてイリス様を守ったのに、その思いを踏みにじるおつもりですか。わざわざ自分から危険に飛び込むような真似をして」
「ねえ。あなたはこういうとき、いつもそうやってもっともらしいことを言いますがそもそも私は神の生まれ変わりなんですか?」
「……何をおっしゃっているのです?」
それはイリスがずっと疑問に思っていたことだ。ラルバのように力があるわけでもなく、ルークのように未来を知ることができるでもない。フォルテのように魔法も使えない。そしてイデアに至っては外見から中身まで全てにおいて劣っている。そんな自分が神の生まれ変わりだとはとても思えないのだ。むしろ────
「お姉様こそ、本当の神の生まれ変わりではないのですか? 緑目狩りだってお姉様の方をさらっていったでしょう。なんで、彼らが神の生まれ変わりの存在を知っていたかは知りませんけど」
イデアも、イリスが物心がついたときには既にフォルテやノックスと共に一緒にいた存在だ。なのに、能力や魔法を使ったところを一度も見たことがない。ついでに言うと、あの外見は十年以上全く変わっていないのだ。イリスにとっては、そんなイデアも十分謎に満ちた存在だった。
「……え? いえ、そんなはずは」
珍しく困惑したようにフォルテが視線を落とす。まさかこの十数年の間、ずっと根拠のない自信に惑わされて勘違いしていたとか……それにしたって普通間違えないと思うが……
イリスは静かに言った。
「神の生まれ変わりは守るべき存在だと考えるなら、やはり助けに行くべきです。私はたしかに少し身勝手だったかもしれませんが、私が無理ならフォルテに行ってほしいです。神の生まれ変わりが関係しているなら、さすがのあなたも他人事とは言えないでしょう?」
フォルテはまだ悩んでいるようだった。よっぽど頑固なのか、それともイリスがそうである確固たる証拠でもあるのか。地を睨んだまま……しかし、首を横に振る。
「……やはり、それはできません」
「何故です!? もし私が偽者だったとしたら」
「仮に私が助けに行くとしたらイリス様は危険なので置いていくことになりますが、その間誰もお守りする者がいなくなってしまいます。それに……」
「それに?」
「私は、貴方様こそが神の生まれ変わりだと信じていますから」
「そんな証拠がどこにあるんです?」
こうなれば意地だ。なんとしてでも、フォルテを助けに行かせなければ。
しつこく問い詰めると、フォルテは一瞬詰まった後にこう答えた。
「……言ってもイリス様にはご理解頂けないでしょう。さあ、もう行きましょうか。奴らも大人しく捕まってはいないと思いますよ」
「えっ、ちょっと。どういうことですかそれ!」
今、意図的に話題を逸らした。イリスの手を引くと足早に歩き出す。もうイリスがそれ以上聞いても返事をしようとはしない。
仕方ない。こうなったら散歩するフリをしながらアジトを探して、後は自警団にでも通報を────と思った矢先。
「……フォルテ?」
フォルテがぴたりと動きを止めた。何かに憑りつかれたかのように切れ長の目を大きくして、じっと何もない夕空を仰ぎ見ている。
「フォルテ? どうしたんですか?」
空に目をやったまま無言でイリスを制した。しばらくそのまま時間が経ったあと────唐突にこう呟く。
「承知しました」
そして不思議そうに見つめるイリスに驚くべき言葉を口にしたのだ。
「イリス様、奴らは私が助けに行きましょう」
「え? でもさっき」
「事情が変わったのです────やはり、ルーク・ソーリスは救出した方がいいようで」
「今誰に返事をしてたんですか?」
「……正直に申し上げますと、私にもよくわかりません。ですが、昔から時々どこからか命令するような声が聞こえるときがあるのです……」
嘘をついているとは思えなかった。何故なら、そう語るフォルテも腕を組んで考えるような素振りをしていたから。
もしかしたら彼は謎が多いが────自分でもよくわかっていないのではないか。イリスはそう思った。




