第4話 毒親って何?
毒親同盟の結成は二年前。美織が高校二年生の時だった。
夕暮れの日差しの中でチョークの粉の匂いがする。遠くで吹奏楽部の練習の音が聞こえた。
教室の中で夕日を浴びて、窓の外を見ていた牧子が決意を込めた目で友達を振り返った。
「やっぱり、私たちの親って普通じゃないよ」
秋口の放課後の教室での言葉だった。牧子は賢そうな目を千花と美織に向けた。千花は海外の翻訳小説の本を開いており、美織は母に勧められた編み物をしていた。
「……そうだよね」
千花は本を閉じて牧子に向き直った。美織はまだ母に言われたマフラーを編んでいる。
三人は誰もいない教室の隅で椅子だけ並べて輪になっていた。ポニーテールの牧子は子鹿のように手足が伸びており、ショートヘアの千花は背が低くクラスの中でも可愛い方、美織は中背で少し太っていた。
三人は小学校から高校まで地方のこの街で共に育った。街から出ることは夢想はしても現実感はない。
千花と美織はこの街から抜け出せないと諦めていたが牧子は違った。牧子はトップクラスの成績で実家も裕福。親から東京の名門大学に行けと命じられている。
彼女は地元の名士の家のお嬢さんと言われているがそれを誇ったことはない。
彼女の優秀さは両親からの異常な教育熱で生み出されていた。
「お父さんとお母さんはおかしい。あんなに成績成績ってこだわって……この前も成績が少し下がったからって離れに閉じ込められた」
牧子は目をわずかに伏せる。
百点にはわずかに届かないテスト用紙を持って鬼のように母に罵られた。父に視線で助けを求めたが父は厳しい目を向けて彼女の右腕を痛いほど掴み、引きずって離れの鍵付きの部屋に放り込んだ。
開けてと叫んでも誰も返事をしない。涙が止まらなかったが冬でないことだけを感謝してそのまま朝まで埃を被った床で眠った。
「牧子の家、ひどいね」
牧子は千花に近寄って右腕の袖口を指差した。千花は少し躊躇って袖をまくった。そこにはアザがある。
「千花の家だってそう。毎日親の怒鳴り合いばっかりで、この前なんて殴られたって……形は違うけど、そんな親って絶対におかしいよ。
親ってもっと子供の成長そのものを喜んでくれるって本に書いてあった。お母さんは絶対おかしい。お父さんだって助けてくれない……おばあちゃんだけはたまに優しくしてくれるけど」
「美織の家だってそうだよ」
自分の名前が呼ばれたことでビクッと美織は編み物の手を止めてしまう。千花は真剣に怒っているようだった。
「おばあちゃんが毎日お母さんにケチつけてお母さんは愚痴を美織に全部ぶつけてる。牧子、知ってるでしょ?
美織のケータイには毎日昼休みにお母さんから電話かかってくるんだよ。毎日十通以上メールが来て、帰るまでに全て返信しないとならない。美織には気の休まる時がないんだよ」
美織はカバンに手を入れてガラケーに手を触れた。昼休みだけじゃない。毎日十通以上のメールが母から届いている。その全てに美織は休み時間を使って返信していた。下手な返信をすると寝る直前まで母の話は続くのだ。
『やっぱり娘が一番よね。ママの味方は美織ちゃんだけ』
何度も言われた言葉を思い出すとガラケーをギュッと握った。
「私は……ママは少しおかしいと思う。でも牧子や千花の家よりは恵まれてると思ってる。だってそんなに厳しかったり、まして殴られるなんて……うちはないし」
美織は常に成績を監視されるわけじゃない。千花のように怒鳴られてばかりで挙句殴られたこともない。
それでも美織は怒鳴られることは頻繁にあった。父はほとんど家族に干渉しないが、美織の成績が悪いことには苛立ち、昨日怒鳴られた。
しかし、美織は家にいる間は母がベッタリでメールの返信は義務、勉強する時間などない。学校の授業について行くのがやっとだ。
「形は違うけど……私たちの親は毒親だと思う」
牧子は窓辺に移動するとポニーテールを振って振り返った。
「ど、毒親って何?」
聞いたこともない言葉。千花が首を傾げていると美織も分からなかった。
不意にもうすぐ二〇〇〇年になって五年以上過ぎたなと思った。
牧子はカバンから一冊の本を取り出した。「毒になる親」というギョッとするようなタイトルだった。どうも日本の本ではないらしい。
「アメリカの本なんだ。子供にとって毒になるような親がいるってことを書いてある。インターネットでは「うちの親は毒親だ」っていう人が出てきてる。ねえ、私たちの親って毒親だと思わない?」
「……確かに親はおかしいけど」
「親に毒、なんて」
毒親という言葉は衝撃的すぎて千花と美織は戸惑ってしまった。
近所のおばさんが言っていた親孝行が子供の仕事、という価値観を破壊するような強烈な言葉だ。牧子は本を掲げて必死に言葉を続けた。
「そういう親って本当にいるんだよ、外国では分かってきたの! ……ねえ、同盟を組まない?」
「同盟ってなんの?」
「毒親同盟。いつか私たち、この街を出て、あの親から離れよう! ……私と形は違うけどさ、千花の家も美織の家もおかしいよ。ちゃんと子供を守ってない。そんなのっておかしいと思わない?」
すっと伸びた牧子の背に千花が近づく。美織はガラケーを握ったまま二歩だけ近づいた。
「……そうだね、私ももう殴られるの嫌だ」
「私は、私はもう少しママの愚痴が減ってくれたら……」
牧子と千花、美織は小学校の頃からの付き合いだ。三人とも性格が違うのに不思議と気が合った。
「決まりだね。私たち毒親同盟だ!」
牧子の声に千花は頷く。美織はカバンに入れた編み物とガラケーを見つめた。
(でもママは……やっぱりかわいそうだと思う)
美織はメール返信の義務の何処かで「自分は親孝行なだけだ」と誇らしく思っていた。
感想・ご意見など気軽にお寄せください。
ぜひまたお立ち寄りください。
よかったら星をポチッとしてくれると嬉しいです(^^)




